モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

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第8話

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 桐生市から世田谷へ向かう途上で襲ってきた武装集団は、警官隊が駆け付ける直前に撤退した。倒れた仲間の内ジェネレーターを含む何人かは置き去りにしたまま、手近な者だけを回収して立ち去ったのだ。

 周囲に止まっていた車両を撥ね退けながら逆走した連中は結局、警察の追跡をも振り切って逃げ果せたらしい。破棄された車両は見つかったものの、未登録の違法車両だったため管制システムを使って辿るのは難しいのだとか。

 

 ジェネレーターを下した時点で脱落した僕はその後、搬送先の病院で一連の経緯を知らされた。

 話してくれたのは叔父で、依頼を終え本社へ帰る前に病室へ立ち寄ってくれた。以降は襲われることもなく、職員は全員が無事トウホウ技産の研究室へ送り届けられたそうだ。

 

 連中の目的が何だったのか確かなことはわからない。

 だが恐らくは運んでいた荷物だろうと叔父は神妙に語っていた。

 

 根拠は二つ。一つは積み荷を降ろした後の復路で手出しを受けなかったこと。

 そしてもう一つは、件の積み荷に国防軍の情報部が興味を示していたらしいことだ。

 

 情報部はその名の通り、防衛省管轄下にある国防軍の部隊だ。情報収集から防諜、要人警護など様々な職務に従事している一方、部隊ごとに後援者が異なるなど良くない噂の絶えない場所でもある。

 

 警察の到着で襲撃者が撤退した後、事情聴取を受けている最中に彼らは現れ、ジェネレーター以下拘束したテロリストの身柄を求めた。

 当然警察側はいい顔をしなかったが、上層部からの指示もあって渋々応じたのだとか。

 

 警察との話を終えると、部隊を率いる長は叔父の下へもやってきた。

 糊の利いた迷彩服に身を包んだ長身痩躯の男で、とても現場を知る軍人には見えないとぼやいていた。

 

 男は国防陸軍情報部の中尉で、那原(なばら)と名乗った。

 年の頃は20代後半。手首にはCADを巻いていたらしい。丁寧な物腰に温和な表情を湛えていたものの、叔父はその男が信用ならないと感じたそうだ。襲撃してきた連中が逃亡し、警察が身柄を拘束した直後、図ったように姿を現したのも疑念に拍車を掛けていた。

 

 胡乱(うろん)な印象もさることながら、決定的だったのはその後の申し出だった。

 部下にテロリストの移送を命じた後、那原中尉は叔父に依頼の肩代わりを提案したのだ。

 

 トウホウ技産職員の護衛と積み荷の運搬。それらの仕事を那原中尉以下の部隊で受け持つと彼は言ってきた。

 護送先はおろか、荷物の中身まで把握しているような口振りだったらしい。目的地が陸軍の研究施設なことを考えると、管轄の異なる情報部が出張ってくるのは何とも妙な話だ。

 

 報酬は変わらず支払われると言われたものの、叔父はこの申し出を即座に断った。警備業において最も重要なのは『信用』で、相手が国防軍だろうと他人任せにしてはこれを損なうことになるからだ。

 尚も食い下がる相手に令状の提示を求めると、那原中尉は残念そうに引き下がった。何やら捨て台詞も吐かれたようで、「迂闊なことを口走っているようじゃまだ青い」と叔父は人の悪い笑みを浮かべていた。

 

 釣られて口元が緩むのを自覚しながら、一方で内心には小さな懸念が浮かんだ。

 

 情報部といえば原作でも暗躍を繰り返していた一派で、中には達也を妨害ないし排除しようと目論む者たちすらいた。悉くが達也本人や彼の仲間によって退けられたものの、それらは達也が国防軍から距離を取る理由の一端になったのは間違いない。

 

 中でも防諜第三課は十師族『七草』が後援する部隊で、現当主・七草弘一(さえぐさこういち)氏の意向に従って動くことも多い。

 加えて弘一氏は、名倉三郎(なくらさぶろう)という同じ『七』の家系の《数字落ち(エクストラ)》に当たる人物を雇ってもいる。

 

 そんな前提があった上で、国防軍情報部に姓が『那原(なばら)』の士官だ。

 『ナバラ』が『ナナハラ』から転じた姓である可能性は捨てきれず、叔父が話した那原中尉が『七原(ななはら)』の《数字落ち(エクストラ)》だとしたら、拘束した連中の身柄を確保したのは防諜第三課かもしれない。

 

 本来の主人公(達也)が与り知らぬ場所での不穏な動き。果たしてこれは原作においても起こっていたことなのだろうか。

 語られていなかっただけならいざ知らず、本来起こり得なかった出来事だったのだとしたら、既知の流れはもはや修正しようのない程に変わってしまっているのかもしれない。

 

 漠然とした焦りと不安を抱いて過ごす二日間は、どうにかなってしまいそうなほど長く感じられた。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 8月30日、火曜日。

 

 治療後の経過観察も終わり、午前中の内に退院した僕は一度自宅へと寄った後、例によって有明を訪れた。

 以前レオと会った時と同じカフェに入り、アイスコーヒーとサンドウィッチを並べて通りへと目を向ける。

 

 夏休みは残り2日。今日と明日が過ぎれば、明後日からは新学期が始まる。

 9月に入れば真っ先に控えているのは生徒会長選挙で、その後は10月末開催の論文コンペに向けた準備が行われるはずだ。つまり、大亜連合による横浜侵攻までおよそ2か月ということになる。

 

 銃火器と魔法の飛び交う戦場。沢山の人が傷付き、或いは命を奪われる戦禍の襲来。

 間近に脅威が迫っているのは知っていて、けれど僕に出来ることはほとんどない。せめて知っている以上の地獄とならぬよう努めるくらいだ。

 

 日差しを遮るパラソルの下、氷の揺れるグラスを傾ける。

 冷たいコーヒーが食道を流れ、焦れて熱くなった身体を少しだけ冷ましてくれた。

 

 

 

 この焦燥感の出処は今さら考えるまでもない。

 『森崎駿()』が担うはずだった役割を果たせそうにないからだ。

 

 九校戦が終わって以来、出来る限り有明(ここ)へ通い詰めているものの依然としてリン=リチャードソンとは遭遇できていなかった。

 原作の『森崎駿()』が彼女と出会ったのは8月の中旬辺りだと思われるので、すでに機会を逸してしまった可能性は高い。

 

 すれ違ってしまったか、或いは有明を訪れていないのか。

 そもそも来日していないという可能性もある。無頭竜の残党がリン=リチャードソンを指導者に祭り上げようとしない限り、彼女がUSNAを離れる理由はないのだ。別の指導者を立てた、若しくはリチャード=孫がまだ存命だった場合、彼女がこの国へ来ることはない。

 

 前者はともかく、後者なら状況は最悪だ。日本に対する無頭竜の影響力を削げないばかりか、いずれ日本へやって来る顧傑(グ・ジー)の後ろ盾となりかねない。

 ただでさえ厄介な男が資金と人材を得たとなれば、どれだけの被害が生じるか。原作でも多くの人が命を奪われたのだ。被害者の中にはエリカの兄・寿和氏も含まれていて、千葉家は次期当主を喪うことになった。

 

 またリチャード=孫の生死に関わらず、無頭竜が日本から手を引かない限り脅威はそれだけに留まらない。

 なにせ連中はジェネレーターやソーサリー・ブースターの供給源だ。横浜へ侵攻した際の大亜連合軍もこれらを用いていたのは明らかで、もしも供給数が増えれば被害は原作よりも大きくなる可能性が高い。

 

 気になるとすれば、原作と変わった原因がわからないことだ。

 無頭竜の幹部程度相手に(・・・・・・・・・・・)達也が失敗する(・・・・・・・)とも思えない(・・・・・・)。となれば後はリチャード=孫が暗殺を逃れたか、或いは別の有力な指導者が現れたのか。

 

 残り二日。この二日間でリン=リチャードソンに遭うことが出来なければ、いよいよ原作との乖離は決定的になったと考えるべきだろう。

 幸いなことに、博士の研究も間に合った。唯一の役目すら無くなったとなれば、あと僕に出来るのは『彼ら』を守るために尽力することだけだ。

 

 

 

 端末の文字列へと視線を落として、言い訳のような時間を過ごす。

 

 胸中には絶えず焦りが燻っていて、晴らしようのない疑問は頭の片隅を占拠していた。

 自然とグラスを運ぶ間隔は短くなり、1時間も経たぬ内に小さく残った氷が底で揺れる。

 ため息を吐いて、余った氷をまま呑み込んだ。身体の内を通る冷感に堪らず唾を飲み、眇めた目で書籍サイトからログアウトする。

 

 おやつ時だけあって店内も人が増えてきた。そろそろ場所を変えるべきだろう。

 

 顔を上げたその時、ふと人垣を縫って走る少女の姿が目に留まった。

 麦わら帽子を目深に被った白人の少女で、年の頃は12,3才といったところ。膝丈のワンピースにリボンタイ、サマーサンダルという出で立ちで、栗色のおさげを揺らして走る肩には落ち着いた意匠のショルダーバッグを抱えている。

 

 国内でも有数の観光地で、空港や国際港からも程近い有明だ。外国人の姿が珍しいというわけでもなく、通りを見渡せば彼女の他にも外国人の姿はちらほらと見える。

 それでも、保護者もなく独りで走る彼女の姿には引っ掛かるものがあった。迷いなく足を繰り出しながらも時折左右へ視線を配る横顔に、出処のわからない既視感と不安を覚え堪らず席を立つ。

 

 手早く支払いを済ませて少女の後を追う。

 雑踏に紛れて小走りする背中は、まるで何かから逃げているようにも見えた。

 

 見失わない程度の距離を保って歩きながら、少女の周囲へと視線を巡らせる。

 夏休み終盤の行楽地というだけあって人は多く、一見しただけでは追跡者を特定することができなかった。原作でのリン=リチャードソンの一件を思えば認識へ干渉されている可能性も否定できない。

 

 様子見を初めて5分ほど。

 不審な人影は見つからず、いい加減声を掛けるべきか考え始めた――その時だった。

 

 首筋を撫でるような感触がした直後、不意に少女の姿が見えなくなった。

 

 すぐに歩道の脇へと逸れ、街灯の傍で足を止める。

 目を凝らして探しても麦わら帽子や栗色の髪は見当たらず、ならばと道を横切ってみても見つからない。ただ得体の知れない不快感だけが後頭部に張り付いていた。

 

 単純に撒かれたのであればまだいい。問題はこれが他者の精神干渉系魔法だった場合だ。

 何者かの作為によって少女の行方を隠されたのだとすれば、彼女には何かしらの事情ないし秘密があるはず。

 

 仮に何者かの工作だと仮定した場合、気になるのはこの手口だ。

 魔法の不正使用を監視するセンサーが備えられた街中にあって白昼堂々と魔法を使う大胆さ。場所も状況も、原作でリン=リチャードソンが追われていた時とよく似ている。

 

 だとすれば相手は『内情』――『内閣府情報管理局』の人間かもしれない。

 

 その可能性へ至った時点で見て見ぬふりをする選択肢が消えた。

 追われているのがリン=リチャードソン(目的の人物)であろうとなかろうと、内情が絡んでいるなら放置はできない。原作の流れと変わる可能性があるなら尚更少女の正体を探っておく必要がある。

 

 魔法の気配は薄い霧のように周囲のイデアを覆っていた。強度が弱いために正確な広さは判らず、かなり大規模に魔法が行使されていることだけが辛うじて掴める程度だ。

 

 周囲一帯を覆う精神干渉の魔法は恐らく、古式の結界のようなものだろう。範囲内の人間の無意識に働きかけ、特定の人や物から注意を逸らしているのだと思われる。

 この魔法の影響下にある内はたとえ見えていたとしても注目することが出来ない。視覚が捉えた信号を、正常に認識することが出来なくなるのだ。仮に視覚を強化する魔法があっても効果は期待できない。

 

 魔法の発生源や術者の位置はわからず、それらを足掛かりに探すことはできない。

 となれば、あとは実際に起きている現象から術者の狙いを予測するしかないだろう。

 そのためにはまず、僕自身が認識阻害の影響下から抜け出さなくちゃならない。

 

 再度通りを横切り、通り沿いのベンチに腰掛けた。

 目立っていないことを確認して目を閉じ、体内のサイオンを胸の中心に集めていく。

 

 両脚の腿に付いた肘で身体を支え、かき集めたサイオンを圧縮して纏める。

 《術式解体》を使うときの感覚に倣って集めたそれを、外へと漏らさぬよう慎重に解放。

 波紋のように広がったサイオンが精神の内側で反響し、全身を揺さぶられる錯覚に奥歯を噛み締めた。

 

 焦る気持ち諸共、霞のようなノイズがサイオンのさざ波に押し流されていく。波が収まる頃には先刻からの不快感も消えていて、溜まった息を吐き出して酔いを紛らわせた。

 

 目を開いて立ち上がり、少女を見失った場所の周辺へ視線を巡らせる。

 道行く人々や両脇の店舗、そしてそれらの間に伸びる路地までを見渡して、内一本だけが不自然に閑散としているのを見つけた。観光地の真ん中にあってそこにだけ人影一つ見当たらない。

 

 間に合ってくれと内心で呟いて、誰もいない路地へと足を踏み入れた。

 

 

 

 倒れている人を見つけたのは曲がり角を抜けた先のことだった。

 人数は4人。全員が黒尽くめのスーツ姿で、同じ形のサングラスで顔を隠していた。さながらSF映画に登場するエージェントだ。

 

 駆け寄って一人の首元に手を当てる。不規則だが脈はあり、生きてはいるようだ。

 空いた手でサングラスを外し、顔色を確認。意識はなく、目は見開いたまま口からは涎と泡が零れていた。

 

 続けて残る三人の脈も確認する。幸い死者はなく、四人ともが外傷なく昏倒していた。

 印象的だったのは全員が胸や首元を押さえていること。何かしらの理由で呼吸困難に陥ったのだろう。意識を失って尚、身体が小刻みに震えているのもまた目を引く要素だ。

 

 抵抗の形跡がないので症状は一瞬の間に進行したのだろう。固まって倒れているところを見るに、取り囲んだところを返り討ちにあったか。

 呼吸不全で意識を奪い、麻痺の症状を残しながらも死には至らない。恐らくは何らかの中毒症状を引き起こす魔法だ。状況から察するに追われていたのはあの少女だろうが、この魔法を使ったのが彼女だとすれば驚くべき才能の持ち主だ。

 

 と、そこまで考えたところで唐突に思い出した(・・・・・)

 

「まさか……。けど、だとすれば……」

 

 思わず呻き声が漏れて、弾かれたように立ち上がる。

 救急に連絡を入れるか迷うも、彼らの仲間が回収することを期待して背を向けた。

 駆け出し、続く道の先へと全速力で足を繰り出す。《自己加速》を使いたくなる衝動を堪え、出来る限りの速度で走った。

 

 強い焦りと後悔に喉が詰まる。どうして気付かなかったのだろうか。

 自分の知っている時期と大きくズレていたのは確かだが、だからといって迂闊が過ぎる。

 もしも考えている通りだとしたら、あの少女は――。

 

 路地を駆け抜け、開けた場所に出た。

 運河沿いの公園。レインボーブリッジの真下まで続く、原作の《森崎駿()》がリン=リチャードソンを見送った場所だ。

 

 そこに、あの少女はいた。

 

 栗色のおさげを揺らした、12歳前後の白人の少女。

 真夏の陽の下を走って尚ほとんど息は上がっておらず、脱いだ麦わら帽子で首元を扇ぐ姿は幼い少女の見た目にそぐわない大人くささがある。

 

 そんな彼女の隣にはリゾート柄のシャツに身を包む長身痩躯の男がいた。

 幅広のサングラスを掛け、無造作に伸ばした髭を撫でる男もまた外国人だ。

 

 親子というには似ていない二人を見て、推測は確信に変わった。

 

 『ジャスミン・ウィリアムズ』と『ジェームズ・ジェフリー・ジョンソン』。

 オーストラリア軍所属の魔法師にして、英国の《十三使徒》ウィリアム・マクロードが送り込んできた対日本工作の尖兵。

 

 本来なら2097年の3月、つまり来年度末に来日するはずの二人がそこにいた。

 

 

 

 

 




 
 
 
 
 

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