モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

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 大変お待たせしました。
 
 
 
 
 


横浜動乱編
プロローグ


 

 

 

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 旧神奈川県横浜市の臨海部。山下埠頭からほど近い都市の一角には、林立するビル群によって周囲と隔絶された場所が存在する。

 第三次大戦の後、都市部の再開発が行われる中で戦前にも増して高層ビル建築が進み、今や東西南北四方の門からしか出入りのできなくなったその場所は一般に『横浜中華街』と呼ばれている。

 

 19世紀半ばに港が開かれて以来、横浜中華街は港湾都市として発展する街の名所として隆盛を保ってきた。

 2095年を迎えた現在でもそれは変わらず、外国人を含む多くの観光客が訪れる中華街は依然として国内有数の繁華街として栄えている。

 

 一方でこの街はその性質上、他国の工作員が多数潜伏する拠点とも目されている。

 国際港である横浜港の傍にあり、首都へのアクセスも容易な地理的要素はもちろん、外国人の姿が珍しくないというのも大きな要因だろう。

 

 他国のスパイを内に抱える要注意地区だというのは認識されている。

 それでも、表向き『本国での圧政を逃れた華僑の街』と標榜している中華街に口出しのできる政治家は居らず、警察や国防軍は再開発の末に要塞のような造りとなったこの街へ監視の目を向けるのが精一杯だった。

 

 

 

 

 

 

 そんな活気と陰の並立する中華街の某所。

 表通りからは見えない飲食店の一室に、3人の男が集っていた。

 人種も属する国籍も異なる彼らは全員が社交の仮面を貼り付け、表向きは穏やかな雰囲気で言葉を交わす。

 

「改めてご協力に感謝しますよ。ジャクソン大尉殿」

 

 3人の内、アジア人らしい顔立ちの中年男性がそう言うと、任務上の偽名で呼ばれたオーストラリア軍魔法師、ジェームズ・ジェフリー・ジョンソンは表情を変えずに応えた。

 

「恐縮です、(チェン)上校殿。こちらこそ、到着が遅れてしまい申し訳ない」

 

 ジョンソンの返答に大亜連合特殊工作部隊隊長――陳祥山(チェンシャンシェン)が眉を揺らし、アメリカ訛りの英語で付け加える。

 

「入国早々追われていると聞き肝を冷やしましたが、こうして無事に合流できたのです。お気になさらず」

 

「ありがとうございます。救援を頂いたミスター(チョウ)にも感謝を」

 

 わかりやすい嫌味にも動じることはなく、ジョンソンは左から右へと視線を転じた。

 先にいるのは貴公子然とした青年で、ジョンソンから水を向けられた彼は恭しく腰を折って見せる。

 

「恐れ入ります。お二人がご無事で何よりです」

 

 年の頃は20代半ば程だろうか。見目麗しい外見の涼やかな雰囲気の青年で、若々しい容貌でありながらどこか底知れない印象がある。

 ジョンソンの抱いた感覚はおよそ一月前に陳が抱いたのと同じもので、だからこそ陳とジョンソンが周青年に向ける眼差しは一時の同盟者に対するそれよりも鋭くなっていた。

 

 探るような視線に気付いてか否か、周は微笑を崩すことなく二人へ切り出す。

 

「積もる話は後ほどとして、まずは一献如何でしょう。お望みのものを用意させます」

 

 下手に出て申し出る周に対し、陳とジョンソンは否やを返すことはなかった。

 どちらも部下共々周の手配した拠点を基に日本での活動を行うのだ。腹の底を窺えない胡乱さがあるとはいえ、機嫌を損ねて利になることはない。

 

 陳とジョンソンの二人はそんな判断を念頭に、それぞれ紹興酒とウイスキーを求める。どちらも酒に拘りがあったわけではないものの、周が呼びつけた給仕は当然のように高級品に数えられる品を二人の前へと並べた。

 注がれた酒へ両者は同時に口をつけ、どちらともが唸るように息を吐く。母国でも然う然う口にできない銘柄で、二人は目の前の青年が見た目通りの若者ではないと改めて実感した。

 

 客人たちの反応に満足したのか、周は笑みを深めて給仕たちを動かした。

 食前酒の後には中華街らしい華やかな料理が運ばれ、味も見た目も上質な品々を三人は談笑もそこそこに胃の中へと落としていった。

 

 やがて食事が終わり、給仕の全てがいなくなると、グラスの残りを呷った陳が待ちきれないとばかりに口を開いた。

 

「我が軍の目的は日本の持つ魔法技術の奪取にある」

 

 唐突な切り出しにもジョンソンと周が戸惑うことはなく、陳の語り口に黙したままで視線と耳を傾ける。

 

「来月末、ここ横浜に我が大亜連合軍部隊が上陸する。市街を制圧し、日本軍の注意を引き付ける間に我々は魔法協会関東支部へ潜入。保管されているデータの奪取を行う算段だ」

 

 周は陳本人から既に概略を聞かされ、ジョンソンに関してはマクロードを通して大筋が伝わっているので、二人が陳の口上に口を挟むことはなかった。

 

 疑問の挟まれないことを確認して、陳が続きを語る。

 

「決行日は10月30日。この日、横浜国際会議場では魔法科高校生による論文発表が行われる。我が軍はこれを制圧、論文の奪取を行うと共に市街各地へ侵攻を開始。対応戦力を分散させた後、魔法協会への潜入を実施する」

 

 概要を語り終えた陳は視線をジョンソンへと移し、表情は変えぬまま声音だけを緩めた。

 

「貴国の部隊には主に陽動と攪乱を願いたい。日本政府の飼い犬から逃げ果せた大尉殿の隊だ。難しいことではないと思われますが」

 

「お気遣い痛み入ります、上校殿」

 

 再度の皮肉にもジョンソンが動じることはなかった。『連邦』のお歴々から向けられるそれに比べれば陳の放つ言葉はずっとわかりやすく、陰湿さも児戯のようなものだ。

 応えた様子のないジョンソンに不満を滲ませる様はいっそ好感が持てるほどで、軍部でも後ろ暗い分野に関わっておきながらどこか真面目な態度に思わず素の笑みが零れた。

 

「結構。当日までの間、大尉殿の隊には主に情報収集の任に当たって頂く。作戦の詳細に関しては改めてお伝えしましょう。くれぐれも、よろしくお願いしますぞ」

 

「了解しました。――では、私はこれにて」

 

 話は終わりだと暗に切り上げられ、すかさずジョンソンが立ち上がる。

 座ったままの陳と周へ浅く一礼し、振り返ると同時に戸が開かれた。脇には給仕をしていた女中の一人が控えており、いつの間にと驚くジョンソンへ周が呼び掛ける。

 

「その者が案内を致します。本日は大変ご苦労様でございました」

 

「恐れ入ります、ミスター周。上校殿もまた後ほど」

 

 言ってジョンソンが退室すると戸は再び閉じられ、卓には沈黙が降りた。

 

 黙したまま盃を空にした陳が紹興酒の瓶を傾ける。

 丁度一口分を注いだ時点で雫が途切れ、心なしか乱暴に容器を置いた陳が酒を呷ると、卓上へ下ろした手元に瓶の口が向けられた。

 

「よろしければもう一献如何でしょう」

 

「これはこれは。頂きましょう」

 

 周が差し出した注ぎ口に盃を合わせる。

 琥珀色の黄酒が注がれ、それまで口にしていた物とは異なる香りが立ち昇った。ちらと向けられた視線が瓶のラベルを捉え、新たに供された老酒が格別の品だと知る。

 

 無言のまま酒を飲み下した陳は自ずと息を吐いていた。

 傾いた機嫌が多少は立て直されたのを見て取って、周は穏やかに語りかける。

 

(チェン)閣下のご懸念は尤もでしょう。本国の独断により協調を強いられ、派遣されたエージェントは日本政府にマークされていたともなれば、任務の成否を憂慮されても仕方がない」

 

 空になった盃へお代わりの一杯を注ぎつつ、周は恭しく目礼をして見せた。

 

「ご安心くださいと斯様に傲慢なことは申し上げられませんが、微力ながら、私どもも一層のお力添えをさせて頂きたく思います」

 

 大仰な台詞と態度に胡乱さを感じながらも、陳は周の酌を受け取った。

 

「ご厚意に感謝します、(チョウ)先生」

 

 注がれた老酒を一息に飲み干して、盃を置いた陳が目の前の男を見据える。

 陳祥山の率いる部隊が日本へと潜入した8月中旬から既に一月近く。貨物船の船員や旅行客を装い、日本各地の港から上陸した彼らが今日までスムーズに活動が続けられているのは周やその背後にいる組織――『無頭竜』の援助があればこそだ。

 

 大亜連合本国はもちろん、世界中に拠点と構成員を持つ国際シンジゲート。軍の暗部に携わる陳も無頭竜の存在については当然知っていて、母国を同じくするからと安易に信用すべきではないことも心得ていた。

 本人の口から聞いたわけではないものの、周と繋がっているのは無頭竜だと陳は確信している。交戦関係にある敵国内で比較的自由に動き回れることを始め、現地工作員として貸し与えられた顔触れを見れば無頭竜の関与は確定的だった。

 

「力添えといえば、先日お貸し頂いた者たちについてですが」

 

 徐に話題へ上げたのは、数日前に企図した『聖遺物(レリック)』の奪取作戦について。

 県外から都内へ持ち込まれる『聖遺物』を狙った作戦は民間の警護員約十名によって阻まれた挙句、国防軍によって実行部隊の数名が捕らえられていた。

 

 作戦の参加者はいずれも周が手配した工作員、つまりは無頭竜の手の者で、陳の部下は後方から指揮していた一人のみ。

 とはいえ白兵戦能力に優れたジェネレーターまでもが撃退されたとあっては計算外もいいところで、或いは周が二重スパイの役回りを演じている可能性も浮かんでいた。

 

「子細は伺っております。警察へは手を回していたのですが、まさか国防軍が手出しをしてくるとは考えが至らず。ご期待に添えず申し訳ございません」

 

 陳が鋭い視線を送る先で、美貌の青年は恭しく腰を折って見せた。

 演技か本音か。長年の経験を以てしても見抜けない周に疑念を深めながらも、橋頭堡としての利用価値を優先して陳はそれ以上の追究を取り止めた。

 

「周先生には我々も助けられていますからな。責めるようなことを言うつもりはありませんとも。ですがくれぐれも、我々のことが漏れるようなことは――」

 

「ご安心ください。皆様のことが知られることはありません。虜囚の身となった際は即座に記憶を失うよう、事前に暗示を掛けておりますので」

 

 念押しの台詞に思わぬ情報を返され、陳の口元が僅かに歪む。

 

「ほう。それほどの術を掛けられる者がいるとは。良い『ご友人』をお持ちのようだ」

 

「他ならぬ閣下にお褒め頂けたとあれば、友人もさぞ喜ぶことでしょう」

 

 何食わぬ顔で目礼する周を見て、陳祥山は小さく鼻を鳴らした。

 嫌味も揺さぶりも効かず、口を滑らせたのかと思いきやそれすらも承知の上だ。外見は二十代の若者だが、実際は陳にも底が窺えないほどの老獪さ。見た目通りの年齢でないのかもしれないと、この時点で陳は思い至っていた。

 

 探りは不調に終わった。ならばせめて利用できるだけ利用するのが得策だろう。

 真意はともかく、表向き周は本国の意向に沿うよう動いているのだ。いっそ難題をぶつけて反応を窺うのも有りかもしれない。

 

「ではそんな人脈の広い先生を見込んでお願いを一つ。潜入調査のできる人員をご紹介頂きたい。目立たぬようアジア系であることはもちろん、日本人であればより望ましい」

 

 陳が唐突に依頼を持ち出したのは、余裕に満ちた周の笑みを少しでも揺るがせないかと期待したからでもあった。

 すぐに都合の良い人材が見つかるなどとも思っておらず、だからこそ直後、一切の動揺なく腰を折った周に驚き目を見張ることとなる。

 

「お任せください。ご要望にお応えできるよう、かねてより人を募っておりましたので」

 

 この日初めて陳から驚愕の表情を引き出すことに成功し、周は貼り付けた笑みを一層深くした。

 自身の主へ示すような恭しい一礼を挿み、苦虫を噛み潰した表情の陳へ続きを口にする。

 

「差し当たっては一人、閣下にご紹介したい者がいるのですが」

 

 依頼した手前、陳に断る選択肢はなかった。

 口中に広がる苦汁を飲み下し、苛立ちを抑えて保った外面で頷いた。

 

 

 

 

 

 浅い礼を残して立ち去った周は、5分あまりで部屋へと戻ってきた。

 声掛けに続いて戸が開き、室内へ踏み入った周は要望通り、日本人の青年を連れていた。

 

「私どもの下で雇い入れております、久沙凪煉(レン・クサナギ)と申します」

 

 周の紹介に合わせ、青年が腰を折る。

 無造作に下ろした髪は赤みがかった黒色で、顔を上げた体格は取り立てて大柄というほどでもない。直属の部下を始め屈強な軍人を見慣れた陳からすれば華奢にも思えるシルエットだ。

 

 本当に役に立つのか。

 無言のまま視線で問いかける陳へ、周は淀みなく紹介を続けた。

 

「この者は日本古来の剣術に精通しております。(リュウ)先生ほどの豪傑には及びませんが、必ずや閣下のお役に立てることでしょう」

 

 「とてもそうは見えない」と内心で呟きつつ、陳は煉へと視線を戻した。

 剣術の世界に明るくないため断言はできないものの、痩身の青年が軍内でもトップクラスの実力を誇る部下に準じるほどの実力を持っているとは考え難い。

 

 実力に偽りはないか。能力は確かなのか。信用はできるのか。

 諸々の疑念は抱きつつも、いざとなったら切り捨てれば済む話だと自身を納得させた。

 

「周先生がそう仰るのであれば、ありがたく客将に迎えさせて頂きましょう」

 

「よろしゅうお(たの)申します」

 

 陳が淡々とした口調で受け入れた一方、煉は感謝すらも滲ませて深く腰を折った。

 

 

 

 柔和な笑みの下に隠した思惑は誰に知られることもなく。

 叶わなかったはずの本懐に向け、煉は着実に歩みを進める。

 

 それはさながら、先祖代々続く(わざ)のように。

 ひたすらに鉄を打つその心は、『灼熱の業火』をこそ求めていた。

 

 

 

 

 




  
 
 
 
 
 本話より『横浜動乱編』の開幕となります。
 今後とも、よろしくお付き合いください。
 
 
 

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