モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

73 / 110
 
 
 
 大変お待たせしました。
 
 
 
 
 


第2話

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 新学期が始まって一週間が経つと、校内では生徒会長選挙の話題があちこちで囁かれるようになった。

 誰が立候補するのか。誰が有力で、対抗馬となり得るのは誰か。そんな会話が一年A組でも聞こえるようになり、意見を求められることも少なからずあった。

 

 選挙の公示は明日9日。立候補の締め切りは来週の末日と決まっている。立候補者が出揃った後の2週間は校内での選挙活動が許可され、月末の30日に開かれる生徒総会で立会演説と投票が行われる予定だ。

 

 七草会長の提唱する『二科生の生徒会役員登用に対する制限の撤廃』もこの生徒総会で決が採られることになっていて、原作ではこれに反対する勢力によってちょっとした騒ぎが起きた。

 会長の意志が変わらない以上、同じようなことは起こるだろう。事の顛末を知る身としては妙な安心感もあるが、一応の警戒はしておくべきか。まさかとは思うが、春の一件のようにテロリストが襲撃を仕掛けてくる可能性もゼロではないのだから。

 

「よっ、森崎。相変わらず早いな」

 

 ふと、斜め後ろから声を掛けられて振り向いた。

 挨拶代わりとばかりに片手を挙げる春樹へ頷いて応える。

 

「早起きは習慣なんだ。準備もゆっくりとできるからな」

 

「なるほどねぇ。お前らしいな」

 

 そう言う春樹も今日はいつもより早い登校で、暇を持て余しているならと話を始める。

 例によって話題は生徒会長選挙へと及び、ひとしきり有力候補を挙げあった後、ふと思い出したように春樹が呟いた。

 

「そういえば森崎、お前が生徒会長に立候補するかもってのは本当なのか?」

 

 問われて、困惑よりも驚きが先に立った。似たようなことを問われた事例を知っていて、僕に達也と同じ噂が立つことが信じられなかった。

 

「……どこから流れてきた噂か知らないが、立候補する意志はない」

 

 鳩尾の奥で疼くものを押し込めて、何でもない風を装う。

 幸い春樹が気付くことはなく、ふっと息を吐いた彼は納得したように苦笑いを浮かべた。

 

「なんだ。やっぱりただの噂だったのか」

 

「ああ。寧ろどうしてそんな話が流れているのか、こっちが知りたいくらいだ」

 

 ちらと目を向けると、春樹は腕を組んで首を捻った。

 

「んー、出処はわからねぇけど、評判は良いみたいだぞ。一年の中なら司波さんに次いで支持されるんじゃないか」

 

 組んだ腕はそのまま、口の端に笑みを浮かべる。

 悪戯染みた表情での軽口に釣られ、自然と口元の緊張が緩んだ。

 

「認めてもらえるのはありがたいが、僕に生徒会長は務まらないよ。実践だけならまだしも、大勢を纏められるような器量や度胸はない。イチ風紀委員で手一杯さ」

 

 肩を竦める僕に、春樹は腕を組んだままうんうんと頷く。何事かと見やれば首を振られ、要領を得ないままに流された。

 疑問は晴れることなく話題は移り、けれど追究しようという気にはならなかった。続く話題は夏休み中の体験談で、そうした何気ない話ができることは僕にとっても楽しい時間だと思えたから。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 噂の一人歩きは翌日になっても続いた。

 休み時間の度にクラスメイトや知り合いから出馬の真偽を問われ、都度丁寧に否定していくのはなかなかに疲労の溜まるやり取りだ。一回当たりは1、2分の会話でも、それが何度となく続けばため息も吐きたくなる。

 

 昼休憩を挟んで以降はようやく落ち着きも見えて、放課後になる頃にやっと解放された。

 似たような気苦労を負ったらしい深雪も雫とほのかに励まされていて、一声掛け合った後に教室を後にする。

 

 巡回当番に当たっている今日、放課後一番に向かうのは風紀委員本部だ。

 本棟の廊下を歩き、突き当りの扉をすっかり習慣になった挨拶と共に開く。

 

「おはようございます」

 

「お、噂をすれば」

 

 不穏な台詞に出迎えられ、内心でだけ苦笑しつつ一礼を返した。

 

「お疲れ様です、委員長。――と、市原先輩?」

 

 顔を上げた先には見慣れた先輩ともう一人、珍しい姿があった。

 

 九校戦期間中はともかく、普段は見かけることの少ない最上級生。ましてや風紀委員本部で対面したのは初めてのことだ。

 本部には生徒会室への直通階段もあるのだが、利用しているのは主に委員長だけ。七草会長はもしかすれば使っているのかもしれないが、どちらにせよこの部屋で生徒会役員の姿を見たことはない。

 

「こんにちは。九校戦以来ですね」

 

「その節は大変お世話になりました」

 

 落ち着き払った声音に応じて再度腰を折る。

 傑物揃いの三年生の中でも十文字会頭と並んで大人びた印象の市原先輩は、涼やかな容貌に微笑を浮かべて頷いた。

 

「こちらこそ、森崎くんの持ち込む指摘や要望は大変参考になりました。私たち作戦スタッフはもちろん、技術スタッフからも感謝の声が上がっていましたよ」

 

「そういえば、練習以外にもあちこち顔を出していたらしいな。自分の練習だけじゃ飽き足らず、そんなことまでしていたのか」

 

 呆れの息を漏らした委員長が物言いたげな眼差しを向けてくる。眼差しと表情の双方で不満をぶつけられ、危うく視線を逸らしそうになった。

 このまま九校戦の話題を引っ張ればいずれ小言を言われるのがオチだろう。理屈のぶつけ合いならともかく、相手を丸め込む論争になると分が悪い。

 

 早々に戦略的撤退を決め、鋭い視線を受け流して市原先輩へと目を戻す。

 

「市原先輩はよくこちらにいらっしゃるのですか? 訪ねてこられたところを見かけたことがないのですが」

 

 無理矢理な転換だったものの、幸いそれ以上のお咎めはなかった。

 ため息を吐く委員長を横目に笑みを深めて、市原先輩が回答を口にする。

 

「滅多に来ませんね。渡辺さんとは生徒会室で頻繁に会っていますし、こちらへ来るのは他の役員に用がある時くらいでしょうか」

 

 間接的に「風紀委員の誰かへ用がある」と言う彼女の台詞を聞いて察しが付いた。

 生徒会長選挙を控えたこの時期に、滅多に来ない風紀委員本部を訪れてまで用のある相手となれば、対象者は極僅かにまで絞られるだろう。

 

 待っていたのは達也か、或いは――と思い至ったところで委員長から答えが示される。

 

「市原はお前が来るのを待っていたんだよ」

 

 僕を待っていた。ということはやはり、噂を聞きつけて説得しに来たのだろう。次期生徒会長候補の絞り込みは現生徒会の役割であり、交渉人として市原先輩は会長に次ぐ適役だ。

 

「巡回へ出る前に少しお話をさせてもらいたいのですが、構いませんか?」

 

「もちろんです。何をお答えしましょう」

 

 快諾の返答に市原先輩は一度頷き、テーブルへ着くよう勧めてくる。

 促されるまま対面に座ると、先輩は端的に用件を切り出した。

 

「訊きたいのは生徒会長選挙についてです。森崎くんが立候補するという噂を聞いたので、真偽の確認をと思いまして」

 

 予想通りの内容。であれば、答えは決まっている。

 

「そのような噂があることは存じていますが、真実ではありません。元より僕に立候補の意志はない。先輩方のご懸念には及びませんよ」

 

 そう言うと市原先輩は僅かに目を見張り、やがて納得したような笑みを浮かべた。

 

「――なるほど。司波さんか、或いは司波くんから聞いたのですね。立候補の乱立を防ぐため、生徒会が説得を行っていると」

 

 情報の出処まで察する洞察力はさすがの一言だ。原作では七草会長や十文字会頭なんかの陰で目立たなかったが、立場や魔法を除いた地頭の良さはやはり三年生で一番だろう。

 

 微笑を湛えた市原先輩は一度目を閉じ、小さく頷き言葉を継ぐ。

 

「森崎くんに立候補する意志がないというのであれば、わかりました。ただ一つ訂正しておくと、私はここに辞退を促すために来たわけではありません」

 

 辞退を促すのが目的じゃない? どういうことだ。僕が立候補するという噂を聞きつけて、辞退するよう説得に来たんじゃないのか。

 この時点での七草会長の意向は一年生の深雪を擁立するか、或いは乗り気でない中条先輩を説得するかの二択だったはずだ。それ以外の候補が立つのは避けるべきで、だからこそ原作でも説得して回っていたという話だったと思うのだが。

 

 意図のわからない発言に思考を巡らせていると、市原先輩はくすりと笑みを深めた。

 

「深い意味ではなく、森崎くんが生徒会長になるのもありだと考えているのですよ」

 

 当然とばかりにそう言われ、思わず言葉を失った。

 返答に窮する僕に対し、市原先輩はまるで諭すかのように続ける。

 

「辞退を請うような人なら会長自身が説得に来たでしょう。私がここへ来た時点で会長は立候補を容認しているということで、私自身、あなたに立候補の意志があるのなら止めるつもりはありませんでした」

 

「委員会のことを気にする必要はないぞ。お前が生徒会長選挙に出るというのであれば、期間中は巡回から外れて構わん。当選した場合は当然、風紀委員には残れんがな」

 

 挙句これまで沈黙を守っていた委員長までもがそんなことを言い出した。

 上級生二人からの期待を感じて背筋に冷たいものが走る。身の丈に合う言動を心掛けてきたはずが、いつの間にか過剰な評価を得るにまで至っていたらしい。

 

「もしも心変わりをしたなら教えてください。来週いっぱいは立候補を受け付けていますので」

 

「……ご期待頂けるのは光栄ですが、来週一週間は休学する予定ですので。立候補が締め切られる前に登校するのは今日で最後となります」

 

 どうにか苦笑いを繕い答えると、市原先輩は聞いていないとばかりに委員長の方へと振り向いた。

 睨まれた委員長はぎょっとして腕を組み、首を傾げて記憶を探り始める。

 

「そういえば、巡回から外れると聞いたような気も……」

 

「所用で一週間休学しますとはっきりお伝えしましたよ。もしかして、事務作業を司波に任せていたためにお忘れだったのでは?」

 

 呆れた風を装って付け加えると、委員長は苦々しく口を引き結んだ。

 釣られて市原先輩の表情が綻ぶ。どうやら納得もしてもらえたようで、笑みを収めた先輩は間もなく立ち上がった。

 

「そういう事情でしたら承知しました。少々残念ですが、立候補の意思がない旨と一緒に会長へ伝えておきます」

 

「ご配慮ありがとうございます」

 

 同じように立ち上がり、一礼して退室する先輩を見送る。

 本部正面の扉が閉まるのを見届ける中、射抜くような視線へ密かにため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 市原先輩を見送った後、委員長の嫌味へ適度に応対してから巡回へと出た。

 本棟から実験棟の脇を抜け、校庭に足を向ける。賑やかな声を聞きながら歩き、クラブの準備棟と小体育館を経由してカフェテリア方面へ向かった。

 

 周囲へ目を配って歩きながら、けれど頭には全く別のことが渦巻いていた。

 

 本来なら起きなかったはずのことが、また一つ増えてしまった。

 しかもそれは雫の委員会加入時期が早まったのと同じく、僕自身の言動が要因だ。僕が本来の『森崎駿()』と違うから起きたことであり、修正しようのない変化だろう。

 

「僕が生徒会長に、ね……」

 

 まったく分不相応にも程がある。

 知識も実力も足りないことは嫌というほど知っていて、どうにか食い下がれているのは『彼』の蓄積があったからこそだ。

 

 そのアドバンテージも直に通用しなくなるだろう。未知の流れの中では役立つ知識も限られていて、僕自身の能力もこれ以上の成長は見込めない。

 唯一切り札になり得るものを受け取るために一週間の休学を取ったが、それだってどこまで通用するかはわからない。

 

 八雲法師の言によれば、大亜連合は僕のことも狙っているらしい。沖縄の一件が契機だろうが、だとすれば尚のこと捕まるわけにはいかない。

 

 万が一捕虜にされるくらいなら、いっそ――。

 

 

 

「こんにちは、森崎くん」

 

 

 

 ふと、横合いから声を掛けられて我に返る。

 振り返ると、カフェテリア脇のテラス席から歩いてくる先輩の姿が目に入った。

 

 穏やかな雰囲気の三年生。九校戦でエンジニアを務めていた平河小春先輩だ。

 

「平河先輩。お久しぶりです」

 

 正対して腰を折ると、彼女はくすりと笑みを浮かべて頷く。

 

「ええ、九校戦ぶり。元気にしていた?」

 

「お陰様で。怪我も完治しましたし、モノリスのメンバーも無事に退院できました」

 

 挨拶に応えながらそっと顔色を窺う。

 以前と同じ柔らかな表情の先輩はしかし、ほんの僅か眉を落としているように見えた。

 

「……平河先輩はいかがですか? 小早川先輩が復帰されたのは聞いていたのですが」

 

 躊躇いを呑み込んで問いかける。

 敢えて踏み込むのは無配慮だと承知してはいるものの、見ないふりでやり過ごすことはできなかった。

 

 果たして、平河先輩の笑みは苦々しいものへと変わる。

 

「大丈夫、とはちょっと言えないかな。景子のことで自分の至らなさを痛感しちゃって。どうして気付けなかったんだろうって、ずっと考えてた」

 

 頬に触れる仕草と一緒に目を伏せて、平河先輩は消え入るような声で呟いた。

 

 原作での彼女は小早川先輩の事故に責任を感じて体調を崩し、ついには退学まで考えるほど思い詰めたのだ。今は登校できていたとしても、苦悩が和らいだ保証はない。

 

 客観的に考えて、小早川先輩の事故を防ぐのは難しかっただろう。国防軍から警戒を促されていた達也でさえ、手口に気付けたのは細工をされる現場を『視て』いたからだ。

 事前情報なしで防ぐことが出来る人間などほとんど存在しない。それこそ九島老師のように《電子金蚕》をよく知る者くらいだろう。

 

「私が言うのもなんだけど、あんまり気にしないで。君には感謝しているくらいだもの」

 

 表情に出ていたのか、平河先輩は小さく首を振って微笑んだ。

 

「五十里くんから聞いたわ。あの刻印術式のアイディアは君が考えたんでしょう? なら、景子が魔法を失わずに済んだのは君のお陰。君は景子の恩人で、私にとっても恩人なのよ」

 

 違う。それだけは絶対に違う。

 寧ろ僕は二人を半ば見捨てたのだ。

 

「そんな恩人だなんて。お気持ちはありがたいですが、それは五十里先輩にこそお伝えしてください」

 

 溢れそうになる感情に蓋をして、精一杯表情を繕う。

 握った掌には爪が食い込んでいて、痛みに意識を集中することで叫び出しそうになるのを堪えていた。

 

 

 

 平河先輩の苦悩は僕の独り善がりの結果だ。無頭竜の工作を事前に知っていた僕が事故自体を防ごうとしなかったから。筋書の履行を望んだことで、彼女は原作と同様の苦悩を抱くことになった。

 幸い小早川先輩は魔法力を失わずに済んだものの、だからといって平河先輩の苦悩が軽くなる保証はない。エンジニアとして担当する選手に向けられた悪意を察知できなかったという後悔は変わらず残る。

 

 それを知っていて、そうあれと望んだのは僕だ。

 傷付くことになると知っていて、防ごうとしなかったのは僕だ。

 相手の手段も目的も知っていて、見逃すことを選んだのは僕だ。

 

 小早川先輩の件だけじゃない。渡辺委員長の事故や五十嵐と香田の怪我も含め、入学以降に起きた多くの出来事はどれも原作通りを望んだ僕の独り善がりの結果だ。

 

 迂闊な行動で『愛した世界(原作)』の人物を死なせて。

 逃げた先で起こり得ないはずの悲劇を引き起こして。

 危険に晒される先輩や友人たちから目を逸らして。

 

 そうして行きついたのは何処とも知れない未知の場所だった。

 唯一の光源も覚束なくて、にもかかわらず先の見えない道から逸れることもできない。

 

 中途半端で無責任なひとでなし(・・・・・)――それが『僕』だ。

 

 

 

 身勝手な理由で誤魔化す僕に、平河先輩はそれでも穏やかな笑みを浮かべる。

 

「やっぱり、君は立派ね。とても年下の男の子とは思えないくらい」

 

「そっ……」

 

 そんなわけがないと、咄嗟に言いかけて呑み込んだ。

 握った手により力を込め、堪えきれず一歩下がって腰を折る。

 

「すみませんが、巡回の途中なので」

 

 冷淡な態度だと自覚しながらも改める余裕はなく。

 けれど平河先輩は気にした様子もなく頷いてくれた。

 

「ううん。こちらこそ仕事の邪魔をしてごめんなさい。頑張って」

 

「ありがとうございます。失礼します」

 

 再度一礼をして背を向け、足早にならないよう努めて歩き出す。

 

 カフェテリアを離れ、講堂の脇を抜けていつもの巡回ルートを辿る、その間――。

 賑やかな喧噪を遠くに聞きながら、握り込んだ手は最後まで開くことができなかった。

 

 

 

 

 

 




 
 
 
 
 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。