モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

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第7話

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 波乱の生徒総会から一週間が過ぎ、月の替わった10月7日。

 本棟2階の風紀委員本部に呼び出された僕は、新しく風紀委員長に就任した千代田先輩の前に立っていた。室内には二年の沢木先輩と、なぜか引退したはずの渡辺先輩もいる。

 

「昼休みなのに呼び出してごめんなさい。午後の授業が終わる前に伝えておかなくちゃいけなかったから」

 

 僕が沢木先輩の横に並ぶなり、千代田先輩はそう切り出した。

 緊急の用件かと気を引き締めると、デスクの傍に控えた渡辺先輩が苦笑いを浮かべる。

 

「そう身構えなくていい。単に伝達がギリギリになってしまっただけで、緊急の用件というわけではないからな」

 

 そのまま視線を斜め下、千代田先輩の方へと向けて続けた。

 

「遅れた理由はまあ、単に花音が忘れていたからなんだが」

 

「摩利さん、言わないでくださいって言ったじゃないですかぁ!」

 

 あっさりと暴露された千代田先輩が恥じらいを露わに抗議の声を上げる。

 赤くなった頬を膨らませる彼女を渡辺先輩はやれやれとばかりに見下ろしていて、仲の良い二人のやり取りには沢木先輩共々苦笑いになるのを堪えられなかった。

 

 やがて我に返った千代田先輩は咳払いを一つして、紅潮したままの顔を真剣なものへと変える。

 

「沢木くんは知っていると思うけど、今月末に開催される論文コンペでは魔法協会が手配する警備員とは別に、各校から警備隊が派出されることになっているわ」

 

 どうやら何もなかったことにしたいらしい。

 気持ちはわかるし、ここで茶々を入れても話が進まない。ひとまず頷いて応じる。

 

「十文字会頭――いえ、十文字先輩が総指揮を執る予定の共同警備隊ですね」

 

「そう。一高では風紀委員と部活連からメンバーを選出するのが通例なんだけど、今回は服部くんと相談してこっちで警備隊員を選ばせてもらったわ」

 

 千代田先輩と服部先輩、新しく委員長と会頭に就任した二人の初仕事というわけだ。

 気合が入るのは当然で、だからこそ威厳を保ちたかったのだろうけど、だとすれば何故直前まで忘れるようなことになってしまったのか。多分、五十里先輩絡みなんだろうなぁ。

 

「風紀委員からは私とあなた達の三人で参加します。放課後、部活連本部で選抜隊の顔合わせがあるから、なるべく参加するようにしてくれる?」

 

 今度は考えるまでもなく頷く。

 どうあれ横浜へ行くのは確定事項だったのだ。警備隊の一員として会場に入れるのならそれに越したことはないし、何より現場の最前線に立てる。

 

 沢木先輩も納得したようで、首肯と一緒に追加の問いを投げかけた。

 

「了解だ。巡回に関してはどうする。手が回らないわけではないと思うが」

 

「いつもの巡回からは外れてもらうわ。警備に加わらない人もいるから、手は足りるはずよ」

 

「それなら各人の代役を立てておく必要があるな。そちらへの連絡は?」

 

「そっちもこれから。とりあえず今日明日はどうにかなるとして、来週からは割り振りを考えなくちゃいけないわね。――司波くんに頼んでおかないと

 

 同学年らしい気安いやり取りの後、千代田先輩の囁きを拾ってか、沢木先輩が苦笑いで訊ねる。

 

「そういえば、司波くんをメンバーに加えなかったのは何か理由があるのか? 彼の実力ならぜひとも警備隊に加わって欲しいものだが」

 

 途端、千代田先輩は困ったような表情を浮かべて背後の渡辺先輩へ振り返った。

 視線の先の先輩が仕方ないとばかりに頷く。事情が事情なだけに、話すべきか判断に迷うのだろう。

 

「達也くんには生徒会の護衛を任せようと思っていたんだが、少々事情が変わってな」

 

「事情? 何か問題があったのですか?」

 

 当然の疑問に、千代田先輩の隣まで進み出た彼女は傍へ来るよう手招いて囁く。

 

「あまり大きな声では言えないんだが、論文コンペの代表から辞退者が出てな。急遽代役を立てる必要ができて、リーダーの市原が達也くんを選んだというわけだ」

 

「代役にするにも本人の了承が要るから。はっきりするまでは護衛役も保留にしておくことになったのよ」

 

 最後にそう言い添えられたきり全員が顔を上げた。

 念押しとばかりに口止めを受け、沢木先輩が納得したように頷く。

 

「なるほど。それだけ慌ただしかったのなら、連絡を忘れても仕方がないな」

 

「そ、そう言ってもらえると助かるわ」

 

 わかりやすく動揺を滲ませた新委員長を見て、事務を任される達也はさぞ大変だろうなと、およそ他人事のように考えていた。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 午後の授業も恙なく進み、すぐに放課後を迎えた。

 部活連本部へ行く前に帰り支度を整えながら、喫緊の事柄について考えを巡らせる。

 

 原作通り達也が論文コンペのメンバーに加われそうで一安心した。

 市原先輩率いるメンバーが持ち込む論文は彼の知識と能力なくして完成し得ないもので、様々な脅威に見舞われる今年、セキュリティ面においても達也ほどの適任はいない。

 

 また今年の論文コンペに達也が参加することの意義はそれだけに留まらない。

 幾多の妨害を跳ね除け、絶賛を受ける発表の場に達也が立つことは、その舞台を見ていた多くの一高生の支持を集めることに繋がるはずだ。

 

 先日の生徒総会で検討が決まった役員審査の導入案は十中八九、可決されるだろう。

 

 まさか和泉先輩がそんな提案をするとは思わなかったし、実際に心底驚いたわけだが、反対派の思想を差し引いても悪くない案だと感じてしまった。

 生徒会長の一存のみで役員が決まる体制の中、一般生徒の納得し得ない人選すら無条件でまかり通るのが健全な体制とは思えない。直近の生徒会長候補にその意思がなかったとしても、以降も変わらず健常な長が出るとは限らないのだから。

 

 とはいえ、達也が生徒会役員になれないというのは非常にまずい。深雪の制止役というのはもちろん、達也自身も生徒会役員の立場を必要とする場面がきっと出てくる。

 役員の審査制度が導入されるからには、来年度初めに風紀委員から生徒会へ移籍するまでの間、達也が信任を受けられる程度の活躍をする場が必要だ。

 

 達也の能力が周知され、彼の出自を受け容れるに足る下地を整えること。

 これは達也が生徒や学校、延いては世界に存在を許容されるために必要な要件であり、彼が『主人公』として大団円を迎えるためになくてはならない要素の一つだ。

 

 そういう意味でも、論文コンペの舞台は逃しがたい機会になる。

 

 達也が代役に選ばれたと聞いたときは、安堵と吐き気がこみ上げるのを堪えられなかった。

 吐き気の源泉は今さら考えるまでもない。辞退した平河先輩の心中は察するに余りあるが、原因の一端である僕に同情する資格はないのだ。たとえどれだけ後悔しようと、すべてを戒めとして呑み込むのが当然の(あがな)いだろう。

 

 そうして、ぐずぐずと詮無いことをこね回していた矢先――。

 

「今日はもう帰るの?」

 

 ふと、涼風のような声が聞こえて顔を上げる。

 見れば小首を傾げた雫が目の前に立っていて、彼女の接近に気づかなかったことで自分が思っている以上に気を取られているとわかった。

 

 端末のシャットダウン処理を続けつつ、できる限り表情を繕って応える。

 

「部活連本部に行く用があってね。まだしばらくは残っているよ。雫は、今日は巡回か?」

 

「うん。これから風紀委員本部に行こうと思って」

 

 言いながら、けれど雫は一向にその場から動こうとしなかった。

 手元の端末が落ちてからもそれは変わらず、確認の意味を込めて視線を送ると雫の目がそっと細められる。

 

「その前に、少しだけ時間をもらってもいい?」

 

 眼差しと声音には有無を言わさぬ迫力が滲んでいた。

 怒りというよりは真実を追求する趣だろうか。少なくとも下手な誤魔化しが効くとは思えず、自ずと消極的な肯定が零れ落ちた。

 

「それはもちろん、構わないが……」

 

「ありがとう。じゃあ歩きながら話そっか」

 

 返事を待たずに雫が歩き出す。

 呆気に取られる間に彼女は教室を出て、そこで悠然と立ち止まった。こちらへ振り返った彼女の目に捉えられて、僕はようやく席を立ってすらいないことを思い出した。

 

 

 

 

 

 

 教室を出た雫はそのまま風紀委員本部のある本棟へは向かわず、中庭へと足を向けた。

 

 校舎を出てしばらく、靴音だけを響かせた後で彼女が口を開く。

 

「部活連本部に行くってことは、共同警備隊に参加するんだよね」

 

 そんな台詞と共に、雫がちらと視線を向けてきた。

 質問というよりは確認に近いそれに首肯して応える。

 

「千代田先輩から聞いていたのか?」

 

「うん。君が警備隊に選ばれていたのは知らなかったけど」

 

 淡々と頷いた雫の目が正面へと戻り、ぽつりと呟きが零れ落ちる。

 

「私は生徒会の護衛で深雪やほのかの傍に付くから、しばらくは別々だね」

 

 それきり彼女は押し黙った。

 沈黙が落ち、自ずと周囲の静けさがはっきりとわかってくる。

 

 放課後の中庭はクラブや委員会のない生徒の姿がまばらに見える程度で、グラウンドの喧騒も遠く微かにしか届かない。

 黙々と歩くレンガの道には時計塔の影が落ちていて、まっすぐに前を向いた雫の表情は身長の差もあってよく見えなかった。

 

 中央の小道から東屋の脇を抜け、長く伸びた日陰から踏み出た、その直後――。

 

「何か、私に手伝えることはない?」

 

 唐突な申し出がズシリと胸に落ちた。

 

 身勝手な煩悶を見透かしたような言葉に、声にならない息が漏れる。

 ちらと見れば雫は斜めに見上げてきていて、その瞳には確信めいたものが覗いていた。

 

「夏休みの後から、君がずっと何かに悩んでるのはわかってた。それは私の知らないことで、きっと他の誰にも言っていないこと。そうでしょ?」

 

 口元の儚げな微笑が彼女の心情を物語っている気がした。

 

 およそ一カ月の間、雫は見逃してくれていたのだとわかった。

 性懲りもなく心配を掛けて、にもかかわらず彼女は黙っていてくれたのだ。

 それはきっと九校戦の最中に交わした言葉を覚えていたからで、何も訊かずに協力を申し出る彼女に、緩みかけた口元を苦笑いで取り繕う。

 

「わかりやすい顔をしていたつもりはないんだけどな」

 

「わかるよ。だって、和泉先輩が質問に出たとき、君はすごく驚いてた」

 

 即答した雫は、可笑しいと言わんばかりに微笑んだ。

 

「その前に深雪が怒ったときはそうじゃなかった。落ち着いて状況を見ていた。でも和泉先輩が話していたときは、信じられないって顔をしてたよね」

 

 身に覚えのある指摘にぐうの音も出せず、そうしている間にも雫は言葉を続ける。

 

「どうしてあんなに驚いたんだろうって、ずっと考えてた。そうしている内に思い出したんだ。渡辺先輩が怪我をしたとき、君がすごく苦しんでたこと」

 

 零れ落ちる呟きと一緒に、雫の足もハタと止まる。

 二歩行き過ぎた先で振り返ると、真剣な眼差しがまっすぐにこちらを捉えていた。

 

「和泉先輩の提案したことが、もしも君の願いに関わるなら。君の『守りたい人たち』に関わることだから、君は動揺したのかもしれないって。ずっと悩んでいたのも、もしかしたら同じ理由なのかなって。だから――」

 

 

 

 一度言葉を切った雫は握った手を胸に当て、はっきりとした口調で願いを口にする。

 

 

 

「もしも手伝えることがあるなら言ってほしい。

 九校戦の時みたいに、一人で無茶なことをしないでほしい。

 どうしてもやらなくちゃいけないなら、せめて私も傍に居させてほしい」

 

 

 

 強かな想いを切実に感じて、どうしようもなく胸を揺さぶられた。

 

 これが九校戦の終わった直後だったなら、或いは受け入れていたかもしれない。

 それぐらい彼女は『僕』にとって大切で、特別な存在に成りつつあった。

 

 

 

 何度も心配を掛けて。何度も助けられて。何度も支えられて。

 

 雫の好意を嬉しく思いながら、それでも、これだけは頷くことができなかった。

 

 

 

「すまない。今回ばかりは、了承できない」

 

 

 

 縋るように伸ばされた手が、袖口に触れる前に震えて止まる。

 

 滑り落ちた左手がキュッと握られて、目線が足元へと落ちていった。

 

 

 

「……そっか」

 

 雫の落胆は傍目にも明らかだった。

 引き結んだ唇が内心の葛藤を表しているようで、彼女の笑顔を守りたいなどと胸に抱きながら、そんな表情をさせる自分に咽返るような怒りと嫌悪が湧いてくる。

 

 けれど、だとしてもこれだけは譲れないのだ。

 横浜で起きることを思えば、伸ばされた手を取ることはできなかった。

 

 雫を戦場へ連れ出すわけにはいかない。

 無垢なその手を血で汚させるわけにはいかない。

 先行きのない『僕』に付き合わせるわけにはいかない。

 身勝手で独り善がりで、彼女の想いを蔑ろにすることだとしても、彼女自身の未来を(かげ)らせるわけにはいかない。

 

 『守りたい人たち』の一人を不要な危険に晒すことはできない。

 『僕』が『森崎駿()』として生じた時、そう誓った(・・・)のだから。

 

「どうか顔を上げてくれないか。雫の気持ちはとても嬉しい。それは紛れもない本音なんだ」

 

 片膝をつき、俯いてしまった雫を見上げて釈明する。

 力なく握った手を取ることはできなくても、彼女には心穏やかでいてほしい。

 傷つけた本人が言えたことではないが、それが心からの願いだった。

 

「いつか話せる時が来たら、諸々すべて話すと約束するよ」

 

「……わかった。約束だからね」

 

 未だぎこちない微笑を浮かべた雫に頷きかけて立ち上がる。

 

 言葉のないまま中庭の端まで辿り着いて、足を止めた雫が顔だけで振り返った。

 

「じゃあ、私はこっちだから」

 

「ああ。また明日」

 

 本棟へと向かう彼女の背中を見送って、それから部活連本部へ足を向ける。

 

 

 

 実験棟の脇を歩く最中、北から吹き抜けた冷たい風がいずれ来る冬の気配を匂わせていた。

 

 

 

 

 




 
 
 
 
 

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