モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

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第10話

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 論文コンペティションに向けた準備が本格化すると、一週間はあっという間に過ぎていった。

 放課後になると校内の各所で準備作業が進められ、有志の作業員や差し入れを持ち込む生徒たちの声で賑やかになる。中には活動時間を利用して手伝うクラブもあり、九校戦とはまた違った活気が一高全体に満ちていた。

 

 週末を迎えた土曜日も賑やかな雰囲気は変わらないままで、午前だけの授業が終わると早くも浮ついた雰囲気が滲みだした。食事の時間も惜しいとばかりに教室を飛び出す生徒の足音が聞こえてきて、間近に迫ったイベントへの期待は否が応にも高まる。

 準備に参加していない生徒もどこか浮足立っているようで、普段なら早々にクラブや委員会へ向かう面々もそわそわと様子を窺っていた。

 

 こうした空気感の中、魔法学の授業を終えた雫は手早く片付けを済ませて席を立った。付近のクラスメイトからの疑問を躱しつつ、ほのかや深雪と連れ立って教室を後にする。

 向かう先は食堂。急がなくてはならない理由があるわけではないものの、達也たちE組メンバーと同席するには混み合う前に合流する方が好都合だった。

 

 ほのかと二人で食べることの多かった前学期はのんびりと並ぶのが通常だったが、新生徒会が発足して以来恒例となっていた生徒会室での食事会がなくなり、達也と深雪が食堂を利用するようになってからは昼食の席を共にすることが格段に増えた。

 また夏休み以降、ほのかが達也へのアプローチを躊躇わなくなったことも理由の一つだろう。雫自身、達也たちE組メンバーとの親交が深まったことは嬉しく思っていた。

 

「お昼の後はまず演習場に行くんだったよね?」

 

 食堂への道中、(おとがい)に指を当てたほのかが訊ねる。

 意気込みを覗かせる言葉に、問われた深雪はくすっと笑みを浮かべて頷いた。

 

「ええ。先に警備隊の方で補充品の確認と発注をして、それから中庭での作業に合流する予定よ」

 

「じゃあお昼を食べたらそのまま演習場の方に……あ、先に生徒会室に寄った方がいいのかな。持っていく物の準備とか中条会長への連絡とか、あとそれから――」

 

「ほのか、落ち着いて」

 

「急ぐ必要はないから。一つずつ順番に進めていきましょう」

 

 雫と深雪に諭され、ハッとしたほのかが恥ずかし気に俯く。

 声にならない悲鳴を漏らすほのかを深雪が宥め、気を取り直した二人が話を再開させると、雫はそれを静かに見守った。

 

 論文コンペに向けた準備に際して生徒会は有志を含めた全体の統括と学外との折衝を担っていて、発足したばかりの新生徒会にとってこれは最初の大きなイベントとなった。

 書記に就任したほのかはいきなりの大仕事に緊張を抱いていたものの、副会長となった深雪の助けもあって懸命に取り組んでいる。基は要領の良いほのかのことだ。多少空回りする癖はあるものの、経験を積めば着実に務め上げられるだろう。

 

 一方、生徒会役員でない雫は二人の行う仕事に直接関わってはいない。行く先々へ同行し、多少雑用を手伝いこそするものの、基本的には二人の作業を見ているだけだ。

 あれこれと作業の段取りを確認する二人から、雫はちらりと自身の腕へ視線を落とす。ピン留めされた赤黒の腕章は風紀委員の立場を示すもので、けれどこの一週間、雫が巡回の仕事に出ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 論文コンペ本番に向けて共同警備隊が組織された際、代表メンバーを始め作業の中核を担う人員には護衛役を付けることが決定された。

 コンペに出展される研究には貴重な資料や高価な機材が利用され、一部の生徒はこれらを取り扱い、場合によっては一時的に所持することにもなる。その所為か産学スパイの標的にされるような事態が過去にはあり、一高ではこうした生徒に護衛を付けるのが習慣となっていた。

 

 生徒会役員はその役割上学外の人間と接触する機会が多く、どうしてもスパイの標的にされやすい。矢面に立つあずさやコンペの代表も兼任する五十里に護衛が付けられるのはもちろん、深雪とほのかにも護衛を付けるべきと判断されるのは当然の流れだった。

 

 議論の争点になったのは誰が護衛に当たるのかという点だ。

 登下校を含む多くの時間を同行する護衛に異性を充てるのは難しく、唯一務まりそうな達也は代表の代役に収まってしまった。駿を推す声も上がったが、こちらは警備隊での貢献を望む声の方が多数を占めていた。

 こうした経緯があり、風紀委員内でも数少ない女子生徒である雫が二人の護衛に選ばれたのだ。生徒会役員としては新人のほのかが深雪とバディを組むことになり、三人一組なら(というよりは深雪がいれば)護衛が一人でも支障はないと判断されたのも要因の一つだろう。深雪がいるところにはもれなく達也がいると算段された面も否めない。

 

 新風紀委員長となった花音から意向を問われた雫は、こうした裏事情まで余すことなく聞いたうえで迷うことなく快諾した。

 戸惑いを覗かせる花音にもしっかりと頷いて見せ、粛々と護衛に務める雫の瞳には強かな意志の光が宿っていた。

 

 助けになりたい一心で願い出た協力を拒まれて、尚も折れずにいられたのは親友(ほのか)のお陰だ。

 何も訊かずに寄り添い、傍に居てくれたからこそ、雫は複雑に絡まっていた胸中を解きほぐすことができた。

 

 傍に居られるようになりたいと願い、支えになりたいと祈り、そのための経験を得たいと考えた。自身に足りない知識や経験を得るために風紀委員へ入って、今度こそと願い出たもののそれは叶わなかった。

 

 憤りはない。不満すらも抱いてはいない。

 駿の言葉と表情を思えば葛藤があったのは明らかで、感情のままに食い下がることはできなかった。支えになりたいのであって、重荷になりたいわけではないのだ。

 

 いずれ話すと言った駿を信じて、今は待つほかない。

 頭ではそう理解していても、落胆がないわけではなかった。何か理由があるのだとわかってはいても、歯痒さと寂しさが湧いてくるのは抑えようがない。

 

 けれど、だからといって手を伸ばすことを止めたくもないのだ。

 応えてくれないからと離れるのではなく、わからないままでも背を追いたいと思った。

 届かないものに焦がれ、奥歯を噛みながらでも前へと進む姿にこそ憧れたのだから。

 

 

 

 

 

 

 少々強引な手段で勝ち取った風紀委員の腕章。

 しかし同じ立場のはずの駿は警備隊に参加していて、雫と役割が重なることはない。

 授業で顔を合わせることを除けば、話す機会すら最近はほとんどなくなっていた。

 

 不安はある。悩みも疑問も尽きることはないだろう。

 それでも、自分にできることを一つずつ積み上げていくしかないのだと、思い悩んだ末に決めたのだ。

 

 いつか頼りにされたとき、支えとなれるように。

 いつか話してくれたとき、受け止められるように。

 

 腕章を見下ろした雫が知らず知らずの内に息を吐く。

 ほのかと深雪はそんな雫を見て目を細め、掛ける言葉を探して顔を見合わせていた。

 

「あ、深雪! こっちこっち」

 

 直後、自身を呼ぶ声を聞いて深雪が振り向く。

 見れば食堂の一角で手が挙がっていて、見慣れた顔ぶれが三人を見つめていた。

 傍まで歩み寄る頃には雫の闘志も収められていて、深雪とほのかも敢えて触れることなく彼らへ声を掛ける。

 

「ありがとう、エリカ」

 

「達也さんたちは早かったんですね」

 

 テーブルにはすでに5人分の食事が並んでいた。レオのトレーに至っては半分ほどがなくなっていて、他の4人も多少の差はあれ手を付けた後のようだ。

 

「3限が一般科目だったからね。早めに切り上げて来たんだ」

 

 言外の疑問を掬って答えた達也は三人の纏う微妙な雰囲気に気付きながら、こちらも触れることなく隣のテーブルを示した。

 達也以外の4人も察するところがあったのか、続くエリカの発言も或いは友人を落ち着かせるための配慮だったのかもしれない。

 

「達也くん、今朝のアレのこと、深雪たちにも話しておいた方がいいんじゃない?」

 

「アレ? 何かあったの?」

 

 実際に雫の興味を引くことには成功したようで、小さく首を傾げた彼女へ達也は穏やかな口調で応じた。

 

「その話は食事を終えてからにしようか」

 

 

 

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

 

 

 

 その後、深雪たち三人を含め全員が昼食を食べ終えるのを待って、達也は話を再開した。

 

「今朝、教室で美月が気になることを言っていたんだ。正体も所在もわからない、何者かの視線を感じたと」

 

「物陰からこっそり窺うような、気味の悪い視線でした。私個人を狙っているというより、もっと大きな網を構えているような感じで……」

 

 声のトーンを落とした達也に続き、美月の口からは不穏な台詞が語られる。

 不安げに眉を顰める美月を見て、A組の三人はそれぞれ異なる反応を示した。

 

「特定の誰かじゃなくて、一高の何かを狙ってる?」

 

「恐らくはそうだろう。幹比古の話では、国外の術者が使う古式の探査術式のようなものらしい」

 

 柔く握った手で口元を隠し、確認するように呟いた雫へ達也が頷き答える。

 外国の術者の手が自分たちの近くへ伸ばされていると言われ、雫とほのかは揃って息を呑んだ。既に聞かされていた美月も改めて表情を強張らせている。

 

「それは、本当ですか?」

 

 一方、A組の三人の中で唯一表情の変わらなかった深雪は、確認の意を込めた眼差しを幹比古へと向けた。

 真摯というだけには収まらない意志を宿した視線に僅かな緊張を滲ませながらも、幹比古は生来の真面目さを発揮して答える。

 

「間違いありません。我が国のものとは異なる術の使い手が、何らかの目的のために探りを入れてきているんだと思います」

 

「そんな……」

 

 ほのかが驚愕の声を漏らす。隣では雫が眉を寄せていて、荒事に不慣れな二人の反応を見た達也は穏やかな口調に努めて話を引き取った。

 

「今のところ、校内まで侵入された形跡はない。術者の目も内側にまでは及んでいないだろう。一高の敷地内にいる間は心配する必要もないよ」

 

 狙い通り安堵の息を吐くほのか。

 動揺の収まった二人と深雪へ、改めて達也が訊ねる。

 

「それで、一応三人にも何か気になったことはないか聞いておこうと思ってね。少しでも気付いたことがあれば、遠慮なく言って欲しい」

 

「特に気付いたことはありませんでしたが」

 

「私もわからなかった。ほのかは?」

 

「言われてみれば、今朝は少しだけ光波の揺らぎがあったけど。でも、あれぐらいなら今までも時々見かけたし、はっきりと見分けられるかどうか……」

 

 首を振った深雪と雫に対し、ほのかは何やら心当たりがあるようだった。

 自信なさげに呟く彼女へ、達也は微笑を湛えたまま頷いて見せる。

 

「いや、ほんの少しでも感じ取れたのなら十分な情報だ」

 

 実際、光波ノイズに敏感なほのかの証言は有為なもので、こうした兆候を捉えるセンサーや魔法が備えられれば、幹比古のような精霊魔法に精通した者でなくとも件の術者の監視に気付くことが可能となる。

 現状ではそこまでの対策を講じる意義はほとんどないが、状況が変われば学校側へ対応を働きかけることもできるだろう。いざそうなったとき、ほのかのもたらした情報は大きな意味を持つ。

 

「この件についてはしばらく様子を見よう。もしかしたら一時的なものかもしれないし、何日も続くようならそれこそ学校側から警察へ届け出る必要がある」

 

 達也の弁に一同が頷き、納得を浮かべたレオが丸めていた背中を伸ばす。

 

「まあ、まずは警察がってのは当然の話だよな。――んっ?」

 

 そうして呟いた拍子に、レオの目が明後日の方向へ向いた。

 漏れ出た声に反応してエリカが振り向き、他のメンバーに先んじて疑問の声を漏らす。

 

「あれ、森崎くんじゃない? 隣にいるのは、確か……」

 

「平河先輩、でしたよね。体調を崩されて論文コンペを辞退されたという話の」

 

 美月が後を引き取る頃には全員の目がその光景を捉えていた。

 

 食堂の入り口から入ってきた6人ほどの集団。その先頭には駿と小春の姿があって、遠目には和やかに笑い合っているように見える。

 一方で後に続く男子4人は困惑を顔に浮かべていて、小春の同行がイレギュラーな事態だということが傍目にもわかった。

 

「見た限り、元気そうだけど」

 

 幹比古の漏らした印象は全員が共通して抱いたもので、隣の駿へ笑みを向ける様子には少なくない違和感を覚えた。いくら詳細を把握していないとはいえ、とても体調不良を理由に論文コンペの代表を辞退した人物とは思えない。

 

 また、一同の困惑はこれだけに留まらなかった。

 

「――っ!」

 

 配膳の列へ並ぼうとしたのだろう。注文口へと向かいかけた駿はしかし、小春に手を引かれて立ち止まった。

 戸惑う駿へ何事かを囁いた小春は背後の4人を先に注文へと向かわせ、駿の手を控えめに握ったまま食堂の片隅へと歩きだす。後に続く駿は困り果てたような表情こそしていたものの、振り解こうとまではしなかった。

 

「うわっ、随分とあからさまね」

 

 声にならない義憤を漏らしたほのかに続き、エリカが呆れを滲ませる。

 幹比古と美月は驚きの方が強いようで、眉を寄せただけの深雪やレオと同様コメントはない。

 唯一表情の変わらない達也は一度そちらを見ただけで、後は視線を送ることすらなくコーヒーのパックを手にしていた。

 

 小春に連れられるまま、駿が食堂の一角に腰かける。

 テーブル席に並んで座った二人から目を切った雫は、僅かに眉尻を下げながらも黙したままだった。心配げに見る深雪へ小さく首を振り、静かに紅茶のボトルを傾ける。

 

 そんな雫の様子に耐えかねてか、美月が心なしか早口でほのかへ問いかけた。

 

「森崎くんと平河先輩は仲が良かったんですか?」

 

「どうだろう。九校戦の前、練習中に話してるのは見たことあるけど……」

 

 (おとがい)に指を当て、思い出すように答えるほのか。

 自身の出場する競技以外の練習にも顔を出していた駿は行く先々で選手やスタッフと話をしていて、その中には当然小早川や平河の姿もあった。だがそれはあくまでも意見交換といった様子で、特別親しくしているようには見えなかった。

 

「仲が良いっていうか、一方的に慕われてるだけに見えるけどな」

 

 レオが呟いた印象は彼らの困惑を端的に表していて、だからこそ身も蓋もないと思いながら誰も制止しようとしなかった。

 

 一方、友人たちが食堂の隅を窺う傍らで、達也は黙々と食後のコーヒーを飲み進めていた。

 

 駿と小春の方へは一瞥を向けただけで、以降は視線を上げる素振りすら見せない。

 高校生らしからぬ達也のこと。友人たちはその態度に不自然さを見出すことはなかったが、達也の抱く疑念を知る深雪だけは小春と兄の間でそっと視線を往復させていた。

 

 当事者の達也と雫が黙ったまま、率先して制止役に回る者もなく。言葉にできない違和感を抱えたまま、やがて配膳トレーを手にした男子が駿たちのもとへやってくる。

 入れ替わるように立った小春が当然のように駿の手を取ると、その瞬間、我慢の限界とばかりに一人が立ち上がった。

 

「あ、おいエリカ!」

 

 不機嫌さを隠そうともしない彼女を、幹比古が慌てて止めに掛かる。

 だが振り返ったエリカは冷たく表情を繕ったまま、淡々とした口調で突き放した。

 

「ちょっと体調を訊きに行くだけよ。手は出さないわ」

 

 確かに『手は』出さないだろう。けれど代わりに容赦のない口撃を繰り出すのが簡単に想像できて、幹比古は全く安心することができなかった。

 火のついたエリカは美月とほのかが加勢しても尚止まらず、三人が助けを求めるように達也と深雪へ顔を向ける。と、そのとき――。

 

「エリカ」

 

 兄妹とは別の方向から自身を呼ぶ声が聞こえてエリカが振り向く。

 彼女を呼び止めた雫は無機質な椅子にしゃんと座ったまま、持ち上げた視線を一点へと向けて呟く。

 

「これ以上、困らせないであげて」

 

 見つめる先には貼り付けたような苦笑があって。

 そっくりな笑みを浮かべた雫の声音には不満も憤りも疑念もなく、ただ溢れぬよう抑え込むような心配だけが覗いていた。

 

「雫……。ハァ、わかったわよ」

 

 呆然と驚きを零した後、エリカはやれやれとばかりに肩を竦めて見せた。

 

「へぇ、珍しく引き下がるじゃねぇか」

 

「当然でしょ。アンタと違って考えなしじゃないんだから」

 

 すかさず飛んだ憎まれ口が切り返されると、一同の間に笑みが漏れる。

 雫の口元にも笑みが覗き、傾きかけた雰囲気が和らいだところで、じっと静観していた達也がゆっくりと立ち上がった。

 

「さて、俺はそろそろ行くよ。先輩たちを待たせるわけにはいかないからな」

 

「私たちも行きましょう。ほのか、雫も、それでいい?」

 

「うん。大丈夫」

 

 兄に続いて深雪が席を立ち、呼ばれるまま雫もトレーを手に取った。

 立ち上がった雫はほのかと並び、兄妹の後について歩く。

 

 

 

 聞こえぬ先で話す二人を見ることはなく。

 

 ただ僅かでも、その苦悩が和らぐことを切に願って。

 

 一心に想い遣る雫の肩には、黒赤の腕章が揺れていた。

 

 

 

 

 




 
 
 
 
 
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