モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
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昼休みが終わると、一高の校内は忙しなく動き回る生徒の喧騒に包まれた。
時計の上ではまだ午後の授業時間内。だが校庭には大型の装置や計測器、工作機械などがずらりと並べられていて、それらを操作する者や作業員への差し入れを配る者がその間を足早に駆けまわっている。
論文コンペティションの本番を目前に控え、一高では放課後のみならず午後のカリキュラムもが『自主制作』や『自主演習』の名目で準備作業へと充てられるようになった。
これは論文コンペが夏の九校戦同様、九校の魔法科高校間で競合する仕組みを取っている為というのが最大の理由だ。授業で多少の遅れが生じるデメリットよりも、論文コンペで良好な結果を残し受験希望者を増やすことにメリットを見出した学校側の支援と言えるだろう。
大義名分を得て、意気揚々と準備作業に勤しむ生徒たち。
その中心には鈴音と五十里、達也の姿があり、今も巨大な電球に似た装置の前で各々の作業に取り組んでいる。傍らにはそれぞれ選抜された護衛役が控えていて、唯一護衛の付いていない達也の斜め後ろには当然のように深雪の姿があった。
隣のほのかをフォローしつつ、隙あらば達也へ世話を焼く深雪。
雫はそんな深雪の後ろに立って、油断なく周囲へ視線を配っていた。
脳裏に浮かぶのは前日の一幕。
学校帰りに喫茶店へ寄った際、エリカ、レオ、幹比古の三人は途中で店を抜け出し正体不明の男と対峙していたらしい。戻ってきた三人と達也によれば、男は学校を出た時点から尾行していたらしく、刃物と拳銃を所持していたのだとか。
取り逃がしたことを悔やむエリカの横で、雫は小さくないショックを受けていた。
尾行に気付かなかったことはもちろん、雫は自分とその周囲が脅威に晒されるなどと予想もしていなかった。可能性は常に頭にありながら、実感を持てずにいたのだ。
もしも彼らに同行していなかったら、どうなっていただろうか。
達也からの注意喚起を受けた後、駅に着いてから初めて実感を得た。隣のほのかと顔を見合わせ、知らぬ間に過ぎていた脅威へ改めて身体を震わせていた。
同じ過ちを繰り返すまいと、雫は自身へ言い聞かせる。
風紀委員を志した以上、いずれは向き合わなくてはならないことだ。
深雪とほのかの護衛役を全うするためには尚更、必要となるに違いない。
そして何よりも、駿の背を追うためには決して避けて通れぬ道なのだろうから。
一層の決意を固めた雫が警戒の目を配る中、準備は着々と進んでいった。
電球型装置の周りにはコンペの主要メンバー3人が揃っていて、点検を終えた鈴音が声を掛けると、間もなく作業員が装置の傍を離れる。
集まった生徒の間から期待の声が漏れ聞こえてきた。いつにも増して賑やかなのは、初めて実験装置の作動確認が行われるからだ。
現代科学において未解決な難問に挑む実験とあって、論文コンペに関わりのない生徒も大勢が見学に加わっている。教員や職員の姿もある辺り、注目度の高さは相当なものだろう。
ざわざわとした声は、鈴音が操作盤の前に立つとすぐに静まった。
期待と緊張の眼差しが向けられる中、鈴音が据え置き型CADの盤面に手をかざす。
携帯式のCADを使用する際とは段違いな量のサイオンが鈴音の身体から溢れ出した。
操作盤に置かれた手を介して装置が起動式を提供。サイズと精密さに比例した大規模な起動式は、装置のアシストを得て鈴音の魔法演算領域へと取り込まれ、彼女の眼前に置かれたガラス容器へと投射される。
直後、ガラスの内側に眩いばかりの光が灯った。
明滅する光は球形のガラスの表面内側から発せられていて、瞬く間に安定した白色光へと変わる。
光源が安定した時点で、観衆の一部から歓声が上がった。実験の成功を讃える声は次第に広がり、未だ光を放つ装置とそれを取り巻くスタッフへ盛大な拍手が贈られる。
スタッフの表情が笑顔なあたり成功なのだろう。雫自身、実験の理論はいまいち理解できていないものの、発動した魔法が極めて高度なものだということは肌で感じられた。
ガラス容器の発光は十秒ほど続き、やがて中心へ吸い込まれるように消えていった。
光が収まるのに合わせて観衆の興奮も引いていき、鈴音が操作盤から手を離す頃には拍手の音もまばらとなる。それでも興奮の余韻は残っていて、見学していた生徒は多くがその場に残って感想を囁き合っていた。
そんな最中にあって、雫はふと一人の生徒へ目を留める。
誰もが実演装置や鈴音、五十里などに視線を向ける中、その生徒だけは手元に視線を落としていた。
興奮と期待から晴れやかな表情を浮かべる周囲に対し、その生徒だけは暗く険しい表情を浮かべていた。
集団の中に埋もれ潜む小柄な女子生徒。
顔立ちに見覚えはなく、体格と併せて考えれば雫と同じ一年生かもしれない。
手元を見ることはできないが、しきりに指を動かしているあたり端末か何かを操作しているのかもしれない。
一見して不審に感じた雫は、女子生徒の動向を見据える。
直後、突然顔を跳ね上げさせた女子生徒は、慌てたように集団の外へ走り出した。
反射的に一歩を踏み出して、二歩目を踏む前に思い止まる。いつか勇み足を止めてくれた手が見えた気がして、狭まっていた視界がグッと広がった。
冷静さを取り戻した雫は短く深呼吸をする。自分の役目は深雪とほのかの護衛であって、不審な生徒を追うことではない。二人を置いて離れるのではなく、巡回当番の委員へ連絡をつけるべきだ。
集団から抜け出した生徒を目で追いながら端末を取り出す。
と、ちょうどそのタイミングで少女を追って駆け出す背中が見えた。
ポニーテールの女子生徒が先に、追いかける男子が後に続く。
そして何より、そんな二人を追う横顔にこそ目が引かれた。
「……駿くん?」
先行する3人へ鋭い眼差しを向けるのは、訓練に励んでいるはずの駿だった。
◇ ◇ ◇
遠くに見える背中を追って走る二人の先輩に続く。
校庭から校舎の脇を抜け、実技棟を超えた先で三人は角を曲がっていった。先にあるのは植木に囲まれた細道で、今なら無関係な生徒に見られることもないはずだ。『彼女』の抱えるモノを考えると人目のないのは都合が良い。
逃げる『彼女』――
実際には達也の構築したセキュリティを破れず、発覚を恐れた彼女はこうして逃走を図っているのだが、この一件は原作でも同じように描かれていたことだった。
三人を追いかけられたのは幸運だった。
もしも達也たちの昼食に同席していなければ、僕自身がここへ来ていたかはわからない。
エリカとレオが欠席していると知らなければ、二人が対処することだからと見過ごしていたかもしれないのだ。仮に様子を見に来ていたとしても初動は遅れていただろう。最悪の場合、黒幕の下まで逃げられてしまう可能性があった。
平河千秋を取り逃がすわけにはいかない。
彼女は二つある大亜連合勢力への手掛かりの一方で、この糸を辿ることで国防軍は潜入している大亜連合軍部隊の捕縛を果たせるのだ。もう一方が原作と同じになるかわからない以上、こちらは確実に捕まえておく必要がある。
だからこそ、本来ならエリカとレオが務めていた役割を代行しているのだ。
未知の多い流れの中で、少しでも既知の事柄――安心材料を増やすために。
三人へ追いついたとき、壬生先輩と桐原先輩はまさに平河千秋を取り押さえに掛かるところだった。
アイコンタクトを交わして動き出した二人に対し、平河千秋は眼前へ何かを放り投げる。
「伏せて!」
叫びながら右目を閉じ、顔を左手で庇う。
直後、翳した腕の向こうで強烈な光が弾けた。激しい閃光は腕を盾にして尚ダメージを抑えきれず、左目に映る視界が真っ白に塗り潰された。攻撃手段が既知のものだったことに内心安堵しつつ、開く目を左右で切り替える。
健在な右目に、壬生先輩と桐原先輩の二人が
対する平河千秋は無手の右手を二人へ向けて伸ばし、今にも袖口の凶器を撃ち出そうとしている。
咄嗟に左手首のCADを叩く。
移動系《対物障壁》を読み出し、対峙する両者の間に展開。
射出された物体は見えない壁に衝突して破裂し、紫色の霧が辺りへ広がる。
幸い量はそう多くないようで、拡散し透明になったガスが双方へ影響を及ぼすことはなかった。念のため息を止めながら、膝を着いたままの二人の前に立つ。
「……っ」
不意の一撃を防がれてか、平河千秋の表情が驚愕に染まった。
伸ばしていた手が揺れ、硬直した彼女は追撃も逃走も忘れて立ち尽くしていた。
違和感を抱きつつも、生じた隙を逃すことなく追加の魔法を発動。
《自己加速術式》を使って背後へ回り込み、右手の特化型を後頭部へ突き付ける。
「両手を挙げて、膝を着いて」
肩を震わせ、悲鳴を呑み込む平河千秋。
やがて指示通りに両手を挙げ、ストンと崩れるように膝を折った。項垂れて動かないところを見る限り、抵抗の意志はなくなったようだ。
「桐原先輩と、そちらは壬生先輩ですよね。お二人とも、怪我はありませんか?」
姿勢を維持したまま問いかけると、二人は目元を抑えながら立ち上がる。
「え、ええ。大丈夫よ」
「こっちもなんとか。まだ目がチカチカしてやがるけどな」
軽く目を擦っただけで顔を上げた壬生先輩に対し、桐原先輩の方は立ち上がってからも瞬きを繰り返していた。とはいえ歩くのに支障はないようで、二人はゆっくりと傍まで寄ってくる。
「よかった。では壬生先輩、お手数ですが彼女の武装解除に協力して頂けますか」
「わかったわ」
頷いた壬生先輩が平河千秋の腕に手を伸ばす。
手首や制服の内ポケットなど、各所に忍ばせた武器を取り外す間、平河千秋は焦りや恐怖を見せることもなく不気味な静けさを保っていた。
取り押さえた平河千秋は、そのまま風紀委員本部へと連行された。
桐原先輩と壬生先輩に代わって千代田委員長と五十里先輩が合流し、本部の取り調べスペースで向かい合う。
「随分と無茶なことをするわね。一歩間違えば自分が大怪我していたわよ」
平河千秋の対面に着いた千代田先輩は、じっと黙ったままの彼女に穏やかな声で切り出した。いつになく優しげで、普段の先輩からは想像できない態度だった。
「このままエスカレートするのを黙って見てるわけにはいかないわ。まだ一線を越えていない今だからこそ、あたしはあなたを止めなくちゃならない」
声音も口調も、目の前の一年生を問い詰めるものではない。
不正を糺すことより、彼女の更生を願って言っているのが傍目にもわかった。
「月曜にハッキングを仕掛けたのもあなたね? 何故、データを盗み出そうなんて考えたの?」
先輩の示した恩情に感じるものがあったのか、やがて平河千秋は閉ざしていた口をおずおずと開いた。
「……データを盗み出すことが目的だったんじゃありません。あたしの目的は、プレゼン用のプログラムを書き換えて使えなくすることです」
ともすればコンペの失敗を望むような発言だ。恋人の五十里先輩が中核メンバーであることを考えれば、千代田先輩は怒りを爆発させてもおかしくなかっただろう。
けれど新風紀委員長は感情を表に出すことはなかった。内心にどんな激情が渦巻いていたとしても、目の前の先輩は抑制の利いた声色を保っていた。
「当校のプレゼンを失敗させたかったの?」
「違います! 失敗すればいいなんて、そんなことは考えていませんでした!」
対して、平河千秋の方は感情を露わにして身を乗り出した。
テーブルに両手を突き、悔しげに歪んだ顔を俯かせて続ける。
「悔しいけど、あの男はその程度のことなんてすぐにリカバリーしてしまう。でも本番前にプログラムがダメになったら、流石のアイツでも慌てるに違いないって思った。あたしはただ、アイツの困った顔が見たかったんです」
『あの男』、『アイツ』と形容された人物が誰なのかはわかりやすい。
彼女がハッキングを図った実験装置のプログラムは、達也が一人で組んだものなのだ。
「嫌がらせであんなことを? 下手をすれば退学になっていたかもしれないのよ?」
標的が達也一人だと知った千代田先輩は、戸惑いを滲ませながら問いかける。
感情を溢れさせた平河千秋は次第に瞳を潤ませ、箍が外れたように主張を吐き出していった。
「それでも構いません! アイツに一泡吹かせられるなら。だって、アイツばっかり良い目を見るなんて許せないもの! 論文コンペだって、本当はアイツの出る舞台じゃないのに……」
ついには嗚咽を漏らし始めた彼女を目の当たりにして、千代田先輩はどうしていいかわからないようだった。
ちらと隣に座る五十里先輩へ振り向き、視線を受けた五十里先輩が小さく頷く。
「平河千秋くん。君は、平河小春先輩の妹さんだね?」
囁くような声量で語りかけられ、平河千秋はビクッと身体を震わせた。
段々と嗚咽も収まり、鼻を啜るだけになった彼女へ五十里先輩が続ける。
「お姉さんがコンペを辞退することになったのは、司波くんの所為だって思ってる?」
「……そうとしか考えられないじゃないですか」
穏やかな問いにじっと黙り込んだ後、やがて彼女が呟きを零す。
「姉さんはそうじゃないって言ってたけど、本当は責任を感じてるに違いないんです。自分には出来なかったからって、自分よりも相応しい人がいるからって、そう考えたに決まってるんです!」
再び勢い付いて、平河千秋は姉の想いを代弁する。
それが真実かどうかは判らないが、彼女が平河先輩を慕っていることは肌で感じられた。
「なのにアイツはなんですか! 小早川先輩の事故を防げたのに、そうしなかった。自分と妹には関係ないからって、手を出さなかった。あんなに何でもできるくせに、何もしようとしなかった!」
あらん限りの糾弾を口にして、興奮のあまり肩で息を繰り返しながら、それでも彼女は止まらない。
「そもそも小早川先輩が魔法を失わなかったのは森崎くん――彼のお陰でしょう! 彼のお陰で姉さんも救われて、
そうして、平河千秋は半狂乱になって主張を叫び続けた。
吐き出される激情に気圧されて、僕も先輩たちも口差し挟む隙を見出せなかった。
治療を終えた壬生先輩と桐原先輩が保健医を連れてこなければ、或いは彼女が倒れるまで続いていたかもしれない。
錯乱状態になった彼女は保険医へと引き渡され、病院で検査を受ける運びとなった。
風紀委員本部から連れ出される間も達也への憎悪を声高に叫んでいて、声の届かなくなった室内に重い沈黙が落ちる。
誰も口を開けずにいる中、しばらくして五十里先輩がぽつりと呟いた。
「……彼女は、どこで刻印術式のことを知ったんだろう」
何気ない呟きに目を引かれ、立ち尽くして見る先で千代田先輩が苦笑いを浮かべた。
「何言ってるの、啓。平河先輩の妹なんだったら、平河先輩本人から聞いたんでしょ」
僕が抱いたのと同じ推測を彼女は口にして、けれど五十里先輩は首を横に振る。
「平河先輩には術式のこと自体は話したけど、それが森崎くんから貰ったアイディアだってことは教えてないんだ」
また一つ、違和感が頭を過る。
警備隊の訓練中、彼女は確かに言っていたはずだ。刻印術式のアイディアの出所は僕で、五十里先輩からそれを聞いたのだと。
仮に別の人から聞いていたのだとして、五十里先輩からだと偽る必要があるだろうか。
「でも、だとしたら他に知っている人が教えたんじゃない? あたしは知らなかったけど、エンジニアチームには知っている人がいたはずでしょう?」
「どうだろう。彼の希望で、一部のメンバー以外には知らせていなかったんだ」
二人の会話を片隅に捉えつつ考え込んでいた僕は、けれど続く一言で我に返った。
「知っていたのは僕と中条さん、作戦スタッフの市原先輩に、あとは司波くんと妹の司波さんだけだと思うけど」
ドクンと大きく心臓が跳ね、思わず五十里先輩に目が行く。
気付いた先輩はこちらへ振り向き、真摯な表情で腰を折った。
「小早川先輩の試合の後で話してしまったんだ。君と仲の良い二人にならと思って。勝手な真似をして申し訳ない」
「――いえ、大丈夫です。気にしないでください」
どうあれ、そう答えるしかなかった。
鼓動が響かせる嫌な音を聞きながら、表情を固めることしかできなかった。
司波兄妹に、何より達也に知られていたという事実は昼の密談と結びつき、一つの確信へと至る。
間違いない。達也は僕に疑いを抱いている。
昼の注意喚起も、こちらの反応を見る目的があったに違いない。
八雲法師が秘密の一端を握っていることを考えれば、そう遠くない内に見抜かれるだろう。
達也や彼の属する四葉にとって、『僕』という存在は明確な不安要素だ。
八雲法師の言葉通り僕自身が他国に狙われているとなれば、尚更放ってはおけないだろう。
猶予はない。
自由に動ける間に、出来るだけのことをしなければならない。
せめて横浜の一件が片付くまでは――。
誰もいない廊下を行く間、気付けば言い聞かせるように鳩尾を押さえていた。
お陰様で本作も2周年を迎えました。
昨年以上に更新の捗らない中、たくさんの応援を頂きありがとうございます。
亀更新&話が進まない拙作ではありますが、今後もしぶとく書き続けていきますので、今後ともお付き合い頂けると嬉しいです。