モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
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土曜日。達也と深雪は早朝から八雲の寺を訪れていた。
目的は恒例の朝稽古。本来は達也一人だけが受けているものだが、この日は改装された遠隔術式訓練施設の試用に誘われたため深雪も同行している。
九重寺の本堂地下に誂えられた訓練施設はさすがに学生相手のものと一線を画す厳しさがあり、四葉本家で鍛えられた深雪をして易々とクリアできるものではなかった。
訓練メニューを終えた深雪は疲労でへたり込み、息を荒げた妹を達也がゆっくりと引っ張り起こす。まるでティーンズ向け娯楽小説で描かれるような光景に、傍で見ていた八雲は「やれやれ」と苦笑いを浮かべていた。
訓練は立方体の室内の中心に立ち、正面と左右、上方の四面から現れる的を素早く的確に破壊するというもの。
撃破が遅れればペナルティの模擬弾が発射される容赦のない仕様で、深雪はこうした攻防を両立する忙しなさに苦戦していた。
一方、深雪に続いて訓練に臨んだ達也は持ち前の視野の広さと精確な照準を武器に、最高難度のメニューを一度で完走してみせた。
反撃の猶予も与えず、撃ち漏らしも一切ない満点の結果で、深雪は手放しに、八雲は呆れ気味に達也を称賛する。
しかし、当の達也はこれに曖昧な笑みを浮かべただけだった。
首を傾げる深雪を撫でて、言葉少なに八雲へ腰を折る。
訓練の最中、脳裏を過った光景を思い返す。
無数に現れる的を魔法で砕く姿は直前の深雪以上に苦戦が窺えて、覆しようのない先天的な差をそれでも埋めようと懸命に挑んでいた。
文字通り限界まで力を揮った身体はやがて倒れ、そうまでしても優勝には届かなかった。
力尽きる寸前まで敢闘する姿を見て、ひたむきに挑む背中を見て、まったく何も感じないほど達也は冷淡ではない。
雫という好例もあり、その背に惹かれる者がいることは理解している。
だからこそ達也は自身の示した結果――立て続けに出現する的を最大36個まで同時に、そして瞬時に破壊した結果を客観視して、内心で独り語ちた。
(嫌味と思われても仕方がない、か……)
自身には抱けない情動を理屈で解きほぐして、達也は短いため息を吐く。
義務も義理もない以上、悪気や後悔を感じることはない。隠さなければならない秘密の多い達也は、たとえ何度繰り返したとしても同じ判断をするだろう。非難や反発を受けようとそれが変わることはない。
しかし、だからといって何も感じないわけではないのだ。
友人だと思う相手であれば尚更で、一度抱いた感覚は澱となって沈み、重くなった口は紡ぐ言葉を減じていた。
真剣な表情で八雲へ謝意を示す達也。
深雪は兄の様子の違いに気付いていながらも、その内心までを推し量ることはできなかった。
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稽古を終えた達也と深雪は、八雲に誘われるまま庫裏の縁側へと場所を移した。
訓練場から近い本堂ではなく私的な空間である庫裏へと連れられたことは、内緒話をすると予告されたに等しい。何事かと心構えを整える達也に対し、八雲はいつも通りの飄々とした態度を変えることなく唐突に切り出した。
「学校もあることだし、手短にいこう」
縁側に並ぶ二人へ手ずから淹れた茶を渡し、八雲は達也の隣へ腰かける。
「珍しい物を手に入れたようだね」
顔だけで振り返った八雲はそう言って、自分の湯呑を口へ運んだ。
前振りのない、見透かしたような問いかけに、けれど達也は落ち着いて返答する。
「預かり物ですが」
「なら、なるだけ早く返した方がいい。返せないなら、少なくとも然るべき所へ移すべきだ」
告げられた戒めに兄妹が目を丸くする。
俄かに雰囲気が張り詰め、表情を改めた二人は揃って頭を下げた。
「狙われているとは、気が付きませんでした」
継母の小百合が襲撃を受けて以来、達也自身も周囲への警戒を怠ってはいなかった。校内で受けたお粗末なハッキングはともかく、尾行や監視の目には早い段階で気付いていた。
だが自宅の近くで、しかも八雲が警戒を促すほどの脅威を感じたことはなかった。
「慎重に立ち回っているからね。それに中々の手練れだ」
八雲の答えは達也の失策を宥めるものだった。『精霊の眼』を持つ達也であっても捉え難い相手だと仄めかした上で、自分は正体を知っていると暗に示している。
煽るような台詞にも動じない二人をじっと見て、八雲はふっと小さく笑みを浮かべた。
「もう一つ忠告しておこうか。敵を前にしたら、方位を見失わないように気を付けるんだよ」
「方位、ですか?」
意味深長なヒントに深雪が訝しげな声を漏らす。
その隣で、達也は言葉の意味を考えながら八雲の返答を待った。
「教えてあげられるのはここまで。さあ、そろそろいい時間じゃないかな」
だが八雲がそれ以上を語ることはなく、深雪の質問に口元で指を立てて応えた。
悪戯っぽく笑ってみせ、二人へ帰宅を促した八雲は、達也が動かないのを見て笑みを収める。
「まだ何か、聞きたいことがあるかい?」
「――では、お言葉に甘えまして」
質問を許された達也は一度頭を下げ、燻る疑念を師の前に持ち出す。
「以前お話し頂いた森崎駿について、何か他にご存知のことがあれば、と」
達也の問いを受け、八雲は小さく息を吐いた。
測るように達也の目を見据えながら、それまでよりも声色を鋭く尖らせて答える。
「確かに僕は、彼について君たちの知らないことまで知っているだろうね」
二人と八雲の間の空気が張り詰め、緊張感に深雪が息を呑んだ。
達也の方は動じていないものの、師を見据える表情に険しさが増していた。
じっと兄妹の反応を見ていた八雲は、やがて要求への回答を口にする。
「だけど、それを教えてあげることはできない」
暗に手を引けと窘めるような言葉だった。
けれど、達也は臆することなく食い下がる。
「理由をお訊きしても?」
「……構わないけど、大した答えは返せないよ」
苦笑いを浮かべた八雲に、達也は目礼で応じた。
深雪の表情も真剣で、兄妹ともに折れることはないと見た八雲は「そうだね……」とため息混じりに呟いた末、やがて言葉を継ぐ。
「彼に注目している人がいて、その人の意向があるから、とでも言っておこうか」
そう言って微笑む八雲の目は、それ以上の詮索を拒む冷たさを宿していた。
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その日の午後。
第一高校の敷地内にある野外演習場では、警備隊メンバーを中心とした模擬戦闘が行われていた。
見通しを狭めるよう植林された木々の間、低木の陰に隠れる一年生が一人。
息を殺して木立の間を覗く肩は上下していて、彼の抱く緊張が目に見えてわかる。こめかみを伝った汗が顎先から滴り、濡れた運動服の染みに溶けこんだ。
この一戦、テロリスト役のメンバーが十人なのに対し、相手側の参加者はたった一人。
十師族『十文字家』の次期当主にして、共同警備隊の総隊長を務める克人だけだ。
模擬戦の目的は、普段訓練に参加する余裕のない克人の練習相手を務めること。
そのため敵役を務める彼らは大半が警備隊のメンバー以外で構成され、代わりに十人対一人という人数差を与えられたのだ。
しかし模擬戦が始まってからおよそ30分が経過した今、一・二年生から成る合同チームは既に半数が脱落してしまっていた。残ったメンバーも捕捉されないよう遁走する時間の方が長く、散発的な攻撃を加えるのが精一杯。
結果、疲労とプレッシャーが理由の冷や汗で学校指定の運動服はじっとりと濡れている有り様だ。対して、下級生十人を単独で相手取る克人は立て続けの襲撃に対処して尚、涼しい顔で林間を闊歩していた。
彼我の実力差が頭を過り、浮かびそうになった弱気を呑み込む。
克人の実力など模擬戦の話を受ける前から知っていて、胸を借りるつもりで参加を決めたのだ。脱落者の中にも大きな怪我を負った者はなく、それだけで克人が手加減してくれていることもわかる。
『それに』と、彼――幹比古は内心で呟く。
これから仕掛ける戦術が上手く嵌れば、ダメージを与えることができるかもしれない。
十文字克人を相手にそう思わされるような段取りが『彼ら』にはあった。
短く深呼吸をして、雑念を振り払う。
直後、精霊越しに見ている視界へ克人の歩く姿が映った。
悠然と歩く『鉄壁』の上級生は幹比古の位置を捉えているようで、まっすぐに彼の潜む木立へと近づいてくる。
心臓の脈打つ音を聞きながら、幹比古はじっと機を窺った。
一歩一歩迫るプレッシャーに耐え、およそ30メートル先の一点に到達した瞬間、地中へ仕込んだ精霊を喚起する。
瞬間、克人の足元がすり鉢状に陥没し、轟音と共に砂と石を巻き上げた。
古式魔法《
自分が土煙に紛れ地中に隠れる術ではなく、相手に土砂を浴びせて穴に落とす術式だ。相手の対処能力次第ではそのまま動きを封じることができ、たとえ対応されたとしても目晦ましと足止めで逃走の時間を稼ぐことができる。
土砂を巻き上げさせた幹比古は、成果を確認することもなく移動を開始した。
元より克人に通用するとは思っておらず、戦術の第一段階として土と砂と石が必要だったに過ぎない。あとは近くに潜んでいるだろう『三人』の活躍を信じるのみだ。
克人に背を向けて駆け出した幹比古。
その背後では、巻き上げられた砂塵がそのまま渦を巻き始めていた。
局所的な竜巻のように吹き荒れる砂塵は、大柄な克人の身体をすっぽりと覆い隠す。
自然現象ではない、明らかな魔法による現象だ。収束系統と加速系統の組み合わせによるもので、こうした器用な運用を得意とする一年生に克人は心当たりがあった。
土砂の竜巻に囚われた形の克人は、しかし土埃の一つも浴びてはいない。
十文字家が誇る防壁魔法に守られた克人は依然健在で、幹比古の一撃に対し好戦的な笑みを浮かべるのみ。
ざっと周囲を見回した克人が障壁を利用して作った足場から降りる。
掘り起こされた穴の淵に立ち、周囲の防壁を押し広げるように動かして砂の竜巻を打ち払いにかかった。
質量体の進入を防ぐ防壁が拡がり、弾けた砂塵が辺りへ飛び散る。
砂の幕が散り散りに破れ、視界が晴れたその直後、克人は驚きに目を見開いた。
特化型CADを構えた一年生――駿がそこにいた。
銃口は真っ直ぐに克人を捉え、反応する間もなく引き金が引かれる。
サイオンが瞬き、駿の組み上げた魔法式が効果を発揮。
両者の間の空気が収束し、弾丸となって克人へ放たれた。
完全な不意打ちで撃ち出された《
有毒ガスの進入を防ぐための収束魔法がそのまま防壁の役割を果たしていた。
笑みを深める克人に対し、駿は真剣な面持ちのまま二射、三射と『弾丸』を撃ち続ける。
引き金を引く回数の数倍に及ぶ空気塊はすべてが克人に当たる直前で砕け、一つとして効果を及ぼすことはなかった。
反撃とばかりに一歩を踏み出す克人。
眉を寄せた駿は姿勢を落とし、退避の構えを見せる。
逃がさないよう二歩目を踏み出した克人はしかし、異変を感じて足を止め、咄嗟に複数の防壁を展開した。
直感による判断は功を奏し、一瞬遅れて青白い光が周囲から殺到する。
無数の細かな雷は克人の至近にまで迫り、命中の直前で電気抵抗を極大化した空間に阻まれた。
防壁の再構築に合わせて《絶縁フィールド》を追加していなければ直撃を受けていただろう。もし駿への攻撃を優先していた場合、この一撃で膝を着いていた可能性が高い。
砂塵を巻き上げたのはこの為かと、克人は唸りを漏らす。
細かい土砂で
火山雷に代表される粒子の帯電現象。この物理的な放電現象を引き起こすことで、彼らは克人の周囲に展開された《領域干渉》を貫いた。
魔法による事象改変を防ぐ《領域干渉》では非魔法的な物理現象を阻むことは出来ず、再構築した防壁の中に《絶縁フィールド》が含まれていなければ防げなかった。
駿が敢えて目の前に出てきたのは、囮になりつつ《空気弾》への対応を強いることで、本命の攻撃を悟らせないようにするためだったのだろう。
「……面白い!」
いよいよボルテージの上がった克人は犬歯をむき出しにし、眼前の駿へ掌を突きだす。
瞬間、背後に物音が立つのを克人は耳にした。手を伸ばした先の駿が小さく笑みを浮かべ、盤上の駒になったような錯覚に背筋が小さく震える。
板状に形成された対物障壁が射出され、回避行動を取った駿の肩を打ち据えた。
撥ね飛ばされ、回転しながら落下した駿は、そのまま木立の間に倒れ込む。
駿を撃破した克人はすぐさま振り返るも、『溜め』を終えた少年――香田を止めるには至らなかった。
「いっけぇ!」
「……っ」
香田の特異な体質によって極大化した干渉力が、克人の《領域干渉》の盾と《情報強化》の鎧を食い破る。
対象に直接作用する移動魔法は重ねた防壁のどれにも妨げられず、克人の身体を後方へと大きく突き飛ばした。
二人の魔法はほぼ同時に効果を発揮し、香田も克人の障壁によって弾き飛ばされる。
移動魔法で飛ばされただけの克人に対し、障壁の衝突ダメージがある香田はこの時点で脱落。先に倒れた駿も含め、脱落者は七人となった。
残り三人。想像以上の善戦ぶりに高揚を抱きながら、克人は身を翻して着地する。
飛ばされた先は比較的木々の少ない開けた草地だった。
下草の生えた地面に足を着き、突き飛ばされた勢いを殺して止まる。
ここまでの連携から更なる追撃を確信していた克人は、地面に足が着くなり周囲へと視線を巡らせた。
予想通り、後方数メートルの位置に幹比古の姿があった。
片膝を着き、地面に手を添えた彼を目にした克人は、驚異的な反応速度で防壁を展開する。
幹比古が魔法を発動。体感できるかどうかの振動が克人の足元を揺らし、先の粉塵で発生させた放電と同じ現象が生起する。
本来なら地面がそのままアースとなって生じないはずの電撃は、
《霧の結界》と《地鳴り》、そして《雷童子》を併用した古式の複合魔法。
現代魔法において《
駿と香田、そして五十嵐が状況を作り、幹比古が一撃を与える。
模擬戦が始まって10分ほどが経過した後、駿の提案で組んだ段取りがそれだ。
一人だけ二科生からの参加とあって単独で挑んでいた幹比古に駿が声を掛け、香田と五十嵐もモノリスのメンバーだからと快諾したからこその即席チーム。
それでも、駿の主導で動く四人は初めてと思えないほどに息が合っていた。各人の長所や特徴を活かした戦術がそれを可能としたのは疑いようがなく、即興でこれだけの戦術を考案できる駿に幹比古は改めて驚いたものだ。
ここまでお膳立てされて応えないわけにはいかない。
作戦通りに飛ばされてくる克人を目にして、幹比古は用意していた精霊を喚起。
考案したばかりの新術を惜しげもなく披露してみせた。
明滅する電光が克人の身体を這い上がる。
身体を丸めた克人は両腕を交差して顔を庇い、踏ん張るようにして電流に耐える。
やがて電撃が収束し、辺りが静寂に包まれた。
足元の草から細く白煙の立ち上る中、克人はゆっくりと両手を下ろし、けれど倒れることはなかった。
肩幅に開いた足はどっしりと地面に立ち、些かのダメージも負ったようには見えない。
上体を起こした克人が堂々と幹比古へ歩み寄る。
威厳と自信に満ちた立ち姿を目の当たりにして、幹比古はふっと穏やかに息を吐いた。
(まだまだ先は長いな……)
突き飛ばされる寸前に過ったのは、援護した三人への感謝と全力を尽くしたことへの納得だけだった。
幹比古が倒され、戦闘の趨勢は決した。
残った二人の内、五十嵐は単独で粘って見せたものの、士気の高まった克人を前にしては5分と立ってはいられなかった。
最後の一人となった二年の男子も間もなく
結果は克人の単独勝利という形で幕を下ろした。
呆気なく倒れた警備隊メンバーが沢木から指摘を受ける中、汗と泥に塗れた一年生四人は、健闘を称える声の出迎えを受けていた。