モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

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第8話

 

 

 土曜日。

 

 間が悪いところに舞い込んだとはいえ、仕事は仕事。

 午後からという要望に合わせるため、昨日までに午後の授業分の課題を終わらせた僕は、4限が終わると共に帰り支度を始めた。

 

 支度といっても、教科書や筆記具の類を持ち歩いているわけではない。座学は各自に割り振られた端末で行われるし、体育着などはロッカールームに収めてある。準備棟の部室にもロッカーはあるし、普段から持ち歩かなくてはならない物はほとんどない。

 

 荷物をまとめたところで席を立つ。

 いつも持ち歩いている革製の鞄よりも大きなアタッシュケースを手に、教室の扉へ足を向けた。

 

 そこで声が掛けられた。

 

「帰るの? 何か用事?」

 

 声を掛けてきたのは雫だった。深雪とほのかの二人と話していたようで、最後列の深雪の席に三人が集まっていた。

 

「ああ。仕事の依頼が入ってね」

 

 簡単に答えると、ほのかが記憶を掘り起こすように視線を持ち上げた。

 

「お仕事って、確かボディガードだったっけ。大変なんだね。授業もあるのに」

「ちょっと断りづらい相手でな。授業に関しては終わらせてあるから問題ない」

 

 多分、父さんも授業を抜けさせるのは本意じゃなかったんだろう。

 それを押してでも話を持ってきたあたり、先方からの要望があったに違いない。

 

 僕が遠い目をしていると、深雪が立ち上がって振り向いた。

 相変わらず見事な立ち姿で正対し、彼女はニコリと微笑む。

 

「お仕事、頑張ってくださいね」

 

 ああ、なるほど。いつまでも話に付き合わせまいと気を遣ってくれたわけだ。

 こういう些細なところに気付くあたり、兄妹揃って配慮が行き届いているよな。

 兄の影響なのか、それとも『実家』の教育の賜物なのか。

 

「ありがとう。それじゃあ、また月曜に」

 

 深雪の心遣いに乗る形で、僕は三人に挨拶をして教室を出た。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 学校を出た僕はその足で父の会社に向かい、身支度を整えた後、会社地下の駐車場から自走車に乗り込んだ。

 

 この時代、車の運転は完全にオートメーション化されており、高校生が単独で乗車しても法令上の問題はない。

 コミューターと呼ばれるこの車両はもちろん自分で運転することもできるが、そのためには緊急時を除いて免許証の読み込みが必要(満18歳以上で取得可能)となるので、残念ながら僕はまだ運転したことはない。

 

 自走車を走らせること約30分。

 車はとあるホテルの玄関口で停車した。

 

 車を降りて、脇に立つ。

 

 約束の時間まではまだ15分程あるが、車内で待つのが許されるような相手じゃない。

 黒塗りのVIP用車両に相応しい立ち姿を維持するのも仕事のうちだ。

 

 直立不動で待つこと10分余り。

 ホテルの自動ドアが開き、一人の老婆が出てきた。

 

「久しぶりだね。元気にしておったかい、シュン坊」

「はい。ご無沙汰しております、スエさん」

 

 雇い主の桐邦寿恵(きりくにすえ)は、年齢を感じさせない堂々とした所作で応えた。

 

 寿恵さんは御年66歳だが、高校生にも負けないほどエネルギーに溢れた人だ。

 去年とある企業の会長職を退き、今は派手で気ままな隠居生活を送っている。

 

 一昨年の夏、ボディガードの一人として護衛を依頼されたときに知り合い、なんだかんだあって今でも目を掛けてもらっている恩人の一人。

 とはいえ、現役を退いた寿恵さんが護衛を必要とする場面はほとんどなく、僕が呼ばれるときは大抵、話し相手兼荷物持ちの従者扱いだ。

 

 寿恵さんの後ろに控えたホテルマンから鞄を受け取る。

 助手席の扉を開き、雇い主を車内へエスコートした後、トランクへ荷物を収め、運転席側へ身を滑らせた。

 

「悪かったね。急に呼び出して。授業があったんだろ?」

 

 自走車に乗り込んだところで、寿恵さんから気持ち申し訳なさそうに言われる。

 豪放磊落で派手好きな寿恵さんだが、気遣いは寧ろ誰よりもできる人だ。そうでなければ企業のトップとして辣腕を揮うことなどできないのだろう。

 

「いえ。午後の分の課題は終わらせてきたので問題ありません」

「そうかい。もしかしたら制服姿が見られるかとも思ったんだけどねぇ」

 

 寿恵さんがニヤリと笑みを浮かべる。

 視線が僕の頭から足元までを流れる。ジャケットにパンツ、インナーに靴や時計などの小物までもを一瞬で流し見た後、寿恵さんは鼻を鳴らして頷いた。

 気に入らない格好をしているとここで文句を言われるのだが、どうやらお眼鏡に適ったようだ。

 

「……一応、まだ授業時間中なので、制服姿では余計な目を引きますから」

「違いないね。――ああ、言い忘れておったよ」

 

 最初の査定を通過して人心地付いていると、寿恵さんはそれまでと違う笑みを浮かべた。

 

「第一高校への入学、おめでとうよ。しっかり励みな」

 

 ……この人は本当に、何をするにも突然だから困る。

 

「はい。ありがとうございます」

 

 気に掛けてくれる人がここにもいたのだと、改めて思った。

 

 

 

 

 

 

「それで、本日はどのようなご予定ですか」

 

 ホテルのロータリーから車を走らせ、幹線道路へ合流したところで問いかける。

 父さん経由で持ち込まれた仕事だが、詳細についてはまだ聞かされていなかった。

 

「そうさねぇ。本題は夕方からなんだけど、それまで適当に店を回るかねぇ」

「かしこまりました。ではいつものように代官山へ――」

 

 寿恵さんは隠居した身だが未だに大が付くほどの富豪で、こうして従者紛いな役目に連れ出されたときは大抵がお気に入りの高級商店通りに行っていた。

 

「いいや、今日は別の場所に行こうかね」

 

 しかし、今日は趣向が違うらしい。

 不敵な笑みを浮かべた寿恵さんに何やら嫌な予感を覚えつつ訊ねる。

 

「どちらかご希望があるのですか?」

 

 寿恵さんが鼻を鳴らし、笑みを深めて答える。

 

「ふん。折角だからね。第一高校の近くに行くよ」

「……スエさんが満足されるような店があったとは思えませんが」

 

 第一高校のある八王子は江戸時代から続く宿場町で都内でも有数の人口を誇る地域ではあるが、どちらかといえばベッドタウン的な立ち位置で華やかな印象は薄い。

 

 自他共に認める高級志向の彼女が足を運ぶような店は、少なくとも僕の知る限りない。

 道中調べながら向かうことはできるが、当たり外れのわからない店に行くくらいなら今まで通り代官山か六本木か銀座に行くのが良いと思う。

 

「高けりゃいいってもんじゃないんだよ」

 

 しかし、今日の寿恵さんの思惑は別のところにあるらしかった。

 彼女は挑戦的な――ある意味で柔らかな眼差しを僕へ向けて言った。

 

「このあたしが見てやるんだ。しっかりエスコートしてみせな」

 

 ああ、なるほど。そういうことですか。

 だとすれば、いつもよりも気合を入れて臨まなくちゃいけないな。

 

「畏まりました」

 

 脳内でデートプランを組み立てながら、孫をからかうような顔で笑う彼女に一礼した。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 2時間ほど寿恵さんをエスコートして回った後、駐車場へ止めた自走車へ戻る道中で寿恵さんの判定が下った。

 

「――60点ってとこかねぇ」

「ギリギリ及第点と捉えてよろしいので?」

 

 思った以上の高得点だ。ぶっちぎりの不合格も覚悟してた分、拍子抜けしたと言ってもいい。経済界では名の知れた人だし、高校生のお遊びのようなデートに合格点を付けられるとは思っていなかった。

 

 思わず問い返すと、寿恵さんは苦々しい顔で口を尖らせる。

 

「あたしを相手にスイーツ専門店を選ぶセンスはどうかしてると思うがねぇ」

 

 その表情が面白くて、自然と笑みが浮かぶ。

 最後の店はわざと若者向けの店を選んだのだ。この人の悪戯紛いな提案に一矢報いたかったというのもあるが、一番の理由はそうではない。

 

「スエさんは甘いものが好みだったと記憶していたのですが」

「間違っちゃいないよ。あたしとしては、とてもじゃないけど一人じゃあ行けない店に入れて良かったからねぇ」

「では、問題ないのではないですか?」

 

 努めて平坦な声音で言うと、寿恵さんは負けたよと呟き、大きなため息を吐いた。

 

「ハァ……。シュン坊。どこの世界にこんなババァと、カップル御用達の店へ入る高校生がいるってんだい。店員の顔見たかい?」

「驚きながら笑いを堪えつつ盛大に引いてましたね」

「わかってて気にしてないなら余計に質が悪いよ」

 

 吐き捨てるように言う寿恵さん。

 

 ふと、その目が反対側の歩道へと向く。

 

「ん。あれはシュン坊のところの学生じゃないかい?」

 

 問われて視線を送り、そこに一高の制服姿を認める。

 

「ええ。一高の生徒ですね。――ん?」

 

 その拍子に、男子の後ろを歩く三人組が目に入った。

 ほのかに雫、そしてエイミィの三人だ。こんなところで何を……。

 

 学校から近いとはいえ、人通りも多くない住宅街近くの道だ。

 何の目的があって来たのかと思ったが、それは彼女たちの視線を辿ればわかった。

 

 どうやら前方の男子生徒を尾行している最中らしい。

 一応は物陰に隠れながら追いかけているようだが、隠れ方も移動時の動きも拙く、あれでは男子にもすぐにバレてしまうだろう。

 

 そうこうしている内に、男子は路地へと入っていった。

 雑居ビルの間の細い道を進む男子を、三人は警戒もせずに追いかける。

 

「おやおや、女の子があんなところに入ってまあ。危機管理能力を疑うねぇ」

 

 寿恵さんも呆れたようにそう言った。

 気持ちの上では同感だが、あんな明らかな誘導に乗せられた三人を放ってはおけない。

 

「……スエさん。申し訳ありませんが、先に車でお待ちいただけませんか?」

「おや、今のは知り合いかい?」

「クラスメイトです」

 

 護衛の仕事を放りだすことになるので、本来なら許されることじゃない。

 危機管理のできていない知人より、雇い主が優先されるのは当たり前だ。

 それを承知で、僕は寿恵さんに頭を下げた。

 

 瞬時に真顔になった寿恵さんはジッと僕の目を見据える。

 先程までの気のいい老人のものではなく、経済人として修羅場をくぐり抜けてきた者の眼差しだ。真意を量り、覚悟を問う鋭い視線。

 

 沈黙は一瞬だった。

 寿恵さんは表情を和らげると、腰に手を当てて頷いた。

 

「なるほどねぇ。いいさ。行ってきな」

「ありがとうございます。すぐに戻ります」

 

 深く一礼して、三人の消えた路地へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 路地は薄暗く、見通しが悪かった。

 一本道を走り、二つ目の突き当りを曲がったところで、イデアを通して震えが届いた。

 

「サイオン波……。魔法を使うような事態になってるのか」

 

 魔法の使用に伴うサイオンの波動は、曲がり角の先から届いていた。

 右手の袖を捲りつつ、最後の角で足を止める。

 

 僕がたどり着いたとき、ちょうどほのかが閃光魔法を放とうとしていた。

 咄嗟に目を庇い、三人へ呼びかける。

 

「三人とも、こっちだ!」

「森崎くん!?」

 

 エイミィが驚きの声を上げる。

 駆けてくる三人の向こうには、ライダースーツに身を包んだ四人組が倒れていた。

 彼女たちの抵抗に遭い、追いかけられずにいるらしい。

 

 ふいに、四人の内の一人が手袋を外した。

 素手になった左手をこちらへ差し出し、そして――。

 

「くそっ、これでも喰らえ!」

 

 直後、身体を内側から揺さぶられるような感覚に襲われた。

 悲鳴を上げて、ほのかたち三人が崩れ落ちる。

 

「……っ、これは、キャスト・ジャミングか」

 

 吐き気を堪えながら、どうにか倒れないように身体を支える。

 素手を露にした男の中指には、鈍色の指輪が嵌められていた。

 

 

 

 『キャスト・ジャミング』は対抗魔法の一種で、魔法の発動を阻害するサイオンノイズを周辺のイデアへ拡散させることで、エイドスを改変する魔法式の構築を邪魔することができる。

 

 その性質上、相手の使用する魔法に関係なく発動を阻害することができるが、発振されるサイオンノイズ自体が魔法師にとって不快なもので、使用者自身も魔法を使いづらくなってしまうという欠点がある。

 また、自身にも害があることから無意識の部分がサイオンノイズの発振を拒否するため、魔法師が自分の意思でこのサイオンノイズを作り出すことは不可能に近いと言われている。

 

 この為、通常の方法ではキャスト・ジャミングを発生させることはできないのだが、これを使えるようにするための例外があった。

 

 

 

「ふふ、苦しいか。魔法使い」

 

 四人組の一人が薄ら笑いを浮かべながら近付いてくる。

 キャスト・ジャミングの波動は、男が嵌めた指輪から発せられていた。

 

「この『アンティナイト』がある限り、お前らは一切魔法を使えない」

 

 キャスト・ジャミングを発生させることができる魔法鉱物。それがアンティナイトだ。

 あの男が嵌めている指輪は、アンティナイトを加工して作られたものなのだろう。

 

 だが、本来アンティナイトは軍事物資として扱われている。値段の高さもそうだが、通常のルートで一般人が入手することは不可能なはずだ。

 

「我々の計画を邪魔する者には消えてもらう。この世界に、魔法使いは必要ない!」

 

 つまり、こいつらは一般人ではなく、何らかの裏ルートに繋がった非合法組織。

 原作でも暗躍し、一高へ手を伸ばしていたテロリスト。

 

 『ブランシュ』――。こいつらはその一員か。

 

 吐き気をもたらすノイズの中、奥歯を噛んでCADを操作する。

 

 

 

 目の前で苦しむ彼女たちを守るため、

 原作(愛した世界)の女の子を守るため、

 対キャスト・ジャミング用の切り札を切った。

 

 使うことになる状況を想定し、わかりやすいキーを設定した魔法。

 前後不覚な状況でも手探りで使えるよう設定したキーを押し込む。

 『0』を3回。操作に反応して、CADが起動式を展開した。

 

 単純な2工程の起動式が無意識領域へと送られる。

 魔法の工程は収束と加速。対象は自身の体内に存在するサイオン。

 

 全身のありとあらゆる部位からサイオンが胸の中央に集まっていく。

 集めたサイオンを限界まで圧縮し、密度を高めたところで加速魔法を発動。

 中心から球状に出来得る限りの加速度を加え、爆発的なサイオンの奔流を生み出す。

 

 魔法式構築の要がない無系統魔法は、サイオンノイズの中でも効果を発揮する。

 

 

 

 結果、キャスト・ジャミングのサイオンノイズが吹き飛ばされた。

 

 

 

 爆風が吹き荒れた後に静寂が訪れる。

 

 澄み切ったイデアに気付いて、三人が顔を上げた。

 

 身体の芯から揺すられるような吐き気は、すっかり治まっていた。

 

 

 

「な、なんだ今のはっ!」

 

 非魔法師の相手も、キャスト・ジャミングが吹き飛ばされたのはわかったようだ。

 動揺を露にし、近付いていた足が止まる。

 

 精気の失われた身体からスッと力が抜けていく。

 思わず膝が折れそうになるのを耐えて、呆然と顔を上げた三人へ向かって叫んだ。

 

「走れ! 長くは保たない!」

 

 即座に反応したのはエイミィだった。

 跳ねるように飛び起きたエイミィは雫に目配せをすると、ダメージの大きかったほのかの腕を取って立ち上がった。

 雫もすぐに立ち直り、エイミィと一緒にほのかを支えて駆け出す。

 

「に、逃がすものか。もう一度だ!」

 

 四人組が一斉に手をかざした。

 アンティナイトが不協和音に似たサイオンノイズを発生させ、キャスト・ジャミングの波がこちらへ伸びてくる。

 

 迷うことなく、もう一度、同じキーを打ち込んだ。

 

 

 

 この魔法には大きな欠点がある。

 サイオンの消費量が尋常じゃないのだ。

 

 僕の保有サイオン量では、確実に使えるのは一回だけ。

 二回目は成功率が極端に下がる。3割あるかどうかだ。

 

 だが、ここで二度目を惜しめば後はない。

 

 

 

 賭けには――勝った。

 

「っ……ぁぁああ!」

 

 意識が遠のいていくのを、叫ぶことでどうにか支える。

 再度キャスト・ジャミングが吹き飛ばされ、立て続けに起きた予想外の事態に男たちがたじろいだ。

 

 三人が脇を通り抜けていく。

 心配げな目でこちらを見る三人へ空元気で笑って見せ、角を曲がる背を見送った。

 

 それが限界だった。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 膝が折れて崩れ落ちる。

 どうにか倒れ込むまいと力を込めるも、片膝立ちの状態から立ち上がれない。

 全身から力が抜ける。意識が遠くなり、音も聞こえづらい。

 

「ちっ、女には逃げられたか。まあいい。一瞬とはいえ、キャスト・ジャミングを無効化できるお前は我々にとって危険分子。お前だけでも始末できれば上々だろう」

 

 それでも間近に迫った脅威だけは感じ取れた。

 ぼやけた視界で、男が取り出したナイフを見据える。

 

 まだだ。まだ死ねない。

 

 ここで死んだらすべて無駄になる。

 決意も約束も誓いも、何一つ達成できていない。

 

 どうにかあいつらを無力化できれば。

 

 そう思い、ジャケット内側のホルスターへと手を伸ばす。

 拳銃型のCADを取り出し、頭上の相手へ向けようとして――。

 

「やらせるわけねぇだろ!」

「っ……!」

 

 胸を激しく蹴られ、後ろ倒しになった。

 CADが手から離れ、硬質な音が響く。

 鈍い痛みが湧き上がり、手足が痺れていくようだった。

 

 痛みのお陰で意識は寧ろ戻ってきて、けれど身体は鉛のように重く動かない。

 何か手はないか。何か、何か、何か……。

 

 迫る男と、手にしたナイフを見据えて考える。

 刃先が光を反射して鈍く輝いた。

 

 その時だった。

 

「当校の生徒から離れなさい」

 

 凛とした声が響いた。

 

 聞き馴染みのある声。

 すべてを凍らせる女王の声。

 

「いつの間に……。キャスト・ジャミングを使え!」

 

 先頭の男が喚き、四人が手をかざした。

 

「無駄です」

 

 しかし、キャスト・ジャミングは発動しなかった。

 いや、強力な干渉力に負け、彼女の設定した領域内に進入できないのだ。

 強い干渉力のみが張り巡らされた領域は、彼女を中心に周囲一帯を覆っていた。

 

「非魔法師のキャスト・ジャミングなど通用しません」

 

 『領域干渉』でキャスト・ジャミングを無効化して見せた深雪は、携帯端末型のCADを操作した。

 対象を直接振動させる魔法が、四人の男へ脳震盪を与え、男たちは呻き声を漏らしながら倒れる。

 

 深雪の手により危機が去ったことを、僕は倒れたまま噛み締めた。

 

 

 

 

 

 

 テロリスト四人が倒れたところで、駆け寄ってくる足音が聞こえた。

 

「森崎くん!」

「大丈夫?」

 

 ほのかとエイミィに起こされ、雫に安否を問われた。

 

「……ああ。大丈夫」

 

 どうにかそう答え、立ち上がろうとする。

 だが未だに力が入らず、路面に座り込む形になった。

 

「無理をしないでください」

「すまない……。司波さん、助かった。ありがとう」

 

 物憂げな顔の深雪に座ったままで頭を下げる。

 深雪は「いえ……」と何やら歯切れ悪く応えた。

 

 若干の違和感を覚えつつ、ほのか、エイミィ、雫の順に目を向ける。

 

「三人も、無事でよかった」

「君のお陰。本当にありがとう」

「助けに入っておいて助けられてちゃ、世話ないな……」

 

 自嘲するように頭を掻くが、三人は首を振って礼を重ねてきた。

 このままではキリがないなと思っていると、深雪が気を取り直した顔で口を開いた。

 

「とにかく、まずはここを離れましょう。この人たちは気絶させただけだし、いずれ監視システムに発見されると思うから」

「警察に通報した方がいいかな?」

 

 雫の反問に、深雪は悩ましげな表情を浮かべた。

 

「……ちょっと大事にしたくない事情があるのだけど。でも、被害者であるみんなが訴えたいなら止めないわ」

「ううん。必要ない。監視カメラにも撮られてないみたいだし」

「そう。ありがとう」

 

 雫の答えに、深雪は嫋やかに微笑んだ

 

 大事にしたくない、ね。まあ彼女の家のことを考えれば当然か。

 一人で納得していると、エイミィが「はいはーい」と手を挙げる。

 

「とりあえず、まずはどこかで森崎くんを休ませないと」

「そうだよ。お仕事中、なんだよね。ご家族に連絡とか……」

「いや、大丈夫だ」

 

 焦る二人に苦笑いで応える。

 と、雫が心なし沈んだ表情で引き継いだ。

 

「でも、そんなに苦しそうなのに」

「これはサイオンの枯渇による一時的な症状だ。少し座っていれば治る。それより、みんなは早めに帰った方がいい。いつ連中の仲間が駆け付けないとも限らない」

 

 捲し立てるように言って、彼女たちを言い包める。

 

 実際、車に戻って休んでいれば良くなるのだ。

 寿恵さんには迷惑を掛けることになるが、あの人のことだ。女の子を守った名誉の負傷だ、とでも言えば笑って許してくれるだろう。

 

「森崎くんはどうされるのですか?」

「近くに家の車が止めてあるから、そこで休むつもりだ」

 

 深雪の問いに、仕事中だからねと添えて答える。

 それでようやく納得したのか、ほのかたちは息を吐いて顔を見合わせた。

 

「そっか。それじゃあ、私たちは退散しよう」

「そうだね。ちょっと疲れちゃったし」

「深雪、森崎くん。またね」

 

 口々に言って、足早に去っていく三人。

 

「ええ。また」

「また月曜日に」

 

 ほのかと雫、エイミィの三人を見送った後には、深雪だけが残った。

 なんとなく気まずい間が生まれ、居た堪れなくなって声を掛ける。

 

「さあ、司波さんも」

「はい。ですが、その前に一つだけ伺いたいのですが」

 

 振り返った深雪は、まるで好奇心に駆られた子供のような表情だった。

 柔らかい笑みを湛え、弾むような声音で、けれど目の奥だけが笑っていなかった。

 

「先程のキャスト・ジャミングを無効化していた魔法、あれはどこで?」

 

 身震いしなかった自分を褒めてやりたいと、心底思った。

 彼女と、彼女の兄の秘密を知っているからこそ、あの魔法を見られればツッコまれることは予想していた。

 

「父の伝手でアンティナイトを体感する機会があったから、それを機に編み出した」

 

 事前に用意していた回答を口にする。

 あまり知られていない魔法ではあるが、資料があるのは間違いないのだ。

 

「とはいっても一時凌ぎにしかならないし、何度も使えるわけじゃない。本来は逃げる時間を稼ぐための魔法に過ぎないんだけどな」

 

 最後を苦笑いで締めくくると、深雪は少し思案し、それからスッと腰を折った。

 

「……そうですか。ごめんなさい。マナーに反することを訊いてしまって」

「構わない。疑問に思うのも尤もだ。とはいえ、他言はしないでもらいたいんだが」

「ええ、もちろん」

 

 ニッコリと微笑む。

 笑顔の裏では、さっきの説明も含めて兄に報告すべき事項が刻まれているに違いない。

 

「それでは、私もこれで」

「ああ。気を付けて」

 

 優雅に一礼して立ち去る深雪を見送る。

 傍目には可憐そのものな後ろ姿が路地の向こうに消えたのを見て、深いため息を吐いた。

 

「バレてる、よなぁ……」

 

 少なくとも、深雪の話を聞いた達也であればたどり着くに違いない。

 キャスト・ジャミングを吹き飛ばした魔法が、『術式解体(グラム・デモリッション)』の応用であることに。

 

 また一段階達也からの警戒度が上がることを予想して、もう一度大きなため息を吐いた。

 

 

 

 

 




 
 
 桐邦寿恵のCVイメージ:初井言榮さん(ラピュタのドーラ)

 

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