モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
大変長らくお待たせしました。
◇ ◇ ◇
「お顔を拝見するのは初めてでしたね、森崎駿くん。その後、お加減はいかがですか?」
その一言と共に達也、渡辺先輩、七草先輩の視線が集まった。
思いがけない状況に全身が凍え、読み込み途中だった起動式が崩れてしまう。何を言われたのか理解するまでに一瞬の間が空き、廊下には息の詰まる緊張感がたちこめた。
周公瑾と関わったことはない。顔を合わせたことはおろか、言葉一つ交わした覚えもない。
知り合いのような態度を取られる謂れはないはずなのだ。少なくとも僕が知る限りは。
一方的に知られていたというだけなら納得はできる。大亜連合軍とのコネを持つ周公瑾なら沖縄の一件で僕が捕まっていたことを把握しているかもしれない。連中が本当に僕を狙っているのなら多少の手札にはなるのだろう。
久沙凪煉から聞いたという可能性も考えられる。彼にとって僕は仇敵で、協力関係にあるのなら情報提供などもしているはずだ。
考えてみれば、春に一高を襲撃したブランシュは周公瑾の主人が作った組織だ。あの一件に久沙凪煉が加わっていた以上、それ以前から周公瑾との間に繋がりがあったとしても不思議じゃない。あの日あの場所に現れた理由をもっと深く考えるべきだった。
「……何を言っているのかわからないな。そちらがどこの誰なのか、僕は知らないが」
「これは失礼を致しました。場を弁えぬ発言、お許しください」
ようやく絞り出した言葉に、周公瑾は余裕の笑みで応える。
あっさりと引き下がる姿は寧ろ疑念を掻き立てるようで、向けられた視線から鋭さが無くなることはなかった。
締め付けられるような緊張感の中で考える。
周公瑾は何の目的で旧知を騙っているのだろうか。
相手が僕を知っていたというのはまだ理解できる。だが、わざわざ知り合いを装う理由は何だ。何が目的で友好的な態度を見せている。
仮に僕へ疑いの目を向けさせるのが目的だとして、それで相手に何の利益がある。仲違いを狙っているのだとしたら買い被りもいいところだ。達也はもちろん、七草先輩と渡辺先輩のどちらにも逆立ちしたって敵わない。
気味の悪い沈黙を破ったのは渡辺先輩だった。
「まあいい。どのみちここで捕えるのは同じだ。何が嘘で何が真実なのかは――」
言いながら、彼女は左手で自身のスカートを叩く。
膝下丈のスカートが大きく捲れ上がり、焦げ茶のレギンスに包まれた脚線美が露わになる。スラリと長い脚の左ももにはホルスターが巻かれていて、渡辺先輩はそこから20cmほどの角棒を抜き放った。
「後でゆっくりと吐かせればいい」
振り下ろす動作に合わせて角棒から短冊形の刃が2枚飛び出す。ワイヤーで柄と繋がれた刃は間もなく張力に引かれ、刃渡り40cmほどの直刀を形成した。
渡辺先輩が臨戦態勢を取ったのに併せて達也と七草先輩も各々CADを手に取る。
三人の視線が正面へと戻り、心臓を締め付けていた緊張が僅かに解れた。浅く息を吐いて気を取り直し、再度CADの銃口を周公瑾へと向ける。
決して信用されたわけではないだろう。後で説明を求められるのは間違いなく、それで納得してもらえるかはわからない。
特に達也は僕と無頭竜との繋がりを疑っている節があり、関本先輩の始末に来た周公瑾と何らかの関係を認めたら最後、彼と妹にとっての障害物と判断するかもしれない。
「あちらさん、えらいやる気になってますけど、どうします?」
「彼と事を構えたくはないのですが。大人しく見逃してくれそうにもありませんね」
久沙凪煉と周公瑾の余裕は依然として崩れない。
挑発のためか、あるいは油断による態度か。後者だとすれば好都合だ。
達也と先輩たちの誤解を解くためにも、また今後の不安要素を取り除くためにも、ここで周公瑾と久沙凪煉のどちらか一方だけでも押さえておきたい。多少無理をしてでも撃破に努めるべきだろう。
或いは、
決めた傍から精神の内側に意識を向け、刻印術式へサイオンの糸を伸ばす。
古式の魔法師が『霊体』と呼ぶ器の真ん中、ガラス玉に似た塊へ向けて潜っていき、無数の紋様が刻まれたそれに触れる、その間際――。
「森崎、お前は真由美のガードに徹しろ」
沈む意識の外側から窘める声が聞こえた。
思いがけない指示に注意を引かれ、感覚が水面へと浮かび上がる。
漏れ出た息で呼吸の乱れたまま、顔だけを声の主へと振った。
「ですが……!」
食い下がろうと踏み出した一歩は渡辺先輩の視線に止められた。
手を出すなと言わんばかりの眼差しで、意図が読めず口を噤む間に彼女は前へと向き直る。
「達也くんはスーツの男を頼む」
頷いた達也が渡辺先輩の隣へ並び、入れ替わりで七草先輩が後退してくる。相手を見据えながら後ろ向きに歩いてきた彼女はそのまま僕の陰へと隠れるようにして囁いた。
「そういうことだから。前は二人に任せましょう」
ちらと覗いた先で七草先輩は訳知り顔を浮かべる。渡辺先輩の強気な態度といい、何か考えがあるのかもしれない。
「……わかりました」
迷った末に頷く。久沙凪煉と周公瑾の厄介ぶりは承知していても、ここで先輩二人を説得できるとは思えなかった。渡辺先輩の剣幕を見る限り、奥の手があることを伝えても翻意させることは難しいだろう。時間を掛ければ可能かもしれないが、今はそんな余裕もない。
こちらの首肯を見た七草先輩は小さく笑みを浮かべ、それからすぐに口元を引き締めた。僕も視線は正面に固定したまま、軽く深呼吸をして意識を切り替える。
手出しを禁じられた以上、僕は僕のやるべきことに集中するだけだ。庇い守ることには経験も自負もある。『森崎』の家名を負う者として、求められた役割を全うしよう。
「奴らは姿を
忠告と共に渡辺先輩と達也が駆けだした。
久沙凪煉が仕込み刀を抜いて前に立ち、周公瑾は廊下の向こう側へ逃走を開始。させないとばかりに進行方向の斜め上方へ七草先輩の魔法式が展開する。
頭上へ生じた魔法に対して、周公瑾は胸元からハンカチのような白い布を取り出した。一瞬の内に広がった布は鉄板のように固まり、撃ち出されたドライアイスの弾丸を易々と弾く。原作でも描写されていた周公瑾の古式魔法だ。
続く魔法式は射出角度の異なる三か所に展開された。次々に撃ち出される《ドライ・ブリザード》の弾丸を周公瑾は軽やかなステップと白布の盾で捌くものの、進行方向を遮る形で降り注ぐ氷の雨を前に自ずと進行が止まる。
周公瑾が足を止めた瞬間、剣士二人が一合交える横を達也が駆け抜けていく。
すかさず達也の進路上に久沙凪煉が立ち塞がり、手にした刃を腰だめに構えた。振り抜かれる軌道上には渡辺先輩と僕たち後衛までもが含まれていた。
「失礼っ!」
剣が横薙ぎに振るわれる間際、手を伸ばしたままの七草先輩を抱えて倒れ込む。
ナイフで抉られたような痛みが左肩に走り、耳元でも短い悲鳴が上がったが、七草先輩の声音に痛みの色はなかった。
左腕で先輩を抱えたまま背中から床に落ちる。落下の衝撃で詰まりかけた息を吐き出し、疼痛の残る左手のCADを操作。慣性制御と加速系統の魔法を読み出し身体を強引に引き起こした。
右手のCADを顔の前に持ち上げ、七草先輩の頭越しに状況を確認。どうやら達也も渡辺先輩も先程の斬撃を無事にやり過ごせたようだ。渡辺先輩が久沙凪煉に攻めかかる向こうで、逃げる周公瑾を達也が追っている。
瞬く間に距離の詰まる中、周公瑾は足を止めることなく肩越しに振り返った。
「
振り向くと同時に周公瑾が母国語を叫ぶ。手には札のような物が握られていて、直後、札の表面から何かが飛び出した。炭で塗り潰したようなそれは獣の姿を
足元から迫る影の獣。サイオンの塊で出来た化成体を達也は即座に《術式解体》で粉砕したものの、射線の脇から更なる影が這い寄る。取り囲もうと迫る獣を次々に撃ち抜いていく一方で、鋭利な牙を避けながら周公瑾を追う余裕はさすがの達也にもなかった。
「七草先輩!」
解放した先輩へ呼びかけながら《空気弾》の起動式を読み出す。達也の頭上へ展開させた魔法式はしかし、効果を発揮するより早く二つに裂かれてしまった。魔法式を斬って無効化する久沙凪煉の剣技だ。
一方の久沙凪煉も余裕があるわけではないようで、余所見をした隙を渡辺先輩に突かれ間合いを詰められている。精神に干渉する斬撃も刀を振り抜けなければ効果を及ぼせないのか、至近から斬りかかる渡辺先輩を前に攻めあぐねているようだ。
渡辺先輩と久沙凪煉の戦いは見た限り互角。
しかし障害のなくなった周公瑾はまもなく突き当りへ辿り着こうとしていた。
振り向いた七草先輩が手を伸ばす先で周公瑾の背中が角の向こうへと消える。
それでも《マルチ・スコープ》によって視界を遠方へ運べる先輩からは逃げられないはずだが、CADに添えられた彼女の指は止まったまま動くことはなかった。
「……見えなくなっちゃった。これがあの人の隠形なのね」
悔しげに漏れる声が状況を物語る。恐らくは角を曲がったタイミングで姿を見失い、それをきっかけに隠形の術中へ陥れられたのだろう。
周公瑾の用いる《鬼門遁甲》は自身を探す者の目を逸らす魔法で、既に見られている状況では効果を発揮しない。反対に一瞬でも視界の外に出ることができれば術者の姿を見つけることはできなくなり、だからこそあの男は角を曲がるまで隠れることができなかった。
黒い獣を撃ち消した達也が周公瑾を追って廊下の角を曲がる。
『精霊の眼』を持つ達也はほとんどの場合敵を見失うことはないが、《鬼門遁甲》を扱う相手に対しては原作でも非常に苦戦していた。能力に磨きの掛かった三年生時ならともかく、今の彼が追いかけた先で周公瑾を捕らえられるかどうかはわからない。
或いは七草先輩が妨害を続けられていれば逃げられずに済んだだろう。左肩を抉ったあの見えない斬撃も先輩には効果を及ぼさなかったようだし、盾になっていれば彼女が目を離すことはなかったはず。外傷で物理的に動けなくなるならともかく、
「――ハッ!」
深みに嵌りかけた思考が渡辺先輩の
そうだ。後悔している暇はない。周公瑾こそ取り逃がしたが、久沙凪煉はまだここにいる。
改めて七草先輩を背に庇いつつ機を窺う。
渡辺先輩の打ち込みを逸らす久沙凪煉は一見すると防戦一方に思えるものの、その実こちらからの射線上に先輩を置き続けていた。距離も付かず離れずを保っていて、巻き込む可能性を考えると七草先輩でも簡単には援護の魔法を撃つことができない。
斥力の刃を器用に捌きながらじりじりと後退する久沙凪煉。
けれど渡辺先輩が――十師族の直系二人と並び称される彼女が易々と逃亡を許すはずもなかった。
不意に三節刀を左手へ持ち替えた渡辺先輩が空いた右手を背中へと回す。
左手を振り下ろす動作と共に短冊の一枚が先端から抜け、《圧斬り》を凌いだ久沙凪煉の背後へと回り込んだ。
剣士の斜め後方で止まった短冊はそのまま糸で引かれたように久沙凪煉の背中へ迫り、壁際へと避けた相手の脇を通過して柄へと戻る。
剣の先端だけが背後から襲い掛かった驚きで久沙凪煉の足が止まる。
瞬間、渡辺先輩が右手を突き出した。
掌から撒かれたのは黒い粉塵。薄い煙のように広がったそれは瞬く間に発火し、後方へと跳んだ渡辺先輩と久沙凪煉の間に炎熱の壁を作り上げる。
咄嗟に左手で顔を庇った久沙凪煉は火傷こそ負わずに済んだものの、チャンスを狙う狙撃手の前で決定的な隙を晒すことになった。
二人の間合いが離れた瞬間、久沙凪煉の頭上へ魔法式が出現。V字を描くように展開された三つの魔法式は内二つが効果を発揮する前に両断されたものの、最後の一つは魔法式の記述通りにドライアイスの弾丸を放出した。
対処しきれずに撃ち出された氷弾を辛うじてやり過ごす久沙凪煉。
目を逸らし、無防備に晒した背中へ、渡辺先輩の秘剣が襲い掛かる。
柄に固定されていた短冊が二枚とも空中へ放たれた。
魔法によって制御された刃は久沙凪煉を挟み込むように左右から迫り、同時に《圧斬り》の刃を纏ったワイヤーが気迫の声と共に振り下ろされる。
頭上と左右の三方から襲い来る刃を前に、振り返ったばかりの久沙凪煉は細い目を大きく見開く。上段からの一刀を避け、右の短冊を剣で弾いたものの、左の刃までもを凌ぐことはできなかった。
胴を庇った左腕に刃が深く食い込み、多量の血が床へと広がる。
堪らず膝を折った久沙凪煉は力の抜けた左手をそのままに、眼前へ突き付けられた刃を見上げていた。
「……君ら、えらい強くて敵わへんわ。ほんまに高校生なん?」
ぽつりと呟いた久沙凪煉が剣を床へと放り投げる。
そのまま右手で左手の傷を押さえ、真意の読めない笑みで渡辺先輩を見上げた。
「にしても、さっきのは《ドウジ斬り》やんな。お嬢ちゃんが自分で考えたん?」
何気なく放たれた言葉に渡辺先輩の肩が僅かだけ揺れる。
「だとしたら、何か問題でも?」
「別になんも。けどまあ、爺さまが知ったら、えらい喜んどったやろなぁ」
突き放すような反問に、久沙凪煉は肩を竦めて見せた。
傷口を押さえた手の下からは血が流れ続けていて、口元の微笑は変わらないものの額には脂汗が滲んでいる。以前のような倒されたふりではないのだろうか。
渡辺先輩も似たような警戒を抱いているのか、剣先は喉元へ突き付けたまま周囲へ何かの粉を振り撒いた。魔法で拡散された粉は一帯へと散り、十秒ほど滞留した後で再び先輩の手元に集まる。
集積した粉を容器に戻す姿を見てようやく彼女が何をしたのかがわかった。
柔軟な発想と精緻な技術に息を漏らす間、容器ごと懐へ収めた渡辺先輩は我慢ならないとばかりに問いかける。
「……なぜ隠形を使わなかった」
声には疑念と同じくらいの苛立ちが滲んでいた。背中を見ているだけのこちらにも判る迫力で、渡辺先輩の抱える激情がどれだけ大きいか察せられる。
「あれを使えば逃げるのは簡単だったはずだ。それとも、使うまでもないと思ったか?」
手抜きを咎める言葉に、久沙凪煉は苦笑いを浮かべて応じた。
「そら君らだけならそうかもしれへんけどな。色んなセンサーがぎょうさん見張ってるとこから逃げるんは簡単やあらへんねん。
疲れたとばかりにため息を吐いて、久沙凪煉がちらと背後を振り返る。
促されるままに目を向けると、ちょうど達也が廊下の角を曲がってくるところだった。小さく首を振っているのを見る限り周公瑾には逃げられてしまったらしい。
「仕事……。なら、春に一高を襲ったのもさっきの人の指示だったのかしら?」
続いて七草先輩が訊ねるも、久沙凪煉は何の反応も示さなかった。
蛇に似た眼は追い詰められても尚変わることはなく、じっと渡辺先輩へ向けられている。口元の笑みも一層深くなるばかりで収まることはなかった。
「だんまりか。まあいい。取り調べの時間はいくらでもある」
絡みつく眼差しを断ち切るように言った渡辺先輩が達也へとアイコンタクトを送る。
意図を察した達也がボディチェックを行う間、渡辺先輩が突き付けた刃を逸らすことはなく、対する久沙凪煉も表情を変えることはなかった。
その後、駆け付けた警備職員によって久沙凪煉は連行された。
抵抗する素振りもなく、職員の命令へ素直に従う姿はいっそ捕まることを望んでいるようにすら見えた。最後まで口元の笑みが消えることはなく、ただ切れ長の目が時折こちらへ向けられるだけだった。
後始末に残った職員が現場の証拠映像を撮っている横で簡単な事情聴取を受け、先に話を終えていた三人のもとへ。
七草先輩は窓際で誰かと通話をしていて、反対の壁際には物言わず佇む達也の姿。そして渡辺先輩はじっと戦闘のあった通路の方を見つめていた。
「一応訊いておくが、森崎、さっきの男とは知り合いか?」
ふと渡辺先輩が背中を向けたまま訊ねてくる。表情を窺うことはできず、声音も平坦で真意はわからない。だがさっきの剣幕を見る限り、ただの確認というわけでもないのだろう。
どうあれ僕に返せる答えは一つしかない。
「いいえ。会ったことも話したこともありません」
「ならやっぱり私たちを動揺させるために言ったことだったのね」
横合いから通話を終えた七草先輩が近付いて来て、安心したような笑みを浮かべた。
表情や仕草は自然だが、これだけで納得するほど彼女は単純な生い立ちではない。恐らくこの態度は僕ら三人へ向けたポーズだろう。この場でこれ以上問うことはしないと示し、渡辺先輩や達也にもそれを促しているのだ。
事実、二人は七草先輩の言葉に同意も反対もしなかった。
そのまま当初の目的通り関本先輩の収監された部屋へと向かい、渡辺先輩が関本先輩を尋問する様子を傍聴した。
学校へ着く頃には先輩たちの様子も表向きいつも通りに戻っていて、一連の件の口止めを受けた以外には何を言われることもなかった。
帰校の報告を終え、風紀委員本部を出た後も言葉はなく、
結局、最後まで達也から何かを訊かれることはなかった。