モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

92 / 151
 
 
 
 
 


第19.5話

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

 10月25日、火曜日。

 横浜侵攻作戦の決行日が週末に迫る中、ジャスミン・ウィリアムズとジェームズ・ジェフリー・ジョンソンの二人は都内の一角で必死の逃亡を余儀なくされていた。

 

 陽動の役割を請け負ってから一カ月余り。内閣情報管理局が差し向けるエージェントの数と質は目に見えて増している。二人の魔法への対策も徹底され、逃げ隠れを続けるのは容易ではなかった。

 

 今も出来る限りの速度で路地を駆けているものの、追手の気配が遠ざかることはない。先回りされていることも多々あるので居場所はマークされていると考えるべきだろう。このままでは近いうちに捕まってしまうと、二人ともが理解していた。

 

 期日には少し早いが、周に連絡を取り残りの期間は中華街に身を隠そう。

 そうして潜伏先を出た二人は連絡係に伝言を任せ横浜へ向かったものの、県境を前に内情のエージェントに捕捉され、狭い路地を駆けまわる羽目に陥っていた。

 

「しつこい奴らだ。ジャズ、撃退はできないか?」

 

 全速力での走行と慣性制御に眉を寄せながら、ジョンソンは肩へ担いだ同僚へ問いかける。後ろ向きに抱えたジャズからは追手が見えているはずで、高速で動く相手にも問題なく魔法を当てられる技量があることは、長年コンビを組むジョンソンもよく知っていた。

 

 期待を寄せた問いに対し、返ってきたのは苛立たしげな声だった。

 

「できるならとっくにやっている! くそ、どうなっているんだ。揃いも揃って《オゾンサークル》どころか放出系も移動系も効果がないなんて」

 

「またか。どこから引っ張ってきたのか知らないが、随分と優秀なお()りが居るらしい」

 

 歯噛みするジャズをちらりと覗いて、ジョンソンは悪態を吐きながら路面を強く蹴る。

 

 追われる側の二人には知る由もないが、この一カ月間の逃亡劇では内情側も相当に頭を悩まされており、ジャズの操る《オゾンサークル》への対策が徹底されたのはなりふりを捨てた上層部が国防軍情報部へ援助を求めた結果だ。

 

 組織の垣根を超えた救援要請に、国防軍情報部は最良の人材を派遣した。

 

 『鉄壁』の異名を取る十文字家と並び、個人警護に特化した防壁で国家に貢献する師補十八家の一角――『十山(とおやま)家』。

 中でも長女の十山つかさは次期当主であり、実質的なナンバーワン。国防軍情報部首都方面防諜部隊に所属する彼女が後援に付いた時点で、魔法による撃退は極めて難しくなったと言えるだろう。

 

 強固な盾を得たことで迷いなく迫るエージェントたち。防壁魔法は拠点に控えた十山つかさが生み出したもので、彼ら自身は自己加速と攻撃に集中することができる。

 対する二人は反撃を封じられたまま、体格も身体能力も劣るジャズはジョンソンの肩に担がれ、時速60キロで狭い路地を縫うように駆けることでどうにか追手から逃れている状況だ。

 

 捕まらずにいるのは運に恵まれていたからで、それもいつまでも続くはずがなかった。

 

「――っ、囲まれたか!」

 

 路地の先にエージェントの姿を認め、ジョンソンは舌を打って立ち止まる。

 元来た道を戻ろうにもスーツの集団は後ろからも迫っていて、前後を挟まれた二人に逃げ道はない。両脇の建物はどれも2、3階建てで飛び越えるための足場にするには心許なく、何よりそんなことを相手が許してくれるはずもなかった。

 

 足を止めた二人へ、自己加速を解いたエージェントがじりじりと迫る。

 一か八か強行突破へ踏み出そうかとジョンソンが考えたその瞬間、二人のすぐ近くの塀が扉のように開いた。

 

「こちらへ!」

 

 誘われるまま、反射的に声の方へ身を翻す。

 相手の正体を確認する余裕もなく、開いた隙間に身体を滑り込ませたジョンソンの背後で壁が閉じた。石の擦れる音に続いて打撃音が響き、次いで焦ったような怒号とサイオンの干渉波が届く。どんな手段を使ったのかはわからないが、エージェントたちは壁を開くことも壊すこともできなかったらしい。

 

 小さく安堵の息を漏らすジョンソン。

 一方のジャズは並走する相手の横顔へ問いかける。

 

「初めて見る顔だ。しかもその恰好……。本当に組織の人間か?」

 

 二人を救ったのは壮年の男だった。顔立ちは紛れもなく日本人のそれで、仕立ての良いスーツを見事に着こなしている。

 これまで仲介を受けた無頭竜の構成員は皆2、30代の若者で服装も民間人に溶け込むようなものだった。対する目の前の男はこれまで見てきた構成員の特徴と見た目も雰囲気も大きく異なっている。

 

 警戒心を高める二人に対して、男は落ち着き払った声で応じた。

 

「我が主より、お二人に助力せよとの申し付けを受け参りました」

 

 外見から考えて50代半ばくらいだろう。その割に足音は軽やかで淀みなく、息の切れない様子からも相当な鍛錬を積んでいることが窺える。恐らくは現役の実戦魔法師だ。

 

名倉(なくら)と申します。以後、お見知りおきください。ジェームズ様、ジャスミン様」

 

 それが十師族『七草家』に雇われた男の名前だということを、この時の二人が知るはずもなかった。

 

 

 

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

 

 

 

 内情と国防軍情報部がオーストラリア軍魔法師を追っていた日の3日後。

 論文コンペの本番を翌々日に控えた金曜日の夜、自宅のリビングで寛いでいた達也と深雪のもとへ、独立魔装大隊の藤林響子から電話が掛かってきた。

 

 秘匿回線でのコールを見て、傍らにいた深雪はすぐにソファを立つ。

 聞き分けよく自室へ向かう妹へ笑みを向けた達也は、扉が閉まるなり表情と姿勢を改め、照明を落として通話を取った。

 

 ディスプレイに現れた響子は険しい表情を浮かべていて、朗報でないことは一目でわかった。

 

『――以上が、スパイ拘束作戦の結果概要です。せっかく情報をくれたのに吉報じゃなくてごめんなさいね』

 

 一通りの説明を終えた響子が眉を顰めたまま目を伏せる。

 同じ少尉階級とはいえ、年齢も序列も彼女の方が上だ。軍務上の話ではあれ、目上の相手にこうまでへりくだられるのは達也としてもやり辛く感じざるをえなかった。

 

「いえ。こちらこそ僅かな情報しか提供できず。すみません」

 

 話を先へ進めるためにも、達也はそう言って浅く腰を折る。

 実際、達也が響子へ渡した情報はスパイの居所に直接繋がるものではなかった。たまたま参考になりそうなデータが転がり込んできただけで、裏取りや分析は響子に任せきりだったのだ。

 

 詰めが甘かったと自省する一方、響子の表情を持ち直させることには成功した。

 

『達也くんが謝る必要はないわ。尻尾を掴めずにいたのはこちらも同じだし、連中を取り逃がしたのも戦力を誤認していたのが一番の原因だから』

 

「それほどの手練れがいたのですか?」

 

 響子の説明に達也が顔を上げる。

 

 先日の八王子特殊鑑別所の一件では久沙凪煉を捕縛することに成功したものの、その後の取り調べは難航している。何を訊いても不明瞭な回答が返ってくるだけで、まるで記憶喪失にでもなったような状態に陥っていると、鑑別所を再訪した真由美から聞いていた。

 煉の状態が敵側の隠蔽工作であることは間違いなく、参考人の口を封じられた以上、逃亡した若い男や裏に潜む工作員の情報は何も得ることができない。接触のあったであろう関本と浅野についても同様で、敵方について判明していないことは多々あった。

 

 敵戦力の規模や部隊の構成員はその最たるものの一つ。

 想定外の強敵が居たとなれば、作戦の成否をひっくり返されても不思議ではない。

 

『大亜連合軍の中でも要注意戦力の一人よ。名前は呂剛虎(リュウカンフウ)

 

 響子の口から語られた名前に、達也は思わず唸りを漏らした。

 

「呂剛虎――『人喰い虎』ですか。随分と大物ですね」

 

『死者が出なかったのが幸いね。その代わりに隊長の陳祥山(チェンシャンシェン)を始め、半数以上の工作員には逃げられてしまった。設備も壊されてしまった後でデータの回収はできないし、痛恨のミスだったわ』

 

 呂剛虎といえば対人近接戦闘では世界屈指の実力を持つとされる男だ。生半可な戦力では返り討ちに遭うのも明白で、犠牲者が出なかったのは寧ろ戦果とすら言える。

 

「よく抑え込めましたね。隊から誰か派遣していたのですか?」

 

 独立魔装大隊の中にならそれが可能な人間もいる。隊長の風間は言わずもがな、白兵戦に秀でた柳なら渡り合うこともでき、耐え凌ぐだけなら他にも可能な者はいるだろう。

 

 しかし、達也の推測に響子は首を振って答えた。

 

『いいえ。潜伏場所の候補を絞り込んだのは私だけど、実際に特定して捕縛へ動いたのは警察よ。呂剛虎に対処したのは多分、千葉の御曹司ね』

 

 一瞬だけ、エリカの姿が脳裏に浮かぶ。百家本流、『数字付き(ナンバーズ)』の一角に数えられる千葉家出身の彼女には二人の兄がいたはずだ。

 呂剛虎ほどの豪傑に対抗したとなればまず天才剣士と名高い次兄の名が浮かぶが、わざわざ御曹司と呼んだからには長兄の方だろう。

 

「御曹司というと、千葉寿和氏ですか。世間的に評価されているのは次兄の修次氏ですが、爪を隠しているのかもしれませんね」

 

『そこまで計算高いタイプには見えないけれど』

 

 響子の口元に小さく笑みが浮かぶ。

 ただの苦笑ではないどこか呆れたような微笑みに達也は「おや?」と目を細めた。本音を隠すのが巧みな響子にしては珍しい表情で、それだけ思うところがあるのだろう。

 

 まったく興味を惹かれないわけでもないが、当然詮索することはなく。

 達也はふと思いついた風を装って話題を切り換えた。

 

「そういえば、聖遺物(レリック)の件はどこから漏れていたんですか?」

 

 事態がひと段落したら訊ねようと考えていたことだ。

 なにせ達也自身も小百合が訪ねてくるまで知らなかった代物にもかかわらず本社から自宅までの間に尾行が付いており、場当たり的な判断とは思えない襲撃を受けた。何処かから漏れた情報を基に狙われたと考えるのが自然だった。

 

『お恥ずかしい話だけど、軍の経理データが漏洩していたのね。それで軍から魔法研究の委託費支払いがあった先が片っ端から狙われたみたい』

 

 呆れを隠す気もないため息に自ずと苦笑いが浮かび、次いで違和感が首をもたげる。

 

「周到に潜入していた割にやり口が大雑把ですね。もちろん『無頭竜』の手引きあってのことなのでしょうが」

 

 風間から聞いた話によれば、大亜連合の工作員はおよそ2カ月前から少数ずつが潜入していたのだとか。時期も方法もバラバラで、その所為で警察も内情も国防軍情報部も揃って気付くのが遅れてしまい、未だ行方を掴み切れずにいる。

 

 潜入と潜伏には細心の注意を払っておきながら、肝心の奪取計画には粗が目立つ。

 聖遺物自体もその後狙われている印象は薄く、FLTの開発第三課へ預けて以来襲撃やハッキングがあったという報告は受けていない。化成体による監視も確認できず、本気で奪う気があるのかすら疑わしい状況だ。

 

『隊長も同じことが引っ掛かっているみたい。だから今、改めて連中の狙いを探っているところよ。捕まえた工作員への尋問も行われているし、近いうちに判ると思うけど――』

 

 そこまで言ってから、響子は不意に表情を改める。

 真剣な眼差しがディスプレイの向こうから伸びてきて、達也も自然と後ろ手を組んだ。

 

『もしものときは、達也くんの力を貸してもらうことになるかもしれない』

 

「無論です。任務とあれば、否やはありません」

 

 迷う素振りのない返答に、響子は口元を和らげた。

 

『日曜日、頑張ってね。応援してるから』

 

 知人としてのエールを最後に通話が途切れ、目礼する達也の前でディスプレイが暗転。

 響子との通話を終えた達也はため息を漏らしながらソファへ腰を下ろす。深く体重を預けるような動作には疲労の色が滲んでいた。

 

 突然代役を振られた論文コンペの準備に始まり、現代技術では分析も複製も難しい聖遺物の解析やそれを狙う産学スパイへの対処、駿と無頭竜との繋がりの真偽を探るなど、多忙を極めた日々にはさすがの達也も気疲れを避けられなかった。

 

 考えるべきはそれだけではない。

 スパイの拘束が失敗に終わったと聞かされ、胸裏の疑念は深まる一方だった。

 

(呂剛虎の存在は確かに誤算だが、データを破棄する猶予があったというのはどうも腑に落ちないな)

 

 響子の話によれば、警察による摘発に事前の勧告はなかった。

 秘密裏に潜伏場所を突き止め、予告なく踏み込むことで工作員の身柄と証拠を取り押さえる算段で、計画通りであればデータを破棄される前に差し押さえられたはずだ。

 

 事実、潜伏場所と思われる場所の特定はできていた。

 問題はそこに強力な魔法師が待ち構えていたことだ。

 

(待ち伏せされていた? いや、戦力を低下させるのが目的ならともかく、工作員が正体を露見させるメリットはない。気付いた時点で早々に潜伏場所を変えたはずだ)

 

 どれほどの遣い手であっても、対策を用意した集団には敵わない。

 広く魔法の認知された現代でそれは常識であり、覆せる個人はほとんど存在しない。達也自身、《分解》への対策を取られてしまえば決定打は失うことになるだろう。

 

(雲隠れするほどの余裕はなかった。直前で気付き、撤退する時間を稼ぐため呂剛虎を殿(しんがり)に残したのか?)

 

 敢えて正体を晒す利点はない。

 それを前提とすれば必然的に呂剛虎が立ちはだかった理由も想像でき、理由が解ればその発端となった要因も推測できる。

 

(時間を稼ぐ必要があったのはデータや証拠の抹消が終わっていなかったからだろう。だとすれば連中が奇襲を察知したのは踏み込まれる直前。複数ある拠点のいずれかから報せを受けたタイミングだ)

 

 しかし、と達也は自身の推論を否定する。

 

 呂剛虎と陳祥山が潜んでいたとなれば間違いなくそこが本拠地だ。潜伏場所を絞り込んだ段階で本拠地は判明しているだろうし、奇襲を仕掛けるのなら本陣から攻めるのが常道。工作員の拠点へ踏み込むのに本命を後回しにするはずもない。

 

(あるとすれば本命を取り違えた可能性だが、だとすれば少尉が分析を誤ったか、情報自体が間違っていたか――)

 

 そこまで思案して、達也はようやく自分が大きな見落としをしていたことに気が付いた。

 ハッと目を開いて上体を起こし、ホームサーバー内にあるファイルの一つを開く。

 音声データには手を付けず、テキストファイルを開いた達也はそこに記述された文字列を流し見て小さく呟いた。

 

「目の前のことに気を取られ過ぎていたか……」

 

 不甲斐ないと、達也は内心で自嘲する。

 

 ディスプレイに表示されているのは達也が響子へ提供した情報――平河千秋が工作員と交わした通話のログデータだ。妹の身を案じた小春から送られてきたもので、工作員の拠点を割り出すための手掛かりとして響子へ託していた。

 

 ネットワークチェイスにおいて響子の右に出る者はいないと達也は確信している。彼女なら工作員の音声データとその通信ログから発信元を特定することができ、敵拠点の炙り出しに繋がると考えた。

 

 だが、もしもこのデータが改ざんされていたとしたら。

 自分には痕跡の見つけられないそれが、小春の手に依るものだとすれば。

 

 平河小春もまた、スパイの協力者かもしれない。

 そう結論付けた達也は眉を寄せ眼差しを鋭く尖らせる。

 

 偽の情報を送ってきたのは彼女の独断か、或いは指示によるものなのか。

 どちらの場合だったとしても、問題はどこまで知っているかだ(・・・・・・・・・・・)

 

 もし、自分と国防軍との繋がりを知らされているのだとしたら――。

 

 ディスプレイの明かりに浮かぶ横顔は、冷たい鋼のように押し固められていた。

 

 

 

 

 




 
 
 
 
 
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。