モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
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観光名所として名高い横浜中華街も深夜になれば次第に静けさが広がっていく。
23時を過ぎる頃には灯りを落とした店が大半を占め、目抜き通りを歩く人影はすっかりなくなった。明け方近くまで営業している店もないわけではないが、そうした店舗は意図的に一部の区画へ集約されている。
彼らが卓を囲むこの場所はそうした夜半にも賑わう区画から離れた位置にあった。
暗く静まり返った街の奥、内庭に面した個室へ集った三人は各々の前に置かれた酒杯を同時に口元へと運ぶ。
「
一口で空にした猪口を置きながら、
「本国から艦艇を派遣すると連絡がありました。明日の作戦も予定通りに進められるでしょう。こうして順調に事を運べたのもお二人の力添えがあってこそ。重ねて感謝を申し上げる」
明らかに言動と裏腹な態度を示した陳だったが、周とジョンソンの二人は気にした素振りもなく酒を置いて腰を折る。
「お役に立てたのであれば光栄です」
「作戦の成功は我々にとっても大きな利益となる。微力ではありますが、引き続きご協力しますよ」
不満も動揺も見せない二人に陳は舌打ちしたい気分を堪え、小さく鼻息を漏らした後で会釈へと応じた。
「ご厚意、痛み入る」
軍務上は盟友に当たる二人を、陳は一切信用していない。
そもそもが互いの目的のために利用し合っているだけの一時的な関係だ。陳自身二人から信頼を得ているなどとは露ほども考えておらず、同盟関係が解消された際には躊躇いなく排除すべきだという認識すら抱いている。
一方で、約定を果たしている限りは互いの利益を守る義務があると考える程度には律儀な性分をしていた。職務への忠実ぶりはある意味で陳の真面目さに由来するもので、見た目に依らず老獪な周やイギリス連邦の流れを汲むジョンソンとは相容れないものだろう。
だからこそ陳はここ数日間の彼らの不透明な動き――周が行った後始末が不完全なものだったために潜伏場所を突き止められる要因になったことや、ジョンソンとジャズの二人が日本のエージェントから逃亡する中で連絡途絶となったこと――に不快感を抱いていた。
「そういえば、ジャクソン大尉殿は行方知れずとなっていたとか。一時とはいえ指揮を預かる身だ。差し支えなければ、どちらへ身を隠されていたのかお教え頂けますかな?」
真相そのものは口にしないだろうと思いながら、念のためにと陳が問いかける。
案の定ジョンソンは苦笑いを浮かべただけで、緊張や動揺すらも見せることはなかった。
「お恥ずかしい話ですが、思いの外日本政府に顔が売れてしまったようでしてね。民間人の家へ身を潜めていたのですよ」
「それはそれは。大変な苦労を強いてしまい申し訳なかった」
「お気になさらず。それよりも、我々の不手際で上校殿にはご迷惑をお掛けしました」
再度腰を折るジョンソンに、陳はほんの僅か眉を寄せた。
警察に踏み込まれたことをジョンソンに知らせたことはない。タイミングとしてもジョンソンが民家に潜伏していたと言い張る間の出来事だ。他のオーストラリア軍魔法師が直接関わってきたこともなく、醜態を耳打ちできるのは無頭竜の人間くらいだろう。
「それこそお気になさらずとも結構。被害は最小限でしたからな」
いよいよ無頭竜とオーストラリア軍の繋がりが疑わしくなった。
思えばオーストラリア軍の作戦協力が知らされたのは日本へ潜入する直前だ。中止できない直前になって無頭竜の側から申し出があったのだと考えれば、両者の関係にも納得がいく。
「さすがは上校殿の指揮される隊だ。豪傑と名高い呂上尉殿も居られるとなれば、日本の魔法師など一捻りでしょう」
「さて、踏み込んできた警察の中には副官と渡り合う者も居たとか。侮れるものではないでしょう。貴殿らも注意されることをお勧めしますぞ」
「ご忠告、ありがとうございます」
諾々と一礼するジョンソンを訝しげに見ながら、陳は翌日の作戦におけるオーストラリア軍の扱いを改める必要性があると結論付けた。
ジョンソンが退室した後、陳はもう一方の疑惑と卓を挟んで向かい合った。
飲みさしの猪口を呷った陳は伸ばされた注ぎ口を受け容れると、おもむろに問いかける。
「ところで周先生、久沙凪殿の行方については何か判りましたかな?」
数日前、客将として迎え入れていた煉は目の前の青年と共に関本、浅野両名の後始末に向かい、以降消息を絶っていた。
捕まった関本と浅野は陳たち大亜連合軍特殊工作部隊が見出した現地協力者であり、スパイ活動を行わせるにあたって洗脳を施していた。非魔法の武器や道具の貸与をしていたこともあり、捕らえられた二人に対して早急な処分が必要だった。
当初、陳はこの任務に副官の
だが陳が呂に処分を命じる直前、同じ現地協力者の後始末を終えた周が協力を申し出たのだ。胡散臭さを感じる自薦に抵抗を覚えはしたものの、副官の存在が露見しないというメリットもあり周へ関本、浅野両名の処分を一任した。
結果、現地協力者の処分は問題なく完遂したものの、隠形と剣術による潜入、工作ができる便利な駒を失った。加えて部下と関本が接触した際の映像も処分されることなく流出しており、警察の立ち入りを許すこととなった。
陳の本音としては後始末が不十分だった件について第一に問い質したいところだ。日本の警察に所在が露見したのは作戦遂行上の瑕疵で、侵攻作戦自体を勘付かれる要因にもなりかねない痛恨事だった。
しかし、これをそのまま追及することはできないのもまた事実。関本と浅野の両名を見出し洗脳を施したのは陳の部隊であり、本を正せば失態の責任は陳自身にある。平河千秋の後始末が首尾よく運んだからといって安易に頼みにするべきではなかった。
明日の作戦を完遂するためにはここで周と袂を分かつわけにはいかない。
周に落ち度があるのならともかく、尻拭いを任せた手前問い質すわけにもいかない。
陳にできるのは、貸し出していた煉が失われたことをダシに更なる便宜を引き出すことくらいだった。
事実、実力も実績も十分に示した煉の損失は少なからず惜しいものであり、任務に支障がなければ奪取し再活用したいと考える程度には気にかけていたというのもある。
「恐れながら、彼は日本政府の手に落ちてしまいまして。潜入した八王子特殊鑑別所の独房に囚われているようです」
周の答えで、奪還は不可能だと即断する。
一度襲撃された収容施設は当然警備も強化されているはずで、隠形の遣い手であれば特に厳重な監房に収監されているに違いない。任務に必須な人材でもなければ同胞ですらない煉にそこまでの手間を掛ける判断は、陳の中には一切なかった。
「それは何とも気の毒に。脱出できる可能性は?」
他人事となった煉を気に掛ける理由は最早ない。
せめてものポーズに訊ねはしたものの、仮に可能だと言われたところで戦力を割くつもりは全くない。
故に周が首を左右へ振るのを見ても陳は一切表情を変えなかった。
「手を回してはいますが、今のところは何とも。明日の作戦にはとても間に合わないかと。お借りした戦力を返すことができず、申し訳ありません」
「そもそもがこちらの失態を拭って頂いた結果ですからな。周先生がお気になさる必要はありませんとも」
「恐れ入ります」
言いながら、周は恭しく頭を下げる。
口惜しさをアピールするような周を見下ろしながら、陳はリップサービスを最後に煉への関心を頭から消し去った。
「彼の青年の能力を考えれば惜しいことではありますがね」
建前と本音の同居した一言を口にする間、陳からは周の顔を見ることができなかった。
だからこそ、顔を伏せたままの周が意味深長な微笑を浮かべていることに、陳は最後まで気付くことができなかった。
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『全国高校生魔法学論文コンペティション』は日本魔法協会の本部が置かれた京都と、副本部的な位置付けの関東支部がある横浜との間で一年ごとに開催されている。
日程は10月の最終日曜日と定められており、それぞれの近郊に位置する第一高校、第二高校以外の学校から参加する生徒は前日の内に付近のホテル等へ宿泊するのが通例だ。
横浜で開催される今年も金沢に校舎を置く第三高校の生徒は全員が学校所有の大型バスで現地へ向かい、日が暮れる前には機材共々市内のホテルへと到着していた。
夏の九校戦と並ぶ学校間対抗イベントとはいえ、コンペに直接参加するメンバーの人数は九校戦と比べ遥かに少数。声出しでの応援なども禁止されており、帯同した生徒のほとんどは客席から発表を見守るだけだ。そのため出場メンバーや共同警備隊の参加者など、一部を除いた生徒の大半は束の間の旅行気分を満喫していた。
「関東に来たのは久しぶりね。九校戦は富士だったから少し違うし、リーブル・エペーの全国大会で来て以来かしら」
客室へ入るなり呟いた親友を見て、栞はふっと呆れたような笑みを浮かべる。
名家の令嬢らしい楚々とした態度は常と変わらずとも、仕草や言葉の端々には彼女の感情が覗いている。普段よりも弾んだ声音は彼女の抱く期待と高揚の表れで、そうなる理由を知る栞からすればはしゃぐ子どもを見ている気分だった。
「彼に会えるからって嬉しそうにするのは構わないけど、眠れなくて困るのは愛梨よ」
瞬間、びくりと身体を震わせた愛梨がゆっくりと振り返る。
恥ずかしげに頬を引き攣らせた彼女の耳は見る見るうちに赤く染まっていった。
「……そんなに分かりやすかったかしら」
「少なくとも私には」
悲鳴を噛み殺した親友を見て、栞は思わず息を漏らした。
中学生の時から愛梨の傍らにいる栞だが、こうまでわかりやすい反応を見せることはそうあることではない。数少ない機会もほとんどが駿に関係する話の時だ。
「久しぶりといっても3カ月でしょう。何年も会っていなかった以前と比べれば最近のことなんじゃない?」
2つ並んだベッドの一方に腰かけて問うと、愛梨は勢いよく栞の隣へと飛び込んできた。
「そうだけど、そうじゃない。もう一度会えるか分からなかった前と、どこにいるか分かっている今じゃあ違うのよ。ましてや明日になれば会えるって思うとソワソワして――」
「はいはい。わかったから、とりあえず落ち着いて」
羞恥と高揚で収拾がつかなくなる前に制止を掛ける。煽ったのは栞の方だが、放っておけば延々と思い出話が続くことになるのは経験上よく知っていた。
ぞんざいな扱いにムッと不満を滲ませた愛梨はしかし、暴走しかけた自らを省みてそれを呑み込む。
言われた通りに落ち着くべく一度深呼吸し、気を取り直そうと端末を取り出しながら訊ねた。
「ところで、明日のコンペで栞はどこか注目している学校はある?」
魔法関連技術や学術的な話題は栞が最も好む話題の一つだ。子ども扱いへ待ったを掛けるためにも彼女の得意な話を振るのは有効で、実際栞は差し出された端末を受け取ると真剣な表情でページを手繰り始めた。
「やっぱり一高かしら。技術分野に強い四高も毎年興味深いテーマを持ち込んでくるけど、今年の一高には学会でも名の通った人がいるから」
論文コンペに参加する九校の発表テーマは本番になるまでわからない。
一方で参加メンバーについては一週間前に魔法協会から公表されており、栞の指差す先には九校戦で鎬を削ったライバルの兄の名前が並んでいた。
「司波さんのお兄さんのこと?」
「あとは五十里家のご嫡男ね」
達也の隣に書かれた姓名を示してから栞は端末を愛梨へと返す。
「魔工学界のホープと九校戦で名を知らしめた天才技術者。この二人がサブメンバーとして加わる発表だから、期待するなという方が無理な話よ。テーマが分かるまでは何とも言えないけど、吉祥寺くんに負けないものを持ちこんでくると思う」
栞の推測を聞いた愛梨は端末を懐へ収めるなり、その評価の高さに目を丸くした。
吉祥寺真紅郎は世界的に有名な研究者だ。世界で初めて基本コード仮説の実在を証明した研究者であり、現在も学業の傍ら金沢魔法理学研究所で最先端の研究に携わっている。日本の魔法学会で真紅郎の名を知らぬ者は居らず、一年生ながら三高の中心人物として挑む今年の論文コンペでは当然のように第三高校が最優秀候補の筆頭と目されている。
真紅郎が今回持ち込むテーマは彼が第一人者である基本コードにまつわるもの。
それに並ぶほどのテーマが披露されるのだとすれば、いち魔法師として否が応にも興味を引かれるに違いない。
「栞がそこまで言うなら、ちゃんと観なくちゃいけないわね」
「本来の目的はそっちでしょ。森崎さんに会いに来たわけじゃないんだから」
ため息混じりにそう言われ、愛梨はばつの悪そうな顔で目を逸らす。
論文コンペの視聴を決めたのは純粋に興味があったからだが、警備隊に駿が参加していると人伝に聞いてからはそちらへばかり気を取られている自覚があった。
理性と感情が論争を繰り広げるような感覚は愛梨自身にも制御ができず、結果、彼女は開き直って唇を尖らせる。
「仕方ないじゃない。楽しみにしていたのだから」
拗ねた調子で呟く親友を見て以前もこんなやり取りがあったなと、栞は穏やかな苦笑を口元に浮かべていた。
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翌朝。10月最後の日曜日の空には抜けるような秋晴れが広がっていた。
この日最初のプログラムは午前9時から。開場はその1時間前からで、まとまって座席を確保するのであれば8時30分あたりまでに国際会議場へ向かえば十分余裕がある。
代表メンバーや準備作業を行う裏方などは早めに会場入りする場合もあるが、それも午前に発表を控えた学校くらいなもの。参加者の大半は開会セレモニーの直前に客席へ向かうのが通例だった。
そうして同じ三高の生徒が例年通りゆっくり朝食を摂っている頃、宿泊先のホテルを出た愛梨は逸る気持ちを抑えたつもりで、観客にしてはやや早い午前8時過ぎに横浜国際会議場へ到着した。
共同警備隊に参加する将輝の言によれば、警備隊メンバーは7時から集合しているらしい。全体での顔合わせやブリーフィングを含め、8時前には散開して会場警備に当たる予定だとか。
8時をちょうど回った今頃であれば仕事の邪魔をすることなく挨拶ができるだろう。
呆れを隠す気もない栞のアドバイス通りに、警備隊の腕章を辿って歩き出す。
全九校の精鋭が揃う中に駿の名前があるのは愛梨にとって不思議なことではない。モノリス・コードでの奮戦は元より、実戦で武装した人間を打ち倒す姿も見ているのだ。実力者の多い魔法科校生でも実戦経験のある人間は少なく、そういった意味では一部の上級生よりも頼りになるだろう。
(なにせ警備は彼の本職でもあるのだから)
クスッと上機嫌な笑みを零す愛梨は傍目にも浮かれていた。
一色家の娘として恥ずかしくないギリギリの速さで足を繰り出し、会場のどこかにいる駿を探して回る。その足取りは栞が早々に追うのを諦め、偶然見かけた将輝が訝しむ程度には軽やかだった。
そうしておよそ5分が経過した頃、愛梨は東口付近で男子生徒と談笑する駿を見つける。
防弾チョッキを着こんだ駿の横顔を目にし、ようやく会えたと駆け寄ろうとして――。
目を見張った愛梨は息を呑み、繰り出す足が縫い付けられたようにハタと止まった。
一色愛梨は森崎駿を慕っている。
それはおよそ2年と7カ月前、最愛の母共々窮地を救われて以来抱き続ける想いだ。
容姿以外の何もわからない中で温め続けた感情は、春に一高で起きた事件を機に憧れから恋慕の情へと育ち、九校戦の舞台で対面して尚盛んに燃え上がった。
会えない間も想い続ける日々が愛梨の内のイメージを強固にし、ダンスの最中に見た微笑みを忘れることは決してなかった。
或いは、そんな愛梨だからこそ一目で気付けたのかもしれない。
日常的に顔を合わせる者は見慣れているが故に兆候へ気付くことはなく、強い関心を持たない者はそもそも以前との違いを見抜けない。
かつての献身ぶりと一時の安らかな笑み。そのどちらも知っているからこそ、彼女には駿の変化が判った。
誠実な仮面の下に覗く諦観を見て取って、異変を察した愛梨はすぐに心当たりを尋ねた。
「北山さん」
果たして、愛梨の探し求めた人物は客席の一角にいた。愛梨の表情から尋常ならざる用だと察した雫は、深雪とほのかの警護を仲間たちに任せて席を立つ。
観客席のあるホールから出た二人は挨拶もないまま通路を歩き、やがて人のいない窓際で足を止める。「ここなら大丈夫かしら」と呟く愛梨に、雫の方が先んじて声を掛けた。
「九校戦ぶり。てっきり十七夜さんも一緒だと思ってたけど」
「急いでいたから。栞には席を取ってもらっているわ。そんなことより――」
愛梨からの返答には焦りが滲んでいた。
訊かずにいられない焦燥感が愛梨の言葉数を減らし、前置きも説明もないまま核心へ切り込む問いが雫へと投げ込まれる。
「森崎さんのあの様子、一体何があったの?」
真剣な表情でそう言った愛梨に、雫は心底から驚き目を丸くしていた。