梨:ゼロから二人で異世界生活を始める頃に 作:とある圭梨復権派
これからちょっと更新ペースが落ちるかもしれませんが、生暖かい目で付き合っていただけたら幸いです。
そういえば、ひぐらし業16話の先行カットが公開されましたね。
祭囃し編の後のように見えるのですが、だとしたらえげつない事するなぁと思います。
地獄にいる悪魔は天使に憧れた
あんな翼があったら空を自由に飛べるのにと
天国にいる天使は悪魔に憧れた
あんな力があったら人々をすぐ導けるのにと
そこにいる貴方は何者にも憧れない
既に自由で人々を導く力を持っているのだから
Frederica Bernkastel
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「梨花」
そこら中にガラスの破片のような、青い光を放つ物体が浮いている。
それは、カケラ――世界の破片。無数の可能性。
梨花にとってここは見慣れた場所だった。
そして、今、梨花に話しかけた存在――羽入も彼女にとっては見慣れた存在だった。
「……アンタ、あんだけ大仰なお別れしたくせに随分と頻繁に出てくるじゃない……」
『残り香でしかない』。そう言って現れたこの羽入は力を使い切り、目の前から消えてしまった。
「もう貴女は雛じゃない。梨花なら一人でも大丈夫」。そんな言葉を遺して。
にも関わらず、それからあまり時間も経たずに二回も再会を果たしている。
これはもう、あの場面で居なくなったのが何かの間違いにしか思えなかった。
「一人でも大丈夫。そう言いましたが、今の貴女には背中を押す人が必要です」
――背中を押す?
彼女は何を言っている?
それは「まだ戦え」と暗に言いたいのか?
「冗談じゃないわ……。あんなワケの分からない世界で戦うなんて、フザケてる」
そう言い切ると、地面に座り込む。
――また死ねなかった。
こんなにも望んでいるというのに。
ならば、いっそここでずっと過ごしていよう。
もうあんな所に行く必要はない。
羽入も居るのだ。ここでずっと二人で駄弁っていよう。
もうそれで良い。
それだけで良い。それで十分だ。
「――アンタ、あの剣、私のこと殺せないじゃない。よくもまあ、あんな欠陥品を今生の別れになるかもしれない時に渡せたものね」
そう言って羽入をいびる。
ああ、懐かしい。こうやって責めてやると、いつも「あうあう」言い始めて、それを眺めるのを楽しんでたっけ。
だが、いつまで経っても聞き慣れたあの鳴き声だか何だか分からない口癖は返って来なかった。
その沈黙に思わず下を向いてうずくまる。
――つまらない。
なんで、反応しないんだこいつは。
いつもみたいに涙をほんのり浮かべた顔で困りなさいよ。
そう思っていると、ようやく羽入が口を開く。
「ボ…はそ……………であ………をわ…し…………な…のですよ」
「え? なんて?」
ところどころにノイズがかかったように単語が聞き取れない。
この前の夢で会った時もずっとこのような感じであったが、今回は先程までハッキリと聞き取れていたのにこうなったのでギョッとして羽入を見る。
「どうやら伝えられる情報が制限されているようなのです」
そう言って、申し訳なさそうに俯く羽入。
『制限』? 誰がそんなものをかけたというのだ。
一応神であるこいつにそんなものをかけられる存在なんて、居るのだろうか?
全く想像ができない。
「貴方が、あの剣を――鬼狩柳桜を使った時、
疑問が止まらない梨花をよそに羽入は喋り始める。
何か? 何かって何だ。
ようやく迎えられた私の終わりを邪魔した奴はいったいどこのどいつなんだ。
その
「何かって誰?」
その質問に、ううん、と首を振り申し訳なさそうに羽入は答える。
「それはボクにも分からないのです」
相変わらず、肝心な時に全く役に立たない神だ。
あの惨劇に囚われた時もいつも側で「あまり希望を持つな」だとか「諦めよう」だとか弱音ばかり吐いていた。
だが、不思議と怒りは湧いてこない。
それはそうだ、別に彼女は悪くもなんともないのだから。
その何者かが分からないのは悔しいけれども。
「ただ、貴方を引っ張った因果の力――その中心にはあの男、ナツキ・スバルが居ました」
「それってアイツが私をあの世界に引きずり込んだってこと?」
「いえ、彼もまた貴女と同様に巻き込まれた身、その心に何を秘めているかは分かりませんが、彼もまた被害者であるのは確かなのです」
確かに彼は羽入がカギだと言っていた割には普通の少年であり、何かを変えるような力を持っているとは到底思えなかった。
だが、それと同じ理屈で彼が自分をあんなところへ放り込んだ黒幕だともまた思えなかった。
それに少なくとも、いくつかの交流でウザったくは感じていたが、それでも悪い人間にはとても見えなかったのだ。
「ですが、彼がカギであることは確か。あの世界で彼と共に在ればいつか雛見沢に帰れる手段が見つかるはずなのです」
『雛見沢に帰れる』。それが当然であるかのように羽入は言うが、素直に喜べない自分がいた。
確かに雛見沢はあんなワケの分からない世界よりかはマシだ。
だが、『まだマシ』程度でしかない。
異世界で元の場所に戻る方法を探して、その後雛見沢で惨劇を抜ける方法を探す。
――考えるだけで震えそうだ。いったい普通に過ごせるようになるためにあと何回死ねばいいのだろう。
「だから言ってるでしょ……。もう戦うつもりなんて無いって……。私はもう疲れたの……」
「梨花……」
「きっと、これは私への罰なのよ。そう、色んな世界で皆を見捨ててきた、そして最後には一人逃げた私への、ね」
何故、こんな目に合うんだろう。何故、こんな罰を受けるんだろう。こんな仕打ちを受けるような罪を犯したというのか。
ずっとそんな事を考えていた梨花は遂に結論へと至った。
私の罪、それは諦めた事。
かつての繰り返しの中で、幾度と仲間を見捨ててきた、救えなかった。
そんな世界でも彼らの未来は続き、苦しみを味う事になったのだろう。
そして、それは二度目の繰り返しでも変わりはしない。
現に、自分は諦めてこんなところに居る。
そうだ、これは罰なのだ。
一人戦うことを諦めた自分への罰。
「梨花、貴方がそれを罪だというのなら繰り返しをさせたボクも同罪なのです」
「いいえ、最後に諦めたのは結局私よ。だからこれは私への罰。貴女には関係ない」
「確かに、ボクたちの世界を渡り歩いた事実は、ボクたちの『業』と、そう言えるかもしれないのです」
「そうね、だからもう良いの」
「……けれど、貴女がその罪に報いる方法はたった一つなのです。それは決して、このような酷い運命をただ受け入れることではない」
そう強く言い切って、梨花の言葉を遮る羽入。
……受け入れた、か。
確かにその通りだった。
この場所に留まろうとしてるのも、本当に弱い抵抗でしかない。きっといつかはまた生き返ることになる。
そして、いつかは魂が死に、空っぽの抜け殻になるんだろう。そう思っていた。
だが、罪に報いる方法とは何だ?
いったい羽入は何を知っているんだ。
少し期待して羽入の顔を見る。
その表情はとても優しいものだった。
――ああ、この顔は見覚えがある。
小さい頃に両親を失った時に、惨劇に疲れ切った時に、仲間が苦しんでいるときに、いつも私は泣いていた。
いつからか痛みになれて涙も出なくなってしまったけれども、それでも確かに泣いていた。
そんな時、傍らに立って慰めてくれていたのが羽入だ。
この表情はその時にいつも浮かべていた表情だった。
無意識に安心感を覚えていた梨花は、これから出してくれるであろう羽入の解答を静かに待っていた。
「貴女が誰よりも幸せになる事なのですよ。今までの世界の分も、救えなかった仲間たちの分も」
『幸せになる』。そのあまりにも予想外な答えに、驚いて声すら出ない。
それが罰?むしろ、それは自分が望んて止まないものだ。手に入らなくて諦めてしまったものだ。
それの一体何が罰だというのだ。
「そんなの……罰でも何でもないじゃない……」
「ボクは、『罰』だなんて言っていないのですよ、『罪に報いる方法』と言っているのです」
その言葉に唖然とする。なんともまあ強かな答えだ。確かに彼女は罰だなんて言っていなかった。
だが、それで納得できるかと言うと話は別だった。
「幸せなんて……なれるわけないじゃない」
そう、そんな風になれるんだったらとっくになっている。イヤ、むしろなれないからこそ今こうしているワケで、羽入の言っている事は因果が無茶苦茶だ。逆転している。そう思わざるを得なかった。
「少なくともそうやって逃げているうちはなれるはずがないのです」
その言葉に少しムッとする。結局コイツは「逃げるな」とただ言いたいだけなのだ。誰も私の苦しみなんて分からないんだ。逃げだって仕方ないじゃないか。あんな残酷な運命も、このワケの分からない異世界に連れてこられるという事態もきっと大の男が裸足で逃げ出すレベルの悪夢だ。それをただの女子高生である自分がなんとかできるはずがない。
「……逃げたって仕方ないじゃない。戦ったってどうせ無駄よ……。どうせ、幸せなんてなれやしないのに、どうして戦わなきゃいけないの?」
その答えに羽入はまるで怒りをこらえるように、拳を握り、自分を見つめる。
この目は見たことがある。鷹野との最後の戦いでも見せたあの神様としての羽入の目だ。
どうして?どうして、そんな目で私を睨むの?
なら、教えなさいよ、私が戦わなきゃいけない理由なんてどこにあるの?
「梨花……いいえ、人の子よ、かつてお前は言いましたね。『この世界に敗者はいらない』と」
かつて惨劇を抜けた時、黒幕の鷹野との全ての因縁が終わった時、梨花は鷹野の罪も許した。
羽入という欠けた一枚のカードが加わり、この世界は敗者のいらない世界になった。それは敵であった鷹野も含めてそうだ、という考えの下の発言だった。
「今の貴方が『敗者』以外のなんだというのですか?」
苦痛にまみれて、辱められ、殺され、心が擦り切れるまで弄ばれて、最終的に梨花は自ら死を望むほどまでになっていた。
生きている事すら尊いものと思うようになっていた。
『まだ知らない明日が来るだけで幸せ』なんて言葉をまだ高校生の少女の身でありながら、言うのだ。
あまりにも悲観しすぎている。
これが『敗者』でなくては何だと言うのだ。
そんな些細な幸せに気づける女の子が、何故こんな目に合わなければならないのだ。
なぜ、それすらも許してはもらえないのだ。
「梨花、貴女はこんな仕打ちを受けるような罪など犯してはいない。全ては貴女に繰り返しをさせた私の罪とあの雛見沢によるもの」
「もっと怒りなさい! もっと抗いなさい! そして戦いなさい! 運命なんて……」
「運命なんて……簡単に打ち破れるんだって、圭一が、みんなが教えてくれたじゃないですか……」
そう言って、気合を入れた神様のような喋り方からいつものような呑気で優しい話し方へと戻す羽入。
その言葉の一つを一つをゆっくりと噛み砕く。
いつもの説教。そう切り捨てられないほど、どの言葉も私の胸に響いていた。
そうだ。そうだった。
運命なんて簡単に打ち破れる。そう言ってあの人は何度も変えられようがないと思っていた惨劇のタネを壊していって、見事にその言葉を証明してくれたじゃないか。
どうして忘れていたのだろう、こんな大切な事を。
その事実とともに私に向けてくれた彼の笑顔を思い出すと、だんだんと闘志がわき始めていた。
彼の燃え上がる炎のような性格が自分にも移ったのだろうか。
「フフ……フフフフ!」
自然と笑みが溢れる。
こんなにも簡単な答えが分からなかったなんて!
そうだ、何故こんな目に合わなければいけない?
私に偉そうに罰を与える権利なんて神様だろうと何だろうとあるはずが無い。
羽入よりも上で、そういう事ができる神様なんてヤツが居たら、逆に私はそいつに罰を与えてやっても良いぐらいだ。
こんな最低な運命に閉じ込めやがって!、と。
確かに羽入の言うとおりだ。今の私は敗者でしかない。こんなふうに這いつくばって、全ての理不尽を受け入れてしまっていた。
だが、違う。私は幸せにならなければならない。
それが救えなかった世界への報いであり、何より私にはそうなる権利があるはずだ。
怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、怒れ!
このまま膝を折ってなんかいられない。少なくとも幸せを掴むまでは戦うことをやめてはいけない。
もう決めた。私は逃げない。運命からもあの異世界からも。雛見沢の意地の悪すぎる仕組みからも。
「今の梨花ならきっと大丈夫なのです」
「その言葉、何回目よ。……でも、ありがとう。私もう少し戦ってみる。もう逃げない。運命からもあの世界からも」
お礼の言葉を言う。彼女はやっぱり私のもう一人の親だ。あんなふうに折れているのを良しとしてくれないで、ケツをひっぱたいて何度でも立ち上がらせてくれる。
「……これからボクの遺された力を使って、貴女に知恵を授けるのです」
「いらない」
「え?」
ハッキリと自らの口から出た強い否定の言葉。それに驚いて羽入が固まる。
そうだ。そんなものはいらない。
ずっと前から分かってた。本当に私が欲しいもの、本当にしてほしいこと。
それをちゃんと伝えるんだ。
「『いらない』って言ってるの」
「でも……」
「その代わり、ずっとここに居なさい。私が死ぬたびにここで何でもいいから私と雑談をしなさい。そうすれば……」
そうすれば……、きっと私はずっと戦えるから。
その言葉は続かなかった。
なんだか言うのが照れくさくて。
遺された力を使って、と彼女は言っていた。きっとこの前の時のように消えるつもりなんだろう。だがそんな事はさせない。
「それは出来ないのです」
明確な拒絶。それが彼女の返答。
どうして?私と一緒にいるのが嫌だとでも言うの?どうして?どうして?どうして?
そんな言葉が頭の中で溢れてくる。
まさか拒否されるとは思っていなかったのだ。
「どうして!?」
分からない。なんでコイツはこんな簡単な望みすら叶えてくれないのだろう。神様のくせに困ってる時に寄り添ってくれないなんて、そんなの間違っている。
何よりもこの気持ちが伝わっていないのがショックだった。
分かってほしかった。
100年で同じ気持ちを持てた……そう思っていたのに……
「どうして……、どうして100年も一緒に居たくせにわからないの!? 特別な力も道具も必要もない……貴女がそばに居るだけで私は良いって! それだけで頑張れるって!」
「前にも言いましたが、貴女はもう雛ではない。巣立っていかねばならない……。一人でも戦っていけるようにならないといけない」
「それでも……!」
「それに、ボクはもうこれ以上ここに居ることは出来ないのです」
「え?」
その言葉にハッとして見てみれば、彼女の体が透けていた。まるでこれから消えるみたいに。あの時、自分の目の前から去っていったときみたいに。
「どうして!? またいなくなるの!? 私をけしかけるだけけしかけたくせに! 私が幸せを掴む瞬間を見届けることすらしてくれないの!?」
「ごめんなさい」
「謝ってるヒマがあるのなら何とかしなさいよ! 絶対に許さないわよ! 言いたい事だけ言って消えるなんて!」
「今のボクは眠りについた羽入が得た情報と貴女の中にある情報の欠片を組み合わせて作られた残骸でしかありません」
「なので、情報を伝え終わったら消えてしまうのは仕方ないのですよ」
「だったら、そんな情報ずっと黙っていなさいよ! それともアンタ、消えたいワケ!?」
そう言って怒りを露わにする梨花をまるで、わがままを言う子供をたしなめるように羽入は言った。
「もう逃げないのでしょう?」
その言葉を言われると弱かった。
反論の言葉も出てこない。
そのまま、もう何も言ってこないと判断したのか羽入は情報を喋ってしまった。
そうしてしまったら、消えてしまうのに。
「貴女はあの世界に引き入れた者に好かれていない。きっと数々の困難が立ちはだかるでしょう。それに、想定外の異物が雛見沢からそちらに持ち込まれてしまった」
「異物?」
「梨………く…………なの……よ」
「それは喋れないってワケね」
再び、走るノイズに情報が規制されていることを悟る梨花。
だが、そんな衝撃よりも重大な事実に気付く。
羽入の体がどんどん透けていっている。
もはや手を伸ばせばすり抜けてしまうほどにその存在感は儚く、そして脆い。
もう完全に消えてなくなってしまうのに、一分もかからないように思えた。
「それでアンタはまた消えるわけね。私一人置いてって」
「……これでおしまいじゃないのですよ。雛見沢に帰ってきたらきっとまた会えるのです」
「……そうかもね。でももしかしたらこれでお別れかもしれない。あの世界で幸せを見つけたら私はそこで戦うのをやめるつもりだから」
これは再び立ち上がったときに決めていたことだった。ループを抜け出すためではなく、幸せになるために戦う。だから、幸せを見つけたらそこでもうやめる。そういう理屈だ。もしかしたら雛見沢に帰ることもないかもしれない。
もっとも、現状最大の幸せは聖ルチーア学園に戻ることなので無用な心配なのだが。
「だから完全に消える前に言わせて」
「……なんですか?」
「ありがとう」
ありがとう。それはずっと言えなかった感謝の言葉。
あの時も本当は言いたかったのに言えなかった言葉。
目の前の彼女は、こんなふうに落ち込んだ自分を消えるかもしれないのに励ましてくれた。
これ以上に言うべき言葉はなかった。
お別れの言葉はあえて言わない。
また会いたいから。
そんな言葉を受けて、羽入は意外そうな顔をした後に、とびきりの笑顔でこう返す。
「こちらこそ! なのですよ!」
そうして、古手梨花は目を覚ます。
再び幸せになるために。
全てに立ち向かうために。
――羽入はきっと、遠くでそれを見守っているのだろう
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「………っ!」
ほんのりと感じていた浮遊感が失われ、体に重みが戻ってくる。
息をしている、匂いを感じている、感覚に驚いてか汗が流れる。
――そう、古手梨花は今、生きている。
突然の景色の変遷に自分は戻ってきたのだと確信する。
周りを見渡す。
建物、歩く人々、書いてある文字、どれをとっても雛見沢とは似ても似つかない異世界。
確かにそこに自分は居た。
こんなワケの分からないところで戦うなんてイヤなはずなのに、その景色を見て不思議と安心感を覚えている自分に気付く。
せっかく幸せになるまでは逃げないと決めたのだ。
そんな決意をしたのにも関わらず、全く別の場所に居たらどうしようかと思っていた。
戻ってこれたのがここで良かった。
「おいおい……大丈夫か、嬢ちゃん」
フラフラと揺れながら、何か考え事をしている梨花を見かねたのか果物屋台の店主が話しかける。
「……」
この人には悪いことをした。前の世界ではみっともなく大声で叫ぶ自分を善意で励まそうとしてくれていた。
にも関わらず、自分は彼の道具を使って、彼の前であんな事をした。
恩を仇で返したのだ。
「本当にごめんなさい」
「……は?」
だから、これはその謝罪。自分が犯した罪を自覚しているのはきっと自分だけだ。現に、目の前の店主は突然見覚えのない女の子から謝られて困惑している。
これはただの自己満足なのかもしれない。
けれど、謝らずにはいられなかった。
「……いつかきっとこのお店に林檎をいっぱい買いに来るのですよ」
そんな言葉を口にする。
そうだ、本当に幸せを掴んだら、雛見沢に帰る目処がだったら、この店の林檎を買いに来よう。
この店主の男は私が繰り返す度に最初に出会う人だ。
きっといつかはこの人の事も思い出になるかもしれない。イヤ、そうするために戦うのだ。
「……リンゴ? ああ、リンガの事か、何だかよくわからないが、そりゃ嬉しいな。また来な、嬢ちゃん」
「ありがとうなのですよ」
そう言って、手をふる。
ここからは前回のような醜態は見せない。羽入に誓ったのだから。
とにかく今私がすることはあの男に――ナツキ・スバルに会うことだ。
この世界が繰り返しの輪に閉じ込められているならアイツもあそこにいるはず……。
『もう逃げない』、そんな強い意志を胸に秘めながら、彼女はスバルと出会った運命の裏路地へと向かうのだった。