こちら獄楽島泊地放送局   作:綺羅鷺肇

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3 彼女たちと縁ができた日のこと

 彼女たちとの縁ができたのは、ある戦場でのことだった。

 当時、私は陸軍京阪神防衛軍隷下の第四師団第九連隊に所属していた。第九連隊の主たる任務は大阪港と淀川水系の警備、大阪及び京都南部の防衛であり、それを第八連隊と共に担っていた。

 

 あの日は十二月が終わりに近づいた頃だったか。

 淀川水系の警備任務で、定数外装備たる軽四トラックに乗り込んで走り回っていた。粉雪が舞い降っていて、とても寒い日だったことは、今でも覚えている。

 

   ▼

 

 荷台がガタンと跳ねた。

 乗り込んだ面子と牽引しているリヤカーから悲鳴が上がる。整備ができなくなった上に、数十に及ぶ戦闘もあって道路は荒れる一方だ。せめてと薄っぺらな座布団で尻を守っているが、ないよりマシな程度でしかなく、体の芯にまで衝撃が来て腹の中も気持ち悪い。

 向かいに座っていた部下の1人も車体が跳ね上がった拍子で尻を打ったのだろう、大いに顔をしかめながら口を開いた。

 

「いい加減、軽機動車くらいは欲しいっすねぇ。そう思いませんか、分隊長」

「我慢しろ。こうして歩かなくてもいいだけ、こいつを私費で賄ってくれた連隊長や中隊長達に感謝しとけ」

「そりゃーうちの上の人らができた人だってのはわかってるっすけど、毎回毎回、母ちゃんに尻引っ叩かれたよりもはれるのは勘弁してほしいっすよ」

「へっ、実家に帰れたら、やさしくやさしく撫で回してもらえ」

「んなこと言った日にゃ、尻が倍の大きさになるっすよ」

 

 他の隊員たちが小さく笑った。

 皆、若い。私よりも3つ4つは。白い顔の一部を赤く染めて、まさに赤ら顔といった風情だ。

 

「ならイイ座布団作ってもらえや、自分、できたって言っとったやろ、彼女」

「いやまぁ、確かにできたはずなんっすけど、実際は金ばかり出て行ってばかりっすよ。あれが欲しいこれが欲しいって具合に」

「ぶはっ、おまっ、それだまされとるんちゃうか?」

「最近、俺もそう思えてきたっすよ。肝心なことさせてくれねーし」

「ふいんきづくりに失敗してるんだろ」

「うー、これでも頑張ってるつもりっすけどねぇ」

「女慣れしとらんからやろ。だからあん時、わてらと一緒に、素直にお店に行っときゃ良かったもんを」

「そうそう、俺たちと一緒に、食って遊んで腰振ってればよかったんだよ」

 

 わいわいとまた笑う。

 まだ20歳になるかならないかの若者ばかりだ。

 

「はぁー、にしてもついてないよなぁ。今日に限って雪が降るなんてよ」

「ほんま、夢洲要塞に篭っとる連中が羨ましいわ」

「でもなぁ、あそこに詰めてると精神病むって聞くっすよ?」

「友ヶ島や由良に比べればマシやろ」

「そりゃ化け物どもが攻めてくるたびに、砲爆撃をずっと食らう場所に比べればなぁ」

 

 防寒コートを着ているが、寒いものは寒い。吐き出す息が吹き抜ける風に流される。白が消えて残るのは曇天と粉雪。枯れ草に覆われた堤防も寒々しい。反対側を見れば荒廃した市街。所々が崩れたビルにはガラスが残っておらず、剥がれて色褪せた広告看板には往時の面影が残る。避難命令が出されている地域特有の光景だった。

 

「分隊長!」

 

 助手席からの呼びかけを受けて目を向ける。

 分隊唯一の女性でもある通信兵だ。彼女が指さした通信機から声が届く。

 

 ―小隊長より各分隊へ。中隊本部より対深海棲艦第一警戒発令。繰り返す、対深海棲艦第一警戒発令。各分隊は所定の配置につき、迎撃態勢に入れ。繰り返す、各分隊は所定の配置につき、迎撃態勢に入れ。

 

 ここ最近なかった襲撃だ。

 意識を切り替えて告げる。

 

「伍長、最寄りの防御陣地……、新淀川大橋に急行。各員、装具を点検。それが終わったら、由良要塞と艦娘が連中を食い止めてくれることを祈っとけ」

 

 そう言っている間にも軽トラックが速度を上げる。

 私も自らの装具に触れ、目を向ける。肩にかけた無反動砲。防弾チョッキと腰のベルトには対深海棲艦大型弾頭が4つに、支援擲弾……煙幕弾と閃光弾が1つずつ。ヘッドセットが付いたヘルメット。全て大丈夫だ。

 

 軽トラックが橋の近くにある頑丈な建物、その陰に入り込んだ。部下たちがバタバタと降車する。

 私も降りて、並んだ9人の若者たちを見渡す。皆、緊張の色が見える。とはいえ、すでに初陣を済ませて、二度三度と実戦を経ている為か、極度に緊張している者はいなかった。

 

 程よく張り詰めた顔を見て、よしと頷いた。

 

「本分隊はこれより迎撃態勢に入る。A班とB班は前進し、大橋に陣取る。C班はこの場で待機」

 

 一呼吸。

 

「B班は上流側で、橋を抜けた連中のケツを狙え。別命を出すまではB1に任せる。A班は下流側だ。遡上してきた連中を狙い撃つ。C班は本分隊の動きを小隊長に報告後、本部との連絡を密に保ち、状況に変化があればインカムで連絡。車もいつでも動かせるようにしておけ。C1が指揮。皆、いつも通りだ。いつも通りにやればいい。いの一番は俺がやるから、気楽にやれ」

 

 そう言って班員たちに笑いかけると、全員が少し強張った笑みを浮かべた。不敵とまでは言えないが、それでも頼もしさが滲んでいた。

 

 安いがタフな腕時計を見る。

 

「1342。223分隊、状況を開始する」

 

 宣言と共に全員が動く。

 私を含めた前線組は橋に付設された階段へ向かい、一息に駆け登る。橋の上に立つとより寒風が強くなる。B班の4人と別れて、御堂筋線の線路をまたいで下流側へ。

 下流側の橋は中ほどで崩落しており、路上には横倒しになったトラックや乗用車がそのままの姿で残されている。

 

 不意にインカムが音を上げた。

 

 ―こちらB1。B班、配置完了。

 

「A1、了解」

 

 ―C2よりA1へ。小隊本部より連絡。空襲警戒発令。敵性体138が由良防衛線を突破。大本営の大阪警備戦隊及び湾内泊地防備隊が迎撃中。師団及び連隊からの支援砲撃は用意なし。

 

「そうか。……各員空襲警戒。逃げ込む場所を見定めておけよ」

 

 指示を出してから考える。

 先の連絡からの間隔が短い。ということは、敵の動きが速いということ。

 明らかに防衛線突破を図った動きとしか思えない。顔をしかめながら2人を橋のたもとに残し、バディと共に中央部を目指して走る。できれば来てくれるなと願いながら……。

 

 こうして配置についてからしばし、遠雷のような砲撃音が遠くから届き始めた。

 それは間を置くことなく立て続けに連なり始める。横倒しになった乗用車から顔を覗かせて、夢洲要塞の方向を見る。直接見える訳ではない。だが、曇天の空にはなにやら小さなモノが複数飛んでいるのが確認できた。ついで爆発音や対空砲と思しき発砲音もまた聞こえてくる。爆撃を受けているようだった。

 

 ―C2よりA1へ。小隊本部より連絡。敵性体群が5つに分派。うち1つが淀川に接近中。

 

「了解。223分隊、装具再チェック、即応態勢」

 

 応諾の声を聴きながら、自分も弾頭を発射機に差し込み、少し捻って接続。これで後は安全装置を外せばいいだけになる。

 できれば安全装置を解除することなく終わってほしいものだが……、こういった願いが叶うことは往々にしてない。溜息が付きたくなるが我慢して、眼下の淀川に目を向ける。

 

 冬だからだろう、水量は少ない。自然、護岸が目立ち、河川敷もまた広くなっていた。また崩落した橋げたが水路の一部を塞ぐように突き立っている。幾度となく、ここで交戦した結果だ。敵の遡上コースを再想定して、バディの位置を微調整する。

 

 夢洲方面の音は収まらない。

 

 時間が過ぎていく。

 

 再びインカムから声。

 

 ―こちらC2。小隊本部より連絡。敵群、夢洲要塞を突破。残数3。識別はイ級2、ロ級1。小隊戦闘方針が再通達されました。第1に敵行軍速度の減衰、第2に敵戦力の漸減、第3に小隊戦力の保持。……追加情報あり。大阪警備隊より追跡分隊を派遣。可能ならば協同せよ。……全分隊へ交戦許可、出ました。

 

「A1了解。223分隊、臨戦態勢。安全装置外せ。幸い敵の数は少ないし、艦娘の追跡もある。なによりも死守命令が出ていない。命大事に、適度に削るぞ」

 

 歩兵は脆く弱い。

 厚い装甲に守られるわけでもなければ、機動力もない。火力は貧弱であるし、打たれ弱い。

 

 しかし、ヒトという生き物を、その能力を最大限に発揮できる。

 ヒトならではの柔軟性……悪辣な知恵と狡猾な発想が輝くといえばよいだろうか。

 だからこそ、歩兵は脆くともしぶとく、弱くとも粘る。命令に縛られなければ、であるが……。

 

 安全装置を解除して、川下を注視。

 目を細めれば、確かに三つの影。それぞれの大きさは5メートルほどか。駆逐艦クラスだけあって、やはり速い。

 

「敵性体視認。単縦で来る。先頭からエコー1、エコー2、エコー3と設定。A1とA3でエコー1に仕掛ける。A2は空襲警戒。A4は状況及び戦果確認」

 

 了解との声を聴きつつ、彼我の距離から速度を測る。

 周辺地形は前もって測っていることあり、ある程度は割り出せるのだ。

 

 320を19……っと、追跡分隊の砲撃か?

 

 連中の周辺に水柱が数個立ったが……、当らず。

 

 残念。

 

 秒読みしながら無反動砲を構え、発射タイミングを計る。

 

 4、3、2……。

 

「A1、フォックス!」

 

 バンっと、衝撃。

 即座に逃げ出す!

 

 似た音が続き、インカムに発射を知らせる声。

 

 気づけば少し前をバディであるA3が走っている。

 

 連なる爆音。

 1つは微妙な音だった。

 

 ―こちらA4。A1命中効力打、A3命中微力打。エコー1、外観判定、小破。

 

 バディと共に放置された大型トラックの影に。

 次の弾頭を手に取った所で、ずしんと大きく橋が揺れた。横目で見れば、私が先程までいた場所が砲撃で破壊されていた。続いて機銃弾の嵐。怖気を感じさせる耳障りな金属音。鉄骨アーチがバチバチと火花を咲かせ、跳ね弾が橋上を襲っている。

 

「うひー、普通の戦車なら今ので潰せたはずなんですけどねー」

 

 バディのボヤキにまったくだと返して、次弾装填。

 

 再び衝撃。体が揺さぶられる。

 

 ―こちらA4。敵群、速力低下。俺たちにやられてムキになった感じです。

 

 戦闘艦が歩兵にやられたなんてことになったら、まぁ確かに頭にくるか。

 

 とはいえ、連中の足が止まった段階でこっちの勝率が上がった。

 

「追跡の艦娘が来たら、もう一撃。後は流れで動く」

「了解です」

 

 と言っている間にも別の砲撃音が加わった。この音は艦娘の12.7センチ砲。追跡隊の攻撃だ。

 敵味方の砲撃音を聞き分けられなければ死ぬ、というのは大げさかもしれないが、歩兵にとって必要な技能であることは違いない。

 

「こちらA1。A4、現状報告」

 

 ―追跡隊の艦娘が会敵。数2。ただ両者とも武装から黒煙があがってますし、装具もかなりやられている感じです。

 

 中破……、下手すれば、大破状態か?

 

「A班各員へ。艦娘を可能な限り支援する」

 

 了解との声を聴きながら、慎重に欄干近くへ。戦場を睥睨。

 ちょうど、こちらが小破させたイ級が爆発し、沈む所だった。黒煙の中から小さな人影が水面を滑り出てくる。艦娘だ。揺れるツインテール。肩ひもが付いた連装砲を両手で持っている。

 記憶野が刺激される。が、それを振り切り、回避行動中のイ級に狙いを定め、得物を構える。状況は巴戦。動きを読み……、ここ!

 

「A1、フォックス!」

 

 戦果を確認したい所だが、まずは移動だ!

 背後に発射音を聞きながら、再攻撃がしやすいように再び橋の中央側へ。抉れた橋桁。焦げた空気。先よりも更に荒れた路面。欄干近くでひっくり返った乗用車、その車内に潜り込み、眼下を確認。

 狙ったイ級、その側面装甲がいい具合に損壊していた。そこに艦娘の砲撃が続けざまに飛び込み、大爆発。イ級は断末魔のように一発二発と砲撃し、沈み始めた。照準定まらぬ砲弾が市街地で爆発する。

 

 残1、と視線を走らせて、それを見る。

 橋の近くまできたロ級が突撃を仕掛けるもう一人の艦娘に砲撃した所だった。避けようもなく当たり、艦娘の艤装が激しく損壊。露出した肌も至る所が傷ついて出血していた。

 

 だが、それでも彼女は、残る力を振り絞るように、前へ。

 

「――ばもろともッ!」

 

 その叫びは、あまりにも苛烈で……。

 

「――タも一緒よっ!」

 

 ……儚く、哀れであった。

 

 至近距離で放たれた魚雷。

 それは水に潜ることなく、空中でロ級に衝突。

 

 閃光。

 

 咄嗟に顔を伏せたが、耳がバカになりそうな爆音。

 衝撃に橋が揺れに揺れ、伏した体も跳ねた。

 

「A班、損害報告!」

 

 次々に損害なしの報告が届き、かすかに安堵。

 

「A4、敵性体及び艦娘の状況知らせ!」

 

 ―敵性体3、全ての撃沈を確認! 艦娘1、姿見えず!

 

 急ぎ車から這い出て、欄干から身を乗り出す。

 

 水没するロ級。

 その傍らで仰向けに浮かぶボロボロになった少女の姿。

 わずかに残る艤装と傷だらけの素肌は赤と黒に染まっていた。

 

 なにかを探すように、あるいは誰かに助けを求めるように、天に手が伸びて……、その身が沈み始めた。

 

 残された艦娘の悲鳴。

 

「223分隊状況終了! C1は小隊に戦果報告! A2、A分隊の指揮を取れ! B1、一時的に分隊の指揮権を委譲する!」

 

 了解との声や、困惑の声が耳に届く。

 

 ―分隊長! 急になにを!

 

 それに応える時間も惜しく、私は身に着けていた装具を脱ぎ捨て、大きく息を吸い込んで川に飛び込んだ。

 

   ▽

 

 その後のことだが……、実は詳しく覚えていない。

 ただ我武者羅に沈み行く艦娘を追って水を蹴り、力のない手を取って握りしめ……、そこからが本当に曖昧だ。

 

 ただ事実として、私は艦娘を引き揚げることに成功した、らしい。

 

 どういう訳か、両脇に一人……、一隻ずつ。


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