ソードアート・オンライン ラフコフ完全勝利チャートRTA 2年8ヶ月10日11時間45分14秒(WR) 作:TE勢残党
アインクラッド第一層、始まりの街。
攻略が進めば最初の街に用などなくなるゲームも多いが、このSAOでは少し事情が異なる。HPがゼロになれば死亡のデスゲームと化したこの世界において、死のリスクを極限まで減らすべく最初の街に引きこもるプレイヤーは多いのだ。
今も路地裏に目をやれば、三大ギルドの一角、MMOトゥデイ(MTD)が「そういう」プレイヤー向けに炊き出しを行っているのが目に入る。彼らはただ、いつか来る"終わり"の時まで、ひたすら待ち続けることを選んだのだ。
貧乏人ばかりとは言え、人が集まれば産業は生まれる。生存しているプレイヤーの4分の1以上、約2000人が今も生活するこの街は、サービス開始から1年が経過した今なお人であふれているのだった。
中でも転移門に繋がる中央広場は、本部を置いているため非常に活気がある。
今日は特にそれが顕著で、朝からひっきりなしに大人数が出入りしている。大荷物を運ぶ人という、アイテムストレージのあるSAOでは何気に珍しい光景もしばしば起こっていた。
それもそのはず。第50層の突破により、アインクラッド攻略が折り返し地点を過ぎたことを記念して、MTDが本部の移転を発表しているのだ。つまりこの喧噪は、引っ越し作業である。
個人や数人規模のギルドで購入した物件を移るだけなら、ストレージにアイテムを満載すれば手ぶらで移動可能だ。が、構成員2000を誇る巨大ギルドともなると、本部機能だけでも動かさねばならない家具や物資だけで凄まじい量になる。
大荷物で出入りしている人の正体は、アイテム満載の≪ベンダーズ・カーペット≫――商人プレイヤー用の、アイテム化できず持っている間は走れなくなる代わりに絶大な容量を誇り、広げた場所を露店にできるアイテム――を抱えた人の行列だ。
道を挟んだ向こう側。職員宿舎の窓からでも、その様子が見て取れる。
行動計画、予算の分配、移転先のレイアウト決めその他諸々、さながら現実の企業が移転するかのごとき面倒な作業が山積みなのだ。
それでも移転を敢行したのは、MTDの攻略への貢献を上・中層プレイヤーにアピールする狙いがあると目されている。
――最序盤、MTDが立ち上げられた目的は、混沌とした状況を収めるための情報共有と互助だった。我々は、時流を読んでその時々、最善の行動を取ることでアインクラッドに貢献してきたのだ。
攻略も後半に差し掛かり、地盤は安定している今、最大の貢献とは攻略である。
「互助と貢献」を掲げて成立したMTDとして、これを新たな方針としたい。
大意を纏めればそのような演説、穿った見方をするなら「他の大ギルドに勢力で劣らないために先手を打つ」ようなことを提案したのは――やはりと言うべきか、カラードである。
MTDは、大手で唯一「格下の相手」に手を差し伸べるギルドとして、その勢力を一気に伸長させた。
彼らが引きこもったプレイヤー達を保護したお陰で、他のフロントランナー達は攻略に集中できたと攻略組の中ではいたく感謝されている。
それはつまり、「お前らが世話してくれているお陰で、俺達は遠慮なくあいつらを放置できるからありがとう」ということだ。「MTDがやってるから大丈夫だろ」の精神で、下層へ施しをする上層プレイヤーは極端に少ないのだ。
「……順調だな」
口をついて出た言葉は、何についてだったか。それは声の主であるカラードにしか分からない。
宿舎の2階ロビー、引っ越しに際して用意された臨時の執務室。MTDのサブマスターであるカラードは、デスクから見える作業の進捗を確認しつつ、方々からもたらされた「とあるデータ」のまとめ作業に勤しんでいた。
「作業も佳境ですねえ」
机の前には、若者の多いアインクラッドでは珍しい初老の男性。白髪交じりの短髪と、ワイシャツの上から作業着という服装から「町工場のおじさん」という言葉の似合う風貌をしている。
平均的な中肉中背。しかし背筋はぴしりと伸びており、189センチのカラードに相対してもまるで気後れする様子を見せないことが、彼の踏んできた場数を証明していた。
「ええ。引き続き、現場の立ち合いはカタンさんにお任せしても?」
「任せなさい、きちんとやっておくからね」
カタン。MTDの抱える職人プレイヤー組合「エッジウォーカー」のまとめ役であり、管理職では最年長59歳の男性だ。早期退職後の趣味として購入したSAOに囚われ1年、今やリズベットに次ぐ腕前の鍛冶職人として活躍している。
現役時代は中小商事の万年係長で大した仕事はしなかったと言うが、それでも社会人として高卒から40年近く務め上げた経験は無二である。こういう現場作業の際には監督役を任されるのが恒例になっていた。
本人はもう好々爺に片足を突っ込んでおり、「ゲームの中とは言えこんなに出世できるなんてねえ」と言った具合。女子中学生(就任当時)だった直属の上司、リズベットに代わって実務をこなす摂政のような役割を担っているのだった。
「さて、これがお望みの名簿だよ」
世間話を兼ねた近況報告が終わると、カタンは自身のコンソールを操作し、数十ページの表で構成されたデータを送信する。MTDの職人プレイヤーが担当した、顧客リストだ。
MTDの職人は、最前線が50層を超えた今もアインクラッド最高の練度を保持している。3層の頃、ネズハ達の起こした強化詐欺事件を受け発布された「職人保護プログラム」により、MTDは生産系プレイヤーの一大産地としての役割も持っているのだ。
そして、ギルド外のいわゆる「一見さん」がエッジウォーカー系列の店を利用する際には、必ず本人確認を求めるよう規則で定められている。
買い物や武器強化などなら名乗るだけでいいが、オーダーメイド等の高級サービスは「名前のスペルを教え、店員がインスタントメッセージを送り、そこに書いてあるパスワードをその場で読み上げ」て初めて利用できるという厳重ぶりである。
因みに、破ったのが判明すると本部からの素材供給が止まるので、職人側も必死になって守っている。金は払うが口も出すことで知られるMTDだが、職人には一等厳しいルールを課しているのだ。
そういう訳で、職人組合の顧客リストには「誰が、いつ、どんな注文をしたか」が全て記載されている。名前と注文したものだけとは言っても、後はアルゴにでも聞けばどこの誰で、何をしているのか一発である。
「……確認しました。いつも手数かけます」
「とんでもない。私たちは皆君に恩があるからね。これくらいの協力ならいくらでもするよ」
掛け値なしの本音であった。
カタンやリズベットも含め、80名ほどいる職人プレイヤーのほとんどは、この始まりの街で配給暮らしをしていた戦えない者たちだった。
一度どん底の暮らしを経験しているからこそ、今の彼らが黒パン以外の物を食べ、SAOでまともな暮らしをしていられるのは、偏にMTDの保護によると強く認識している。
職人たちはその恩恵と、ギルドへの依存度が最も高く、故に忠誠心もそれに比例して強いのだ。
「また一か月後にお願いします」
お陰でこうして、手足としてこき使うことが出来る。カラードとしても、貴重な情報源の一つとして重用しているのだった。
軽く、しかし確かに尊敬の念を滲ませた会釈をして、カタンが執務室を後にする。
直後、カラードはコンソールから数十枚のテキストデータを読み出し、それを見ながら何某かの文章を書き出し始めた。
かなりの手間と人員を投じて文書化・更新を続けている「生命の碑」に記載されている人名の全数データ。
アルゴとエギルに調べてもらった中~下層ギルドの構成と人員。
ディアベルとリンドからそれとなく聞き出した「聖龍連合」の組織構成。
アスナが語る、血盟騎士団の内情を纏めたもの。
ピトフーイから聞き出した、オレンジプレイヤーやドロップアウト者の現況。
PoHに会った時それとなく把握しておいた、彼らの命令系統と構成員。
ユリエールと共同で行った、自分たちMTDの詳細な人口調査記録。
先ほど手に入れた顧客の記録が、最後のピースだ。
一つ一つは断片に過ぎない情報を纏め、精査し、矛盾する部分を再調査して裏を取る。
手元に開かれた手書き用のメモ帳ウインドウには、殴り書きと筆算が凄まじい勢いで書き綴られていく。
数十分が経過した頃、中心にあった清書用のウインドウには、一枚の表が出来上がっていた。
「……完成だ」
淡々としているカラードが、珍しく「ふぅ」とため息をつく。彼にとっても数か月がかりの大仕事だった。
それぞれの情報源には一切の共有がされておらず、いわば「国勢調査」の結果と言うべきこの表が作り上げられたことを、彼らは知らない。
流石に細かな数字は概算でしかないが、それでも見えてくるものは極めて多い。
例えば、俗に攻略組と呼ばれるトッププレイヤーと、その下、中堅層に位置するプレイヤーの総数がほぼ同程度であり、合わせても1000人に届かないという事実。
その直下に位置する4000を超える低層プレイヤーは、既に攻略組に追いつく気がなく、仲間とつるんで日銭を稼ぎ、細々と暮らしている者達がほとんど。戦力としては不適であり、本当の意味で「SAOをやっている」とは言い難い。
それより下は、はっきり言って「論外」。攻略に寄与することも新たな発見を齎すことも、職人として活路を見出すこともできなかった者達だ。
極論だが、大局への影響力を持っているという点で、まだラフィン・コフィンの方がマシじゃないかとカラードは思っているくらいだった。
これまで続けてきた分断工作は、上層へのリソース集中によって攻略組が強化される利点を生み出した一方で、下層の生活水準を下げに下げ、それに対して上が無関心な状況を作り出した。
既にMTDの上位メンバーさえ、自分たちが炊き出しをしている相手を直に見ることはない。
3軍のメンバーと輜重部の文官たちが、ほとんど浮浪者じみている者達への炊き出しを嫌がって、新参者である旧アインクラッド解放隊(ALS)の者達に仕事を押し付けたからだ。
本部機能を移転すると言うが、動かされるのは攻略組としての機能のみである。
拠点である始まりの街を警らする三軍や、引きこもり達への炊き出しを主な業務とする輜重部はその機能の大半を1層に残すこととなっている。東京と創業地にそれぞれ本社を置く地場企業のようなものだ。
それに際してカラードは、長らくユリエールが兼務していた輜重部長のポストにキバオウを据えようと提案し、認められた。下層向きの仕事はALSがやるもの、というなんとなくの雰囲気が出来上がっていたのである。
因みに、3軍の上位層もまた、ほとんどが旧ALSのメンバーで占められている。腐っても元攻略組、精神的な問題で前線には出られずとも、その能力は未だ、2軍で通用する程度に高いのだ。
――今回の本部移転作業は、この表で言う「下層」より下を
上位層の中には、口に出せないだけで「自分たちの稼ぎで何故ニート共を養わねばならないのか」という不満は確かにある。他ギルドはまるで弱者を顧みる気がないだけに、なおさら。
既に支援策も、金だけ渡してキバオウらに一任、という状況になりつつあった。今回の移転がとどめになる可能性は高い。
彼らの物資や会計の管理は、金融業界出身のユウママがやっているとは言え、2000人規模の大組織にしては杜撰である。
組織として出来上がって1年程度で、専門家の知恵もないのだから無理もないが、実はカラードが真面目にやれば、もう少し穴の少ないものにすることも可能だった。
また、中層ギルド「サザンクロス」のメンバーにはリアル公認会計士がおり、財務顧問としてスカウトしてはどうかという話が内々で持ち上がっていた。
どんぶり勘定で、監視の目もない。これまでにも低層プレイヤー支援のための予算で色々と小悪事を働いていたキバオウが、本格的に転げ落ちていくことは確実だろう。
この仕事は、始まる前から
はた目には、MTDの移転以来、より積極的に攻略に参加するようになったが、下層の治安は悪化したという因果関係が見える。
中層、上層の者達は、攻略組として本格化を果たしたMTDを称えるだろう。彼らのリソースを攻略に注げば、解放の日はもっと早くなるはずなのだから。
しかしその時、始まりの街の住人たちはこう思うのだ。
彼らは、自分たちを見捨てたのだと。
――MTD本部の移転によって、ギルドは事実上分裂したと見る向きもある。
手の届かない上司たちが消えて監視の目から解き放たれ、それまで中間管理職に過ぎなかった旧ALS残党は、いきなり千数百人の市民を支配する"王"になったと錯覚した。
予算は来るが、監査は来ない。それはまさしく、天から降ってきたお金だった。
攻略組たる主要メンバーは最前線に陣取り、実際に1層を支配するのはキバオウ派の旧ALS。MTDが組織としての形を保ちながらも、その内にはもう一つのギルドが既に存在していた。
始まりの街を支配し悪名を馳せる「アインクラッド解放軍」は、この時産声を上げたのだ。
――N〇Kスペシャル「実録・SAO事件第3集『悪意と腐敗』」より抜粋。
表の詳しい情報については次話を参照してください。
そちらにも同じ表を掲載し、解説しています。
お詫びと訂正:組織図に記載されていた日付に、以下の誤りがありました。
誤:2024/1/16
正:2023/11/16
お詫びして訂正いたします。