ソードアート・オンライン ラフコフ完全勝利チャートRTA 2年8ヶ月10日11時間45分14秒(WR) 作:TE勢残党
遅くなり申し訳ございません。
50層主街区≪アルゲード≫。東南アジアを思わせる雑多な街並みの一角に、キリトの活動拠点はある。
最前線に近いからか、アインクラッドの丁度真ん中だからか、あるいは現実の香港をリスペクトしているのか、この層は見た目の小汚さの割に地価が高い。宿屋の料金も同様だ。
キリトがここに塒を構えたのは往年の秋葉原感がある雰囲気が気に入ったからだが……そういう酔狂な攻略組と、後は交通の便に目を付けた一部の商人プレイヤーくらいしか、この層には住んでいないのだ。
キリトがここに戻ってきた時、時刻は日付が変わる直前だった。
クリスマスボス――背教者ニコラスに挑む道程で、自分を付けてきたカラード達と交戦。
アレックスをあと一歩の所まで追い込んだ時、視界が不意にブレた瞬間、目の前からあの女が消え失せた。
回廊結晶によって強制的に転移させられたと気づいたのは、それから数秒後。消えたのは自分の方だった。
一も二もなく走り出し、大急ぎでモミの木までたどり着いた頃には、全てが終わっていた。当然だ。高価な地図があるからと言って数十分で狙いの場所に行けるほど、≪迷いの森≫は甘くない。
そこからどうやって帰ったかは思いだせない。ただ、知り合いに会わなかったのは確かだった。
キリトは、≪還魂の聖晶石≫が死亡してから10秒程度のごく短時間しか効果を発揮しないことを知らない。
蘇生を試すことさえできず、死に損なった身体だけがある。
どうしようもない無力感に押し潰されていたキリトだが、その絶望が行動に移されることはなかった。
12月25日。午前0時00分。
システム特有の律義さで、キリトの眼前に時限式ギフトの通知が届く。
送り主は――
「……サ、チ?」
受け取りを承認すると、手元に八面体の結晶アイテムが現れた。
記録結晶。録音のみ可能な廉価版。
『メリークリスマス、キリト』
サチは、自分が長くは生き残れないと自覚していた。その時が来たら、キリトが激しく自分を責めるだろうことも。
本人が隠しているつもりだったキリトの真の強ささえ、彼女は知っていた。
『もし私が死んでも、キリトは頑張って生きてね。生きてこの世界の最後を見届けて、この世界が生まれた意味を――』
キリトは、あり得ない筈の死人からの許しを――今の彼に一番必要だったものを、得ることができたのだ。サチの奇跡的で、後ろ向きな先読みによって。
奇しくもそれは、クリスマスプレゼントだった。
『~♪』
サチ曰く時間が余ったからと歌われた「赤鼻のトナカイ」は、これ以上なくキリトの心を癒した。
(……キリト、君)
――様子を見に来たアスナが、宿屋のドア越しに理解する程には。
「当たり」と違うモミの木に部隊を展開していたアスナは、読み違えたことに気づいて撤退の準備を始めていた頃、MTDが蘇生アイテムを手にしたとの情報を得た。
やけに清々しい顔のディアベルが、態々伝えに来たのだ。
『カラードの勝ちだ。オレもキリトもクラインも全然歯が立たなくて――』
『キリト君そっちに居たんですか!?』
『え? あ、うん』
その場でキリトの拠点を聞き出して駆け付けたアスナの対応は、十分迅速だったと言えるだろう。
結果として、机に突っ伏して感極まるキリトをドア越しで見る羽目になった訳だが。
(私は……何もできなかった)
勝手に追い込まれて、勝手に救われてしまった。
"サチ"という女性について、アスナが知っていることは多くない。25層の惨劇の直後、人死にを嫌ったキリトは一時的に攻略組から姿を消していて、戻ってくるまでの間に全てが終わっていたからだ。
アスナは状況から見た推測で、何が起きたか察するにとどめていた。今の状態のキリトに聞くのは、危険だと思ったからだ。
クリスマスを前に様子がおかしくなってからも、彼が頼ってくることはなく。結局キリトを癒せたのは、サチだけだった。
結局アスナは、"サチ"という女性に、最後まで敵わなかったということだろう。
すすり泣く声は、いつの間にか二人分に増えていた。
◆◆◆
ジマはその日、モヤモヤとした気持ちを抱えて街を歩いていた。
丸一日かけてカルマ値を回復するクエストを終わらせた帰りで、妙な徒労感に苛まれていたのもある。だが一番の原因は、クリスマスボスを巡って起きた抗争だ。
自分たちが勝ったので、蘇生アイテムはMTDの手に渡った。今はギルド共有ストレージの一番上に鎮座して、士気向上や新規の戦闘員募集に一役買っている。だが……
(あそこまでする必要、あったんすかね)
他の攻略組を文字通り蹴散らして……カーソルをオレンジ色にしてまで求めるアイテムだとは、どうにも思えなかった。
とは言えジマは意志が弱くて長い物には巻かれるタイプ。こういうモヤモヤはその内慣れると、中高時代の理不尽な校則の数々で身をもって知っていた。
(いいんすか……カラードさん……?)
だが今むしゃくしゃしていることに変わりはなく、恐らくそれが行動にも影響されていたのだろう。考え事をしながら歩いていたせいで、普段なら通らない路地裏を通った。
ここが第1層であったことも災いした。今の「はじまりの街」は治安が悪い。路地裏に態々訪れる身なりのいい男は――
「あっ、あの!! お兄さん!」
――大体の場合、
「ぇ、あ。お、俺すか?」
自他共に認める"コミュ障"である。彼の場合、会話の引き出しと経験が足りない「陰キャ」と言うより、家族や仲間内以外とは何を話していいか分からなくなる「人見知り」の類。
初対面の異性相手に会話が成立しているだけ、ジマの中では頑張った方だ。
「ああよかった! 無視されちゃうかと思ったぁ」
心底安心した様子の少女は、恐らく高校生だろう。……そこまで考えて、少女が制服のような格好であることに思い至った。どこで手に入れたのかは分からないが、しかし制服にしては、妙にスカート丈が短いような……。
「え、えっと……あんまり見られるとちょっと恥ずかしいんだけど……」
「あ、す、すいません」
思わず凝視していたジマは、何故だか敬語で文句に答えた。
「あっいや、落ち込ませたいんじゃなくて……よし。えっと、お兄さん、遊びに来た……んだよね?」
「え、いや俺は……」
そこまで言われたら、流石のジマでも理解できる。自分は客引きに引っかかったのだ。
「ど、どうかな。ほら、興味持ってくれてるみたいじゃん? お兄さん装備の感じ的に、めちゃくちゃ強い人でしょ? カッコいいなぁ」
そういえば大学の先輩が気を付けろと言ってたっけ、と、どこか他人事のようにセールストークを聞いていた。
ジマは童貞である。だからこそ、自分が女性とどうこうしようというのが、どうも現実味のある事象として捉えられなかったのだ。
ただ何となく、この子営業が下手なんだなー、という妙な親近感だけを得ていた。
「ね、ちょっと遊んでこうよ。も、もちろん、その。好きな事してくれていいから。たとえば……そうだ、ここ見たいんだよね。これくらいなら……さ、サービス! あはは、なーんちゃって……」
しどろもどろだったが、ぴらり、とミニスカートをめくって見せる姿に、どうやって断ったものかと考えていたジマの意識が強制的に引き戻された。
視線が翻ったスカートと、その下の布切れに集中させられる。
「っ、わはー……そ、その気になってくれるのは嬉しいけどお兄さん、目、目……」
真っ赤な顔で恥ずかしがって見せる少女。その表情がポーズで、下に押し込められた何かがあることまでは、ジマは気づけなかった。
重ねて言うが、ジマは童貞である。このつたない客引きでも、ホイホイついて行く余地は十分あっただろう。
「え、えっとどうかな。気に入ってくれたなら、そこの宿で……ね? あ、値段言わなきゃ。せ、いや、
脳を支配しようとしていた性欲が、一瞬でどこかに飛んで行った。
「……は?」
怒りや何かを伝える意図があった訳ではない。
それが、2000コル。最前線のモンスターを3匹倒せば釣りがくる。「攻撃力アップ」のバフ目当てで毎日飲んでいるジュースの方が高い。
「ひっ……あ、や、違うの、怖がってるとかじゃなくて、本当、NGとかないから。本番でも
それを何かと誤解したか、必死に弁解を始める少女。
(何をそんなに怖がって……あ)
一つ、思い至る所があった。
MTDで行われている、一軍プレイヤー向けの講習の一節。「非戦闘員との力の差を自覚すること」。
圏内という防御機構はあるが……本質的に、非戦闘員と攻略組との間には絶望的な戦力差がある。最悪、圏外に引きずり出されて暴力に訴えられた時、攻略組のプレイヤーを止められるのは攻略組だけだ。
ジマのレベルは75。HPは13200。戦闘時回復スキルによる自然治癒力が、10秒当たり500と少し。
何十万コルもする装備品で全身を固め(しかも頻繁に買い替え)、磨き上げられた戦闘技術で敵を屠る。
――大真面目に懸念を語るカラードを前に、昔の漫画で読んだ"破壊神を破壊した男"の逸話みたいだと、ジマは茶化して言ったことがある。
だが、今やっと理解できた。
「
ジマでさえ。否、攻略組でも別格の強さを持つと語られるジマは、どうしようもなく上位者だった。
何の気なしに散歩していただけのジマは、少女にとっては正しく、「気まぐれに無聊を慰めに来た怪物」でしかない。
彼女から見て、強者の機嫌を損ねたら何をされるか分からない。
そもそも「圏内」の安全保障だって、自分の知らないすり抜け手段が存在するらしいことを、なんとなく聞き及んでいるというのに。
「や、ちが……」
脅したつもりはなかったんだ。
ジマはともかく、誤解を解こうと手を伸ばすようなジェスチャーを取った。
「ひぃ! ご、ごめんなさい!! 怖がるなんて、失礼なのに……!」
少女は完全にテンパっていた。「怖がってはいけない」と言い聞かせていたのももうとっくに決壊して、丸くて可愛らしい顔を恐怖にゆがめ、少しずつ後ずさりしている。
「い、一回落ち着いて……」
「少しいいかい?」
ジマがすっかり対応に困っていると、背後から話しかけてくる男の声があった。
30歳くらいの、神経質そうな顔をしたやせぎすの男。確か、警ら隊のリーダーを務めている3軍のメンバーだった気がする。
キバオウ派の人間のことはあまり詳しくないが、以前はもっと陰気で、挙動不審な所があった気がする(ジマも人の事は言えないが)。ちょっと見ないうちに何があったか知らないが、随分男を上げたというか、自信が付いたようだ。
「あ、えっとこれは、その」
「ジ、ジマさん! これは大変失礼しました!!」
(ああ、そういえばこんな礼儀正しいヤツだったなあ)
初期の攻略で肩を並べて戦ったことを思い出しながら、ジマは視線を男の方に向ける。
今日はいつもの鎧姿ではなく、軍服っぽさのあるギルドユニホーム姿だ。因みに士官用と下士官用の二種類があるらしい。
変な所に凝り性なヤツもいたもんだと、階級の重要性を真に理解していないジマは思っている。
「ひっ……!」
「おい、逃げると余計罪が重くなるぞ」
男が号令をかけると、路地の反対側から鎧姿の男たちが現れた。彼の部下達だろう。
「お見苦しい所をお見せして申し訳ございません。
「ああ、禁止っすもんね、こういうの……」
要するに、この客引きをしょっぴきに来たということだ。というか……
「俺、ひょっとして客扱いになります?」
「滅相もない、
「いいんすか、それで……」
つまり、そういうことらしかった。
「ただその、大変申し上げにくいのですが……このような場をお使いにならずとも、もっと相応しい場所があるかと。この女は今日初めてここに立ったようですが、ここでは所謂"ぼったくり"が報告されていまして」
慇懃な態度で、そんなことを口走る男。相応しい場所云々はどうでもいいが、後半を聞き逃す訳にはいかなかった。
「ぼったくり……?」
「……一般に、相場は
「そんなに」
安いのか、とは、なんとなく言えなかった。
「ええ。ふざけた話です。高々レベル1の身体一つ、
どうやらその判断は正しかったらしい。
「おっと、今のは少し言い過ぎました。これはお互い秘密が出来てしまいましたね」
得意げにそう語るこの男は、どうやら世渡りの上手い性分のようだ。いつの間にか、ジマが人目を忍んで女を買いに来たことを、この男が握りつぶしてくれたということにされつつある。
「もしよろしければ、彼女に巻き上げられた分、きっちり耳を揃えて返させますが」
「や、そもそも買ってないっす」
「左様で」
「――ぁ」
目が合った。
「た、助けっ」
「おい」
少女がそれを言い終えるより早く、男の指示に従って部下が口を押える。元とは言え攻略組だっただけあって、かなり統率の取れた動きだった。
軍人崩れ。そんな言葉が脳裏をよぎる。
「気にすることはありませんよ。ジマさんは英雄で、我々は公僕みたいなもので、そして彼女は犯罪者だ」
「……随分、平気そうっすね」
ジマは友人の少ない男だが、薄情ではないつもりだ。やりすぎだと思えば、苦言くらいは呈する。
「悪人の台詞に一々耳傾けてちゃあ、この仕事は務まりませんので」
――今はこれが当たり前です。貴方もすぐ慣れますよ。
男は悪びれもせずそう答えた。取り合う気はないらしい。
ジマは長いものに巻かれる男だ。その方が面倒がないと思っている。今まで、カラードという天才の右腕となるべく、あるいは拾ってもらった恩を返すため、レベル上げに打ち込んできた。
この日も結局、ジマは大勢の流れに従った。彼女がこの後どうなるかさえ、ジマは聞いていない。
だが今日は、逆らわなかったのではなく、逆らえなかった。彼はどこまでも一兵卒で、社会を変えるような大きな力は、仮にあっても身に余るからと目をそらして生きてきた。どうやれば無理を通せるか、彼はまだ知らない。
ただ、そんなジマが「カラードについて行けば大丈夫だ」という思考を辞めて、自分でものを考えるようになり始めたのは、間違いなくこの日だっただろう。
「……さて。テメェ随分舐めた真似してくれんじゃねぇか」
すごすご帰るジマを丁重に見送ってから、男は拘束された少女を睨みつけた。
「誰に断ってこの路地立ってんだ? しかも攻略組にコナかけたぁ?
「ひっ……あ、の。あたし出来心で、ほんと」
先ほどとは打って変わって高圧的になった男は、ドスの効いた声で少女に詰め寄る。
「言い訳は聞いてねぇ。やったことには見返りがあンだよ。そんだけだ」
「そんなにモノを咥えたきゃ、いくらでもやらせてやんよ」
部下の一人が、下卑た目線をよこす。
「そういうこった。上が相当お冠だからな、お前さん、
備品。何も知らない一般人には、意味の通じない隠語。
「――っ」
そして、はじまりの街の裏側で、唯一「処刑」よりも恐れられる罰。
「連れてけ。そいつぁまだ初モンだ。味見したらぶっ殺すぞ」
「へーい」
真っ青な顔で口をパクパクさせる少女を、部下たちが手慣れた様子で運び出す。
ギルドの二重所属は出来ないので、名義上はMMOトゥデイ所属となっているが。
彼らこそ、MTD3軍警ら隊にして、キバオウ派の内部で結成された
「そう落ち込むなよ。上手くやりゃあ、
――リーダーの袖の下には、棺桶の入れ墨が笑っていた。
50万UA、ありがとナス!!
23:41追記:一部表現を加筆修正。