ソードアート・オンライン ラフコフ完全勝利チャートRTA 2年8ヶ月10日11時間45分14秒(WR) 作:TE勢残党
洞窟の中は一本道だった。
NPCの口振りからして、「魔剣」 かそれに匹敵する装備品があると思われるここは、鍾乳洞のように垂れ下がった岩が特徴的な、湿った所だ。
それ以外には、これと言って何もない。見つけにくい場所でこそあれ、迷路のように入り組んでいるでも、ギミックや罠があるでもない。
どころか、モンスターの1匹さえ見当たらない。ピチャピチャと水の滴る音だけが一定間隔で聞こえ、洞窟特有のひんやりした空気が籠っている。
松明片手に少しずつ歩を進めているアルゴには、ただの秘境にしか思えなかった。
足音を出さないようにしながら、薄暗い洞窟の中を進む。長い一本道で、分岐や隠し通路の類も無いようだ。
トレジャーボックスも見当たらない。アルゴのスキル値で見つけられない以上、存在しないと見ていいだろう。
(かえって不気味だナ……)
それでもアルゴは、油断していなかった。
洞窟に入った瞬間、クエスト欄に追加された「孤高の試練」。"進行中"の表示が、今が試練の最中であることを示している唯一の道しるべ。
やがて、洞窟がほんの少しずつ狭まっていることに気がついた。向かう先にうっすらと光が見え始めたのも、このときだ。
ついには人1人やっと通れるくらいの幅になっていた通路が終わると、そこには半径50メートルほどの空洞が広がっていた。
(これハ……!)
長いことクエストやイベントに関わってきたアルゴには、いや、それなりに"ゲーム慣れ"している者には一目で分かる。
ボス戦だ。
アルゴが察したのと時を同じくして、にわかに洞窟が震え始める。大型モンスターの登場演出でよくある種類だ。
両手に装備している戦爪と、ポーチに入った転移結晶をチェック。その場で一瞬記録結晶を起動し、戻す。
(結晶無効化エリアじゃあ……ないナ)
チラリと後ろを確認。退路が塞がれてはいない。逃げることは可能そうだ。
こういう時、アルゴのモットーは一撃離脱。一撃当てて逃げる、という本来の意味ではなく、1発食らうまで粘ってから撤収する、ということ。
(……揺れが長いナ)
先ほどから何度か、天井をぶち抜いて降りたり戻ったりしている巨大なワームの姿を見ている。だがまだ動きが速すぎて、登場演出が終わっていないと思われた。
その時、ピタリと振動が止んだ。数秒間、広間が静けさに包まれる。
(ン? 何かイベントが――)
刹那、アルゴの背筋を強烈な悪寒が駆け巡った!
「ッ!?」
咄嗟にその場から飛び退いたアルゴは、すんでのところで死を免れる。
敏捷値と軽業スキルに任せて跳んだ身体が着地するより先に、アルゴの左半身をナニモノカが覆った。超高速で飛び出してきた、ボスモンスターの巨体だ。
車窓から見た特急列車のごとき勢いで通りすぎた"ソレ"にかち上げられて、しかしアルゴの動体視力と頭脳は、何が起こったかを理解していた。
――足元、地中からの奇襲。
「てッ、転移!! タフト!!」
何度も何度も練習して身体に染み込ませた危険対処の動きは、"反射"となって動転しかけたアルゴの命を救った。
自由の利く右手で転移結晶を取り出し、叫ぶ。解放されているなかで、最も呼びやすい都市の名前。
すぐにアルゴの視界が光に包まれ、次の瞬間には、打ち上げられていた身体が石畳にべしゃりと墜落した。
「ぶえっ」
そのまま転がって勢いを活かして飛び上がり、立った状態で着地。
「はーっ、はーっ……」
恐怖を感じる余裕が出て、一気にぞわりと毛羽立つような感覚に襲われる。
辺りを見渡すと、夜間で人気のない街並みが広がっている。
視界の端のHPゲージは、すっかり赤く染まっていた。2撃目を食らっていたらと思うと、(気のせいだろうが)血の気が引いていくのを感じる。
アレは無理だ、攻撃力が高すぎる。攻略組が集団で相手しないと危ないレベルのボスだと、アルゴはそう判断した。
魔剣というものの性能を、それを守るモノの難度を舐めていたのだ。報いもある。
「良かった、助かっ……タ……」
気持ちを落ち着けるためか、無意識にカラードに貰った指輪を撫でようとして――
「ぇ?」
――付けていた薬指が、左腕ごと失くなっているのに気づいた。
背筋を嫌なものが駆け上がっていく。
「な、い……ない、ないないなイ!」
半狂乱でアイテム欄をひっくり返すが、指輪は入っていない。装備欄も同様だ。装備フィギュアの左腕部分が赤く染まり、欄が消滅している。
「あ、ァ……っ」
声にならない音が口から漏れた。膝の力が抜け、その場にへたりこむ。顔は蒼白で、今にも泣き出しそうに歪んでいた。
普段、あまり形に残るものをくれないカラードが、たった1つ贈ってくれたプレゼント。
ついこの間、ようやく左手薬指に嵌める決心がついたところだったのに。
アルゴの脳内を、走馬灯のように思い出と嫌な想像が駆け巡る。
(……いヤ)
転機があったのは、それから数十秒後。絶望の中で、あそこで落としただろう指輪をどうやって取り戻すか考える冷静な部分が、アルゴには残っていた。
(思い出セ……こういうとき、装備は……そうダ、欠損の時、武器はその場に落とすけド、アクセサリーは回復と同時に装備欄に戻ってくるハズ!)
通常なら、欠損状態は長くても10分で自然治癒する。何も心配はないと自分に言い聞かせた。
(そ、そうダ……! この腕が治れば、指輪も、きっト……)
欠損の状態異常表記が、通常と違うことからは目を反らして。
(ま、まだかナ……早ければそろそろだと思うけド……)
5分経過。腕は回復しない。
(も、戻ったらカー君に慰めてもらおウ、そうしよウ)
7分経過。いても立ってもいられず、転移門を使ってカラードがいる層の主街区に移動。
(ら、乱数が悪さしてるのかナ……? にゃ、はは……)
10分経過。目に見えて顔色が悪化し始める。
(は、早く……お願いだから早ク……)
15分経過。治るハズの時間は大幅に超過している。
(なんデ……どうして治らないんダ……? こんなに長続きするモノじゃないはズ……)
20分経過。いよいよ頼みの綱がなくなる。
「ヒール! ヒール!! うぅ……なんでだヨ……」
30分経過。回復結晶、解毒結晶、ともに効果なし。
(もし、もし何かの間違いで、指輪が消えてたとしたラ……)
35分経過。転移門広場のベンチに座り込む。
(洞窟の中……やっぱりあの敵ガ……でもオレっちじゃあ……いや、攻略組だってあんなの相手ハ……じゃあ、もウ、諦めるしカ……)
40分経過。アルゴの理性が最悪な結論を導き出す。
「ひっ……えぐ、えぅ……」
45分経過。恐怖と喪失感に押し潰され、泣くこととカタカタ震えることしかできなくなる。
贈った指輪をなくしたのが知れたら、カラードは怒るだろうか。なんとなく、糾弾すらせず、ただ呆れたように「そうか」とだけ言って放置される気がした。
嫌だ。見捨てられたくない。
アルゴはうつむいて頭を抱え、しかし目だけは見開いていた。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どう――
「アルゴか? 何か用事でも――その腕どうした?」
いちばん、
「待て」
「っ!」
思わず逃げ出そうとしたが、先手を打って呼び止められる。こんな状況になっても、カラードの指示には反射的に従ってしまう。
「……何があった?」
カラードは珍しく、言い淀んだ様子で……おそらく、狼狽えて、見るからに、アルゴのことを気遣うような素振りで、こちらをじっと見つめていた。
「ぁ、ぅ……ひぐっ、カー、くん……ごめっ……」
おずおずと手を伸ばそうとして、途中で止まる。
クリスマスプレゼントを手に入れるどころか指輪をなくす有り様で、その上まだカラードに甘えていいものか――
そのまま手を引っ込めようとしたところを、強引に引っ張られて抱きしめられる。
アルゴの意地が持っていたのは、そこまでだった。
「っ! えぅっ、うぇええ……カーくん……ごめん……ごめんよぉ……」
途切れ途切れ、嗚咽混じりのアルゴを宥めながらどうにか事情を聞き出したカラードは、怒るでも呆れるでもなく、カラードらしい冷静さで、しかし少しだけ荒っぽくコンソールを操作。
「結晶類は足りるか……孤高というからには、大人数で挑むのは下策、とすると……」
テキパキと何通かメールを送り、なにやらアイテム欄を整理すると、アルゴの方を向き直って「場所を教えてくれ」とだけ声をかける。
「エ……カー君、何ヲ」
「少し、残業をする。すまんが付いてきてくれるか?」
ああ、そうか。
(ぁ……はは、カー君、気を遣うの下手だなあ……にゃはは……)
内心でからかうのとは裏腹に、アルゴは安心しきった笑みを、カラードに向けていた。
8/12 16:45追記:やっぱ今日は無理そうです。申し訳ナス!