ソードアート・オンライン ラフコフ完全勝利チャートRTA 2年8ヶ月10日11時間45分14秒(WR) 作:TE勢残党
「私の忠義を疑うか!!」
最前線付近に新設されたMTD本部。4階にいくつかある小会議室の一室に、システム的遮音を貫通して外まで轟くのではないかという怒声が響き渡った。
厳格な口調で怒りをあらわにした30過ぎの男――MTD一軍の1人、コーバッツは、怒号とともにテーブルに拳を叩き付けた。
けたたましい音が響き、水の入ったコップが倒れて中身が広がる。
「二度とそのような話を持ち込まないで頂きたい! 全く不愉快だ、出て行きたまえ!!」
机の惨状にも構わず、コーバッツの怒りは収まらなかった。元々彼は頑固で激情家な所があったが、ここまでの荒れ方は初めてだ。
「わ、分かりました、帰ります、帰りますから……」
すっかり気圧された客人――聖龍連合二番隊のリーダー――は、旗色が悪いと思ったかそそくさと会議室から退散する。
彼が出て行ってドアを閉めた後も、コーバッツは不機嫌なままであった。
「ふん! この程度で気圧されるのなら引き抜きなど持ちかけなければ良いものを!」
立ち上がった勢いで後ろに流れていた椅子に座り直し、忌々し気に吐き捨てる。
二番隊隊長は、コーバッツをMTDからヘッドハンティングしに来ていたのだ。
彼の名誉のために補足しておくと、コーバッツは最近、驚異的な勢いで伸びてきたノーチラスと入れ替わる形で、MTDの最精鋭部隊である遊撃班から外されていた。その処遇に不満を感じているのでは? という読みは、少なくとも理にかなったものではある。
コーバッツがプライドの高い男であるというのも間違ってはいない。ただ彼はMTDの一員として、戦えない下層の民に代わって解放の日を目指して貢献しているのだと本気で信じていたし、そのことに誇りを持っていた。
彼は良くも悪くも古いタイプの人間で、入った組織に忠義を尽くし、骨を埋めるのをこそ本懐とする男だった。彼にとって「移籍」とは、「裏切り」に他ならなかったのである。
「
思い出したように独り言ちる。
彼はかなり極端だが、似たような考え方をしているMTDの上位メンバーは少なくない。下層への無関心さ故に、自分たちが下層民を助けてやっているのだという思い込みが正されないまま、選民思想を持って暮らしている者達は多いのだ。
一方の二番隊隊長はと言えば、目論見が外れた格好になる。
彼の提示した条件は破格のものだ。何かと給料の天引きが多いMTDに比べ、聖龍連合は強者による独占を是としているため収入が増える。さらにコーバッツの防御力と指揮能力を買って、初めから隊長級のポストであった。
能力さえ認められれば新入りに幹部を任せる柔軟性は、実力主義故に組織が流動的な聖龍連合ならではと言えるだろう。
彼はギルドの本拠地に戻る……のではなく、圏外村にあるさびれた酒場に向かう。今回の引き抜き工作を指示した人間と待ち合わせているからだ。
「す、すみません。しくじりました」
元来、聖龍連合の二番隊隊長というのは、アインクラッド全体で十指に入る高いポストである。本人の能力も相応に高い。
そんな彼が明確に格下としての態度をとる相手は多くない。ギルドの総長であるディアベル、その直下に位置するリンド、そして――
「構わない。ダメで元々、との、お達しだ」
――すっかり上下の逆転してしまった、ラフィン・コフィンのメンバー。
今回のような重大な案件の場合、指示出しはPoH本人だが、代理人としてザザ、モルテ、ジョニー・ブラックがメッセンジャーを務めるのが定例であった。
今日はザザがその担当。組織の拡大と共に頭脳労働が増えたため、過労気味になった彼だが、頼りにされるということが少なかった彼にとっては楽しくて仕方ないようだ。
「赤眼のザザ」とは徹夜明けで充血した目のことだと揶揄われることも多いらしいが、本人は気に入っているようだった。
「これで、向こうにも、伝わっただろう。お前の、仕事は、終わりだ」
リアルでは吃音扱いされる独特な喋り方も、今は危険な雰囲気のスパイスだ。本人の実績次第で印象はいくらでも変わるという悪い例だろう。
「そ、そうですか……」
隊長には最低限の情報しか与えられていない。
ただ、
カラードとの取り決めにより、MTD1軍のメンバーにラフコフがちょっかいをかけるのは禁止されている。と言う訳で、間に聖龍連合を噛ませて言い訳ができるようにしているのだ。
「まあ、最低限の、結果は、得られた。くれてやる」
「あ、ありがとうございます!!」
ザザがトレード欄に取り出した"チケット"は、見た目ただのテキストデータに偽装されているが、その実高度に暗号化された入館用パスワードである。
係員にこれを見せることで、どのランク、何時間まで"使える"かも向こうから指示してもらえる優れものだ。
(悪くない、気分だ)
悪趣味の結晶のような代物を有難がっている隊長を、ザザは冷めた目で、しかしほの暗い愉悦を感じながら眺めていた。
『花火はデカけりゃデカいほどいい。そういうこったろ、
『ああ、そういうことだ。大きな花火には、多くの火薬がいるからな』
本拠地で何やら分かった風に酒を酌み交わす
PoHの企みを(ザザ自身すら正確な所は分かっていないのに)完璧に把握し、釘を刺してくるカラードも大概だが、それならそれで、と何事もなかったように謀略を捨ててのけるPoHも相当だ。
ザザはこれでも、最初期からPoHに付き従う幹部の一人。彼のパーソナリティは理解しているつもりだ。
衝動的で、刹那的。世界に絶望し、消えない憎悪に突き動かされて生きている。しかしどこかでそんな世界を冷笑的に面白がってもいて、それ故真に情熱を傾けることはせず、飽きっぽい。
そんなPoHが飽きもせず巨大組織を運営しているのは、あの大男の影響が大きいに違いない。
(だが、ただで誑し込まれるリーダーでは、ないぞ)
ザザもまた、そんなPoHの在り方に惹かれた一人だ。誰かの影響を受けたからと言って、相手に都合よく動くようなタマではないと、彼はよく知っていた。
聖龍連合の切り崩し工作も、この勧誘工作だってそうだ。
『仲良しこよしは柄じゃねぇんだ。こういうのが"らしい"だろ、兄弟』
これは
笑顔で酒を酌み交わし、その裏で熾烈な勢力争いを繰り広げる。
それでこそリーダーだと、ザザは人知れず、笑みを深くした。
◆◆◆
「こっちかな……いや、これ……? 案外これとか……」
鏡台の前であれこれ装備のコーディネートを試しているリズベット。まだ夜明けも前だが、「楽しみ過ぎて眠れないから着ていく服でも選ぼう」という考えがいけなかった。
カラードは新たに発見されたレア素材の回収・検証のためと言っていたが、それなら態々自分を連れて行く必要はないとリズベットは考えていた。
高ランクの素材アイテムは、確かに相応の鑑定スキルがなければ識別できず、素材として使用できないしプロパティも分からない。
だがそれは商人プレイヤーの領分だし、素材集めの過程で求められるのは腕っ節だから、実のところ鍛冶師の出る幕ではないのだ。
ことMTDの組織力なら、すぐにでも件の山に二軍を送って素材を回収することが可能なはず。
噂の段階でカラードが動き出しているということは、そうする価値のある高性能アイテムである可能性も高い。
だと言うのにカラードは、リズベットに声をかけてきた。それも「非公式に二人きりで」という条件まで付けて。
「……っ!」
誘ってくるカラードを思い出したか、デート中の――少なくとも、彼女は今回の調査を浮ついたものだと断じている――様子を想像したか、その先に待っていることに考えが及んだか。リズベットがおもむろに顔を赤くして、ぞくりと体を震わせる。
先行調査だとかその場で使い道を判断してもらうためだとか建前はあるようだが、最近まで(とらえようによっては今も)彼氏いない歴=年齢だったリズベットには刺激の強すぎる話だ。
食事に呼び出されて誘いを聞いた瞬間、即座に茹蛸のようになった。SAO特有のオーバーな感情表現機能の仕業だが、それだけではなかった。
ウンと言ったら行った先で何をされるかくらい、その手の話に一番興味の湧く年頃のリズベットには正しく理解できて、それでも蚊の鳴くような声で「……行く」と返したのだ。
「あはは……最低だなー、あたし」
独白は、親友を裏切ることに対してではない。
『俺が無理矢理連れて行く。リズは何も気にするな』
そういうカラードの弁に、確かに罪悪感を減らされている自分と、何をされるか分かっていながら「旅行」を楽しみに思っている自分に対してだ。
「でも、旅行だし。断るのはないわ。うん。こんなチャンス今しかないし、
後ろめたさはあっても、頬が緩むのは止められない。惚れた弱みという奴だ。
来る日に備えて自分を磨きながら、リズベットは上機嫌なまま、脱がされるための下着選びを再開した。
それと同時刻、まだ日も登らない早朝。
中層の迷宮区、その安全地帯に、歌が響いていた。
英語を口ずさむ人影は小柄。絵面だけなら、ちょっとませた曲を歌う、上機嫌な少女にも見える。
歌いながら、その場にいるプレイヤー達を殺して回っている、という点を無視すればだが。
彼女の手にした大型ナイフには、強力な麻痺効果が付与されている。
その場に転がっている者達……ギルド「黄金林檎」のメンバーは、既に無力化され死を待つのみだ。
「や、止めてくれ! 私達が一体何を!」
少女にも見える女――ピトフーイの一振りごとに、薄暗い迷宮区を鮮やかなポリゴン片が散らす。血も肉片も出ないこの世界では、人の破片さえ彼女の歌を際立たせるステージ照明にしかならない。
「おっさんうるっさい! 私のコンサートがタダで聞けるんだからもっと喜んだらどーな……のっ!」
「ひっ!!」
眼鏡の男――グリムロックの口答えに気を悪くしたか、女が歌を中断してグリムロックの肩にナイフを突き立てる。上がった悲鳴は、近くで転がっているヨルコのものか。
「があ……っ!! や、止めろ、殺さないで、殺――」
グリムロックの懇願に構わず、ピトフーイがサディスティックな笑みを浮かべて取っ手を回すほどに、彼のHPバーが面白いように減っていく。
「やめ、止めてくれ! 何が望みだ!? 報復か? 口封じか? 金ならある、あの時のは1コルだって使っちゃいない!」
「いらないわよそんなモン! もうおとなしく死んどけって、あんたの出番はもう終わりなの♪」
「い、嫌だ、死にたくない! グリセルダ……!!」
その身体がHPを全損させポリゴン片に変わる寸前。安全地帯の外から誰かが入ってきたのを、ピトフーイの索敵スキルが捉え、彼女はいったん処刑を中断した。
「相変わらず楽しそうですねぇ、ピトさん」
声の主は、目の前に広がる殺人現場に小ゆるぎもしないで、下手人たるピトフーイにふてぶてしく話しかける。
「モルテじゃーん! どしたのこんなとこに!」
お互い、β時代には対人戦最強の座を賭けて争った者同士。そして、一度は殺し合った者同士。
そう、カラードはピトフーイを勧誘するに当たり、ラフコフに話を通していない。ピトフーイは
背信には背信を。
「あんたと同じ用事ですねぇ。そいつら殺して……あ、ヨルコちゃんだっけ、その根暗っぽい子だけは備品送りって感じの予定なんですけど」
それをおくびにも出さず話を進める二人。元々談笑の延長上で殺し合いのできる質だから、ある意味これは普段通りであり、同時に最大限の臨戦態勢でもある。
――黄金林檎のグリムロック以外の面子は、かつての「指輪事件」で殺されたグリセルダの仇討ちのため、密かに圏内での狂言殺人と、それを利用した犯人捜しを計画していた。
それを掴んだカラードは、ラフコフの露見を防ぐため口封じを試みたのだが、考えることは同じだったのである。
「さて、どうしましょうかねぇ」
「そうねぇ」
ニヤニヤと、分かっていてとぼけるような笑みを浮かべ、膨れ上がった二人分の殺気が弾ける、その寸前。
ピトフーイの元に、一通のインスタントメッセージが届いた。
「……ん?」
一拍遅れて、モルテにも。
口には出さずとも、二人は同じ思いを共有していた。
『興がそがれた』。
まるで
メッセージは、それぞれの上司からのもの。
――ヨルコはくれてやれ。残りは半分ずつだ。
――ヨルコは回収しろ。高く売れるからな。後はテメェらで仲良く分けな。
現時点で黄金林檎の生き残りは、聖龍連合に移籍しているシュミットを除くと、カインズ、ヨルコ、グリムロック。
伝わった指示は同じだろうことも、上司二人が
「……ふふ」
「くくっ」
二人はどちらともなく噴き出して、ひとしきり笑い合ってから「分配」に取り掛かった。
本日のピトフーイソング:Thinker(アーマードコア4)