COC「心臓がちょっとはやく動くだけ」リプレイ 作:又左衛門
『私はあなたの笑顔が見たい』
左端の部屋の看板には、そう書いてあった。
「そういや、この看板ってなんなんだろうね?」
「さあ……」勲も首を傾げている。
そして景色が変わり、現れたのは、
「家じゃん」
まさに今母娘3人の暮らす、1LDKのアパート、そのリビングリームだった。家賃は安くとも、南向けに開かれた大きな窓。決して広くはないが、勇と侃々諤々の議論と妥協の末配置された家電と家具の数々。智子が事あるごとに買い集めるキャラクターものの調理小物。小奇麗に畳まれた勇のジャージ。片付けても片付けても溢れかえる姫子のおもちゃ箱。
まさか帰ってこれたということはないだろう、あくまで智子の記憶から拾ってきた光景のひとつに過ぎない事は分かっているが、それでも微かな落胆を覚えずにはいられない。
冊子にも、またページが追加されていた。
「初心者かんたん! 失敗しない『楽』の作り方」
記録チップを入れた状態で『仲良く遊』ぼう。これで楽は出来上がり。
「お、今度は遊ぶんだってよ。何して遊ぶ?」
「遊ぶ……ってなんだ? どんなことをすれば良いんだ?」
その口調は、完全に智子のよく知る勇のそれである。
「いっつもしてることと言やあ……」
智子がテレビ台をもぞもぞと漁り、「これだな!」と引っ張り出してきたのはWiiのリモコンだった。姫子も拙いながらゲームの操作が出来る年頃になってきたものだから、プレゼントにとリサイクルショップで購入したものだ。休日や夜の空いた時間には、決まって3人でテレビの前やソファに陣取り同じ画面を前に思い思いの体勢で白熱している。
「あのさ、娘が――姫子っていうんだけど」
勇の事を勲に何と説明したものだろうか、と――何も言い訳がましく思う事はない筈なのだが――頭を捻りながら智子は話し出す。
「娘と、それと一緒に住んでる彼女、とさ、一緒によくこうやってリビングでゲームして遊ぶんだ」
彼女。誰にも、親に対してさえ勇の事をそう称したことはない。何も間違えていないはずなのだが、何だか謂れのない恥ずかしさを覚えてしまった。
「今は2人だけだけど、取り敢えず遊ぼうぜ!」
最近の雷電家の流行は専らマリオブラザーズ、言わずと知れた国民的タイトルだ。一昔前の製品とあって、これも安価な中古品を購入した。協力プレイが出来ると言うのもまた良かった。
「よーし、今日こそクッパをしばいてやる!」
「あの緑色のやつだな、わかった!」
「あ~駄目だ、あたい実はあんま上手くないんだよな……」
「智子……もう少し息を合わせてくれないと」
勲が頬を膨らませている。
「あ、きた! きた! これいける!」
クッパ城の最深部、火の玉を搔い潜り心許ない足場を乗り継ぎながら、ついに最奥のスイッチへと到達し、シリーズお馴染みのボスたるクッパ大王は遂にマグマと共に地底へ飲み込まれていった。
「やったな!」
勲が快哉の声をあげ、智子に向かって掌を掲げた。智子はそれに応え、パチンと掌を合わせる。
「いえーい!」
「……これが、楽しい、か」
「そうだよ、これだ」
いやー、久々に手に汗握ったぜ、と智子。
「いいものだな」
画面の中ではマリオとキノピオがピーチ姫を助け出しエンディングへと場面が移っているが、勲の眼はそれを追っていない。先ほどまでその手に握っていた、今は床に置かれたコントローラを、愛おしそうに見つめている。その身体が光に包まれる。
(ああ、もう……)
智子は思う。気付いてしまう。
(もう、勇だ)
光が消え白い部屋に戻ったあと、智子は改めて問うた。
「もう、喜怒哀楽は揃ったのかな?」
勲は微笑み目を伏せながらそれに応える。
「何だっていい、智子と居るのはとても楽しいよ」
その言葉と共に智子の胸に去来したのは何がしかの予感だった筈だが、智子は敢えてそれを無視し頭を傾げて「へへ」と笑った。
「だろ? あたいも一緒にいられるのは楽しいよ」
その後、また勲に開けてもらった扉を潜ったのだが、その先で智子は「あれ?」と素っ頓狂な声を上げた。
てっきり元の白い部屋に戻ってくるものかと思ったが、その予想は裏切られた。
向こう側、即ち智子が目覚めた工場のような空間に繋がるアーチと、その対面にある後回しにした真ん中の扉だけを残し、あとは天井までの高さの本棚が全面を埋めている。それは備え付けのように壁に埋め込まれており、書架は全て本で埋まっていた。後ろを振り返れば、そこにも棚と、ぎっしり詰められた本の背表紙が目を圧迫する。今潜ったはずの扉は、どこにも見当たらなかった。
「なんだこりゃ」
棚に詰め込まれているのは、様々な形の書物だった。重厚な装丁のハードカバーから、あるいはほとんど紙束に過ぎないようなものまで、その雑多さは工場スペースに所狭しと立ち並ぶ謎の機械群をどこか連想させた。
そして、背表紙の言語も全く統一されていない。アラビア文字、英語、キリル文字、全く見覚えのない象形文字らしきもの。勿論日本語で書かれたものもある。ざっと見るに、「ROBOT」「机器人」「ロボット」といった単語が目に付く。どうやら、ジャンルに偏りがあるようだ。
勲が、ちらりと智子の手元に目をやった。また、冊子だ。
8ページ目が、追加されていた。
「初心者かんたん! 失敗しない『愛』の作り方」
もうナカミは出来上がっているよ! それでも加えたいのなら、記録チップを入れた状態で『愛を伝えて』。これで愛は出来上がり。でも、どんな上手な蛇の絵を描いても、足を生やしては台無し。
(喜怒哀楽で終わりじゃないんだ)
「蛇足なのか? その、愛は」
一緒に覗き込んでいた勲が問う。その声には、当惑と不安が混じっている。
違う。それは絶対に違う。智子は自信をもってそう言える。
「蛇足だなんて、考えたことないな。でも何で、こんなこと書くんだろ」
そしてふと、気になった事がある。
「この部屋の本ってさ、もしかして勲の? 読んだことあったりする?」
「いや、違う……読んだこともないな」
まあ、そうかもな、と思う。こういった本を読むのは、おそらく造る側だ。
(そっか、勲に、愛を伝えるのか)
それは全く吝かではないのだが……
「勲は、愛が何なのか知らないの?」
「そう、だな。智子はどんなものだと思う?」
「どんなもの、かぁ。そうだね、いろんな形があるからね」
視線を宙に彷徨わせ、胸の前あたりで何かを捏ねるような仕草をする。
愛は存在する、と即答はできるのだが、それを言葉で説明するとなると難しい。
「大切に思ったり、失いたくないと思ったり……一緒にいたいって、一緒の想いを共有して、一緒の時間を過ごして、ずっとずっと人生を共有したいって思える気持ちがあれば、多分それは凄く愛に近いものだと思うよ」
一言どころではない上に、何だか外堀だけの説明になってしまった気がする。
人生を共有……としかし勲は噛み締める様に呟いている。
「勲は、愛を知りたいって思う?」
「そうだな。知らない気持ちは、知りたい。智子にとって、人生を共有するとはどういう事だろう?」
「一緒に暮らす、ぐらいの意味合いかなあ。ずっとずっと、一緒に過ごしていたいって」
「それが、愛なのか?」
「うーん……それで愛のすべてを説明できるとは思わないけど」
そこで区切って、へへっと照れたように笑う。
「でも、ま、初心者さんにはこれぐらいかな」
胸を張って、上級者ぶる。
おどけてはいるが、内心不安にも思っている。それは葛藤に他ならない。
智子の知っている愛のもう一つの側面は、未練だ。「ここから出られない」と勲は言った。そんな彼女に対して、未練を生むかもしれない感情を最後まで教えてやるのは、どうにも気が引けてならない。この先、かならず辛い思いをすることがあるのだから。しかしその一方でまた、彼女の希望に真摯に応えてやりたいとも思う。
その気持ちを知ってか知らずか、勲は「一緒に暮らしたいと思う、それが愛……」と神妙な顔で噛み締めている。
「まあ、まずはそこから始めてみたらいいんじゃないかな」
腰に手を当てて、またも上級者ムーブである。
「うん、愛が何か、少しわかった気がするよ」
「多分ね、皆、そう思ってるよ。そう思う事が、愛を理解する第一歩なんだろうね」
そう言いながら、何だか取り返しのつかない事をしてしまったような気がしてならない。不可逆な変化をもたらしてきたのは、最初から、勲を起動したときからずっとそう。だからこれはむしろポイントオブノーリターン、回帰不能になる最後の一線を今踏み越えたと、そう予感した。
「ま、気にしてもしょうがないな。最後の扉、いこっか」
「いい、のか? さっきも言ったが、この扉は一度しか開けられないんだ」
「それは、戻れないっていう意味?」
「戻れない事は、無いと思う」
ただ、入ってすぐ出てくることは出来ないと思うから、と少し戸惑ったように確認を重ねる勲。つまりは腹を括れと、そういう事だ。
「うん、大丈夫。勲は大丈夫?」
「ああ、勿論」
竹を割る様な力強い返事、だがそれとは裏腹に少しだけ躊躇う素振りを見せてから、扉に手を翳し、開錠した。
扉の先は、暗く不気味な通路だった。手前の部屋はかなり明るかったはずだが、扉を境界として見えない何かに遮られているかのように、光は不自然なほど中に届いていない。
勲に導かれるように、恐る恐る足を踏み入れる。数歩歩くだけで、もはや足元さえ見えなくなった。勲の背も、僅かな輪郭すら見えなくなろうとしている。
「ちょちょ、ちょっと待ってよ」
「あ、そっか。人間には見えないんだな」
勲は実にあっけらかんとしている。
「離れないでって言ったじゃん、もう!」
「じゃあ、手、握って」
智子の手を引いて、勲は歩き出す。握った手は暖かかった。
もう、すっかり人間だね、何とはなしに口から出たその言葉を、勲が反駁した。
「私はそんなに人間っぽく、なったのか?」
「そうだね。喋り方も、手の繋ぎ方も、まるで本当に勇と歩いてるみたい」
「……智子は、その、勇の事を愛してるのか?」
「んん、まあ、そうだね。面と向かって言った事はないと思うけど」
「そ、そうか」
歯切れが悪くなったのは、照れたからというだけではない。
勇と勲。大切な想い人と、それに瓜二つの――恐らく今や内面すら酷似した、別の誰か。
ここに至るまで両者の区別は敢えて自分の中でもぼかしていたというのに、今はっきりと口に出してしまった。彼女とお前は違うと。
鎌首を擡げたある恐ろしい想像をねじ伏せて、自分の意識を誤魔化す様に周囲へと意識を巡らす。
左右から、重い機械音が響いている。それは大型機械の製造工場を思わせる、ゴウンゴウンという周期的な唸りだ。
目が慣れてくるにつれ、左右に並ぶ機械の存在が明らかになった。丁度、最初の部屋にあった謎の機械群のような。
だが、決定的な違いが2つある。
ひとつは、それらが現在絶賛稼働中であるということ。もうひとつは、列になってレールに吊るされた人型。
今まさにこのラインでは人形、いや、恐らくはロボットが製造されているのだ。
製造用のロボットアームが何かの部品をねじ込み、取り付け、仕上げてゆき、そのひとつひとつの工程が終わる度レールが人型を一体分ずつ奥に送る。人型の列も工程も、いつ果てるとも知れず無数に続き……
そしてその人型のすべてが、勲と同じ見た目をしていた。
智子は、思わず息を呑んだ。
なあ勲、と声を掛けようとした時、声が聞こえた。
「嘘つき」
びくりと、背を竦ませた。
聞き間違いかと思った。きっと気のせいだと。前を歩く勲は黙っているし、左右に並ぶ製造途中の勲(?)たちも、当然の事ながら皆口を閉ざしている。
だが、聞き間違いなどではない。機械音に混じって、怨嗟の声が途切れることなく智子の耳を苛んだ。
「本当は怖いんだろう?」
「憎いんだろう?」
「知らなきゃよかった」
「知らなきゃよかった」
「知らなきゃよかった!」
「人間なんかの肩を持つなんて」
怨嗟。それは誰に向かって?
決まっている。智子だ。
「なあ、勲……」
堪らず、声を上げた。
ん、どうした、と手を握ったまま振り向く勲。どうやらこの声は勲の耳には届いていないらしい。
「なんか、声が聞こえない?」
「いや……分からないな」
「勲に似た声で、憎いとか、嘘つきとか……」
「何言ってるんだ、そんな訳ないだろう?」
嘘だ。
その声が余りに勇そのままで、何かを誤魔化す時の声色すら勇そのものなものだから、智子には分かってしまった。
声は、勲にも聞こえている。そして、それを聞こえないふりをして、じっと耐えているのだ。
ごめん、変な事言って。そう答える代わりにぎゅっと勲の手を握って、「大丈夫だよ」と告げた。
「……大丈夫って、何が?」
「ううん、何でもない」
暗闇の中にうっすらと浮かび上がる、ハンガーレールに吊るされた無数の勲。それは果てなど無いように連なり、止まっては動き、動いては止まって……その無機質さとグロテスクさは、シュルレアリズム絵画のよう。そのただ中で手を取り合う二人、片方は不安と恐怖に怯え、もう片方は必死に自分を取り繕っている。
「行こう」
智子の言葉に、勲は握り返す手に力を込めて返す答えとした。
怨嗟の声は、そう長くは続かなかった。どちらからともなく逃げるような速足で歩き出せば、やがて遠ざかり、聞こえなくなった。