COC「心臓がちょっとはやく動くだけ」リプレイ 作:又左衛門
そして、景色がまた変わる。勲が立ち止まり、釣られて智子が足を止めると同時に視界が白く染められた。
目を焼く光を遮るように、上体を引いて掌を翳す。
暗闇に順応した瞳には強すぎる光の刺激が、数瞬智子の視界を奪った。
再び世界が色を取り戻した時、目の前に広がっていたのは『外』の空間だった。
四方を高い煉瓦塀に囲まれた空間。だが頭上には青空が数切れの雲を供にして広がっている。少しばかり泥濘を残した剥き出しの地面には背の低い草花があちらこちらに生えて、陽光に照らされ草いきれが立ち込めている。
振り返っても、出入り口らしきものは見当たらない。ただ、ここが赤い煉瓦に四角く区切られた草原のただ中にあることが知れるだけだ。
「なんだここ?」
答える代わりに、勲が再び手を引いて歩き始めた。
だが、その足取りは先ほどとは対照をなすように重い。
何かを問う事が躊躇われる雰囲気に気圧されたまま、言で手を引かれる智子。
煉瓦塀の一辺に近づくにつれ、そこが他の箇所と違っている事に気付く。
最初はただキラリと陽光を反射する何かであっただけのそれは、徐々に姿を明らかにして行った。
とはいえ、まだそれが何なのか智子には分からない。
ただ分かるのは、ある一部分がガラスのような透明な素材でできているという事だけ。そして、その直上、塀の上に1本の煙突のような構造が数メートルほど飛び出ている。
それは事実、煙突だった。素材は塀と同じ赤煉瓦だが、天辺の周りが黒く煤けている。
そこまで近づけば、ガラスのような透明なそれが、両開きの扉であるという事も分かった。商業施設の正面入り口のように、金属製の把手が2つ、扉の正面に付いている。内部は人が立ったまま入れるほどの大きさの空間が穿たれ、白っぽい煉瓦が隙間なく内壁を覆っている。下にはレールらしきものはあるが、それに引っ掛ける筈の何かはない。ただ、空っぽだった。
「ねえ、ここに手を引いて来てくれたけど、これが何なのかは知ってるの?」
「……智子は知らないのか?」
知ろうはずがない。だが、言わんとすることは分かる。これが何なのか想像もつく。
狭い空間、耐熱煉瓦、上に伸びる煙突。内壁に白っぽくこびりついているのは、恐らく灰だろう。
これは。火葬炉だ。
勲が、また智子の手元に目を向ける。
(ここまできて、またこれか?)
「初心者かんたん! 失敗しない『鍵』の作り方」
ここまで上手に作れていれば、もう完成。
名前はとても大切なもの。あなたの声で名前を呼んで、「おやすみ」をしてあげて。これで鍵は出来上がり。
「……勲が鍵になる、ってこと?」
「そうだな」
その声に、今や躊躇いや衒いはなかった。
「いなくなっちゃうの?」
「そう、なるのかな」
首を傾げて、困ったように微笑んでいる。
「何だよ智子、湿っぽい顔して!」
ついに来た。
そう思った。
勇によく似た誰かが、勇とそっくりな心を手に入れて、それが自分と一緒の歩幅で隣を歩いてくれることに自分も喜びを覚えて……そしてそれらすべてを、奪われるように失う時が。
別れは予感していた。
その時が遠からず訪れる事は知っていた。
でも、この火葬炉と冊子の内容から導き出されるその方法は……こんなことって、あるのか?
「智子、最初に言ってたじゃん。出たいって」
「それは待ってる人が、いるから。でも」
「智子はこれの使い方、分かるか?」
「うん」
分かるよ、分かるけど……
「どう使うんだ?」
やめてくれ。本当は分かってるんだろう。
相手が答えたくないと思う問いを、答えを知っていながらにして投げかけるのは、それは詰問に他ならない。
でも、勲の口調は決して智子を詰るそれではない。それは分かっている。ただ智子の背を押したいという思いがそうさせているのだろう。ある意味、それは優しさとも言える。しかし、智子にしてみれば、あまりに残酷な優しさだった。
「火葬炉……人の遺体を焼くところ」
「燃やしちゃうんだ。それは、嬉しい事か?」
「嬉しくは、ないな」
「怒る事?」
「怒る事でも、ないな」
「悲しい事?」
「……近いと思う。多分。お別れするって事だからな」
「悲しい事は悪い事?」
「必ずしもそうじゃないし、良いとか悪いとか、そういう事じゃないんじゃないかな」
じゃあ、と一拍おいて、今度こそ勲は切り出した。
「私が火葬される事は、智子にとって悲しい事なのか?」
そうだよ。悲しいに決まってるだろ。
激情のまま、襟を掴んでやりたかった。
勲を怒鳴りつけてやりたかった。
だというのに、身体も口も、どうにも思うように動かない。
いつの間にか、智子は半べそになっていた。ただ、懸命に頷くばかりだった。
「智子が悲しいと思ってくれるのは、私には少し嬉しいかな」
どうして、と目顔で問うた。
「なんでだろうな」
また、勲は困ったように笑った。
言いたい事は分かる。言い換えればそれは、相手の中で自分の存在がどれだけ確かであるかの証明でもあるから。それにいつか終わる関係なら、最後に消えない傷を残してやりたい……もしかして、勲はそんなことを考えているのだろうか?
「でも……焼いて……それで、おしまいだなんて」
それは、あんまりだと思う。
「でもじゃない。そうしないと、智子が出られないだろう」
じゃあさ、じゃあ、なんで心なんて教える必要があったんだよ。
「それは、わからないな。でも、後悔はしていない」
そう、勲は言う。智子の心に自分の証を残せることが嬉しいと思う気持ち、一緒に湯船で身体を暖めた時の喜び、リビングでゲームに白熱した時の楽しさ、クッションを投げ返せないのは少し業腹だけど……と勲は訥々と語った。
「でも、私は智子がここから出る為に生まれてきたし、ここで死ぬことはそもそも決まってたみたいだし。智子のために死ねるんだったら、私はそれで満足だよ」
俯くだけで、何も言い返せなかった。勲の肚は決まっているし、きっとここから出るにはそうするしかないのだろう。あとは自分が納得できるかどうか……
「勲は納得できるの? こんな部屋を作って勲をそんな風に作った誰かに、怒ったりしないの?」
「智子と、出会えたしな」
もう、駄目だった。
自分が一番恐れていた事が、もしかしてそうなんじゃないかと薄々勘付いていたことが、間違いないと分かってしまった。
勲は、智子を、愛している。
そしてそれは智子と勇がお互いに抱くものと同質であり、智子が勲に抱く感情とは違う。
自分はそんな存在を今から殺す。見捨てる。
勲を失う事より一層、自分の酷薄さを突き付けられることが辛かったし、そんな自分が嫌だった。
「ごめんね」
「何だよ、智子が謝る事なんてないよ」
絞り出すような謝罪の言葉を、しかし勲は笑い飛ばす。
「肚、括ったか?」
「……うん」
「じゃあ、入るから。ちゃんと『あれ』言うんだぞ、書いてあっただろ」
「うん」
「あ、そうだ、最後にひとつだけ」
「え?」
「智子の生きてる世界を、一度でいいから見てみたかったんだ。だから、私の心だけでも、外に連れてって欲しい」
姫ちゃんとか、勇にも会ってみたいな、と勲は言う。
「それじゃ、今度こそ」
重い扉を引いて、勲が中に入る。
扉はひとりでに閉じ、智子と勲の間を分厚いガラスが区切った。
さあ、あの言葉を。勲が目で促す。
「……おやすみ」
ゴウン、と大きな機械音が響いた。
床と壁の隙間から、幾多ものノズルが顔を覗かせている。そこから高温の蒼い炎が、部屋の中央に、勲に向かって一斉に伸びた。
致死性のその舌は容易に勲の身体に届き、全身を舐め、焼いていく。
勲はロボットだ、それは間違いない。だが人間と同じ機能を持つ。痛覚も、同様に。
それを最も残酷な形で思い知るのに、時間は掛からなかった。
笑顔だった勲の顔が苦痛に歪み、蛋白質の焼け焦げる臭いが扉のこちら側まで漂ってくる。衣服が炎を点し、柔肌がそこここで焼け爛れるに至って、とうとう勲は膝から崩れ落ちた。
「熱い、熱い、痛い……」
うわごとのように繰り返す。
もう聞いてはいられなかった。かといって逃げ出すことも、足が竦んで出来そうにない。
出来るのは、しゃがみ込み顔を背け、目を瞑り耳を塞ぐ事だけだった。
それでも、どうした具合かきつく塞いだはずの隙間を縫って、断末魔の声が聞こえてくる。
熱い。助けて。死にたくない。
繰り返し、何度も、何度も、何度も。
智子はその言葉を振り払うように、ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返す。きつく閉じた瞼に涙が溜まっていく。
やがて、勲の最後の言葉が、呪いのようにはっきりと聞こえた。
「智子、愛してる」
それきり、勲はもう何も言う事はなかった。ただ、炎が肉や骨を焼く音だけが響く。
どれほど時間が経ったのか、いつの間にか焼ける音も炎の音も止んでいた。
ガラスの扉が、自動的に開いていく。
智子はようやく目を開け、視線を中にやった。
強い熱気が、部屋の中から放射される。
ガラス玉のような眼球が、灰の中からころりと転がり出た。その他の頭部は殆ど焼け残っており、口の周りには皮膚が引き攣ったままへばり付いている。焼けて縮んだのか、あるいは苦痛に歯を食いしばったのか。
あまり詳らかに見たくはなかったが、それでも嫌でも目についてしまう。
焼け残りからは、意外なほど人工物は見当たらなかった。恐らく勲の身体を構成していたのは殆どが有機物で、金属部品は最低限しか用いられていなかったのかもしれない。頭部以外は、綺麗に焼け落ちていた。
その灰の中に、きらりと光るものがある。焼け残りの中にあって、不思議なほど磨かれたような金属光沢をもった何か。
それは小さな、安っぽい鍵だった。
これが、『鍵』か。
勿論それは未だ熱くて持てたものではないだろう。智子は、ニットの袖を伸ばし生地越しに触れた。
これなら何とか火傷はせずに済みそうだと判断し、そのまま掴む。
その時、冊子の存在に気付いた。
最初はただ一枚の半紙を二つ折りにしただけのものが、もう随分と頁数が嵩んでいる。新たな部屋に入る度に増えたものの、もうその役目は終わったはずだ。今更まだ、何かあるというのか。
半ば呆然自失のやけっぱちのような気分で、冊子を開く。
「智子へ」という見出しで、その頁は始まっていた。
失敗作の私を、大切にしてくれてありがとう。
ここから出るなら、私の心があった場所から後ろを振り返って、まっすぐ走り続けて。
何があっても、智子のことは私が守るから。
私の事、信じてくれる?
ああ、まだ。
あれだけ苦しみ抜いて、私に見捨てられて、それでもなお、守ってくれるというのか。
袖で涙を乱暴に拭い、洟をすすり上げて、がばりと後ろを振り返る。
向こうに見えるのは、先ほどまでと変わらず立ちはだかる煉瓦塀。出入り口は見当たらない。
でも、行くしかない。
智子は、塀に向かって一散に駆け出した。
ぬかるみに足を取られそうになるが、構う事はない。
脇をしめ腕を振り、脚で地を強く蹴る。蹴る。蹴る。
ぐんぐんと塀は近づいてくる。それでもスピードは落とさない。
ここで勲を信じなくてどうする。
もう塀は目前。急ブレーキを掛けた所で激突は免れない。
目を瞑って、顔の前で腕を交差させた。だがペースは落とさない。
ぶつかる。
だが、一瞬本能レベルで覚悟した衝撃が身体を襲うことなく、足下の感触と響く音が、土の上でなく人工の通路である事を伝えてくる。
そこは草原に至るまでに通った通路だった。無数のロボットが製造されていた、あの場所。
走りながら目を開けると、先ほどまでと同様に暗い。
一瞬足を止めかけたが、手の中の鍵がちかりと光を帯びたかと思うと、そこから広がるようにして廊下は白色光に満たされた。
有り難い。
智子は走り続ける。左右に連なる人型の列、勲と同形の俯くロボットたちの間を。
不意に後ろからガラガラと重く乾いた音が響く。
それは足音だろうか。恐ろしいのは、それが確実に自分に着いて来ていることだ。
息が上がりそうだが、止まる事は許されない。
左右のロボットたちが怨嗟の声を上げる。
「知らなきゃよかった」
「知らなきゃよかった」
「知らなきゃよかった」
「こんなに苦しむなら」
「心なんて」
それは間違いなく勲と同じ声。あるいはそれは、後ろから追いかける何かが発していたのかもしれない。
謝る。心の中で謝るしかない。
口大きく開かれただ呼吸を補助する為だけの管と化し、心臓は胸郭の中で荒れ狂うように早鐘を打っている。
スピードを落としたつもりはない。だが、それでも気付かぬうちに限界が来ていたのか、大きく後ろに振った腕の手首の辺りを、がっしと掴まれた。
振りほどけない。肩が抜けそうになるほどの衝撃でその場に縫い止められた。
哀れな蝶を捕まえたのは、従前の予想通り、あのロボットたちだった。
悲鳴を上げる間もなく、無数の手が智子の身体を、衣服を掴む。
先ほどまで上げていた怨嗟の声が嘘のように、彼女らは裸のままくすくす笑い声をあげている。
嬉しいのだ。
恨み骨髄の相手を捕えたことが。これから思うように切り刻み責め苛めることが。
智子の眼が恐怖に見開かれる。その余裕があれば情けなく悲鳴を上げたことだろう。
突然、手に持っていた鍵が光った。先ほど通路を照らしたのとは比べものにならない強さで。
それに恐れ慄くように、一様に鼻白んだ表情でロボットたちは手を離した。
何がどうなっているのか分からない。だが、袖を振り払うようにして、智子は再び駆け出す。
体力の底など、まるで考える暇もない。きっと限界はすぐそこまで来ている。
まともな事はもう考えられない。
帰りたい。
帰らなきゃ。
ただ、それだけを思う。
ふと、在りし日の出来事が脳裏に蘇った。それは銭湯の帰り、3人でバスに揺られている時の事だったように記憶している。
「おつきさま、どうしておいかけてくるの?」と姫子が問う。視線は車窓の外、夜空にぽつねんと輝く月を見つめている。月齢の低い、糸のような上弦の月だった。
「きっと、姫のことが好きなんだな。だから、無事におうちに帰れますようにって、お見送りしてくれてるんだ」
隣の席に腰かける勇が、姫子の頭を撫でながら応える。
「でもね! ひめのほうがはやいから! バスよりはやいから、おりてはしったらすぐにぴゅーってみえなくなっちゃうから!」
吊革につかまる智子は、勇と顔を見合わせて噴き出した。
姫子は、無敵だ。
その想像力を、将来へ無限に広がる可能性を、妨げるものはどこにもない。
自分も、勇も、その後ろに着いてどこまでだって行ける。
だから、帰らなきゃ。あのふたりの待つ現実へ。