さよなら実力至上主義の教室よ   作:漁利の夫

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オレは
                     弱い






わずかに堀北鈴音は考えを改める。

 波乱の勉強会から数日経った日の朝、いつもと寸分違わぬ時間に鳴り響く耳障りなアラーム音に叩き起こされる。二度寝したい衝動に駆られながらもなんとかベッドから抜け出し、歯磨きや食事など朝のルーティンをこなしていく。

 

 しかし、何か物足りない。そう思い始めたのはつい最近のことで、これまで経験したことのない侘しさを感じていた。

 

「小町……どこ……」

 

 1人暮らしを始めてから1か月半、早くもホームシック、もといシスターシックに陥っていた。

 

 嗚呼、感情のない機械音じゃなくて小町の可愛らしい肉声で起こされたい、味気ないインスタントじゃなくて小町の作った愛情たっぷりの味噌汁が飲みたい、1人寂しく登校するんじゃなくて小町を後ろに乗せて陽のあたる坂道を自転車で駆けのぼりたい。

 

 ……我ながらさすがにキモいな。自分自身のあまりのシスコンぶりにドン引きし、冷静さを取り戻す。

 

 朝から無駄に憂鬱な気分になりながらも、学校へと赴くため仕方なく部屋を出ていつものように階段から1階に下りる。この学生寮にもエレベーターという素晴らしき文明の利器が備わっているが、俺はなるべく使わないことにしている。何故なら知らない人と2人きりになると変に意識して挙動不審になるし、仲良しグループと乗り合わせるとそいつらの会話が一時停止し、なんとなく申し訳なくなるからだ。

 

 寮のエントランスまで差し掛かると、ちょうどエレベーターから降りてきた綾小路と鉢合わせた。いつもなら俺よりも早く登校しているはずなので、こんなところで遭遇するのは初めてである。

 

「おはよう」

 

「うっす。こんな時間に珍しいな」

 

「ああ、ちょっと寝坊した」

 

 軽く挨拶を交わすとそのまま自然に横並びになり歩き始める。

 

 あれ? もしかしてこれ一緒に登校する流れ? 何か喋んないと気まずい感じになるんだが。かといって寝起きの脳のリソースを非生産的な会話に割きたくもない。

共に学校へ向かうという目的を持つ者同士ではあるが、ここは一度袂を分かとうではないかね綾小路くん。

 

「……」

 

「……」

 

 そんな淡い期待が届くはずもなく綾小路は俺の隣をキープし続ける。というか着いてくるなら何か話題振れよ。

 

「なあ比企谷」

 

「な、なんだ?」

 

 俺の思いを察したのかはたまた沈黙に耐えかねたのか、ようやく綾小路が話しかけてきた。

 

「昨日堀北から聞いたんだが、答案用紙をポイントで買えるってのは本当なのか?」

 

「ああ、その話か。茶柱先生に確認したからな、本当のことだ。1教科200万ポイントだとよ」

 

「200万か。クラスみんなで出し合っても足りないだろうな……それにしてもよくそんなこと思いついたな」

 

「どうにかして退学を回避できないか考えてただけだ、大したことじゃないだろ」

 

「いや、凄いと思うぞ。そんな突飛な発想ができるのは変人だけだ」

 

 えっなに? なんで急に喧嘩売ってきたの? それとも変人が悪口だと思ってないの?

 

「入試で全教科50点取っちゃう奴にだけは言われたくねーよ」

 

「……先生から聞いたのか? そんなこともあるんだなーって自分でも驚いたさ」

 

「あくまでも偶然だってか?」

 

「当たり前だ」

 

「正答率3%の問題を正解しながら?」

 

「それはあれだ、そっくりな問題が過去問にあったんだ」

 

「……そんなんあったか?」

 

「あったんだなそれが」

 

 当然俺も過去問には何度も目を通しているが全然ピンとこない。

 絶対適当言ってるわこいつ。

 

 ……ん? そうか、過去問か。

 

「……」

 

「どうかしたか?」

 

 無言で思索に耽っていた俺を不思議に思ったのか、綾小路がこちらを覗き込んできた。

 

「いや、なんでもない。それより須藤たちは大丈夫そうか?」

 

「多分ダメかもしれない。勉強してるようには全然見えないし」

 

「だよなあ」

 

 授業態度を見ても集中できていないようだったし、相変わらず平田主催の勉強会に顔を出してる様子もない。

 

「池なんかは既に一夜漬けで乗り越えることを考えてるぞ」

 

「本格的にヤバそうだな……」

 

 無謀にもほどがある。このままじゃ本当に退学者が出ることになるが、堀北はどうするのか。

 

その堀北に今のところ変わった動きは見られないが、デメリットを承知で須藤たちを切り捨てるつもりなのだろうか。それとも何か策を練っているのか。中間テストまであまり猶予は残されていないが、果たしてどうなることやら。

 

 

 

 そんなこんなで話し込んでいるといつの間にか学校に到着。

駄弁っていたせいで歩が鈍ったのか、俺たちが教室に着いたのは遅刻寸前のタイミングだった。

 

「あなたたち、時間ギリギリよ。遅刻厳禁なんだから気をつけて」

 

 席に着くなり規律の鬼と化した堀北からお りを受ける。遅刻しても減るポイントはないが、クラスの方針で生活態度を改めることになっている。従わないと須藤のように白い目で見られるので、大人しく足並みを揃えるのが得策だ。

 

「悪い悪い、今度から気をつける」

 

「あら、あなたが素直に謝るなんて熱でもあるのかしら」

 

 堀北はあろうことか、俺の額と自分の額に手のひらを交互に当てるという古典的かつ蠱惑的な方法で熱を測ってきた。

 

「な、な、ななな何すんのよ!?」

 

「熱はないようね」

 

  動揺し過ぎてオネエ口調が飛び出る俺。対して堀北は特に意識している様子もなく涼しい顔をしており、精神攻撃を仕掛けた自覚もないようである。

 

心の平静を保つのに必死で何の反応も返せずにいる俺を助けるように、タイミングよく始業のチャイムが鳴った。

 

 いやー危ない危ない。中学時代の俺ならまず間違いなく好意を抱かれていると勘違いし、何も疑わずに告白していた。そして呆気なく玉砕していたであろうことが容易に想像できる。過去の自分よ、お前の失敗は無駄じゃなかったぞ。

 

 よし、ようやく落ち着いたし授業に集中するか。今やってるところはがっつりテスト範囲に入ってるし聞き逃さないようにしないと。

 

 あれ、おかしいな……全然頭に入ってこねえ。

 

 

 

 

 

 

 結局、冷静さを取り戻したのは午前の授業が終わった頃だった。

 

 いつものように屋上でぼっち飯を堪能した後、教室で寝たふりをしていると、驚くことに先日の勉強会メンバー(俺を除く)が何やら話し合いながら教室に戻ってきた。

しかも、昨日までとは打って変わって全員が晴れ晴れとした顔をしている。その光景から察するに、彼らに何らかの進展があったようだ。

 

 例に漏れずどこか明るい表情になった堀北は、そのまま席に戻るかと思いきや自席でくつろぐ俺に話しかけてきた。

 

「比企谷くん」

 

「……なんだ?」

 

「この前あなたに言われたデメリットのこと、癪だけど概ね正しかったと認めるわ。本当に癪だけど」

 

別に2回言わなくてもいいだろ、どんだけ大事なことなんだよ。

 

「それから赤点を回避する秘策についても考えたわ。けれど、あなたみたいに捻くれたやり方は思いつかなかった」

 

「まあ、普通はそうだろうな」

 

 俺だってずっと考えていたが、堀北に伝えた方法以外には何も思いつかなかった。

 まあそれも今朝までは、なんだが。

 

「だから退学者を出さないために改めて勉強会を開くことにしたわ。ほかに最適解があるのかもしれないけれど、今の私にはそれしかできないから」

 

「……いいんじゃねーの、それで」

 

「そう、言いたかったのはそれだけよ」

 

 堀北は言いたいことを言えて満足したようで、席に戻り次の授業の準備を始めた。

 迷いが吹っ切れたその姿は一段と凛々しく、そして眩しく見えた。

 

 入学早々直面した中間テストという大きな障壁。これを確実に乗り越えるためには自分も何かしらの行動を起こさなければならない。

 

 堀北は堀北のやり方で、正々堂々真正面から愚直にぶつかっていった。

 なら俺は俺のやり方で。正々堂々斜め下から回りくどく伶俐狡猾に。

 

 

 

***

 

 

 

 それからしばらくの間、俺はマイベストプレイスとしばしの別れを告げ、毎日学食で昼食を取ることにした。わいわいがやがや喧々囂々とした空間の中、周囲と隔絶した孤独感を噛み締めながら、無料の味気ない山菜定食を噛み締める。

 

 そんな孤独と山菜の苦みを味わいながら、目的を遂行するため構内を見渡す。その目的とは、俺と同じように連日美味しくもない山菜定食を注文する人物を捜すことである。さらに言えば、単独行動をとっており、ある程度真面目そうな人物であることが望ましい。

 

 そうして1週間調査を続け、該当の人物を何人か見つけることができた。今はその内の1人を不審に思われないであろう位置から見張っている。

さすがに山菜定食を食べ続けることに苦痛を感じ始めた俺は、あんぱんと牛乳という張り込みの神器を両手に眼を光らせていた。

 

 さながら刑事ドラマの登場人物になった気分でいると、ようやくターゲットが立ち上がる姿を捉えた。ターゲットはなぜか食べ終わったあともなかなか帰ろうとせず、昼休みの終わり頃まで携帯をいじっていた。

 

 張り込みの次は尾行だ。存在感の無さでは他の追随を許さないと巷で評判の俺にとって、尾行なんてものは朝飯前である。ましてや今は昼飯後であるので、その実力を遺憾なく発揮することができる。

 

四大行の1つである絶を展開するように、息を殺しただでさえ希薄な気配を完全に断つ。

 

 こっからはステルスヒッキーの独壇場っすよ!

 

 ターゲットである利発そうな目つきをした黒髪の男子生徒は、食堂を出ると2年生の校舎がある方角へと歩を進めた。俺は一定の距離を保ちつつスニーキングしながらストーキングする。ターゲットが2年生の校舎に入るのをしっかり確認し、さらに尾行を続ける。

 

「きゃっ」

 

「おわっ」

 

 ちょうど階段の踊り場に差し掛かったところで、勢いよく駆け降りてきた女子生徒に軽く轢かれてよろめいた。

 

「ごめーん、よく見てなかった! 大丈夫?」

 

 長い茶髪に快活な表情、そして短いスカート。その女子生徒は見るからにギャルだった。

オタクはギャルに理想を抱きがちだが、我々日陰者に理解を示し優しく接してくれるギャルなど残念ながら実在しない。当然、そんなギャルを怒らせるとどうなるか分からないのですぐさま謝罪する。

 

「いや、大丈夫っす。存在感なくてすいません」

 

「あはは、なんでそっちが謝るの。……あれ? きみ2年生じゃないよね? もしかして1年生?」

 

なぜバレたし。同学年の生徒は全員覚えてたりするのだろうか。

今の俺は絶賛ストーキング中の超絶不審者であり、それを悟られるのは色々まずいので適当に誤魔化さなければならない。

 

「あっ、はい、ちょっと道に迷いまして……2年の校舎みたいなんですぐ帰ります」

 

「ふぅん? そんな感じじゃなさそうだけど。……まあそういうことにしといてあげる」

 

 明らかに怪しまれている。他学年の校舎に侵入するのは控えたほうがよさそうだ。

 

「じゃ、あたし急いでるから! あんまり変なことしちゃダメだよー」

 

 結局、俺を咎めることはなく名も知れぬ女子生徒は再び階段を駆け降りていった。

 

 前言撤回。優しいギャルは存在していた。世の中捨てたもんじゃないぜ。

 

 そんな交通事故に巻き込まれたせいで、気づいたときには既にターゲットを見失ってしまっていた。できればDクラスかどうかも確認したかったのだが、節約家の1年生ではないことが明らかになったので特に問題ない。これで任務完了だ。

 

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