二宮さんとコミュ障くん   作:まるとも石油王

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コミュ障くんの反撃

 個人ランク戦のフィールド設定は、基本的に攻撃手同士の対戦を想定したものになっている。仮想戦闘空間に転送された二人は、お互いが視認できる位置に向き合い、よーいドンで戦闘開始するのだ。

 攻撃手同士のランク戦であれば、戦闘開始と共に組み合うなり、距離を取って様子を見るなり、移動して自分優位の場所に相手を引き込むなりの動きから始まっていく。チームごとのランク戦よりもフィールドは狭く、よほど実力が拮抗しない限り、おおむね短時間で決着がついていくものだ。

 言うなれば剣道の試合だとか、決闘だとかそういうものを想起させる試合展開が多い。ミニマムなバトルフィールドで、とにかく試合数をこなして経験値を積みたい攻撃手にはぴったりの環境だろう。

 では、射手同士の個人戦はどうなるのか?

 智也は「ランク戦ブースじゃ狭い」と言われ連れ込まれた荒船隊作戦室で、自分と二宮の試合記録がいくつも映されたモニターを前に考えていた。

 モニターの横に立った荒船が、椅子に座る智也や犬飼や蔵内を見渡して、「さて、」と口を切った。

「いまのこいつが、二宮さんに正面からケンカを売って勝てるかという話になるが」

「ケンカじゃないので誤解を生む表現はやめてください」

 すかさず訂正した智也を、先輩たちは全く無視する。犬飼は手をひらひらと振ってけらけら笑っていた。

「正々堂々? 無理でしょ~」

「そうだな。二宮さんと正面切って撃ち合ったところで、やられるのは目に見えている」

 蔵内も、目を閉じてうむと頷いた。彼らは一瞬考えた様子もなく、智也の敗北を断言した。しかし当の本人は憤慨することもなく、神妙な顔つきでうんうんと首肯する。

 二宮とアステロイドを撃ち合ったところで、威力も弾速も射程もあちらに敵うわけない。これは卑下ではなく、単純に分析された実力差だった。

 そもそも、射手は単独でポイントを取るポジションではない。チームを組んでいない智也でも、日頃の防衛任務で自分の役割を学んでいた。射程を活かして相手を動かし、仲間をアシストし、目標を仕留めてもらう、サポートの役割だ。

 つまり、エースとしてポイントを獲得しまくっている二宮が異端なのであって。加えて言えば、射手同士が個人戦をするというのも、そもそもあまり見ないことなのだ。

 対峙する二人の射手が、相手を倒す最短距離を選択したのなら。導き出されるのは、西部劇のガンマンの決闘がごとき、アステロイドの早撃ち対決であろう。実際そういうやり方で、智也は何度も二宮に蜂の巣にされてきた。最近は学習してシールドを張ってみたり物陰に飛び込んでみたりしたのだが、結果はあまり変わらなかった。だから、合成弾という新しい手札をという発想に至ったのだが。

 同じく射手であり、射手ならではのテクニックならばこの中で一番知識のある蔵内が、問いかける。

「佐藤のトリオン量はいくつだったか?」

「一番最近の計測だと、『9』です」

 ボーダーでは、隊員の能力をいくつかに分類して、それぞれ10点満点で評価をつけていた。トリオン量が9点というのは、かなり高い位置と言えるだろう。戦闘中に、惜しみなく弾丸をばらまけるくらいに。

「わぁ、すごい。ところで二宮さんは10点満点評価で14点なんだよね」

「知ってます! にやにやこっちを見るのをやめてください!」

 意地悪な笑みを浮かべて智也の反応を伺ってくる犬飼の視線を、虫でも払うように大きく腕を振って断ち切る。この先輩は、智也が彼の言わんとするところを既に理解していると知った上で、からかってくるので性質がわるかった。そんなことをしていても意地悪な表情がまたサマになるのだから、イケメンは得だ。

 先輩たちに指摘されずとも、自分と二宮との実力差くらい、智也はわかっている。単純な火力も、トリオンを扱う技巧も、二宮相手に敵うはずがない。

 智也と二宮ではボーダーに向き合ってきた時間が違うのだから、生半可な気持ちで「勝てる」と思うこと、それ自体が対戦相手を侮辱すると思っていた。ずっとがんばってきた人に、少しばかし練習をした自分が勝とうとする。烏滸がましいとは思いつつ、いまの智也は、それでも二宮に勝ちたいという気持ちが揺るがなかった。

 それに。恐れと期待が入り交じりったうずきが、胃の辺りに留まっている気がする。なんとなく、ここで引いたらまた二宮に怒られそうな予感もあった。

 実力差を理解しつつなお勝利を望む無謀な後輩に、物好きな先輩たちは優しい。荒船が、二宮のボーダー内評価データと智也の評価データをモニターに掲げて、手の甲でこつこつ叩いた。

「つまり、真正面からバカ正直にやり合ったところで、いまの佐藤じゃ二宮さんには勝てない」

 場の意見を要約し、荒船は現実を突きつけてくる。悲しくはないものの、申し訳なさに、智也は首を縮めた。

 そんな様子に、荒船はにやりと笑いかける。

「……が、それは『真正面からバカ正直にやりあった』場合の話だ」

 きりりと鋭い目元から、野心的な内面が滲み出ているようだ。楽しそう。智也はそう観察する。

「正面がダメなら、奇襲をすればいい」

 つまり「奇襲ならば勝ち目はゼロではない」と、荒船は言っているのだ。それを聞いた犬飼と蔵内も、それぞれに同意を示す。

「そうだね。何もできずに撃ち殺されるよりは、全然可能性がある」

「確かに。死角から不意を突ければ……」

「あっ」

 不意を突く。その言葉で智也は荒船の構想する作戦に思い至った。

 ぽん、と手を叩いた智也に、荒船がにやりと笑う。ちらりと覗く犬歯が、無謀な挑戦にも怯まない野性味を匂わせた。びしり、人差し指を向け「そうだ」と頷く。

「そこで弧月が『活きる』」

「なるほど……ただの死角からの攻撃というだけでなくて、こちらが弾トリガーしか使わないと思っている相手への近接攻撃ということですね」

 せっかく実戦で攻撃手用トリガーを使うのであれば、たった一度、誰も知らない「切り札」として使うのが効果的であるのは、説明されるまでもなく明らかなことだ。

 智也自身も既にそれは気づいていて、だからこその合成弾修得。それを組み込んだ不意打ちは、ついこの前成功したばかりだ。――そのせいで、二宮に叱られたのだけども。

 弧月であれば、シールドを張られたとしても斬り割れる可能性が高い。アステロイドやハウンドで二宮の分厚いシールドを割りにいくよりは、ずっと現実的な作戦だろう。

 通常、攻撃手用トリガーは近づかなければ攻撃できないが、素人が二宮の射撃をかいくぐって接近するのは困難を極める。しかし奇襲であれば、その難点もクリアできるのだ。

 蜘蛛の糸のようにか細く、くしゃみをすれば吹き飛んでしまうような可能性かもしれない。それでも、勝機はある。それがこんなに輝かしく、自身に高揚をもたらすことを、智也は初めて知った。

 犬飼が智也の肩に腕を回してきて、軽やかに「智也くんならできるよ」と言う。

「絶対勝てるとは言えないし、むしろ負けのほうが現実的だけどさ」

「そこは嘘でも『勝てる』って言うとこですよね!? というか、それじゃあぼくは何が『できる』っていうんです!?」

 ここ数ヶ月でツッコミのキレが増してしまったような気がする。非常に不本意だ。せっかく気分良く、挑戦することのきらめきに胸を躍らせていたというのに。

 む、と唇を尖らせれば、犬飼は「ごめんごめん」と素直に謝った。

「確かに勝てる可能性は地面すれすれまで低いかもしれないけど……君は、ちゃんと『努力することができる』と思ってるよ」

「えっ」

 犬飼が、智也の髪の毛をわさわさ撫で回す。

「智也くんクソ真面目だし」

「褒められてるんですかそれぇ……」

 先輩の腕の中でもみくちゃにされながら呻くと、眺めていたクールな先輩たちも、犬飼に同意した。

「犬飼なりに褒めてるんだろ。俺が出した宿題もきちんとこなしているみたいだしな」

「確かに。アステロイド、7700ポイント越えたんだろう? よく頑張っているじゃないか」

「あ、荒船先輩蔵内先輩ぃ……ありがとうございますやさしい……」

 犬飼の腕の中から、両手を合わせてなむなむと優しくて頼れる先輩を拝む。智也が中学校で見てきた先輩といえば、後輩のことを便利な小間使い程度にしか思っていないような人ばっかりだったので、ありがたみは尚更だ。

 自分のようなネクラコミュ障を気にかけ、貴重な時間を割いてくれるなんて。申し訳ない気持ちを、感謝が上回る。やっぱりここは、いい場所だ。二宮に目を付けられたことを除けばだけど、ボーダーという居場所を選択した過去の自分を褒めてあげたい。

「ちょっと、おれも優しいでしょ?」

「犬飼先輩はぼくで遊ぼうとするので……あと怖いし……」

「……君、ほんと嘘つけないんだね」

 呆れを含んだ犬飼の物言いに、智也は素直に「はい」と答える。この人たちに、自分を繕う必要はない。

 ぼくは嘘がつけないし駆け引きもできないし、人見知りだしすぐキョドるし、争いごとは起こる前に逃げたいけれど、今回ばかりは引くわけにはいかないのである。街を守りたいだとか、近界民を倒したいだとか、そういう大それたことはまったく考えにない。

 ただ一つ、ボーダーは確かに、守るべきぼくの安息の場所なので。だから、佐藤智也は、二宮匡貴という人に挑まなければならない。

 

 

 

 そんな決意を、転送先の仮想空間、しんと静まる住宅地を縫う道路の真ん中で、二宮と対峙した智也は思い返していた。

 マップは、細い道が縫う古い住宅地をモデルとしていた。平地には低い建物がほとんどで、それらが肩を寄せ合うように密集している。狭いマップだが物陰が多く、道路も行き止まりが多くてわかりづらい地形だ。

 狙撃手にとっては間違いなくクソMAP、銃手や射手にとっても射線が制限される地域と言えるだろう。

 MAPは智也が選択した。今までであれば「自分ばかり有利な地形を選ぶのは相手に不公平なのでは」と妙な遠慮をしていたところだったろう。だが、個人総合二位の隊員へ挑む無謀を前に、なりふりかまってはいられない。

 持てるものはすべて使う。いまできる全力を振り絞り挑むということは、智也自身に言い訳の余地を与えないための覚悟であり、二宮匡貴という人への敬意でもあった。

 わずか十数秒の沈黙。個人ランク戦開始を告げる自動音声が響くまでのその時間、智也の心は凪いでいた。散々思い悩んでいても、土壇場になると開き直る、本番に強いタイプなのは昔からだ。

 

「個人ランク戦、開始――」

「メテオラ!」

 無機質な機械音声に重ねて、智也は炸裂弾を二宮とその周囲向けてばらまいた。家屋やアスファルトの地面にヒットした弾丸が、狙い通りトリオンと土埃の粉塵を巻き上げた。

 同時に身を屈め、なるたけ厚く張ったシールドの陰に隠れ走る。煙幕の中から飛んでくる弾丸――おそらく探知誘導のハウンド――がシールドの端を削り、智也の背中を掠め、六角形の中央を抉った。急所を守らんと厚くしていたシールドは、なんとか割れずに持ちこたえる。

 アステロイドだったら危なかったな。冷やりとした首筋をバッグワームで覆い、勢いのままに塀と塀の間、細い路地へ転がり込む。小柄な智也なら、なんとか走り抜けられるほどの幅だ。

 そういえば、初めてトリオン体になったときは、あまりの身軽さに感激したっけ。思ったままに動く柔軟で頑丈な体にも、とうに慣れた。中学二年生に上がってすぐ入隊したのだから、もう一年以上もこの体に慣れ親しんでいることになる。

 妙な感慨を覚えるのは、気持ちが昂っている証拠だ。しかし不快ではない。温まったエンジンが、なめらかに頭を動かしてくれる。思考は冴えていた。足を止めずメテオラを起動し、通りがかりの家の玄関口や、郵便受けの上や、そこらへんにあった自動販売機の上などに置いて回る。そうする間にも、レーダーで二宮の位置確認は忘れない。

 二宮は、スタート地点から移動していなかった。レーダーに映るビーコンは、智也から20mほどの場所から動こうとしない。道路の真ん中で、スーツのポケットに両手を突っ込んだ威圧的な格好で仁王立ちしている姿が、見えずともわかる。動せず、智也を迎え撃つ構えらしい。さすがの余裕。

 メテオラを十分にばらまいたところで、智也は狭い庭に滑り込んだ。古めかしいブロック塀に張り付き、体勢を低く保つ。二宮からつかず離れず、しかし彼の視界に入らないよう慎重に。始めの目眩まし用に壊した家屋の残骸、その合間から、すらりと高い二宮の頭のてっぺんだけが覗いていた。ゆっくりと回る頭が、彼が周囲を睥睨していることを示す。智也がわずかでも気配を晒せば、そこを狙って撃ってくるつもりなのだろうう。

 二宮には、智也を追う必要はないのだ。こちらが姿を見せたらそのとき、数と射程と威力で圧倒する弾丸が襲ってくる。

 トリオン量で劣る智也は、その弾幕を越える手段をどうにか考えなくてはならなかった。目を閉じて、何度も脳内でシミュレートした作戦を再確認する。トリガーの切り替えをわずかでもミスったり手間取ったりすれば、その瞬間に二宮のアステロイドに捕まるギリギリの作戦だ。

 勝率は僅か。けれどもここまで考え、練習をしなければ、勝率を考えることすらできなかった。春の山でたけのこを探すように、地上にほんのすこし顔を覗かせた勝機を、なんとしても掘り当てたいと思う。

 すー、はー。ゆっくりと深呼吸をして、最後の心を決めた。

 バッグワームの胸元をぎゅっと握り、智也は二宮の方向をきりりと見据える。弧月を起動し左腰に佩けば、あとは動くだけ。鞘に収まった弧月の重みは、智也に勇気をくれた。

「……よし!」

 アステロイドを起動し弾速を遅めに設定する。これを投げれば後戻りはできない。そう考えたのは一瞬で、自分を鼓舞する笑みとともに、智也は二宮の方向に向けてアステロイドを放り、自分はダッシュでその場を離れる。

 すぐ背後で、ガガガと、弾丸が塀や家屋を貫く音が聞こえた。智也の弾が着弾したのだ。と、次の瞬間には、ブルドーザーでも突っ込んできたかのごとき轟音とともに、先ほどまで隠れていた庭を二宮のアステロイドがぶちぬいていった。あの場に留まっていたならば、木っ端微塵になっていただろう。

 駆ける足は止めず、後ろをちらりと振り向く。もうもうと上がる埃の中を、アステロイドがズガガガと、とんでもない速さで位置を変えながら撃ち込まれている。智也を、探しているのだ。

 冷や汗が、どばっと噴き出す。トリオン体の身体機能再現もこういうときはいらぬ親切だ。怖い、怖すぎる、こんなのホラーじゃん。でも、作戦通りではある。

 アステロイドの粒の揃った銃撃音と、がれきが吹っ飛ぶ破壊音の中、唐突に爆発音が響いた。揺れる地面、さらに爆発。二宮の弾丸が、智也の仕掛けていたメテオラにヒット、爆発しているのだ。

 一度爆発すれば、範囲内に仕掛けていた別の置き弾が連鎖的に爆発していく。メテオラの爆撃範囲と、MAPの構造をきちんと計算しておいた結果。

 メテオラの爆煙と家々が崩壊する土埃で、視界は最悪。二宮に智也の正確な位置はわかっていない。計算通り、メテオラの爆発は風上に向かって連鎖し、こちらは風下である。簡単に煙幕は晴れない。

 ――今だ。

 智也はひょいと塀に乗り、細い足場を猫のように走った。二宮の位置をきちんと見極め、弧月を抜く。迷うな、思い切れ。

 視界が悪いのは、智也にも同じ。一跳びで距離を詰められるところまで接近し、二宮の身長を加味して急所の位置を予測。駆け抜ける足は止めずに、二宮の元まで一息に、大上段で斬りかかる。

 薄い燐光を発する刃が、白煙を分断する。刃の流れに切れた煙幕の向こうに、二宮の横顔を確認した。背後を取れれば最高と思っていたが、側面なら上々、位置取りはドンピシャで、このまま刃を振り下ろせば、彼の斜め左後方から首を落とせる。

 届く――! 落下の勢いを弧月に乗せ、たった一度の奇襲に賭けた。バッグワームがばさりと、大きくはためく。

 瞬間、きらりと鋭い視線が、智也を射抜いた。

 切れ長の目をこちらに向けた二宮は、シールドを展開して弧月を受け止める。がりりとシールドに食い込んだ刃。受け止められた。焦るな、まだいける。バッグワームを解除しながら、落下しきる自重を、柄を握る両手に込めた。

 二宮の手元にトリオンキューブが出現する。撃たれる、防御しろ、そう考える頭とは逆に、手はぎゅうと力を振り絞った。これは捨て身の賭け、自分の底をひっくり返して勝ちを毟り取るもの。安全策など捨てろ!

 刹那、ぴしりとシールドに蜘蛛の巣状の亀裂が走った。

 瞠目する二宮、手元の大きなアステロイドが引っ込み、もう一枚のシールドが現れる。防御二枚、そのうち一枚は今にも崩れる――!

 

「アステロイド」

 

 発した声は、静かに響いた。

 弧月と智也を注視する二宮、その背後に散らした弾丸が、チカッと光った。その煌めきに目を眇めたときには、弾丸が二宮の肩から胸を、大きく吹き飛ばしていた。

 智也が着地すると同時、二宮が膝をつく。そういえば、20cm近くも背の高いこの人を見下ろすのは初めてだ。

「トリオン供給機関破損――」

 聞き慣れた機械音声が結果を告げる。だがこの場を去るのは智也ではない。

「二宮さん、これで8000ポイントです」

 まさか届くとは思っていなかった、いや、自分がここに届くほど重視するとは思っていなかった、開かれた価値基準。そこで一定のランクに達したことを、智也は静かに伝えた。

 ずっとずっと格上の相手から奪取したポイントで、アステロイドがマスタークラスに達した。その報告をしたというのに、二宮はいつものように鼻で笑うばっかりだ。

「……甘んじるな」

 そう言うと、強くて恐ろしい横暴な人は、智也の前で緊急脱出をした。いつもの通り偉そうで、やっぱり苦手意識は拭えない。でも、その口元がちょっとだけ笑っていたように見えたから、ひとまず今日は、やたらと怖がるのはやめようと思うのだ。

 

 個人戦ブースに戻った智也は、すぐさまマットレスを飛び起きて外に出た。二階通路の手すりから身を乗り出せば、ロビーで観戦していた犬飼たちと言葉を交わす二宮の姿があった。見つけたときには、もう犬飼たちに背を向け、立ち去らんとしている。

 考えるより先に、声が出ていた。

「二宮さん!」

 高いところから大声を出せば、注目を集めるのは当然だ。ロビー中の人目が自分に向いてからそこに思い至った智也は、ぼくのアホと自分を責めた。

 しかし呼んでしまったからにはどうしようもない。緩慢に振り返った二宮に向け、言っておかなければならないことがある。

「ぼ、ぼくはあなたの弟子じゃないですし、弟子になるつもりもない、です! け、ど!」

 自分は嘘がつけない、バカがつくほど正直なたちだ。だからこれは全て本音で、本心で、これから言うことは智也自身だってちょっと信じたくない。ああもうどうしてロビーは静まりかえっているのだろう。いつもみたいに騒がしくしていてくれれば、もう少し気が楽なのに。

 深呼吸を三回して、ようやく、言葉が作られる。

「これっ、これからも! 個人戦、してくださぃあだっ!?」

 勢いよく頭を下げたら、額を手すりにごちーんとぶつけた。トリオン体なので痛くはないけれど、視線が刺さって痛い。心が。

 うう、どうしてこう、大事なときに締まらないのだろう。恥ずかしすぎて顔が上げられない。精神的ダメージで緊急脱出したい。

 俯いてぷるぷる震えていると、二宮の低く鋭い声が智也の耳に届いた。大声ではないのに、不思議とよく通る。

「次が肝心だぞ」

 ばっと顔を上げれば、二宮は相変わらず両手をポケットに突っ込んで、ロビーを出て行ってしまった。海を歩くモーセのように、野次馬の隊員たちが譲った道をずんずん進んでいく姿は、やはり近寄りがたいオーラを放っていた。

 智也はぽかんとして二宮の背中を見送ったあと、一部始終を見守ってくれていた三人の先輩たちに目を移した。犬飼が「やったじゃん」と目を細めて、荒船が親指を立てて、蔵内が口の動きだけで「よくやったな」と褒めてくれた。

 そうか、ぼくは二宮さんに勝ったのだ。勝って、自分の気持ちをきちんと言葉にしたのだ。実感はじわじわと、おなかの底からわいてくるようだった。

 しかし、こういう喜びを誰かと分かち合うという経験が乏しくて。智也は少しだけ躊躇って、それから首を傾げて微笑んだ。照れくさくて首を竦めながら、物好きで優しい先輩たちにピースサインを作った。

 

 

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