Fate/Grand Order -East in the lost order-   作:浜田猫@執筆中

1 / 4
第零の異変 永月輪転結界 永夜抄 ―籠の中の姫―
プロローグ


 そこは、列車の中だった。

 彼女が憶えているものとは違うが、向き合った長椅子と外観を望む大窓は見紛うものでもない。雰囲気は古めかしく、線路を走る音もまた騒がしさがあるものの、そこは大して気にかけるべき点ではない。

 少女には、自分がその列車に乗った記憶がなかった。どこへ向かうのかも定かではなく、また何を目的にして移動しているのかも、彼女にはわからない。いつから乗っているのかも、自分の意思で乗ったのかすらはっきりしない。

 いやそれ以前に、彼女は何も憶えていなかった。どんな生活をしていたのか、どんな人々が周りにいたのか、自分がどんな人間だったのか。

 ただ、名前だけを憶えている。

 それだけしか、少女には残されていなかった。

「いいえ、いいえ。わたくしは称えましょう、勇敢な人の子よ。よくぞ失わず、ここまで辿り着いてくれましたね」

 声が、聞いたことがあるような優しい声が、列車の中に反響した。

「博麗大結界を潜る際に記憶を剥がされたのです。抗おうにも今のわたくしでは力及ばず、無理やりにでもあなたをこちらへ通すことしか叶いませんでした」

「誰、ですか?」

「……嗚呼、申し訳ありません」

 短い沈黙の後に聞こえたのは、心から悔いている人が発する悲しい声だった。

「まったく正当なその質問に、もはや答えることは適いません。ですのでその代わり、信用に足る人物からの文を預かっています。あなたの席にあるはずですので、どうかそれをお読みください」

 言われてみれば、太ももの下に紙が一枚挟まっている。取り上げて開いてみると、中には確かに、誰かの文字が書かれていた。

「これは……?」

「わたくしはその文の内容を知りません。ですがそれは、いまのあなたでも唯一信じる事ができる人物からの伝言です。つまりは、記憶を失う前のあなたからの文」

 記憶を失う前の、自分からの手紙。

 確かにこの状況では、信じられるのは自分だけ。その考えは間違いではない。しかしこの手紙自体、自分が書いたものだという自覚がなければその効力はない。

 少女はそのとき、ひどく冷静にものを考えている自分に気がついた。驚くほど冷淡に、理性的に事態を把握しようとしている。

 眠っていた回路を回すように。

 冷え切った指先に血を巡らせるように。

 記憶の果てに霞む自分自身を手探るように。

 何もかも忘れてしまったが、不自然なくらい明瞭に、自分の名前だけは憶えている。

「――わたしは、藤丸立香」

 意識の内側へ語りかける。

 応える声はどこにもない。それは同時に、拒絶もないということ。

 わたしは、藤丸立香。

 海の水面を揺蕩うような、朧気な人型。

 最初から選択肢なんて、あってないようなものだ。

「わたしは今まで何をしていたの?」

「戦っていました。あなた自信の大切なものを守る為に」

「わたしは勝ったの?」

「あなたの戦での負けとは即ち死でした。失ったものも多くありましたが、明日を繋ぐことが勝利であるのならば、あなたは勝ち続けていました」

「明日を、繋ぐこと……」

 異邦じみたその言葉は、何故だか染み渡るように心を浸した。癒やすように暖かく、称えるように朗らかに、朝日の如く少女を包み込む。

「わたしはどうしてここにいるの?」

「あるものを救うと、わたくしに言ってくださったからです」

「あるものって?」

「あなたが救い続けてきたもの、世界の裏側に位置する異郷。わたくしたちのような、存在を許されぬ者たちの世界」

「大きな話だ、とても。どうしてわたしだったの?」

「あなたは救い続けてきました。それはつまり、見知らぬ誰かを信じ続けてきたということ。あなたならば、我々の存在を信じてくれると思ったからです」

「じゃああなたを信じなきゃ、助けられないってこと?」

「我らを形作るものは想念、人々の想いと夢。この世でもっとも儚い現象です。人間がこの世から姿を消せば、想いを繋ぐ者たちがいなくなれば、わたくしたちは滅びるしかない。

 魔術王の人理焼却、それによる滅びであれば受け入れましょう。ですが今ある脅威はそれではない。何故なら人理焼却の魔の手は、あなたによって払われたのだから」

 言葉に熱が入る。

 魔術王の人理焼却、その言葉には言い表しようのない寒気を感じる。あってはならないものなのだと、理解せずとも強く思える。

 記憶では憶えていないのだから、それは心に、この藤丸立花という名前に深く刻み込まれた意志なのだろう。

「我々の住まう異界の地、幻想郷。今、その世界が滅びようとしています。本来誰かも干渉されず、特別な手段をもってしても、敷かれた結界を越えることはない。ですが、我々は確かに存在しているのです。

 その曖昧な境界を信じてくれる方を探していました。あなたしかいないのです、藤丸立香。あなたしか信じてくれなかったのです、藤丸立香。勇気ある人、世界最後のマスター。何度でもお願い致します、何度でも頭を垂れ、地に額を擦りつけ、叶うならばこの命擲つことも厭いません。ですのでどうか、どうか幻想郷を――」

 正直なところ、話の内容は半分も理解できない。信じたといっても実感はない。世界最後のマスターというのにも心当たりがない。だから当然、希われる筋合いもない。

 だが、その想いは伝わった。

 何をするべきかではなく、何がしたいのかが定まった。

 手紙にあったその一文。

 ――信じたいと思ったものを信じる、わたしはそうして生きてきた。

 それが、藤丸立香の生き方ならば。

 その名前しか憶えていない少女は、これからもそう生きるより他にない。

 そも、簡単な話だった。

 記憶はなく、指針もない。何をすべきかも定まらない。迫られるのはただの二択。すなわち信じるか、拒絶するか。

 もっと書くべき事があったろうに、それでもこれだけしか書かなかったのは何か理由があるのか。冷静に思考を巡らせてみたが、やはり答えはひとつしかでない。

 これだけで、藤丸立香には十分だったのだ。

 二択の答えが、ここに書かれているのだから。

「わたしはどうすればいい?」

「わたくしの夢を、救ってくださいませ」

「わかった。必ず救うよ」

 自分の口から出てきた言葉が、自分という存在にとても馴染んでいるように思える。何度も何度も、繰り返し言い続けてきたのかもしれない。

 無責任なことを口にする傲慢さよりも、今目の前の人が喜んでくれることが嬉しかった。この言葉だけは、何があっても嘘にしてはいけないのだと強く誓う。救うと言ったからには、救わなければいけない。

 藤丸立香は、きっとそうして生きてきたのだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。