「斎賀先輩、ちょっと」
ん、と斎賀百は同僚の呼び止めに振り向く。後輩でもある男性社員は慣れたもので上体そらし、いわゆるスウェーバックと摺り足で桃以上のメロンから半径2メートル以上は離れた。
『斎賀さんの半径2メートル以内に男性が近づいた場合セクハラと見做す』。
いつしか(具体的には看板モデルが表紙を飾るようになってから)生まれた不文律はこうして社員全体の骨の髄まで染み渡っている。
ちなみに当のメロン本人はそんな不文律の存在を知らない。この会社は距離感が心地よいとしか考えていない。
「どうした?」
「はい、今度の周年プレゼント企画の素案が出来たので検討会議の前に先輩方の意見を聞きたいと思いまして」
ふむ、と資料を受け取りながら情報をまとめる。百も携わっている雑誌の周年イベント。とはいえ好景気とは言い難いこの御時世、抽選であっても予算は厳しい。よほど無理な企画なら会議にかけるだけ無駄・・・・・・と考えたところで、企画書の一番上の資料に目を奪われた。
「君、この、これは何だ?」
突然挙動不審になった高嶺の花の先輩社員に、それはこの資料の素晴らしさのせいだろうと、当たらずも遠からずの考えを持った後輩は胸を張る。
「よくできてるでしょう? それを一番推したいんですよ。フェイクファー(合成繊維)なんですけど、オオカミの毛皮を再現した逸品で、そいつでファーコートを作ればいけるんじゃないかなって」
毛皮自体は知り合いの繊維工場に試作品譲ってもらいました、と意外な人脈を披露する後輩。彼自身はこれを天音永遠に着てもらい宣伝すればいいという単純な考えを持っていた。あの人当たりの良い笑顔の美人に、この飢えたオオカミのような毛皮を着せたらその“ギャップ”にやられる読者は多いだろう、と。
と、そこで気づいた。
撫でている。
斎賀百が、オオカミの毛皮を撫でている。ひとしきり撫で、つまみ、挙句は噛んだ。
それはまるで、もう離さないと宣言するような肉食獣の目で、
「君」
「は、はいッ?!」
「黒色で作ろう。上は私が説得する。トワ・・・・・・天音永遠のスケジュール調整をマネージャーに依頼しておいてくれ」
承知しました以外の返答は、出来なかった。
「で、そのコートができたってわけ」
「ああ、良い出来だろう? すでに応募が三万を超えた。雑誌の売り上げも一割増だ」
「いや良い出来なのは認めるけどさぁ、ねぇ百ちゃん」
「何だ」
「現実でリュカオーンの毛皮再現してファーコートにして、特権で自分が一番先に着るって、どんな気分?」
「あいつを征服したようで、いい気分だが?」
うーん拗らせてるぅ、と天音永遠は苦笑した。
なお、完全なる余談だが、一番複数応募したのは厳島真里亜という女性だった。