むかしむかしは高層ビルが立ち並んでいたらしいオフィス街も、いまやアラガミに食い散らかされ、あたりには崩壊した建造物の瓦礫が散乱するひどい有様だ。節操なしに捕喰活動を進めるアラガミのおかげで、地形さえも変わってしまった土地を、おれは土埃を巻き上げながらジープをかっ飛ばしていた。
比較的整備された第8ハイヴ周辺とは違い、このあたりは完全に打ち棄てられていて、目的地のサテライト拠点を目指すだけでもガタガタの路面に尻を痛めつけられる。ジープの運転席に張られた薄いクッションごときじゃ地面から尻への横暴を緩和できない。それどころかアラガミがどこから飛び出してきてもおかしくないし、いつ目の前の地面が崩落するかもわからないので、物資を届けるだけでも命がけだ。
輸送用ヘリを使えればいいのだが、その数にも限りがあり、結局頑丈で融通のきくおれみたいなゴッドイーターが駆り出されるということだ。
「ナルミさん、北東方向500メートルでヴァジュラが3体捕喰活動を行ってます。進路に影響はありませんが一応警戒してください」
「おっけー。ありがとね、ウララちゃん」
新米オペレーターを労いながら、地面から突き立った大きなコンクリート柱を避けてハンドルを切る。比較的危険度の低い任務で、おれのような年長者が遂行するならばと、新人の訓練も兼ねてウララちゃんがこの任務の担当にあてがわれたそうだ。
極東支部配属当初は業務に慣れるので精一杯、不測の事態が起きるとパニックに陥ってしまっていた彼女も、最近は落ち着いて任務をこなせるようになってきた。彼女の努力と、先輩オペレーターたちの指導の賜物だろう。信頼できる仲間が増えるのは良いことだ。最初期からゴッドイーターを務めているおれにとっては、後進の成長はまことに喜ばしい。
ふんふん、と鼻歌を歌いながら悪路にもめげずに進んでいると、左耳のイヤホンがザザ、と荒い音を立てた。
「お、」
「こちらブラッド、ジュリウス班。ナルミさん、聞こえますか」
聞こえた声は、これまた頼もしい後輩のもの。いや、後輩と言ってもおれなんかよりずっと特殊ですごい立場で、しかも階級も上なんだけれど。なんと言っても、フェンリル屈指のエリート部隊の前隊長で、貴重な第三世代神機の適合者で、つい先日まで極東地方に鎮座していた螺旋の樹を作り上げていた人そのものだ。あとものすごい美青年だ。
そんなすごい子が、何の因果か極東支部所属となり、おれの後輩として扱われている。
「はいはい、こちら花房。通信良好~」
ジュリウスは、これから向かう予定のサテライト拠点にて防衛任務にあたっているはずだ。ここ最近
感応種に対抗できる第三世代は大きな戦力ではあるが、色々と特別製が入り用となることが多い。特に、彼ら専用の
偏食因子はゴッドイーターの生命線だ。
「突然どうした? なにか問題でも?」
「問題というほどでは。ただ、」
そこでジュリウスは一呼吸をおいた。あ、たぶんあんまりいい話じゃない。
「シエルのほうから報告が。例の変異種と思しきアラガミを討伐したそうです」
「……そう。これで3例目かな」
第一部隊が交戦したものと、防衛班のジーナが目撃したもの。
おれは極東支部を出る前に目を通した、先日発見された変異種らしきアラガミの資料を思い出す。発端は5日前に第一部隊が交戦したガルムらしきアラガミだった。ガルムは岩の体躯に炎を纏った狼のようなアラガミであるが、アーカイブで見たそいつは首から頭にかけてが白く無機質な首長の何かになっていた。ガルムの体躯に、頭だけ別の何かにすげ替えたようなアンバランスさ。
アラガミは捕喰したものの特性を取り込んで姿を変えていくので、多少トンチキな姿になっているものも珍しくない。背中に発電用タービンを備えたワニだとか、彫像の女の顔をした猫だとか。けれども、映像の中、口とも目とも判別つかない箇所から光線を発するそいつは、生命の拍動を感じられる他のアラガミと違って、無機的でひたすら冷たく思えた。
けれど、その変異種の驚異は見た目や攻撃力のそれではない。そいつは空中に突如現れた黒い穴から、どこからともなくその巨体を現すらしいのだ。つまりワープ能力。これではアラガミの侵入を拒むために築いた装甲壁も意味を為さない。中に突然現れられては、侵入を防ぎようがないからだ。故に極東支部にとってこの変異種への対応は急務なのだ。
シエルとギルバートがそいつを討伐したということは、今後極東支部で解析がなされ、あの妙な変異種についても詳細が判明するはずだ。極東の科学者は優秀である。特に変異種なんてもの、うちの支部長代理が研究したくてうずうずしていることだろう。
しかし、3例目がでたということは。
「じゃあ、まだどっかに変異種はいるかもしれないな」
「ええ。それらを討伐しきるまで、極東支部もサテライト拠点も安心はできないでしょう。もっとも、オラクル細胞がそのワープ能力を既に自分のものとして獲得していれば対処は困難を極めますが」
「それなんだよね。早いとこどうにかしないと」
ブラッド隊の活躍で人類がようやくアラガミの脅威の無い「聖域」を獲得したというのに、やはりまだそれはごく限られた場所の話でしかなく。聖域の外では未だにアラガミが人々の命と生活を脅かしているのだ。
遠くの空には、何か飛翔物体が米粒程度の大きさに視認できる。ウララちゃんからの警告がないということは、警戒域外にいる飛行アラガミ――おそらくシユウ神属のなにかだろう。おれは進路を西向きに変え、この先の廃ビル群の中をつっきって行くことにした。念を入れて、損することはない。
「とにかく、夕方にはそっちに着く予定だから、詳しいことはそのときに聞かせて。ロミオにもよろしく」
「はい、ナルミさんもお気をつけ――」
そのとき、ジジッと電子的なノイズが耳に刺さった。通信ではない。もっと近く、大きな、雑音が。
はっ、と上を見れば、空中にぽっかりと開いた黒い洞穴がおれに影を落としていた。
通信機から、ウララちゃんの焦った声が響く。
「
「――噂をすれば!」
ジープに急ブレーキをかけ、おれはすぐさま荷台に飛び移る。保護ケースを蹴り開けて、相棒のバスターブレードを構えて敵を待ちかまえた。
黒い穴からのっそりと顔を出したのは、赤毛の人間の女だった。だが、人間というには巨大な女体が、爬虫類めいた四足歩行の胴体に融合している。体のあちこちにはオレンジ色のグロテスクなゼリー体。接触禁忌アラガミの一種である、ヴィーナスだ。
女体と目があった瞬間、そいつはにんまりと笑みを見せた。
「ウララちゃん、報告! ヴィーナスと遭遇、見た目じゃわからないけど、おそらく例の変異種絡みだ!」
「は、はい!」
ウララちゃんに指示を飛ばしながら、おれはヴィーナスの女体に助走をつけて跳びかかった。アラガミの正面、相手からの攻撃を受けやすいけれど、こいつを叩くのが一番ダメージが通りやすくて手っ取り早い。
女体の脳天に落下の加速をつけて切りかかり、ダメージが入った瞬間に
読み通り、突進した勢いでつんのめったヴィーナスの尻から、砲撃用の器官がにゅっと突出した。が、それはおれの予想と違っていて、おれは顔が引き攣るのを自覚した。
「そこにいたのか……」
ヴィーナスのケツから出てきたのは、白く機械的な「顔」だった。資料で見た例の変異種と同じ、生きてるものっぽくない、つるりと冷たい印象の何か。女神の尻から顔を出したそいつは、カッと光線を放ってきた。
「やっべ!」
ビームは砲撃よりもずっと射程がある。おれは慌てて盾を構えてその影に身を隠した。おれ自身はかろうじてビームの直撃をさけたものの、辺り構わず放たれた光線は、周囲に立ち並んでいたビルを端からまっぷたつにしていった。轟音と土埃を立て、高さのある建物たちが崩れていく。
「ナルミさん、そこはだめです! 場所を変えて!」
突然ウララちゃんが切羽詰まった様子で叫んだ。
「そこ、むかし地下街があった場所の上なんです! そんな脆いところでアラガミと戦ったら――」
――崩落する!
事態を理解すると同時に、おれはヴィーナスをほっぽってジープに駆け戻っていた。けれども、時はすでに遅く、長年アラガミたちに捕喰され、穴ぼこだらけにされた地面は、崩れる建物の衝撃に耐えられず、連鎖的に崩壊を始めていた。
巻き上がる土埃に視界が遮られるなか、足場が傾き、次の瞬間おれの体は浮遊感とともに落下していた。
ゴッドイーターの体なら、数十メートル落下しても傷が付くことはない。けれど、いまこのとき攻撃を受けたら。瓦礫の下でアラガミに襲われたら。無事でいられる保証はないのだ。
黄色い煙幕の向こうで、ヴィーナスの哄笑が響きわたる。ガラガラと地面と建物の崩れる音と混ざって、ひどく耳障り。
「くそっ」
神機は、瓦礫を避けるために頭上に翳して動かせない。現状を打開したくも、こう不安定な体勢じゃあ、どうにもできない。どうする。どうすればいい。
――しかし、次の瞬間におれの状況は一変する。
ジジ、とさっきと同じ雑音が聞こえた気がした。周波数の合っていないラジオのような、砂嵐を切りとったような。音を認識してコンマ数秒後には、おれの体は足元にぽっかり開いた黒い穴に飲み込まれていた。視界が闇に染まる。これはきっと、変異種が現れて消えるときの、ワープ能力。
いったいどこに飛ばされるのだと不安が過ぎるが、すぐにそれは払拭された。おれの右手には、位置情報を送信し続けるビーコンが入った腕輪がはまっているし、相棒の神機もしっかり握っている。どこかに追いやられるにしても、誰かが助けに来てくれるはずだ。だから、大丈夫。
暗闇は瞬き三度の間に過ぎ去った。
わずかな浮遊感の後に、すとんと着地。周囲の様子を見るに、おれはどこかのビルの屋上に落とされたようだ。
ヴィーナスの甲高い笑い声が、すぐ近くに聞こえた。どうやらあいつが逃走のために展開したワープに、おれまで巻き込まれてしまったようだ。あそこで生き埋めになるよりずっとマシだ。おれは幸運に感謝しながら、朽ちかけのビルの屋上を、その端まで駆け寄った。
「……あ、れ」
ヴィーナスは、二十メートル先で民家を捕喰しているようだった。立ち並ぶ住宅を食い散らかしながら、ゆっくりと歩みを進めている。
――立ち並ぶ住宅。整然とした街並み。アラガミの侵入を拒む高い壁はなく、青い空は遠く広がっている。
ビルの屋上から見える景色は、まるで過去の記録に残されていたもののよう。アラガミに食い荒らされた世界には、残っているはずのないものだ。少なくとも、おれの知る限りでは。
「ここ、どこだ……!?」
極東支部の管轄地域なら、大抵の場所は知っているはずだ。なのに――予想を越えた現実に瞠目するが、いまは驚愕している場合ではない。妙な能力を得た悪食の女神を、誰かに被害が出る前に倒してしまわなければ。
おれは15メートルほどの屋上から、躊躇なく飛び降りた。アラガミを倒すのがゴッドイーターの使命。相棒の神機もレアな相手に食欲が抑えきれていないようだ。
風を切りながら、おれは視界のなかで一番目に付く、大きな建物を横目に見た。要塞のような、四角く高い壁。その一面に、組織のエンブレムと思しきマークが描かれていた。
――BORDER。