首筋に当てられた刃が、ぐいと押しつけられた。ぴりっと軽い痛みに、皮膚が切れたことを知る。容赦ないなこの子。首筋を液体が伝う感触、出血しているようだ。
「えっ、血が……!」
銃を提げた青年が、明らかに狼狽えて声を漏らした。周りの少年も「生身?」「なんで」と困惑を露わにしている。その雰囲気におれは眉を顰めた。肉体を傷つければ血が出るのなんて当たり前なのに。それは例えゴッドイーターでも。
仲間の反応を気にもとめず、おれに体から生やした刃物を突きつける少年は「武器から手を離せ」と繰り返した。
「さもなくば右手を切り落とす」
「ちょ、っと待って、それは困る!」
いくらゴッドイーターの治癒力が人間離れしているからといって、離れた腕をくっつけることは困難だ。しかも右手、腕輪を落とされたらその時点で[[rb:偏食因子 > へんしょくいんし]]の制御に支障を来してしまう。そんなのアラガミと戦う者なら知ってて当然のはずの知識で、やはり彼らは何かがおかしい。
おれは神機が既にアラガミの[[rb:核 > コア]]を捕喰していることを確認して、柄から手を離した。少年にがっちり掴まれている左手はどうにもならないので、右手だけを頭上に掲げて微笑み、敵意がないことを示す。
「おれはフェンリル極東支部所属、花房ナルミ中尉だ。怪しい者じゃない」
「おまえが怪しいかそうでないか決めるのは本部だ」
と、取り付く島もない。おれの作り笑顔がぴくぴく引き攣る。が、完全にアウェーなこの状況で無用な争いを起こすのは賢くないと判断した。
「わかったわかった。そちらの言うとおりにするよ」
攻撃も抵抗もしないとアピールすると、黒髪の少年はこちらの真意を探るようにじっと見上げて、ようやく武器を下げてくれた。首もとに触れていた薄い刃が離れ、おれは首筋の切り傷を指でなぞる。少し出血しただけで、そう騒ぐほどじゃない。3時間も放っておけば治ってしまうだろう。
武器は下ろしてくれたもののおれへの警戒は解かれていないようで、おれの隣には少年がぴったりとついている。すごい緊張感、少しでも不審な態度を取ったら一刀両断されそう。
「本部から車が来ているようだ。それまで待て」
「おれはその本部ってとこに連れて行かれるのかな? いいよ、そっちが納得するまでつきあってやるから」
「ミョーに聞き分けのいい近界民だな。素直なのは嫌いじゃないぜ」
ヒゲの男が茶々を入れてくる。どうやらこの兵たちの中で、立場が強いのはこの黒髪の少年と、あのヒゲのようだ。いや、指揮をしているのは少年のほうか。俺を囲んで警戒していた他の人間たちは、少年に指示されてその場を立ち去っていく。制服が違うようだから、それぞれの所属も異なるのかもしれない。
緑色の制服を纏った二人は、狙撃銃を抱えた少年を待ってその場を立ち去った。彼らの拠点は「本部」とは別にあるようだ。弾丸の雨であわや蜂の巣かという恐怖を味わわせてくれた黒服の少年は、ヒゲと会話を交わしながら、好奇心が抑えられない様子でこちらを見てくる。黒髪の少年と同じ服の二人は、部下らしく、おれへの警戒を緩めず不審感のこもった表情を露骨に向けてきていた。
「風間さん、この近界民の武器はどうするんです」
「回収の指示が出ている。トリガーには見えないが……歌川、頼めるか」
「任せてください」
すぐそばで交わされた会話に、おれは耳を疑った。回収って、神機は他人が触っていい代物じゃないぞ!?
あわてて神機へと手を伸ばすが、いつのまにか背後にいたヒゲに「武器渡すわけないだろ」と首根っこを掴まれた。ひどい! ヴィーナスを討伐したっていうのに扱いが雑!
「っていうかふざけてる場合じゃなくて!」
目の前ではおれの神機に手を伸ばしている、無防備な少年の姿が。冗談言ってる場合じゃなくて、本当に、まずい――!
「――それに触るな!」
おれが叫ぶのと、少年が神機の柄に手をかけたのは同時だった。神機を持ち上げようとした彼は、「重っ……」と声を漏らす。その刹那、神機の核にあたるアーティフィシャルCNSが橙色の鈍い輝きを放ち、おれが止める間もなく、歌川と呼ばれた少年の腕に、神機から伸びた黒い触腕がまとわりついた。
捕喰本能。生体兵器である神機は、適合したゴッドイーター以外の者を軒並み食い尽くそうとする。武器として調整されているとはいえ、元を辿ればアラガミと同じものだ。ゴッドイーター同士でも他人の神機に触れることは禁忌とされ、神機に捕喰されれば待っているのは無惨な肉塊となるかアラガミと化すかの地獄の二択である。
神機が、少年の腕を喰う。腹を空かせたオラクル細胞は捕喰を進め、人間なんてあっというまに食い尽くしてしまう。
おれは拘束を振り払って、神機に飛びついた。おれのほうから接続すれば、相棒の荒ぶる食欲を抑えられるかもしれないと、藁にも縋る思いで。だが、おれより素早く、黒髪の少年が弾丸のごとき速さでいままさに喰われようとする少年に駆け寄り――なんと、神機を掴む彼の肩から先を迷いなく切り落とした。
「えっ、ええ!?」
おれは驚愕に声を上げた。確かに捕喰されきるまえにその部位を体から切り離してしまえば、理屈上は助かるけれども。咄嗟の判断で、そんな、仲間の腕を落とすなんてできるのか!?
「歌川、無事か」
「は、はい。助かりました」
黒髪の少年はけろりとしているし、右腕を失った少年も驚いているが別段ショックを受けているようにも見えない。おれの神機は歌川くんとやらの右腕をあっというまに食べ尽くし、普段のバスターブレードへと形を戻していた。えっ、ていうか、あれっ、腕を切ったのに血が出ないのは何故!?
神機と、黒髪の少年と、歌川くんとやらを見比べて困惑するおれは、いまの事件で自分の立場が悪くなったことに全く気づいていなかった。
間もなくやってきたジープに乗せられたおれは、両隣をヒゲと黒髪少年に挟まれて、「本部」とやらに連行された。神機は放置するわけにもいかず、けれども誰も触ることができないので、結局おれが抱えることになっている。そのぶんおれは、ヒゲと黒髪少年から刃物を突きつけられるはめになったのだが。
「次に攻撃の意志を見せたら容赦はしない」
少年に凄まれたおれに弁解の余地はなく、おれはまるで凶悪犯罪者でも扱うかのような殺伐とした雰囲気のなか、大きな建物の中を上層階へと歩かされた。
ここは外から見えた要塞のような建物、BORDERと称される施設か組織だろう。少年たちに日本語が通じることからここが極東のどこかと仮定しても、フェンリルの管理地域とは考えにくかった。フェンリルの保護からあぶれた独立拠点という可能性も考えたが、壁のない街並みはアラガミに対してあまりに無防備だ。そして明らかに神機とは違う武器の使用、「トリオン兵」「ネイバー」という聞き慣れない用語。これはもしや、おれの想像するよりずっと悪い状況なのかもしれない。
武器は別室で保管するということで、建物に入ったところで手放させられていた。そして後ろ手に手錠をされ、丸腰の状態でとある部屋へと連れられる。
「風間、太刀川、入室します」
きびきびと宣言した少年を迎えるようにドアが開く。ヒゲに背を押されて促されたおれも部屋へ足を踏み入れた。
そこには、先ほど見た兵士たちより年嵩の男たちが、堅い面もちで机を囲んでいた。入って正面、一番上座に席を構えるのは、顔に大きな傷のある男。その後ろには、BORDERと描かれたエンブレムが掲げられている。他に着席しているのは三十代くらいの精悍な顔つきの男と、煙草を吸うスーツの男、小柄な太った男だ。恐らくこの組織でも上の立場にいる人間たち、けれど空席がいくつかあるところを見ると、全員というわけではないのかもしれない。
「そいつがさっきのトリオン兵を連れてきた近界民か」
太った男が、忌々しげにおれを見る。おれはさっきから繰り返されたのと同じ文言に、困って肩を竦めた。
「えっと、隣の彼らには何度も言いましたけど、おれはネイバーとやらがなんだかわからないし、トリオン兵というのも知らないんで……」
「はい黙る」
拘束された手首をヒゲが引き、おれが発言できる立場にないことを示す。黒髪の少年のほうから刃物を突きつけられていることもあって仕方なく口を閉ざすが、弁解のチャンスを逃さぬよう、この場を隙なく観察する。まるで査問会にかけられているようだ。若い頃に問題行動で何度かお世話になったのを思い出す。
「本人は近界民ではないと主張しているようだが、本部では彼があの異形のトリオン兵とほぼ同時刻に[[rb:門 > ゲート]]から現れたのを確認している。通常ならば彼を人型近界民とするのが妥当だが、」
今度はきりっとした無骨な印象の男が、発言する。彼は複雑な表情で、おれと手元の資料とを見比べた。
「彼はトリオン兵と思しきモノに、明確な敵対の意図を持って対抗していた。それは対応にあたった隊員たちと協力して討伐を完了させたことからも確かのはず。そうだろう、風間隊員」
「ええ。本部長のおっしゃる通りです」
少年――風間くんが頷くが、「けれども」と鋭い目をおれに向けてくる。
「この近界民が歌川に対して攻撃をしかけたのも確かですので、一概に信用することはできません」
「だから、あれは事故だってば……!」
おれの弁解に、煙草を吸う男が興味深そうに目を細める。一番偉そうな傷の男は、なにを考えているのかわからない無表情でおれを見据えるばかりだ。
太った男は隈の濃い目元に苛立ちを滲ませて呻いた。
「まあ、先ほどの戦闘を見るに……こいつがトリガーでない技術を用いているのは確かのようだが……」
「トリオン体でもないようですよ。風間さんが斬ったら血が出てたんで」
「ますますわけがわからん」
話を聞いているおれには、さっぱり理解できない会話である。とりあえず、不審がられているようではあるが、いますぐ排除されたり危害を加えられたりの可能性は低そうだ。一番偉そうな傷の人がどう判断するのかにもよるだろうけど。
と、ここで聞き役に徹していたスーツの男が、「とりあえず彼の言い分を聞いてみましょうか」と提案をした。飄々とした雰囲気で癖のありそうな男だが、たぶんこういう人は利害で動くタイプ。
「いいだろう」
傷の人が許可を出し、この場にいる人間みながおれへと注目する。おれは背筋を伸ばし、できるだけ誠実そうに見える表情を作って口を開いた。
「私は、フェンリル極東支部所属ゴッドイーター、花房ナルミです。階級は中尉」
言いながら、観察を怠らない。太った男が「『フェンリル』なぞ聞いたこともない」と小声で漏らす。「本部長」は眉間の皺を深くした。
「アラガミの討伐にあたっている最中、討伐対象の何らかの能力により、対象とともに気がつけばこの場所へ。眼前の脅威の排除を優先して戦っていたところ、こちらの兵たちと遭遇した次第です」
おれは深く頭を下げて謝意を表した。
「かのアラガミを討伐にするにあたってあなたがたの助力を得られたこと、心より感謝いたします」
「君の武器が我々の隊員を傷つけようとしたことについては、どう弁明する」
「私の武器は、私以外が触れた際に制御ができなくなるのです。それは敵味方の区別なく。先ほどのことは不運な事故、腕を失った彼には申し訳ないことをしました」
――不審、困惑。下げた頭の向こうで、思惑が行き交うのを雰囲気で感じ取る。おれはありのままを話した。これで信じてもらえなければ、どうしようもない。
「……顔を上げたまえ」
聞こえたのは、「本部長」の声だった。警戒や緊張は残るものの、敵意や害意は感じられない。
おそるおそる頭を上げれば、微笑む「本部長」が目に入る。
「君が近界民でないというのは、にわかに信じがたいが……あの異形の襲撃は、我々だけでは対処できなかっただろう。こちらこそ、君が奴を斃してくれたことに感謝しよう」
微笑む本部長さんに、おれの横のヒゲが心なしかつまらなさそうにむくれたような気がする。自分ならあんな敵など倒せたはずだという自信か。
おれは突然不機嫌になったヒゲを横目に、ひとまず「自分の仕事をしたまでです」と当たり障りのない返答を選んだ。それが本部長さんにはかなりポイントの高い答えだったようだ。
「城戸さん、彼が近界民であるかどうかはともかく、ひとまず本部で保護すべきでは?」
「私も忍田さんに賛成ですね。彼が我々に害意を持っているかはさておき、素性の知れない人間の処遇には慎重になるべきかと」
「こいつの武器やあのトリオン兵もどきが解析できれば、私はそれで構わないのだが……しかし、この男の知識が聞き出せるなら理想的ではありますな」
上層部らしい彼らは三者三様の言い分で、キドという人におれの保護を進言する。おれは内心ガッツポーズをした。なにがどうなっているのかよくわからないけれど、この調子ならいますぐ殺されるとか、アラガミの群のど真ん中に捨てられるとかはなさそうだ。
決定権は、キドさんにあるらしい。彼は組んだ両手を額に当てて、厄介ごとを嫌うかのような深いため息をついた。
「わかった。その男が我々からの指示に従うことを条件に、捕虜として扱おう。扱いは風間隊に一任する」
「了解しました」
「その男が不審な動きを見せた場合、風間隊の判断で処断して構わない」
どうやらおれの処遇は決定したようだ。実質監視役を言いつけられた風間くんは、面倒がるそぶりは一切見せず、淡々と返事をしている。ヒゲのほうは明らかに「自分に言いつけられなくてよかった」と思っている様子なのに。風間くんは若いわりに、上の人からの信頼が厚いらしい。有能なんだな。
審問にひとまずの決着がついたところで、おれは最後に「あの、」と発言の許可を求めた。どうしても気になる、これだけは聞いておかなくてはならない。
「あの、ここはどこなんですかね? 日本語が通じる土地ってことはわかるんですけど」
これを聞くのはあまりに馬鹿馬鹿しいかもしれない。でも、いまのおれにはそれすらわからないのだ。
本部長さんがキドさんにアイコンタクトを取る。情報を教えてもいいかということだろう。キドさんは呆れたように目を閉じ、「構わない」と答えた。
「君の質問に答えよう。ここは三門市にある、ボーダーの本部基地だ」
ミカドシ、ボーダー。どちらも知らない名前だった。おれは薄々抱いていた予感を、確信に変える。
おれはどうやら、盛大に迷子になってしまったらしい。