生きてます。はい。生きてますよ。
「はーい、逃げないのー」
「や!ルルのとれーにんぐキライ!やりたくない!」
一柳隊の1週間は、飛ぶように過ぎていった。
1週間のうちに……というか1週間も経たず、保護された少女はすっかり元気になった。それこそ、流瑠が容態を見てリリィとしてのトレーニングを開始するくらいに。
「もう座ったり立ったりするのイヤー!」
「もうちょっとだよ、がんばれ〜」
今は流瑠にスクワットさせられているらしい。動けるようになるどころか喋れるようにもなり、意思疎通は問題ない。これも梨璃と瑠璃の教育(?)の賜物だろう。
「ルル、鬼!アクマ!」
「はいはい、がんばれ〜。あとちょっとだけ!」
とはいえ。その言語能力は現在、こうして目の前でニコニコしながら訓練を強いている流瑠を有らん限りの言葉で罵倒するために使われてしまっているわけだが。病み上がりの少女に笑顔でスクワットさせる流瑠、という状況はなかなかにドン引きせざるを得ないものだ。
「お、お姉ちゃん?流石にやりすぎなんじゃ……」
「そうだよー!別に結梨まで戦わなきゃ行かないわけじゃないでしょ!?トレーニングなんて……」
梨璃と瑠璃は止めようとするが、流瑠はそんな二人の声にも耳を貸さない。
「うんうん、足の筋肉もしっかりついてきたね〜。これなら大丈夫そうかなー」
「ううううう〜!!」
呻きながらも必死にスクワットを続ける少女を眺めながら満足げに頷いた流瑠は、ここでやっと梨璃達に向き直った。
「1週間。この子の面倒を見る約束は今日までだよね?」
「え?あ、うん。そうだけど……」
「……もう、一緒にいられないの?」
不安げな目を向ける二人に、流瑠は「んー」と顎に指を当てた。
「どうだろうねー。学院の判断次第かな」
二人はこの1週間で、この名前もなかったリリィにかなり愛着が湧いたらしい。
──そう、「無かった」だ。呼び方も安定しなかったこの薄紫の髪のリリィにも、今は名前が(梨璃が言うには「仮の」らしいが)付けられた。
「はぁ、はぁ、もうむり〜」
「お、お疲れ『
「タオルで汗拭こうね〜!」
『結梨』。それが、こうして今二人に甲斐甲斐しく世話をされている少女の、新たな名前だった。
「…………」
「…………」
百合ヶ丘女学院の一角に位置するロビーでは、静かな……否。静かすぎると形容できる時間が流れていた。
楓と夢結。普段は梨璃や流瑠を巡って火花を散らしたり散らさなかったりする間柄の二人だが、ここ最近はとんと大人しかった。見ている方が心配になるレベルで。
原因はもちろん、ここ最近姿を見ていない梨璃のことだ。
「………………」
「………………」
争いあう要因になる愛しの梨璃さんがいなければ、二人も沈黙で過ごすしか無い。お互いに相手がどれだけ梨璃のことを好いているかわかっているからこそだった。
そんな二人でも、普段なら他の会話で気分を紛らわしたりと少しは会話もしただろう。しかし、今日の二人は本当に何も喋らなかった。どこかそわそわして落ち着かず、しかし何を口にするでもなく。良い匂いと共に湯気を立ち上らせていたはずの紅茶はとうの昔に冷め、すっかりアイスティーとなってしまっていた。
約束の日は今日だ。しかし、本当に梨璃は帰ってきてくれるだろうか。まさかあの少女のお世話に夢中になりすぎて帰ってこないのでは。いやいや梨璃にかぎってそんなことは……でももし本当に帰ってこなかったら……。
悪い方に考えて勝手に気持ちを沈ませてしまう。
だからこそ、そこにあるのが全くの静寂だったにも関わらず、二人はその靴音が自分のそばでコツリと音を鳴らすまで気付けなかった。
「楓さん、それに」
不意に聞こえたそんな声で、ハッと二人は顔を上げる。
そこにいたのは、二人が待ち望んでいた人物で──
「夢結、お姉さ――」
「梨璃さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあん!!!!!」
言おうとする梨璃を遮り、静寂を破り、そして音の速度をもぶっちぎって、楓は梨璃に突撃した。
「わわっ!?か、楓さん!?」
「梨璃さん梨璃さん梨璃さん!!あぁ〜お肌すべすべほっぺぷにぷに!全身やーらけーですわー!!はぁ愛らしいお顔に可愛らしいおめめ!食べちゃいたい!食べちゃいたいですわ!ぱっくんちょですわぁ〜!!
クンカクンカすーはーすーはー!あ"ぁ〜梨璃さんがわたくしの中に入り込んできますわぁ〜!!!クンカクンカ!!クンカクンカ!!!あ、いけませんわこれ。ほぼ麻薬ですわ。常用性の塊ですわ!これ無しでは生きていけませんわ〜!!ナマ梨璃さんが1番効きますわ!!やっぱり下着だけでは得られない成分が」
「楓さん」
「はいですわ」
楓を梨璃からひっぺがした夢結は、そのまま楓をソファーの方にポイと放り投げ、梨璃と向き合った。
「夢結、お姉様……」
「……おかえりなさい、梨璃」
1週間という永劫にも等しい時間を離れて過ごしていた感慨からか、二人は愛おしげに互いを見つめ合う。ふっと笑みを見せた夢結に、梨璃は(先ほどの楓の奇行などなかったことであるかのように)目を潤ませ、「お姉様〜!」と夢結に抱きついた。
「会いたかったです、お姉様ぁ!」
「私もよ。ほら、一緒にお茶でも飲みましょう」
夢結に促されて梨璃はソファーに腰掛けた。もちろん、楓と夢結に挟まれるように。隣に来た梨璃に目を輝かせ、腕に抱きついた楓は、しかし……その腕の感触に違和感を覚え、「あら?」と顔を上げた。
「………?」
楓に抱きつかれた、知らない……否、どこかで見たことのある少女は、不思議そうに首を傾げる。
「あら、あなたは……」
「あの時の」
薄い紫の髪をおさげにし、百合ヶ丘の制服を纏ったその人物。海岸沿いで保護したリリィが、いつのまにか楓と梨璃の間に挟まっていた。
「元気になったんだナ!」
「あら〜、かわいいですねぇ」
「元気になってよかった……!」
「じゃな。何故あんなところにいたのやら」
「写真撮らせてください〜!」
「み、みんな見てたの……!?」
と、突然現れた少女の元に、どこからか一柳隊のメンバーがわらわらと顔を見せ始めた。どうやらずっと一部始終を見ていたらしい。
しっかりとおめかしして再び一柳隊の前に現れた少女は、彼女らの心をすぐに掴んだようだ。
一柳隊の面々にもみくちゃにされ、少女はキャッキャとくすぐったそうに笑顔を見せる。それを苦笑気味に見る梨璃の腕に改めて抱きつきながら、「そういえば」と楓は漏らした。
「この子、回復したんですわね。……あら?瑠璃さんはどちらへ?瑠璃さんもこの子に相当入れ込んでいたみたいですけれど」
「ああ、瑠璃ちゃんなら……」
そう言って梨璃が目を向ける方へ楓と夢結も視線をズラすと、少しだけ離れた席で、瑠璃が鶴紗に抱きついているのが見えた。モゾモゾしたり顔を引っ付かせたりと瑠璃からかなりスキンシップを取っているが、その瑠璃の顔は尋常じゃない様子だ。目が飢えた獣のようにギラギラしている。
とはいえ、鶴紗自身も恥ずかしそうにしていながらも拒否する様子はない。こちらの視線に気付いたのか、頬を赤くしながらもぷいと顔を背けるだけで瑠璃を突き放すことはしなかった。
「……1週間分の鶴紗成分を補充するって言って、鶴紗さんのところに……」
「ああ……鶴紗さんも相当寂しがってましたものね」
納得するように頷く楓を見て、梨璃は少しだけ鶴紗に同情するような視線を送った。
「他人事のように鶴紗さんを見ているけど。私たちも梨璃と会えなかった分を補充させてもらうわよ?」
「へ?」
そう言って、夢結は梨璃の片腕をさらにぎゅっと胸元で抱きしめた。柔らかい感触が伝わり、お姉様のいい匂いが梨璃の鼻を刺激する。
「すー、はぁー……。梨璃、相変わらず何というか、良い匂いね。甘くて、でもただ甘いだけじゃない。ずっとそばにいたくなるような、そんな匂い……」
「へ、あ、その……な、なんか変態ちっくですよぅ」
鼻の頭同士がくっつくほどに顔を近づけて梨璃との接触を図る夢結。散々流瑠や梨璃に振り回されたからか、それとも梨璃への恋しさ故か、若干タガが外れてしまったようなお姉様の様子に、恥ずかしさから梨璃は顔を真っ赤にする。
「え、それって……わ、わたくしもクンカクンカしちゃってもよろしいのでしょうか……?」
そんな二人の光景を見て、涎を滴らせながら手をわきわきさせ、しかし恥ずかしがるかのように頬を染めながら遠慮がちに楓はじわじわと梨璃に近づく。「えへ、えへへ……」というヤバげな笑い声と共に。
「いや、あなたさっき出会い頭にあれだけやっておいて今更よく恥ずかしがれるわね」
「楓さんの場合は変態ちっくっていうか変態そのものですよね」
「夢結様だって変態ですわよ!ド変態ですわ!だからわたくしが変態でも許されるはずです!」
「最悪の開き直り方ね……」
結局、楓もそのまま梨璃にひっつく。梨璃の許可を得たこともあって、楓のスキンシップは遠慮を知らない。存分に梨璃さんを堪能すべく、今にも抱きしめて自分のものにせんばかりの勢いだ。
「夢結も楓も、梨璃がいないってここんとこめちゃくちゃ静かだったもんナー」
少女を囲む輪から外れ、梅は揶揄うように梨璃に目を向けた。「あはは……」と苦笑する梨璃の両横では、未だに二人がくっついている。まるでコアラかセミのように。
「それで?あいつ百合ヶ丘の制服着てるけど、結局ここの生徒になったのカ?」
「うん、なったよ。正式に認められてね」
梅の質問に答えたのは、何故かエプロン姿でこちらに歩いてくる流瑠だった。手には、何やらバスケットのようなものを持っている。バターと小麦が焼けた香ばしい匂いがふわりと漂ってきて、ガヤガヤと騒がしかったロビーもその匂いに釣られて静かになっていく。
「スコーン焼いたよ〜。みんなで食べようか」
「おかし!!」
真っ先に飛び出したのは、件の紫髪の少女だった。先程まで流瑠を覚えたての言葉で罵っていた少女は、その香りに目を輝かせる。
「おー『結梨ちゃん』。お菓子たべる?」
「たべる!『ユリ』、ルルのお菓子すき!!」
結梨が流瑠の元に駆けていくと、一柳隊の面々もそちらに集まっていく。その姿は、みんな揃ってまるで保護者のようだ。
「あらあら、良い香りですね」
「おお、これは美味そうじゃな。『結梨』、焼き立てじゃろうから火傷せんように食べるんじゃぞ?」
「『結梨』ちゃん、食べ方わかる?こうやってね……」
「瑠璃さんの時は叶いませんでしたが、今度こそ『結梨』さんには、私のことを「二水お姉ちゃん」と……!」
「『結梨』ちゃんお菓子食べるの!?私がお世話するから〜!鶴紗、早く行こ!」
流瑠の持ってきたお菓子に飛びついて食べ始める『結梨』を一柳隊の面々は微笑ましげに眺めるが、そんな彼女らを見ながらフリーズしてしまった少女が二人。
梨璃に抱きついたままの夢結と楓だった。
「…………ゆ、り?」
「ま、まさか、そんな……!」
「え?あれ、言ってませんでしたっけ……?」
他のみんなが当たり前のように『結梨』と少女を呼ぶ中、二人は信じられないようにそれを見ている。
「だって、だってその名前……」
「あ、結梨ちゃんは、夢結お姉様の「結」に私の「梨」でユリって読ませてて……いやでもそれは世を忍ぶ仮の名前というか」
「そんなの!そんなのもう夢結様と梨璃さんの既成事実ではありませんか────!」
楓の悲痛な叫びが木霊した。「か、楓さん!」と顔を赤くして止めようとしているところを見るに、梨璃はわかっててやったのかもしれない。そんなことをどこか他人事に考えていた夢結だったが、しかし、楓の叫びによってじわじわとその「実感」が湧いてくる。
「ふふ……ふふふ……!」
「お、お姉様……?」
「リリー!おかしもらった!」
怪しげな笑い声を上げ始めた夢結と心配そうな梨璃の間に、ポスンと結梨が座った。手にはスコーンを大事そうに持っている。どうやら一柳隊のメンバーたちをかき分けてこちらへ来たらしい。
「あ、結梨ちゃん。こちらが夢結お姉様だよ。ほら、挨拶して」
「んー……ユユ?」
「え?ええ、そうよ」
クリクリとした目に覗き込まれ、夢結もまた少女を観察した。美しい薄紫の髪と、紫桃の瞳。それはまるで、本当に自分の娘のようで──
「ユユ、おかーさん?」
「ブッ!?」
落ち着こうと口に含んだ紅茶を、夢結は直ぐに吐き出してしまった。咄嗟に逸らした口から飛び出た紅茶たちは、未だ名前の衝撃で放心している楓に降りかかる。
「う、産んでな……いや、産んだのかしら?産んだのかもしれないわ。そう、そうね。結梨という名前なのだし、私と梨璃の……ふふ、ふふふふふ……」
ブツブツと何やら独り言の後、夢結はまた不気味に笑い始めた。
「そうよ。私がお母さんで梨璃がお父さん。いいわね?結梨」
「リリ、おかーさんじゃなくておとーさんだった!」
「ええ!?いやいやお姉様!せめてお母さんに……じゃなくて!お姉さんにしてくださいよ〜!」
梨璃の抗議に全く耳を貸さず「梨璃が私の……」と独り言を続けながら結梨を撫でる夢結。「リリ、おとーさん!」と言い続けながら瑠璃を始めとした一柳隊に代わる代わるスコーンを食べさせてもらっている結梨。紅茶を滴らせながら放心している楓。その彼女の肩を掴んで「楓には私がいるでしよ〜!!」とガクガク揺する流瑠。
そんな光景を楽しそうに見守る一柳隊の面々に、隊長である一柳梨璃は大きくため息をついたのだった。
▼△▼
「……それはそれとして。その、結梨さん?は寮とかレギオンとか決まってますの?」
一頻り騒いで落ち着きを取り戻したロビー。
出されたスコーンを齧りながら、楓は未だにその名前を呼びにくそうにしながら言った。
それに「あ、はい!」とすぐさま答えたのは二水だ。
「レギオンはさっき
「ええ!?苗字は決まっておりませんでしたの!?で、でしたら結梨・J・ヌーベルにしてもよかったんですのに……!いえ、結梨・一柳・J・ヌーベル?あ、お姉様の三巴も足して……」
「ただ、寮はまだ決まってなかったです。さっき百合ヶ丘のデータベースにアクセスしたんですが、お名前がありませんでした」
また何か呟き始めた楓を横目に、二水がタブレットを操作してホログラムを表示する。「寮室情報」と示されたそこには、たしかに結梨の名前はなかった。
「んー、私の部屋くる?一人部屋だし、ベッド大きいから一緒には寝れるけど」
「私のとこでも良いよ!ね、鶴紗!」
「え……ま、まぁ少しなら」
「わたくしと雨嘉さんのお部屋でも構いませんよ。ね?雨嘉さん」
「う、うん。寮の部屋決まるまでなら……」
流瑠、瑠璃、神琳が立候補するが、最も結梨の面倒を見たそうな梨璃は、膝の上でなんの話かわからず首を捻っている結梨の頭を撫でながら「うぅん」と唸った。
「私のお部屋は、閑さんに聞いてみないと……」
「そうね。私の部屋も祀と同室だから」
「私たちみたいに、他のレギオンの方と同じお部屋の場合は聞いてみないとですよね……でも、結梨さんのお世話してみたいです〜!」
梨璃や夢結、二水の要望に、流瑠は「うーん」と呻いた後、思いついたようにポンと手を打った。
「じゃあ、持ち回りにする?とりあえず今日は私の部屋にして、みんな同じ寮室のリリィに聞いてみてから、許可が出たらそのお部屋にも泊まるって感じで」
「あ、それいいですね!それなら私たちみんなで結梨さんのお世話もできますし!」
「結梨さんも色んなリリィと交流できますしね。良いんじゃないでしょうか」
みんなが流瑠の提案に頷いたのを見て、「じゃあこれで決まりね!」と流瑠は何やらタブレットを弄り始める。少しして流瑠がタブレットを二水に返すと、そこには結梨の名前があった。
「今登録して申請しておいたから、すぐ許可出るんじゃないかな?」
「おおー、さすが流瑠様……」
「私だけ特別扱いみたいなのはあんまり好きじゃないけど、使えるものは使わないとね〜。ね、結梨ちゃん」
話を振られた結梨は、未だに何の話か分からず目をぱちくりと瞬かせる。
こうして、この日から一柳隊に新たなリリィが加わったのであった。
▼△▼
「……よかったのですか?理事長代理」
「何がだね?」
百合ヶ丘女学院理事長室。陽も落ちてそろそろリリィ達は消灯の時間だろうか。
閑散とした夜景を見下ろしながらとぼけて返す理事長・高松咬月に、生徒会長である出江史房はため息を吐いた。
「決まっているでしょう?
「じゃろうな。だが、あの子はリリィだ。リリィであれば守るのが我々の役目。百由くんの解析結果でも、特段変わった部分は無かったと言う。出自がわからなくとも、保護すべき対象だろう?」
話題は、最近保護された「結梨」と名付けられたリリィの少女のことだった。
史房は咬月の答えに「それはそうですが……」と納得する姿勢は見せつつも、どこかまだ不安げな顔のままだった。
「しかし、理事長代行だって予想はついているのでしょう?あの子は……」
「そうじゃな。おそらくはG.E.H.E.N.A絡みじゃろう。
だが、そろそろハッキリさせねばなるまい。百合ヶ丘の……彼奴等に対する態度を」
開いた目に決意の色があることを見てとった史房は、「……そうですか」と引き下がった。
「まあ、流瑠くんのいる一柳隊に預けるのだから1番安全じゃろう。他にも強化リリィがおるし、G.E.H.E.N.Aへの警戒は怠らんはずじゃ」
「それは確かにその通りで──」
「逆ですよ」
史房の同意の言葉を遮ったのは、今の今まで黙っていた真島百由だった。
珍しく口数が少ない、どころか流瑠から「結梨を一柳隊に入れる」という報告を聞いてから一言も話さなかった百由は、それまで俯けていた顔をゆっくりと上げた。
その形相を見た咬月と史房は──そのいつもの百由とのあまりのギャップに、息を呑んだ。
「結梨ちゃんを一柳隊に預けるのは、反対です。特に流瑠様のいるところには」
「百由、くん……?」
鋭く細められた目はギラリと光を映し、メガネ越しでもわかる眼光が二人を射抜く。
「何故です?戦力的にも、流瑠様のところが安全な気がしますが」
「…………」
史房からの当然の疑問に、百由は少し視線を外した。言っていいのか迷っているかのようだった。
「百由さん?あなた、あの子が何なのか知っているの?」
「……いいえ、それは知らないわ。これから調べるところだから」
いつになく神妙な顔の百由に、史房は結梨の正体を知っているのでは無いかと推測したが、百由はそれに首を横に振った。
「ではどうして反対する?百由くん」
「結梨ちゃんの正体はわからないけど……結梨ちゃんがG.E.H.E.N.Aの関係者であることはよくわかってる。それに、少し調べただけだけど、結梨ちゃんは多分G.E.H.E.N.Aにとってはかなり重要な存在なの。だから──
奴らが、切り札を切ってくる可能性がある」
他の人間が言ったなら、きっと戯言で済まされていただろう。根拠も何も無い、ただの世迷言だと。
だが、百由の気迫は凄まじかった。ギリッと噛み締められた歯が、彼女の言葉に嘘がないことを証明している。
尋常では無い様子の百由に、咬月と史房は「切り札」とは何なのかを聞くこともできず、ただ見守るしかなかった。
「まだこっちは完成してないのに……。あと数年は持ち堪えられると思ってた。でもこれじゃ計算が狂っちゃう。本当にアレが完成するなら、奴らは本気になる。このペースでいけば、数年後にはリリィ自体が……」
ブツブツと深刻な顔で呟く百由を流石に見ていられなくなり、咬月はメガネをかけ直して口を開いた。
「……百由くん。君は何か知っているのかね」
「…………そう、ですね。知ってます。けど言えません。でも、結梨ちゃんを流瑠様と一緒にするのは」
「ではどこに任せる?ロスヴァイセか?それともアールヴヘイムか」
そう問うと、百由は思案顔になって眉を顰めた。
「……確かに、逆にどこに預ければ良いの?ロスヴァイセは任務と構成の性質上、木を隠すなら森の中ではあるけど木を探しに森に入るのは当たり前だし。アールヴヘイム……は外征が多いのがメリットでありデメリットでもある……。こっちからバックアップできない点を考えるとデメリットの方が大きいわね。
なら地域主義のレギオン?生徒会系のレギオンは性質上敵を作りやすいし、政争の材料になる可能性もある。……そう考えると13レギオン会議に出席するレギオンは全部外すべきなのかしら。そうなるとやっぱり──」
そこまで呟くと、百由は「はぁーっ」とソファにもたれかかった。その顔にはさっきまでの険はなく、そして百合ヶ丘のリリィとしての品性もない。
「そうよねー!結局そうなのよねー!なんだかんだ言って一柳隊が1番安定してるわー!
はぁ……まあ確かに、流瑠様から物理的に離したところで同じ学院にいる以上どうなるわけでもないし。この学院から放流するのも不確定要素が多くなりすぎる上、流瑠様が許してくれないだろうし……私がフォローするしかないかぁ」
「はぁ」と何度目かわからない気が抜けたようなため息を吐く百由は、しかしどこからどう見ても、この学院の理事長代理である咬月と生徒会長である史房よりも訳知り顔だ。
今度は、二人が百由に詰め寄る番だった。
「百由くん……君は何を知っている?」
「話してもらいましょうか百由さん」
「いやー、それは無理ね。だって全部破綻しちゃうもの」
ずいと二人に凄まれた百由だが、しかしそんな脅しは彼女には効かない。つい先ほどまで深刻そうな顔をしていた百由は、マイペースにも早々と思考を切り替えていた。
「申し訳ないんだけど話せないのよ〜。『約束』でね。忌々しいことに。……それに、使われないならそれに越したことはないし」
「…………はぁ」
どうやら一切話す気がなさそうな百由に、二人は毒気を抜かれて引き下がった。
百由は二人の様子の変化になど気付かなかったかのように、はしたなくおっ広げていた足を組み直す。
「しっかし、一柳隊も大所帯になったわねー。戦力的にもSランクに引けを取らないんじゃない?」
「流瑠様と元アールヴヘイムのメンバー、それから楓さん、あと神琳さんと雨嘉さんを除けば、今はまだそこまでの戦力では無いでしょう。……というか、問題なのは個々の経験値の差が大きすぎることでは?」
「なるほどねー。流瑠様はもちろん、初代アールヴヘイムのメンバーや生え抜きがいる中、梨璃さんやぐろっぴ達はつい数ヶ月前にリリィになったばかり。リリィとしての経験値も、基本的な心構えもまだまだ足りてないわ。んで、メンバー間で大きな差があるとチームワークに影響が出る……んだけど」
百由と史房、そして咬月は、一柳隊が結成されてから今日までの戦いぶりを思い返していた。
……いやまぁ、うん。まだ結成したばかりだからそんなに場数はこなしてないけど、チームワークは……なんというかその……うん。
「無いわ」
「無いですね」
「個人技に頼りすぎているきらいがあるのは確かじゃな」
基本戦術はとにかく個人技。飛び抜けた個人技を持つ元アールヴヘイムの二人や鶴紗、まだチームワークどころか自分の身を守ることで精一杯な初心者の梨璃と二水、ミリアムたち。それらを楓と神琳がどうにかこうにか戦略という形に組み上げているのが一柳隊の現状だ、というのはここにいる全員の共通認識だった。
「……そういえば、そろそろ
「ああ、そうじゃ。だから流瑠くんの要請もあって、
ふと思い出したかのような史房の言葉に、我が意を得たとばかりに咬月は頷いた。
「あの人」とやらに心当たりがあったのか、百由は訝しげに二人に視線を向けた。
「いやまあ、確かに今の一柳隊に足りないのは、あの人みたいに生え抜き達が積み重ねてきた『感覚』を『理論』に落とし込んで説明できる人だけど……夢結はそのこと知ってるんですか?」
「流瑠くんが言っておらんなら……知らんじゃろうな」
「そうですね。帰ってくることすら知らないのでは?」
「あー……まあいいか!サプライズってことで!」
結局、百由も思考を放棄した。親友(?)である夢結の驚く……というか引き攣った顔を想像しながら。
「2年ぶりくらいかぁ。久しぶりに私も会いたいわ〜」
「そうですね。元気にしていらっしゃいますでしょうか──
白井
ほんと、いつもいつも遅くなってしまって申し訳ない…。
最近仕事が2回くらい変わってバタバタしてまして…(超絶激烈言い訳)
次回は久しぶり(?)の戦闘とか瑠璃ちゃんの活躍とか結梨ちゃんのあれやこれやとか…?
お気に入り、UA、感想などなどいつもありがとうございます!!!
頑張って続けていきますので何卒…!