ハードモード地球で平成から令和を駆け抜ける   作:ありゃりゃぎ

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#58

 海中に放り込まれた俺は、水面に全身を叩きつけられながらもどうにか体勢を立て直した。それでも疲労を隠すことは難しい。膝をつき、肩が上下に深く揺れている。

 

 そこに、ダーラムが飛び込んでくる。泡を豪快に沸き立たせながら、奴が上から拳を振り上げていた。

 

──ソオイッ!!

 

 身を翻して交わすが、水の抵抗が邪魔をして思ったよりも動きにキレがない。回避はギリギリとなった。

 

 ダーラムの拳は俺を捉えなかった。だが、その勢いのまま海底を強く叩きつける。

 

 崩落。

 

 足場が爆ぜる。その爆発に翻弄されるように体が浮き上がった。巻き上げられた土砂が煙幕のように視界を遮る。土色のカーテンの向こうで、ダーラムの瞳と胸の輝きが虚ろに揺蕩っている。

 

 ドシン、という巨体が海底を踏みしめる音。来る、と思ったときには既に目の前にダーラムの隆々とした腕があった。

 

──はや、

 

 巨木を思わせる剛腕が、俺の首を捉えた。ラリアット。下半身を置き去りにして、上体が吹き飛んだ。

 

「デアアアッ!?」

 

 海底の隆起部に背中から打ち付けられる。痛みに呻く暇もない。ダーラムによる第二波がすぐそこに迫っていた。

 

 全身の筋力と体重をかけた跳び蹴り。辛うじて躱す。そのまま大きく後退して、距離を取った。

 

──どうした? さっきまでの威勢はどこにいったッ!?

 

 荒々しい嵐のような、煮えたぎる溶岩のような。ダーラムが咆える。

 

 好き勝手に言ってくれる。だが、うかつに挑発に乗って飛び込むこともできない。

 

 海底の水圧、身体を覆う水の抵抗。巨人でさえ、その大自然の抵抗力からは逃れることができない。事実、体感的に俺のスピードは地上での六割がせいぜいだろう。

 

 だが、ダーラムは違う。その水圧を真正面から押さえつけえ、地上とほぼ変わらない速度で動いてくる。だから、相対的に奴の動きが速くなったように感じるのだ。

 

 初めてビースト・ザ・ワンと戦ったときも海中戦だった。そのときよりも格段に動けているはずだ。だがそれでもダーラムには遠く及ばないのか。

 

 ダーラムだって、水の抵抗を受けているはずだってのに……。

 

 奴が再び、身を沈めるように低く構えた。拳にエネルギーを蓄える動き。一息に、このまま俺を仕留めるつもりか。

 

──死ねェ!!

 

 ダーラムが地を叩きつける。海底の硬い岩盤が砕かれ、地を這って灼熱が伸びる。紅蓮の衝撃が、周囲の海水を沸騰させながら迫り来る。

 

 ファイアマグナム。

 

 迫る衝撃を前に、体感時間が無限にも思えるほどに感じられた。

 

 あの攻撃をかろうじて躱したところで、次の展望はない。這う這うの体で逃げても、再び近接戦で押し負けるだろう。かといってこのタイミングでゼペリオン光線を撃って攻撃を相殺させても、こちらが消耗するだけ。海上に飛び上がるチャンスを、ダーラムが与えてくれるはずもない。

 

 一か八か。選択は、コンマ数秒の内に為された。

 

 青き瞳の銀色の巨人を、業火の炎が飲み込んだ。

 

 

 大地なき空間。重力の影響は大きく減じられ、暗闇は昏い宇宙を彷彿とさせる。ヒュドラが生み出した特殊なフィールド内で両者は相対していた。

 

 高速空中戦を最も得手とするヒュドラにとっては、このフィールドは最高の狩場だ。飛行能力を持たない、あるいは不慣れな敵はこの空間に引き込まれただけで行動不能となる。

 

 舌なめずりとともに、ヒュドラは落ちるように加速した。

 

「シィッ!!」

 

 蛇が漏らすような細く鋭い吐息。吐き出すと同時に、鈎爪がネクサスの首を執拗に狙う。

 

 ネクサスは身じろぎしてそれを躱す。だが、完全に反応できたとは言えず、首に致命傷を負うことこそ避けられたが、爪撃は胸部を抉った。

 

 火花が走り、ネクサスは僅かに怯む。

 

 好機。加速するための助走距離をとり、そのまま再びの高速突貫。

 

──ヒャハッ!!

 

 ヒュドラは、昂りを押さえられぬと嗤う。高速移動からすれ違いざまの交錯。そこからの離脱。これを繰り返すだけで、今までどんな敵さえも屠ってきた。

 

 ダーラムのような打ち合いなど話にもならないとヒュドラは思う。一撃離脱を繰り返し、一方的に敵を嬲る。反撃の機会は与えない。これが最も効率的で、効果的。

 

こちらの殺意をただ押し付ける。故にこれは戦闘ではなく狩りなのだ。

 

 一方的な殺戮、蹂躙。そして紡がれる悲鳴。これだけが、己の裡に巣食う虚無なる闇の慰めとなる。

 

 二度目の交錯。

 

 狙うは、胸の青い光。

 

 ネクサスはまたもそれを紙一重で躱した。だが僅かに掠ったのか、火花が散る。

 

 微かな違和感に、ヒュドラは少しだけ首をひねる。

 

 戦況は一方的だ。目の前の巨人はこちらの速度に反応できない。それは確かなはず。

 

 だが、結果はどうだ。二度目の、殺すつもりの攻撃を躱されたのはいつ以来だろうか。

 

──何だ、この手ごたえは……。

 

 超古代の巨人とは、恐らくは由来を異にするであろう目の前の巨人。それを改めて見やった。

 

 そのネクサスが、動いた。

 

 胸のエナジーコアが輝く。そして、

 

──書き換えられている……!? 俺のルマージョンが……!?

 

 暗闇の世界が書き換えられていく。殺風景でありながらも光の力が充満する異空間。ネクサスの固有技能であるメタフィールドが、ヒュドラが創り上げたフィールドを侵食していっている。

 

──ああ。上書きできたのか。

 

 何でもないような声。拍子抜けした、とでも言いたいようなこちらを舐めた言葉。

 

——テメェ……!!

 

 激昂。怒りに支配されたヒュドラが、ネクサス目掛けて詰め寄る。だが、先ほどまでの速度は出ない。明らかに、フィールドによるバフ効果が低減していっている。

 

 怒りに身を任せた、冷静さを欠いた攻撃をネクサスが見逃すわけもない。

 

 カウンター。拳を置きに行く。ヒュドラがそこに突き刺さった。

 

「グアッ!?」

 

 墜落するヒュドラに、ネクサスが追い打ちをかける。

 

 両手をL字に組んで放つ極光。オーバーレイ・シュトローム。

 

——クソが!! 憶えていろよ!!

 

 裁きの光が襲う間際に、ヒュドラは情けない捨て台詞を吐いて撤退を選んだ。

 

 ルマージョンが完全に消え去り、ネクサスもまたメタフィールドを解除した。

 

──アイツは……。大丈夫そうだな。

 

 そう内心で呟き、ヒメヤは一人身を翻して空へ飛び立った。

 

 

 海水を、巻き上げられた土砂が塗りつぶしていく。

 

 濁り切った視界はすぐ先さえ見通すことができない。だがダーラムの戦士の直感は、己の敵がその向こうで未だ息をしていることを明確に感じ取っていた。

 

視界が晴れていく。

 

巨人の目が、青く輝く。

 

──取り込んだのか、俺の力を……!!

 

 銀色に青き瞳の巨人は、その姿を変じさせていた。

 

 銀の身体は、黒と赤へ。やや細身だった身体は、マッシブなシルエットを取っている。

 

「オ、」

 

 身に湧き上がる剛力の赴くまま、巨人は雄叫びを上げた。

 

「オオオオオオッ!!」

 

 オルタナティブ・ティガ・トルネード。

 

 闇と炎を身に纏う剛力の戦士が、産声にしてはあまりにも荒々しい叫びを上げてダーラムに立ち向かう。

 

 前傾姿勢。獰猛な獣が獲物へと飛び掛かる。

 

 ダンッ、と海底を踏み抜く。水圧も抵抗もものともしない力強い脚力による加速。一瞬で最大速度にまで到達する。

 

 質量と速度に比例した破壊がダーラムを襲う。それを、ダーラムは笑って受け入れる。

 

——ハハハッ!! 素晴らしい!!

 

 血潮が沸く。己が全力を出すにふさわしい益荒男を前に、ダーラムは真っ向勝負を選択した。

 

 両者の拳が激突する。衝撃が周りの海水を揺らし、激しい潮流を作る。

 

 お互いにノックバックをやり過ごし、二撃目。

 

 オルタナティブ・ティガは回し蹴りを選択。ダーラムは再びのストレートパンチ。お互いに回避はない。己の肉体で攻撃を受け、その隙で反撃する。

 

 タフな肉体に任せた正真正銘の削り合い。殴打の応酬。

 

──良いっ!!

 

 ダーラムは、一歩前へ出た。そして拳の回転速度を一段階上げる。応じるようにオルタナティブ・ティガもまたギアを上げた。互いの攻撃の密度が高まる。

 

 先に音を上げたのは、オルタナティブ・ティガだった。

 

 顔面に突き刺さったダーラムの拳にふらつき、攻撃の手が緩む。畳みかけるダーラムを、しかしオルタナティブ・ティガはハイキックで迎え撃つ。

 

 両者の距離が開いた。

 

──……素晴らしい。

 

 己の手を握り締め、身に受けたダメージを確かめる。損耗は今までにないほどだが、ダーラムはなおも笑った。

 

 血沸き、肉躍る闘争こそが、己の裡に宿る虚ろな闇を拭い去ってくれる。

 

 猛る衝動のまま、再びのインファイト。隙のできたオルタナティブ・ティガの懐深くに潜り込む。

 

 最短距離で踏みこみ、振りかぶる。だが、

 

「オオ、お?」

 

 詰んのめる。見れば、オルタナティブ・ティガが己の足を踏んづけて抑え込んでいた。

 

──チイッ!! 理性を取り戻したか。

 

 憎たらしい小技で形勢は逆転された。顔面に張り手。頭から身体が動かされ、重心が崩れた。

 

 回し蹴り。右腕で辛うじて防ぐ。だが思いのほか良いのが入った。関節がずれるような冷や汗が出る違和感。しばらくは使い物になるまい。

 

 吹き飛ばされた勢いを利用して、回転して距離を取る。そして、目の前の巨人と向かい合った。

 

 銀のボディに赤と黒のラインが稲妻のように走っている。身体の色合いは大きく変わったが、瞳の青は変わらないまま。変身直後は力に振り回されていたようだが、今は均衡がとれたのか。落ち着き払った仕草で機を伺っている。

 

 己と並ぶほどの剛力。そして、これまで磨いてきたのであろう技の冴え。今はまだ釣り合いがとれていないが、これが噛み合った時、この巨人は今より一回りも二回りも強くなるだろう。

 

——あるいは、ティガに比肩し得るほどの……。

 

 一瞬だけ、緊張を解く。そして、目の前の巨人に問うた。

 

「お前」

 

 本名を知らないというのが、勿体ないと感じた。だが、今はその感傷は不要だろう。

 

「俺たちと共に来ないか」

 

 そう問えば、目の前の巨人は一瞬面食らったように呆けた。だが、即座に首を横に振った。

 

「断る」

 

 にべもない返答。「そうか」とだけ返事し、再び構えた。

 

 武人としての直感が警告する。今、この巨人を殺さねば、いずれ大きな禍根になる。

 

──それならそれで、俺はいいが。

 

 強者との闘争は望むところ。だが、ヒュドラやカミーラを害することになるのならば、ここで芽を摘むのもやむを得ない。

 

「ならば、ここで死ね。不遜にも、ティガなどと名乗った身の程知らずのまま」

 

 近距離での肉弾戦では万が一がある。今のあの巨人には、そう思わせるだけの迫力があった。

 

 ダーラムは身体中からかき集めたエネルギーを拳に集め、海底へと振り下ろす。

 

 地下深くのマグマ……大地に眠る灼熱を励起させ利用する。先の一撃は吸収されたが、二度目はない。一度目以上の力を込めて、解き放つ。

 

 海底が割れ、地下から吹き上がった灼炎が猟犬の如くオルタナティブ・ティガ目掛けて奔る。

 

──本来ならば必殺の業。二度もこれを俺に撃たせたのは、貴様が初めてだ。

 

 それを手向けに、果てろ。

 

 ダーラム渾身の炎は、オルタナティブ・ティガを焼かんと襲い掛かった。

 

「デュアアアアアッ……!!」

 

 オルタナティブ・ティガは、両腕の間に光の玉を造り出し、左手でそれを放った。

 

 デラシウム光流。

 

 オルタナティブ・ティガより放たれた光の奔流は、ダーラムのファイアマグナムをかき分けながら直進。ついには、ダーラムの胸に突き刺さった。

 

 光が轟音を生み、直後に静寂が海底を支配した。

 

「ぐ、あ……?」

 

 よろめく。

 

──完全なる想定外。力負けした。この、俺が。

 

 胸の輝きが、失われようとしている。成るほど、これは致命傷だと、どこか他人事のようにダーラムは自分を省みた。

 

 敗因は、と途切れ途切れの思考が回る。

 

──……肉弾戦を避けたこと。そうか。知らず知らずのうちに、守りに入っていたか。

 

 これは道理だ、とダーラムは内心で笑った。地力ではこちらが格上だった。だが勢いはあちらにあったというだけのこと。戦いは水物で、勝利の女神はカミーラ以上に取り扱いが難しいのだったな、と久しく忘れていた敗北の余韻に心を震わせた。

 

——ああ。終わりか。

 

 カミーラとヒュドラ。二人の同志を残して逝くことの無念。心を支配していた虚ろな闇が晴れていくことで感じる解放感。様々なものが、脳裏をよぎった。

 

 今際の際に、そして彼を思う。

 

——我が友よ。俺を殺すのは、お前だと思っていたのだがな。

 

 ついぞ再戦を果たせなかった、かつての同胞を想う。

 

心残りは大きい。だが、小石につまずいたとは思わなかった。

 

──オルタナティブ・ティガ、お前もまた強者の一人であった。

 

 嗤って、最後の言葉を吐く。

 

「その闇、振り払って見せろ……。オルタナティブ・ティガ……!!」

 

 最後の言葉だった。

 

 直後、剛力戦士ダーラムの身体は耐え切れずに爆散。海水を巻き上げて大きな波しぶきを作って果てた。

 


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