ハードモード地球で平成から令和を駆け抜ける   作:ありゃりゃぎ

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#67

 ネクサスの拳を受け、ペドレオン・グロースは数歩後退した。

 

 ネクサスはそこを畳みかけるように攻勢に出る決断を下した。触手を掴み、力任せに引き寄せる。

 

「グギ」

 

 不愉快な金切り声を上げてペドレオン・グロースがバランスを崩す。ネクサスはそのまま手刀でもって触手を切り裂いた。

 

「デュアッ!!」

 

 一閃。

 

 血しぶきのように火花を散らせて、肉の鞭が地に墜ちた。

 

「ギュイアアアアアッ!?」

 

 痛みに慄くように怪獣が悲鳴を上げる。怒りそのままに、残った方の触手でネクサスを叩きつける。

 

 ネクサスは僅かに仰け反った。だが、両足で踏ん張りを利かせ攻撃を受け切る。そのまま胴に正中突き。怪獣に反撃の隙を与えない。

 

 だがペドレオン・グロースも負けていない。咆哮を上げて逆襲にでる。

 

 斬られたはずの鞭が、空を切る鋭い音を伴ってネクサスの顔面を捉えた。

 

「デュアッ!?」

 

 完全に不意を突かれたネクサスが吹き飛ばされる。何とか体勢を立て直して、構えなおす。みれば、怪獣の鞭がいつの間にか修復されていた。

 

 異常ともいえる回復速度。防御力は特筆すべきところはないが、並外れた回復力がそれを補って、結果見た目以上の打たれ強さを齎しているのだ。

 

 怪獣が咆え、巨人がそれに応える。暴力の応酬が繰り返される。両者は互いに譲らず、戦いは長期戦の様相を呈し始めた。

 

 ネクサスが肩で息をする。こうなってくると、時間制限のあるネクサスに不利だ。おまけに彼はこれまでの戦闘の疲労が蓄積していた。

 

 ネクサスはこの膠着した状況を打破する一手に出た。胸の前で両手を交差させ、光を集める。

 

 銀から赤へ。蝶が羽化するように、巨人はその姿を変えた。

 

 ジュネッス。よりヒメヤの戦闘スタイルに合った形で巨人の力をアウトプットするための形態である。このスタイルは、持久力と引き換えに全体的な出力を高める。そして、自身に合った特殊フィールドを形成することができるのだ。

 

 光の粒子がドーム状に広がり、空間が断絶されていく。

 

 メタフィールド。ネクサスの戦闘能力を十全に引き出すための戦闘用空間が展開された。

 

「デュアッ!!」

 

 両腕に力を漲らせて、ネクサスがファイティングポーズをとった。そして力強く地を蹴りだして跳躍。重力の軛から解放されたかのような流麗な回転。そしてそこから放たれるサマーソルトキックが、ペドレオン・グロースの脳天を直撃した。

 

「ギュルオオオ……」

 

 怪獣と言えど、神経の重要器官は頭部に集約されている。そこに激しい衝撃を加えられれば、いかに生物の基礎基本から大きく逸脱しているEビーストであろうと、一瞬の前後不覚は避けられない。

 

 明確な隙。この距離、この間合い。外す道理はない。

 

 即座にネクサスは両腕をL字に構え、光を放つ。

 

 オーバーレイ・シュトローム。

 

 Eビーストの細胞を塵残さずに焼却しつくす極光の業火が、彷徨える怪物を清め払った。

 

 

 巨人と怪獣の戦いのあと。コモンはサイジョウに肩を貸していた。

 

「もう大丈夫だから」

 

「そうは言いますけど、足の怪我結構酷いですから」

 

 半ば無理やりコモンはサイジョウに並んだ。こうでもしないと意地っ張りの彼女は、無理に歩いて余計に足を痛めるだろう。

 

 結局コモンの好意に押し切られたサイジョウは、憮然とした表情を隠せずにいる。

 

 その彼女が、遠くを見て眉間に皺を寄せた。そして、突然コモンから身体を離すと銃を構えた。

 

 サイジョウの突然の動きに驚いたコモンは、遅れて状況を把握する。背後に生き残りの怪獣が忍び寄っていたのだ。

 

「クッ」

 

 怪我した足の痛みでバランスを崩したサイジョウが目測を狂わせた。必殺必中の彼女にしては滅多にないミス。コモンもそのミスに引きずられたのか、動揺が銃口をブレさせた。

 

 触手を伸ばす怪獣は、しかし彼らに届く前に撃ちぬかれた。

 

 光弾が怪獣を貫き、染みになるように溶ける。それを為したのは、一人の男だった。

 

「ここは立ち入り制限されているはず。……何者?」

 

 慌てて彼女が銃口を向けた先。着古した革のジャケットを羽織った男が、此方を警戒するようにして立っていた。

 

 彼もまた、彼女に銃——のようにコモンには見えた——を構えて応えた。

 

「貴方は、」

 

 コモンは彼が手にする銃を目にして息をのんだ。『それ』からは、先の巨人と同じナニカを感じた。言葉では説明できないその独特な感覚。直感的に、コモンは目の前の男の正体を見抜いた。

 

「……アレは、あなたなのか」

 

 具体名を省いた、抽象的な質問。それでも、目の前の男と隣のサイジョウには通じたらしい。

 

「あの男が、巨人……!?」

 

 サイジョウが、目を見開く。そして、男もまた驚いたような表情を作った。

 

「そうか、分かるのか。……なるほどな」

 

 いったい何に納得したのか。男は、銃口を僅かに下にした。

 

「お前たち、ナイトレイダーか」

 

 男が口を開いた。

 

 だが彼の問答には答えず、サイジョウはなお銃口を向けたまま睨んだ。

 

「投降しなさい。貴方には、訊きたいことが山ほどある」

 

 男は、静かに首を振った。

 

「できない」

 

「何故?」

 

「俺は、お前たちを信用できない」

 

「……そっくりそのままお返しするわ」

 

 サイジョウが、銃口を向けたままコモンに告げる。

 

「あの男を拘束するわよ」

 

「そ、そんな!? あの人は、僕たちを助けてくれたんですよ!?」

 

「それとこれとは別の話よ。……人類の管理下にない巨大な力なんて、何であれ火種になる」

 

 だが、サイジョウは足をふらつかせた。怪我もあるが、先の墜落のときに狂わせた三半規管がまだ復調していないのだろう。

 

「く、そっ」

 

「言わんこっちゃない!!」

 

 再び彼女に肩を貸したコモンを見やって、ジャケット姿の男は身を翻した。

 

「……まだ、捕まるつもりはない」

 

 そうとだけ、言って男は森の中に消えた。

 

 これが、コモンとヒメヤの初めての邂逅だった。

 

 

「コモン君、大丈夫かな……」

 

 急遽招集されたコモンは、後ろ髪を引かれながらも任務のためにリコのもとを去った。彼が今の仕事に強いやりがいを持っていることも知っている。それに、彼の仕事が多くの人の命を救っていることも。

 

「それでも、寂しいなぁ」

 

 本音がこぼれ出た。誰も聞く者はいないのだから、抑える必要もないのだが、それでも独りよがりなこの想いに、恥ずかしさがないではなかった。

 

 卑しい。そう思う。でも、彼と一緒にいたいという想いは日に日に強くなっている。

 

「私、恋するとこんなふうになっちゃうんだ」

 

 ベンチに一人腰を掛けた。つい数十分前までは、このすぐ隣に彼がいたのに。そう思って手で撫でた。木製のベンチはひんやりとした感覚だけを返すばかり。彼の温もりは、とうに失われていた。

 

 彼のことを思うだけで、こんな気持ちになるなんて思いもよらなかった。切ないような、焦がれるような。そんな渇望。

 

 あるいは、餓え。

 

「ああ、お腹がすくなぁ」

 

 ぐうぐうという恥ずかしいお腹の音が鳴ったような気がした。誰が聞いているわけでもないのに恥ずかしくなって、お腹を手で押さえてみた。

 

「あ、あれ?」

 

 気づいたら、手が無かった。

 

「あ、え?」

 

 指が欠けている。よく分からない。そう言えば、口の中に何か残っている。よく分からない。ぶちぶちとした残渣感が気持ち悪く口内の感覚を侵す。よく分からない。

 

慌てて口の中のものを吐き出した。

 

「ゆ、び……?」

 

 噛み砕かれて、ボロボロになった人の指。よく分からない。今日は天気が良いからと春の訪れを思わせる桜色に塗ったマニキュアが、血と唾液にまみれている。よく分からない。指先には微かに鉛筆の煤の跡。よく分からない。絵を描くといつもそこだけ煤がつく。よく分からない。小さいころからの癖は今も治らないまま。

 

「わかんない、よ」

 

 この指は自分のもの。だってほら、右手を見て。人差し指に中指は根元から。小指は半分ほどなくなっている。傷口は歯で嚙み切られているでしょう?

 

「ちが、」

 

 そう言えば、喉が渇いていたはずなのに、いつの間にか喉は潤っていた。ごくり、と生唾を飲み込めば、鉄臭くてどろりとした液体が喉をへばりつくように下っていく。漏れ出た吐息にさえ鉄の味が染みこんでいた。それが不味くて(おいしくて)不味くて(おいしくて)仕方ない。

 

「ちがう。ちがうちがうちがうっ」

 

 だって痛くない。これは、だっておかしい。こんなに痛々しいのに、まるで痛みを感じない。それはおかしい。普通じゃない。

 

「おかしいの、わたし……?」

 

 こんなに血だらけで、気付かぬ内に自分の指を食べて。それで痛みも何も感じない。そんなの、おかしい。

 

「あ、ああ」

 

 リコは、そこでようやく思い出した。

 

「私、どうして——」

 

「あぁ。ここまでね」

 

 彼女の思考を遮るように、声がした。

 

 ゆっくりと緩慢に顔を横に振った。いつの間にか隣には、女が立っていた。

 

 スーツ姿に眼鏡をかけた、一見はどこにでもいるような女性。だが、眼鏡のレンズ越しに垣間見える瞳には渦巻くような狂気を孕んでいる。

 

 その深淵の闇の中にある瞳には、しかしどこか憐憫の情が混ざっているような気がした。

 

 その感情をよすがに、縋るようにリコは希う。

 

「た、たすけ、て。わたし、こわ、」

 

 怖いの。

 

 リコの言葉を遮るようにして、名も知らぬ女が、口を開いた。

 

「おやすみなさい、恋する乙女」

 

 憐憫の表情と共に、彼女は懐から携帯を取り出した。

 

 彼女が取り出した携帯の画面。そこから発せられる光を見たリコは、一瞬瞳孔を細めた後気を失った。

 

「次に目覚めたときは、また元通り。せめてその日まで、穏やかな夢を」

 

 

 カツカツとヒールの音を鳴らして歩く。

 

 アメリカのニューヨークともなれば、人の往来は常に激しい。皆だれもかれも、他人にかかずらっている暇もなく、蟻のように忙しなく通り過ぎていく。眼鏡の下に人の目を惹きつけてやまない美貌を隠し持つ彼女に視線を向けるような人間はいなかった。

 

『それで、『マリア』の方はどうだったかな』

 

 電話からは、若い男の声がした。

 

「記憶の消去は抜かりなく。身体の損傷の方も、体内のEビースト細胞によって既に修復されております」

 

 気を失ったサイダ・リコは彼女が住まうワンルームにすでに運ばれていた。直に目を覚ますだろうが、その時には先ほどの記憶はなくなっているだろう。また、あの仮初の日常に還るだけだ。

 

『そうかい。……やはり、精神の不安定さはいかんともしがたいか』

 

 電話越しの男が悩むような仕草をした。

 

『僅かなストレスでビースト細胞の本能が顔を出す。……前途は多難だが、まあこれはこれで副産物はあるしな』

 

 電話口で男は思案するようにさらに言葉を重ねた。

 

『『母体』にかかる精神的負荷が強ければ、それだけ『仔』も増える。研究用個体はまだまだ不足しているし、時間稼ぎのための個体も欲しい。まだ追加のアクションを起こすほどではない、か』

 

 一度自分の思考に没頭しだすと、周りに気が及ばなくなるのがこの男の悪癖だった。このまま聞き手でいても時間の無駄なのはこれまでの経験で分かっていた。

 

悩まし気な吐息を吐く男に対して、女は口を開いた。

 

「『あちら側』の方では、トラブルがあったようですが」

 

『ああ、耳が早いね。いや何、研究所に預けていた『仔』が数匹逃げ出していたようでね。それが外で繁殖してしまっていたらしい。まったく、困ったものだよ』

 

 言葉に反して、男の口ぶりは軽い。それほど大きなトラブルには発展しないと考えているのか。

 

「ナイトレイダーに嗅ぎつけられるのでは?」

 

 彼らの所属は曖昧だが、TPC極東の息がかかっているのは間違いない。彼らが、こちらを探る素振りをみせているのはすでに分かっていた。

 

『TPCアメリカの何人かは既にこちらで抱き込んでいる。それに、これから彼らも忙しくなる。僕らにかまけてはいられなくなるだろうさ』

 

 いっそ朗らかにさえ聞こえる調子で男は言った。

 

「では計画に変更は?」

 

 問えば、男は即答した。

 

『勿論、変更なしさ。君にはこれからも彼女のことをよろしく頼むよ。彼女が思い出しそうになったときは、その都度記憶を消去してほしい』

 

「ですがそうなると、他の案件に支障が」

 

『君が抱えているもののいくつかは、別の人員に振り分けよう』

 

「しかし」

 

『まあまあ。君の責任感の強さも上昇志向の強さも承知の上だし、有能な君のことを私も高く評価している。だが、これからは部下に仕事を割り振ることも覚えないとね』

 

 一息にそう言い、そして男は続けた。

 

『何より、このプロジェクトは他には任せられない。そうだろう?』

 

「……ええ。その通りです、マサキ社長」

 

『分かってくれて嬉しいよ。これからもよろしく頼む、カミイ君』

 

 彼女の返答に、男は満足したようだった。

 

 ツーツー、という通信の切れた音を確認した後、彼女は舌打ちを一つした。

 

「クソ。あいつ、露骨に私を遠ざけ始めたわね。感づかれたかしら……?」

 

 握りしめた携帯が悲鳴を上げる。だがそれに気付かず彼女は、考えを整理するように言葉を続けた。

 

「まあいいわ。既に計画は軌道に乗った。たとえ私が会社から排除されようと、計画は滞りなく進む」

 

 目的を考えれば、むしろ己の手を離れたところでことが動いてもなんら問題はなかった。

 

 人の醜さを白日の下にさらけ出す。そして、彼に突きつけるのだ。人の輝きになど価値はないのだと。

 

 昏い決心を改に、女は再び雑踏の中に消えた。彼女が再び表舞台に立つ日は、そう遠くはない。

 

 

 


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