ハードモード地球で平成から令和を駆け抜ける   作:ありゃりゃぎ

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前回に引き続きちょっと短いですがキリが良かったので


#80

 それは、ヒメヤとコモン、そしてサクタの出会いから三日前まで遡る。

 

「……これは」

 

 サイテックコーポレーション北米支部。普段は客室として使用しているそこは、社長の長期滞在につき臨時の社長室として使われていた。

 

 その部屋にいるのは、二人の男女。片方は、上等な椅子に深く腰掛けたこの会社の創設者、マサキ・ケイゴ。デスクを挟んで向かい合っているのは、同じくサイテックコーポレーションに所属している女だった。

 

 彼女は、手渡された電子ペーパーに写し出された文章を一読し、そして声をわずかに硬化させた。

 

「これは、どういうことでしょうか」

 

「どうって、その通りだよ、カミイ君」

 

 記されているのは、今までカミイが携わってきたとある計画の方針が転換されたという内容だった。

 

「これまでは、極力接触を避け、不安定時には記憶を消去する事で、自発的な精神の安定を見守るということでした。ですが、これは」

 

「そう。これからは積極介入、というか、一度リセットをかけるって話さ」

 

「……リセット」

 

 繰り返すことで、カミイはその意図するところを問うた。

 

 マサキは、特に気にするでもなく自然な調子で・・・・・・それこそ、開発中のソフトの仕様を変更しよう程度の気軽さで続けた。

 

「コード・マリアの精神不安定性の原因は、恋愛感情だ。それはもう明らかだろう」

 

「それはその通りです。……ですが、その感情はヒトとして不可欠なものでしょう。時間を多少かけてでも、そのストレスを自身の手で克服、昇華させるという」

 

「そこだよ。まさにそこ」

 

 カミイの発言をマサキは遮り、そして続けた。

 

「要らないんだよ。それ」

 

「……はい?」

 

 マサキの発言が飲み込めず、カミイはそう問うことしかできない。カミイを置き去りにして、マサキは言葉を続けた。

 

「恋愛感情は『次の霊長』には必要がない。考えてみればそうだろう? 我々の目指す『次の霊長』その最大の特徴は、不死だ」

 

 不死。死なないということとは、どういうことなのか。

 

「死なないのだから、次世代の生産そのものが、種の維持には必要なくなる。ならば、恋という感情もまた必要性を失う」

 

「恋が、必要、ない……」

 

 カミイの声音に、暗い何かが滲んだ。だが、マサキはそれに気づかない。

 

「『次の霊長』から恋という感情をオミットする。出資元にも説明済みだ」

 

「ですが」

 

 反論をどうにか構築しようと唇を震わせたカミイは、しかしその前にマサキに差し込まれた。

 

「カミイ君、これは既に決定事項なんだ。君は確かに優秀だが、決める権利までは許可した覚えはない」

 

 結論ありきだ。優秀さゆえの傲慢。マサキが既に結論を下した事柄をひっくり返せるようなシステムはこの会社には存在しない。この組織は、マサキが自身のために作り上げた城のようなものだ。逆らうことは許されてはいない。

 

 クソッタレが。

 

 意図的に感情を削ぎ落とし、カミイは事務的に答えた。

 

「了解致しました」

 

 マサキは、口端をわずかに上げ、何も知らない人が見れば大層魅力的に見えるであろう笑みを浮かべた。

 

「それじゃあ頼むよ、カミイ・ララ君。……そうだね、とりあえずは明日までにコード・マリアーーサイダ・リコから、これまでの記憶を消去してくれ。その後はフロリダの施設に。そこで『処置』を行う」

 

 頷き、そのままカミイは社長室を出た。

 

 その廊下を歩く。胸の内の激情を抑え込んだまま。

   

「ふざけるなよ。マサキ・ケイゴ」

 

 仮面が剥がれ落ちる。理解していても、カミイ・ララーーカミーラはその憤怒を言葉として吐き出した。

 

「『恋』が、必要ない? ……操り人形の分際で、よくもっ……!! よくも、私の前で言ってのけたな……!!」

 

 マサキ・ケイゴはカミーラの逆鱗に触れた。

 

 彼女にとって『それ』は全てに優先されるもの。三千万年の昔から、彼女はずっとそれを追い求めてきた。それを、それを不要なものなどと言われて、彼女が冷静でいられるわけがない。

 

 三千万年前の太古から、それに身を焦がし続けてきた彼女の妄執と狂気が、怒りを燃料に膨れ上がっていく。

 

「計画など知ったことか」

 

 カミイは、かけていた眼鏡を投げ捨て、告げた。

 

 理性的に見えて、太古の闇に取り込まれた彼女は常に狂気を孕んでいる。狂い続けている。ティガに人の闇を見せつけるという当初の目的は、既に彼女の中にはない。この怒りの前には、その目論見も、ダーラムの敵討ちも意味をなさない。これまでの仕込みを全て台無しにしてでも、カミーラはマサキを否定する。その必要があった。

 

「メチャクチャにしてあげるわ・・・・・・」

 

 

 そうして、その女はサイダ・リコの目の前に現れた。

 

 

 大学の帰り道。空は既に太陽から見放されていた。切れかけた電飾灯が不規則な点滅を繰り返している。

 

 リコは追われていた。面識もないであろう、黒服の男たち。かろうじて、すぐに気づいて駆け出したが、彼らは追い込み漁でもするかのような動きで着実にリコを追い詰めていった。

 

 彼女は気づいた時には袋小路にいた。目の前には、カラースプレーで落書きされたコンクリ打ちっぱなしの冷たい壁だけ。人気は当然ながらない。

 

 ジリジリと詰め寄る男達に、意味がないとわかっていてもリコは後ろに後ずさって、少しでも距離をとりたかった。

 

 もうどうしようもないない状況。リコはここにはいない最愛の彼を思って、目を瞑るしかなかった。ひどい乱暴をされるのか、あるいは金目当ての誘拐か。いずれにせよきっと碌なことにはならないだろう……。

 

 だが、目を瞑っても何も起こらない。何があったのかと意を決して目を見開くと、リコと男達の間に見覚えのないーー本当に?ーー女の背中があった。

 

「これはどういうおつもりですか。カミイ秘書官」

 

 これまで一切口を開いてこなかった男達の中で、リーダー格の男が初めて声を上げた。

 

「見てわかるでしょう、ミサワ捜査官」

 

「……止めにきた、ということですか。これは明確な命令違反ですよ」

 

 にこり、とその酷薄な笑みでもって、カミイは解答とした。

 

「……理解できない。どうして今になって……。今更正義感に目覚めたなんて言わないでくださいよ」

 

 ミサワはそう言って、躊躇いながらも銃口を向けた。階級的には上に位置する相手だろうと、この状況は明確に組織に対する造反行為だ。現場指揮者として、ミサワには彼女を始末する権限があった。

 

 だが、

 

「ーーーへ?」

 

 気づいた時には、隣にいた部下がまるでおもちゃか何かのように吹き飛んでいた。

 

「あら。鍛え方が足りなくてよ」

 

 ピシッ、という地面を弾く音を響かせて、カミイはサディスティックな笑みを浮かべている。その手にあるのは、青白い光で作り出された鞭だろうか。ミサワの知識の中には、あのような武器は存在しなかった。少なくともTLT製ではないことは確かだ。鞭なんていう殺傷製の低い武器を開発部が作るとも思えない。

 

「何だ、それは」

 

 まして、一振りで大柄な男が宙に吹き飛ばされるなど想像の埒外だ。あの鞭は、見た目からしても理外の存在であろう。であるならば、それを自在に振るい、まるでボウリングのピンのように部下達を蹂躙するあの女は、何だ?

 

「何なんだ、お前は!?」

 

 予想外の現実がもたらした衝撃に呆けていたのは、一秒にも満たない。その間に、カミイは三度鞭を振るいーーーミサワの動体視力でかろうじて捉えられたのが三度だけだったーー部下たちはミサワを残して全て血の海に沈んだ。遅まきながら、ミサワは引き鉄を引いた。動揺しているのは確かだ。だがそれで外すような距離ではなかった。

 

 放たれた鉛玉は、カミイの鞭の一振りで薙ぎ払われた。

 

「人間じゃない……」

 

「そうよ。ちょっと頭の回転が悪いわね、あなた。シュトウ捜査官も、あなたの教育にはさぞご苦労なされたでしょう」

 

 クスクスと楽しげに笑う彼女は、まるで悪魔のよう。ミサワにはもう、彼女の皮肉に反駁するほどの気力は残されていなかった。

 

「ま、もういいわ。飽きた」

 

 それまで浮かべていた笑顔を消して、無表情のままカミイは最後の一振りを加えた。

 

 そうして、終わった。海のような血溜まりを作り上げた、カミイと呼ばれた女が、全て終わらせた。

 

 そして、その惨劇を作り上げた女は、背後で震える哀れな子羊に振り向いた。

 

「さあ、行きましょうマリア様。あなたの恋を叶えに」

 

 顔に血化粧をして、女は見惚れるほどの笑顔を浮かべた。一瞬だけ、リコは全てを忘れて見入ってしまうほどだった。まるで、宗教画に出てくる天使のような微笑み。

 

 いずれにせよ、サイダ・リコには他に選択肢などはなく。

 

 震える手で、リコはカミイの手を取らざるを得なかった。

 

 ここに契約は成った。悪魔のごとき天使(キューピッド)は、聖女の恋を叶えるだろう。その結末がどれほど悲惨であろうとも。


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