ハードモード地球で平成から令和を駆け抜ける 作:ありゃりゃぎ
ネゴロとミゾロギが紛れ込んだ取材陣が、ビルの奥へと案内された直後のこと。ヒメヤ、コモン、サクタの三人はビルのすぐ近くにまで辿り着いていた。
「一歩出遅れたか」
受付嬢を伴ってエレベーターに乗り込む取材陣の後ろ姿を、入口のガラス窓から視認したヒメヤは、悔しげにそう呟いた。
「どう、しましょうか……」
コモンが困った顔をして、ヒメヤに振り向いた。
「手でも振ってみる……?」
サクタがそう提案してみたが、ヒメヤは首を横に振った。
「下手に騒ぎを起こしたくはない」
ネゴロを拉致したミゾロギの行方を追っていたヒメヤたちもまた、TLTに追われる身である。支所であるとはいえ、TLT関連の会社が詰めているこのビルの近くにいるだけ、彼らは危ない橋を渡っている。
「……ミゾロギの目的は、やはりマサキ本人なのかしらね」
サクタは独り言のようにそう呟いた。ネゴロを拉致してまで、ミゾロギはマサキ・ケイゴに接触したがっている。状況的にそれは明らかだった。だが、何故あるいは何のために。その動機がサクタには分からなかった。
ミゾロギはナイトレイダー隊の元副隊長だった男だ。ナイトレイダーは、北アメリカで活動している現在、TPCアメリカの指揮下にあり、TPCアメリカはTLTとどうやら懇ろな関係であることは疑いがない。そのTLTの主要なポストに就任しているマサキと接触したいのなら、何故ミゾロギは部隊から離反したのかという疑問が残る。
「ヒメヤくんは、何かわかった事ある?」
サクタは、隣のヒメヤにそう疑問をふった。
「……分からない、ですね」
そういうヒメヤだが、彼自身の頭の中では、何かしらの結論が出ているようだった。どこか歯に物が挟まったような言い方を見て、サクタはそう直感した。だが、きっとこの男は問いただしても素直に答えはしないだろう。
内心で、ひとつため息をついた。
「いずれにせよ、中に入れなきゃここまできた意味がないわ。……二手に分かれてどこかに入れそうな場所がないか見てみましょ」
サクタはそう提案した。確かに、ここまで来て事が起こるまで指を咥えて待っているというのはない。ヒメヤもコモンも頷いた。
「ヒメヤくんとコモンくんは、あっち側から。私は向こうから見て回りましょう」
「いや、そこは俺かコモンのどちらかがサクタさんと組んだ方が」
サクタは首を振ってそれを断った。
「女一人の方が、何かとやりやすいのよ。こういう時って」
ウインクと共にそう返されては、それ以上ヒメヤも何もいうことはできなかった。サクタは、今では責任ある立場となって本部勤めとなってはいるが、ジャーナリストとして現場に出ていた頃は数多くの修羅場をくぐり抜けてきた実績もある。ここは一人で向かわせた方が、釣果があるかもしれない。ヒメヤはそう判断した。
「分かりました。ご武運を」
「な、何かあったらすぐに連絡してくださいっ」
ヒメヤとコモンは、そう言い残してサクタへ背を向けた。
その二人の後ろ姿を見て、サクタは仕様がないな、と腰に手を当て、
「だって、私がいたら動きにくいでしょうからね。ま、いいんだけどさぁ」
※
サクタと別れた二人は、ビルの周辺部を怪しまれないようにしながら歩いて見て回ることにした。
不審がられない程度に観察して回っている途中で、コモンはヒメヤの異変に気づいた。
「ヒメヤさん、大丈夫ですか? 何だか、顔色がよくないですけど」
サクタと別れたあたりから……あるいはこの街に入った時からだったかもしれない……ヒメヤの顔色は青白い。それに気づいたコモンが、ヒメヤを慮るように声をかけた。
「何なら、どこかで一瞬だけでも休んだ方が」
そう言いかけたところで、ヒメヤが唐突にうずくまった。慌てたコモンが近寄ろうとするが、それをヒメヤは手で制し、そして『静かに』と人差し指を立てて口元に寄せた。
ヒメヤは掌を地面に押し当てた。
「やはり、いる。だが、これはどういうことだ……?」
ヒメヤは難しい顔のままコモンに問うた。
「ここのビルはTLTの広報部門が詰めているだけで、研究施設の類はなかった。そのはずだな?」
「え、ええ。ここは都市部で土地価格も高いですから、広大な敷地面積を要求されるような大規模な研究施設には不向きです。万が一、地下に作ったのだとしても、人の目が多い都市部で非合法な研究を行うことはまず考えられないと思います。……というか、これ全部ヒメヤさんがここに来る前に言ってたことじゃないですか」
「ああ。その通りだ。……その通りなんだが」
ヒメヤはどうやら、ウルトラマン由来の超感覚でもってこの周辺を探っているようだ。様子からして何かを感じ取ったようだが、その表情はすぐれない。
ヒメヤは地面から手を離すと、今度はビルの外壁に手を当てた。
「……くそ、外の気配がノイズになっていて上手いこと気配を探れない。……かろうじて、ミゾロギであろう力の波長は感じ取れるが」
ヒメヤはすぐに外壁から手を離し、眉間に皺を寄せた。
「あ、あの。一体どうしたっていうんですか? それに、ミゾロギの波長……?」
コモンの言葉に答えられないほど、今のヒメヤには余裕がないようだった。彼は、コモンの疑問に答えることなく、やはり難しい顔を浮かべたまま唸った。
「悪寒がするんだ……いや、体調の話じゃない。さっきから、ずっと気持ちが悪いというか」
「悪寒……?」
聞き返すと、ヒメヤは首肯した。
「これは、スペースビーストの気配を感じ取った時によく似ている。……だが、だとしたら今俺が感じ取っている気配の主は、これまで経験したこともないほどの……」
ウルトラマンと同化しているヒメヤは、その感覚が常人の域を超えている。特に、怪獣をはじめとした人外の脅威に対する感知能力は並はずれていた。
その感覚が、ヒメヤにこう告げている。
「何だ、この『大きさ』は……。俺は何故、この瞬間に至るまで気づかなかった?」
「お、大きい……ですか?」
「今までにない存在感と規模だ。……だと言うのに、輪郭は朧げで掴めない。だが、確実にいる」
ヒメヤは迷う仕草をしてみせた後、
「これは、申し訳ないがネゴロさん救出より優先度が上だ。この気配の正体は、放置できない」
そう言うと、ヒメヤはその足先をビルの反対側へと向けた。
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
ヒメヤを追うように、コモンもそれに続いた。
ヒメヤは足早に路地裏を縫うように歩みを進めていく。コモンはその背中を何とかして追いかけていった。時折、ヒメヤは立ち止まり、瞼を閉じて地面に手を置いた。巨人から与えられた超感覚を研ぎ澄まし、得体の知れない気配の出どころを探っているようだ。その間コモンは邪魔にならないように、口をつぐんでいた。
そうして二人がたどり着いたのは、明らかに治安が良くない裏通り。そこに設られた地下歩道の入り口の前で、ヒメヤは立ち止まった。
その路地裏は、周囲に建てられたビルのせいで昼間だと言うのに日差しが差し込むことなく、薄暗がりの中にあった。路地の壁には、どこもかしこもカラースプレーで落書きがなされており、もはや元の壁の色は認識できない。あたりには空っぽの段ボールが散乱しており、そこには浮浪者がいた痕跡だけがある。空気は停滞し澱んでいた。ここにいた誰かが吸ったのであろう薬物の独特の臭気が鼻をつく。
何を言うでもなく、ヒメヤは地下歩道の入り口に足を踏み入れた。コモンは、生唾を飲み込んで僅かに躊躇った後、思い切って一歩めを踏み出した。
※
一歩その中に入ると、世界が変わった。
「何だよ、これ……」
まず、嗅覚が異常を感じ取った。
外に漂っていた、薬物を炙った際の残り香はすっかりと上書きされている。
赤い臭い。鉄の残響。臭気が味覚まで狂わせるほどの、濃密な血の匂い。
階段にはところどころに血溜まりが出来上がっていた。飛沫が上がったのだろうか。血の後は、床だけでなく壁や天井にまで飛び散っている。
「ビーストの仕業、でしょうか。だとしたら、一体どれほどの……」
被害者の数は、ざっと数十人と言ったところだろう。そして血の渇き具合から見て、この惨状はできてまだ一時間と経ってはいない。その数を一瞬で、一人も残さず。相当数の小型の怪獣が、この地下歩道の先に巣食っていると言うことだ。
「いや、物音がしない。小型のビーストの群れならば、もっと騒がしいはずだ」
ヒメヤの言葉に、確かにと頷く。虫型にせよナメクジ型にせよ、音を立て、怯えさせ、警戒させ、恐怖を煽った上で捕食する。それがビーストの食事の作法だ。少なくとも群れをなしているときは、その傾向が強い。
「じゃあ、大型が……? いやでも、この地下歩道の中に身を潜められるはずが」
小声でそう会話しながら、二人は地下への階段を下っていった。長く感じられた階段がようやく終わり、二人は地下歩道の遊び場に立った。
その通路は一本道であった。途中で、休憩スペースとベンチがいくつか設置されており、歩道全体の長さはせいぜい二百メートルほど。
通路には、やはり死体があった。散乱していた。どれもひどく損壊している。まるで、箸の使い方もおぼつかない子供が焼き魚の骨をどうにかこうにか選り分けて摘んで食べたかのような、そんな無惨さ。
過酷な任務で慣れつつあったコモンをして、湧き上がる吐き気を抑えられそうにない。えずきそうになるのを堪えて、コモンはその先を見た。
「…………え?」
この惨劇を作り上げたのは、一体どれほどの怪物なのだろうか。そう思い投げた視線の先。死体の中心に、ヒトが立っていた。
力感のない、ただそこに立っている人影。ふらふらと上体が揺れている、女の影。
「なんで」
女は、血に染まっていた。特に、口周りがひどい。それは、明らかに言い逃れのできない捕食の痕。唇の合間に垣間見える犬歯は常人の長さを逸脱している。怪物の証。
怪物が、口を開いた。
「コモン、くん…………?」
怪物は、女の形をしていた。コモンのよく知る最愛の女性のカタチをしていた。