ハードモード地球で平成から令和を駆け抜ける 作:ありゃりゃぎ
思考が空転する。
「リコ、なのか……?」
問う。意味のない質問だった。この距離で、コモン・カズキが彼女を見間違うはずがないのだから。
それでも、コモンはそう問うしかなかった。この惨状を作り上げたのが彼女ではないという証明が欲しかった。
「あ、れ……? 私、どうしたんだっけ」
血溜まりの中心に佇む彼女は、おおよそまともな受け答えができる様子ではなさそうだった。言葉は舌足らずで、どこか幼ささえ垣間見える。夢見ご心地、という表現がよく当てはまる。ただ立っているだけで、そこから一歩も動いているわけでもないのに、足元はふらふらと覚束ない。ふらり、と倒れそうになった彼女を支えようと、咄嗟にコモンは駆け寄ろうとした。
「リコっ」
しかしコモンはその腕を掴まれ、強引に止められた。
「な、何するんですかヒメヤさん!?」
強引に掴まれた手を振り解こうとするコモンの言葉を丸々無視して、ヒメヤはただただ目の前の彼女を凝視し続けている。
「ひ、ヒメヤさん……?」
「なんて、ひどい」
コモンの記憶の中で、ヒメヤ・ジュンという男は、いつだってその表情を崩すことがなかった。そのヒメヤが、リコを見て、ただそう呟いた。痛ましいものを見て、耐えられないと顔を背けるような、そんな感情がその言葉には含まれていた。
ヒメヤは、コモンの二の腕を掴んだまま、リコを見た。
そして、最も致命的な言葉を吐いた。
「彼女は、ビーストだ」
※
意味がわからなかった。
「そんな、だって。おかしい。おかしいですよ、リコがビーストだって? 違う。違うそんなはずがない。だって、リコはこれまでずっと僕と一緒にいて。デートだってして。だから」
縋るように。祈るように。
「Eビーストに関する最初の事件で、七つの死体にEビースト細胞が埋め込まれ、怪物として生き返った。サナダ・リョウスケの死後、被験体となったそれらは、公的には廃棄されているが実際には外部に流出している」
聞きたくなかった。不都合な真実。
「その内六体は、俺が殺し直した。だが、最後の一体だけが行方が掴めないままだった」
「僕だってEビーストヒューマンのことは知ってますよ!! でも、そいつらには自我がなかった!! でも!! リコは!! リコは違う!! リコは、笑って、泣いて!! 僕の前で、僕と一緒に!!」
いよいよ真後ろに張り付いた真実を遠ざけたくて、コモンは大声を上げた。そうしないと、何もかもが終わってしまう気がした。
「彼女は、おそらく成功例なんだろう。……Eビースト細胞を使って不老不死を目指すなど、何を馬鹿なことをと思っていたが。成功例があると言うなら話が変わってくる」
ヒメヤはあくまで冷静に、言葉を紡いだ。それは、コモンに滔々と語りかけるようでもあった。
「……マサキ・ケイゴは、成功体であるサイダ・リコを確保していた。つまりこれまでのEビースト細胞に関する実験も、元を辿れば彼女の細胞が由来ということか」
コモンは耐えきれなくなって、ヒメヤにつかみかかった。
「リコは人間だ!! 怪物じゃない!!」
「ならば、この光景をどう説明する!!」
襟首を掴み返されたコモンは、その言葉に返す言葉を探して視線を彷徨わせた。
「それは、」
探して探して探して、それでも事実は覆せなかった。状況はこの惨状の犯人を言い逃れようもなく指し示していた。
何より、どれほど言葉をとり繕おうとも、コモン自身がそれを信じられない時点で、全て終わっていた。
「…………否定、してくださいよ。お願いですから、リコは違うって。そう言ってくれるだけで、僕は」
俯いて、そうとだけ。
ヒメヤは、それでも言葉を変えはしなかった。
「彼女は、怪物だよ。人を喰らった。もう、言い逃れのしようもない怪物だ」
コモンは、膝から崩れ落ちた。それ以上、自分の力で立っていられなかった。
目の前で崩れ落ちたコモンを見て、リコは首を傾げた。
「コモンくん? 大丈夫?」
おそらく、サイダ・リコは現状を正しく認識できていない。夢を見ているような状態。半覚醒と言うべきだろうか。事実、コモンの隣にいるヒメヤに反応を一つも示さない。
一歩近づいてきたリコに対して、ヒメヤはコモンの前に立ってそれを遮った。
そして、ヒメヤはブラストショットの銃口をリコに向けた。
「貴方は、だれ……?」
「……ヒメヤ・ジュン。これからお前を殺す者の名前だ」
「ころ、す? どうして?」
彼女は自分が何をしたのか、分かっていない。怪物としての自覚がない。それが、引き金を引くことを躊躇わせる。
コモンが、ヒメヤの足に縋り付いて額を地面に擦り付けた。
「お願いします!! リコを、リコを殺さないでください!!」
なりふり構わないコモンの懇願が、それに追い討ちをかけた。
「お願いです!! まだ何もリコから聞いてない!! だから!!」
一瞬の瞑目。
それでも、彼女を生かしてはおけないのだ。
「……すまない」
誰に対する謝罪なのか、それは言った本人にも分からなかった。
僅かな逡巡。それが運命を決定づけた。
引き鉄を引く、その決定的な瞬間。その間際。
突如振るわれた閃光の鞭が、ヒメヤの手を強かに打ち据える。
「ぐっ……!?」
ヒメヤの手を離れたブラストショットが、床にカラカラと転がった。そして、リコを挟んでヒメヤたちの反対側から、ピンヒールがリノリウムの床を叩く音が近づいてくる。
「レディの食事中に、随分なお客さまねぇ」
血の匂いが充満した、昏い地下通路に似つかわしくないOL風の女。だが、それが発する気配は尋常ならざるものであった。ヒメヤはもちろん、コモンをして、この場に現れたこの女が只者ではないと感じている。
転がったブラストショットを拾い上げて、女は得心いったと頷いた。
「ああ。貴方が『五番目』なわけね。ウルトラマンネクサス。私たちとはルーツを異にする、銀色の巨人」
突如としてこの場に現れた女の言葉を聞き、ヒメヤは警戒度をさらに一つ引き上げた。目の前の女は、巨人の力を見抜くことができる存在だと言うこと。そして今の言動を鑑みて、その正体は一つだろう。
「三千万年前の、闇の巨人……」
「あら。よく知っていること。……そういえば、ヒュドラと一戦交えてたわね貴方」
ここにきて、予想外の脅威。ブラストショットは敵の手の内にあり、目の前の女には隙がない。茫然自失として立ち直れていないコモンを連れての戦闘は不可能だと判断したヒメヤは、ただ見ている他なかった。
闇の巨人は、リコに寄り添うように立った。
「全く。食事のたびにトリップするの、いい加減にやめて欲しいのだけれど」
リコの肩に手を置いて、闇の巨人は力を込めた。手から放たれた闇の波動に晒されて、リコの身体がビクンと痙攣した。
「な、何を」
コモンがそう口にするが、闇の巨人が手を止める様子はない。
痙攣がおさまった後、リコは目を覚ました。その瞳には先ほどまではなかった知性が宿っている。
「あ、れ。私」
目覚めた彼女は、そして己の手を見た。真っ赤な掌がそこにある。爪の間に入り込んだ肉の跡、指を開くと粘り気さえ感じるヒトの脂。その触感。食感。
意識を取り戻した彼女は、全て思い出した。
「お、おえ」
吐きかけたリコを、闇の巨人は強引に立たせた。
「食べたばかりで吐いたりしない。勿体無いでしょう?」
「また、また、私……」
取り乱すリコを見て、闇の巨人はため息をついた。
「トリップしたと思ったら、今度はこうなる。毎度毎度、よく飽きないわね」
リコは、自分の手を口の中に突っ込んでどうにか吐き出そうとした。それを、闇の巨人は力づくで押さえつけた。
「離して!! 離してよ!!」
「勿体無いって言っているでしょ。それに、ほら。今回はギャラリーもいるんだから。人前でゲロゲロ吐くなんて、女としてどうかと思うわよ」
闇の巨人の言葉で、リコは初めて目の前の二人に気づいたようだった。
「コモン、くん…………?」
「リコ……」
まるで何かから身を守るように、これ以上見られないように、リコは手で顔を覆った。
「見ないでっ!! 見ないでぇっ!!」
リコはうずくまって、怯えるように声を震わせた。
「違う、違うの。私、私……」
取り乱したリコの体が、不自然に光る。
「何が……!?」
突如起こったリコの変化に、ヒメヤが警戒の声を上げる。
「『出産』よ。……ふうん、なるほどね。そこの男がマリアの恋人ってわけ」
リコの体から、何かが分離する。それはEビーストの細胞。その塊だった。大きさは、人間の胎児ほど。それは、リコの体から分かたれると一気に膨張を開始する。
ただの肉の塊が、内側から突き上げられたように四方八方に膨らみながら、徐々に形を成していく。肉塊から四足の獣へ、そして瞬く間に前傾姿勢の二足歩行となる。狗頭に剥き出しの牙が生えそろう。同時に首らしきくびれから、新たな首が二つ。それは即座に頭を形成していく。
生命への冒涜。その光景はまさしく異形の生誕であった。
異生獣は、形を成しながらその体積を拡大させていく。その規模に耐えきれず、地下通路はついに崩壊を始めた。
コンクリの壁が砕かれ、地下を走行するパイプラインが次々に引きちぎられていく。
「くそっ……!! いくぞ、コモン。これ以上ここにはいられない!!」
蠢く怪獣の向こう側には、まだリコがいる。
「リコが……!! リコがまだ……!!」
「無理だ、これ以上は生き埋めになるぞ!!」
ヒメヤに引っ張られ、コモンはその場を後にするしかなかった。
「また会いましょう。マリアの恋人さん」
闇の巨人のその言葉を最後に、地下通路は目の前で崩落した。
そして、今。目の前には、産み落とされた大いなる悪魔が聳え立っている。
オオオオオオオオオオオオッッッ!!!!
産声か。咆哮か。こうして、三つ首の番犬は聖母によって産み落とされた。
※
異形の悪魔。三つの狗頭が同時に嘶いた。共振する高周波は、破壊のエネルギーを携えて周囲の高層ビルに到達する。
ビルの窓ガラスは一瞬に砕け散り、破片がアメリカの空に舞う。石英の雪は極小の刃となって、人々を無機質に殺戮する凶器となって降り注ぐ。コンクリの壁は捲りあがり、鉄骨を剥き出しにした。削ぎ落とされた灰の壁が地上を均質にならしていく。
アメリカの首都ワシントンD.C.は一瞬のうちに、混乱の坩堝へと果てた。
人の悲鳴と物が壊れる音だけが耳を穿つ。その中で、地下通路から抜け出したヒメヤは、失意のままのコモンを半ば担いで強引に抜け出していた。
「なんで、こんな……」
地上へと這い出た二人を迎えたのは、悲鳴と轟音。ただそれだけ。日常の壊れる音が、二人を責め立てるように合唱する。
コモンは、一人で立つこともままならず、再び膝を折った。次々に襲いくる事態に、心がついてこない。何をしたらいいのか、頭が追いつかない。
リコのこと。街の惨状。ネゴロとサクタの安否。ナイトレイダーとしての責務。全てが脳裏を駆け巡るのに、全てが空転して身体が起動しない。
「僕……僕が、躊躇ったから……。ヒメヤさんを止めたから、こんな」
あの瞬間、ヒメヤを止めなければ、こんな事態には至らなかったのではないのか。いや、あそこでヒメヤの足に縋りついてでも止めていなければリコはきっと死んでいた。だが、この惨状を見て心は痛まないのか。
一人の怪物と、多くの無辜の民。釣り合いが取れていない。お前のエゴが、その天秤を強引に傾けたのだ。
たくさん死んだ。死んだ。死んだ死んだ死ん死んだ死ん死ん死んで死死死死死
「しっかりしろ!! コモン・カズキ!!」
ヒメヤの一喝が、コモンの心を現実に引き戻した。
指がめり込むほど強く、両の肩が掴まれた。ヒメヤの視線が、コモンを穿つ。
「考えるのは全て後回しにしろ。今はただ、足を動かせ」
目を見て、強く語りかける。
「そして、諦めるな」
祝福のように、呪詛のように、その言葉がコモンの両足にひとりで立ち上がるだけの力を与える。
「ーーーはいっ」
後悔はある。罪悪感もある。これから自分がどうしたいかもわからない。それでも今は、この惨劇を少しでも止める。それが今、コモン・カズキがやるべきことだ。
コモンは駆け出した。そしてナイトレイダー隊へ緊急コールを送りながら、本隊へと合流を急ぐ。
その後ろ姿を見送って、ヒメヤは異生獣へと向き直った。
ガルベロス。その怪獣は『始まり』に邂逅した怪獣に、よく似ている。
「ーーネクサスッ!!」
光り輝く短刀を鞘から抜き放って、ヒメヤ・ジュンはウルトラマンネクサスへと変身した。