深愛なるあなたへ   作:フリート

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海色の腕の中 『園田海未』

 海未よ、そんなに涙を流すんじゃない。涙を流すお前は、それはそれで美しいのだが、俺はお前に笑っていてほしい。頼むから、泣かないでくれ。お前は何も悪くない。悪いのは、お前にこんな決断をさせた俺ではないか。俺がお前を苦しめ、俺がお前の感情を玩んだのだ。お前の悲鳴を聞き逃し、お前の苦痛を感じ取りもしなかった。言い訳をする余地もない。俺が全て悪いのだ。だから、だから泣かないでくれよ。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい、資孝(すけたか)

 

 何を謝ることがあるんだ。俺は常々武士になると口にしておきながら、か弱き女子であるお前を苦しめ続けた大罪人。そうだ、お前は天上の神々に代わって正義の刃を振るっただけだ。弱きを傷つける悪党に裁きを下しただけなのだ。

 

 世間はそんなお前を許しはしまい。狂った殺人鬼と心無い事を言うかもしれない。だが、他ならぬ俺が許そう。お前はやるべきことをやっただけなのだ。俺は死ななくてはならない人間なのだ。お前は正しいのだ。お前が正しくないのであれば、この世に正しさなぞ存在しない。胸を張れ。俺がお前を正しいと認めてやろう。

 

「ああ、資孝。こんなにいっぱい血が」

 

 お前もいっぱい涙を流しているな。お前の涙が枯れ果てるのが先か、俺の血が枯れ果てるのが先か。ふふ、競争でもしてみるか。

 

「愛しています。貴方を愛しているのです」

 

 ああ、そんなに抱きしめては血が付いてしまうよ。お前の香りに包まれるのは夢心地の快楽なのだが、薄汚れた大罪人の血で汚れてはほしくない。

 

「資孝、資孝、ああ、温かいです」

 

 俺は何だか寒くなって来たよ。ああ、やっぱり俺は大罪人の大悪党だ。お前に汚れて欲しくないと思いつつも、このままずっと抱きとめてほしいとも思っている。

 暫く、暫く。その間は、昔の事でも思い出していようか。

 

★      ★      ★

 

 お前と初めて会ったのは、もう何年前になるだろうか。

 

「は、初めまして、そ、園田海未です」

 

 武士を目指した俺が、お前の実家である道場に足を運んだのがきっかけだった。舞いも弓も武士たるもの、備えて当然の教養。その教養を物にすべく道場の扉を叩き、俺とお前は出会った。

 

「お初にお目にかかります。ぼ、僕……いや、私は相馬資孝(そうますけたか)と申す者です」

 

 大河ドラマの登場人物の自己紹介を真似た俺を見て、お前はずっと怯えていた。後から聞かされた話だが、お前はどうもあがり症の気があったらしいな。いや、今でもそれは変わらんのだが、昔はもっと、それこそなんにでもびくびくとしていた。

 

 子供ながらに、俺はお前を守ってやらなくてはならない存在だと認識していたよ。何を言うんだという話だろう? あの頃はお前の方が全然強かったと言うのに。俺の方が教えられ、守られる立場だったと言うのに。

 

「よ、よろしくお願いします」

 

 お前は今と変わらぬ美しい黒髪を、広大にして雄大、母なる海を宿したその黒髪を靡かせ俺に頭を下げた。それから上目遣いに反応を探るお前に、俺は呆然と立ち尽くしていたのを思い出すよ。お前が可憐だったから、どうしようもなく惹かれてしまったから。当時は知らなかったその感情は、一目惚れだった。

 

「こちら、こそ」

 

 俺の声は緊張で震えていただろう。

 それから長い期間、俺とお前は声を震わせ身体を震わせ、ぎこちのない姉弟弟子関係を続けて行った。周りからはさぞ面白い見世物のようであったろうよ。でも俺とお前はその距離感をどうすることも出来ずに、時間だけが過ぎて行った。

 

★      ★      ★

 

 関係が変わったのは十四の頃だったか。その歳にもなれば、俺たちも多少は成長していて、少なくとも互いに緊張する事はなくなっていた。

 その日は、お前の誕生日であったな。お前の家で誕生パーティーをするという事で、お前と俺と、お前の友達という経由で俺の知己となった高坂穂乃果に南ことりの四人で集まった。この四人は、いつも一緒だったな。俺だけ男だから、ちょっと気恥ずかしかったよ。

 

「ふふん、実はほのか、良いものを持って来たんだ」

 

 そう言いながら穂乃果が出したのは、酒の入った缶だった。穂乃果は桃のジュースなどと言っていたがな。俺とお前はその言葉に騙されて、それをコップに注いでいった。

 

「それじゃあ、乾杯」

 

 音頭を取ったのはことりだった。

 菓子を頬張りながら他愛のない雑談に花を咲かせ、ちびりちびりとコップの中を開けていく。四回ほど口づけた時には、俺はもう平静ではなかったのだ。

 俺は大胆にもお前の指に自身の指を絡ませ、お前もやはり平静ではなく力強く握りしめてきて、気が強くなっていた俺はお前にこう言った。

 

「海未、俺の妻となれ」

 

 すると、

 

「喜んで」

 

 お前は蕩けるような笑みを俺に見せてきた、のだろう。正直、その辺りは曖昧なのだ。ただ、俺がお前に告白をしたのだけは鮮明に覚えていて、お前が承諾したのも勿論覚えている。

 

「それ、キース、キース」

 

 穂乃果が手を打って囃し立てると、ことりも同じように手を打った。

 俺たちはそれに乗せられ、唇を重ね合わせた。お前が切なげに腰をよじらせると、俺は逃すまいと強く抱きしめ、それ以上の強さをもってお前に己が欲望を解き放った。お前は苦し気に、でも、歓びに満ちていた。

 穂乃果とことりはこんな俺たちを祝福していた。

 

 どうやらこれは、二人の策略だったらしい。互いに思い合いながらも、一向に進展しないのに業を煮やして、計画したものらしかった。

 男たるものが酒の力で女を、と俺は自分に怒りを覚えたが、お前はただただ嬉しそうだった。それを見たら、もう怒りなんて感情は微塵も湧いてこない。

 

「資孝、私達はこれで恋人になったのですね。ゆくゆくは夫婦に」

 

「そうだ、お前は俺の女になったのだ。思えば俺は、はらはらとしていたよ。お前は真に美しく、俺以外の男も魅了していた。いつ、俺以外の男に靡いてしまうのではないかと、最近はそればかりを考えていた気がする。しかし、もう不毛な事を考える必要はなくなったわけだ。海未、お前は俺の女だ。誰にも渡さん」

 

「それはこちらの台詞です。貴方は誰よりも男らしい。そんな貴方に惹かれる女性は五万といるのですよ。私こそ、貴方が私以外を選ぶのでは、と考えるだけで胸が張り裂けそうになって、貴方がその優しさを他の女性に向けていると思うと、気が狂いそうで」

 

 お前は俺の腰に両腕を回して、俺はお前の腰と頭に手を回した。

 俺とお前は今回の計画を立てた二人に感謝の意を示し、しかし酒を飲んだことがばれてこっぴどく親に叱られた。ただまあ、俺とお前はそのありがたいお説教を上の空で聞いていたものだ。これから訪れる幸せの余韻に浸って。

 

★      ★      ★

 

 お前の様子が変わり出したのは、お前がスクールアイドルを始めてから数か月経ったぐらいからだろうな。お前の他に、穂乃果とことり、それから別に六名を加えたグループ活動。俺もお前との縁があって、他のメンバーと交流をする機会を得る事が出来た。

 今思えばそれがいけなかったのだろう。俺がお前以外の女と必要以上に話をする様を見て、お前は不安になってしまったのだろう。そしてそれを、俺が真剣にとらなかったのだ。

 

「最近、皆と会う時間が多くないですか? 確かに紹介したのは私ですし、皆と仲良くして頂けるのは嬉しいのですが、一応私という恋人がいるのですよ。少々自重というか、頻度を控えてもらえると私は安心するのですが」

 

「何をそう不安がると言うのだ。俺がお前を捨てて、例えば穂乃果やことりを選ぶとでも思っているのか? 心配性な奴め。俺がそんな不誠実な事をするような男に見えるか? もしそんな事になるようなら、俺は腹を切っても良いぞ」

 

 俺がそう答えた時、お前の顔が険しく曇った。その陰りがお前の苦痛のサインであったのだろうな。だが俺はそのことを理解せずに、ただ心配になっているだけだと軽く捉え、お前の苦痛を取り除こうなどと考えようもしなかった。苦痛なのだと認識していなかった。

 

「資孝、私を安心させて下さい」

 

 お前はそう言いながら俺に口吸いを求めて来て、俺はそれに応えた。激しく愛を俺にぶつけてくるお前に、俺も負けじと返した。それから俺の胸に顔を埋めて、お前はさめざめと泣いていたのだろうな。俺はそれにも気付かなかったよ。最低の男だ。

 

「資孝、愛しています。貴方は私のものです」

 

 これがお前の最後通牒だということも、やはり俺は気付いていなかった。

 

★      ★      ★

 

 思い出せば出すほど、俺はとんでもない男だな。

 そんな男に対して、お前はこれほどまでに一途に愛を貫いてくれる。俺は果報者よ。こんな悪逆非道の男が、こんなに幸せであって良いのだろうか。

 俺はお前を不幸にしか出来ないのに、お前は俺を幸せにしてくれる。武士たるものがなんと不甲斐ない事か。いや、この様ではまだまだ武士は名乗れんな。

 

 俺は地獄に落ちるだろう。己の愛する女を苦しめ続けた悪魔なぞ、地獄に落ちて当然の報いであろうよ。

 

 いかんな、何だか眠たくなってきた。海未、聞こえているか。返事はしなくても良い、だから聞くだけ聞いてくれ。今までありがとう。人生は無情、人生は夢幻などとよく聞くが、お前のお陰で少なくともそんな気は全然しなかったよ。俺は確かに生きていた。

 お前に惹かれて、お前と身体を重ね合わせ、お前と共に生きた日々は、現実に強く心の中に残っている。お前との愛し合った日々は、決して幻なんかじゃない。

 

 海未よ、俺は先に行く。もうお前と会う事はないだろう。俺は地獄に落ちて、お前は天の世界に昇るのだから。しかしもし仮に、仮にだが何かの間違いでお前が俺と同じ場所に来ることになったら、その時はまたよろしく頼む。そんな日が来ないことを祈っているし、来るにしても遠い遠い、気の長くなるような遠い日であることを祈ってるよ。

 

 そうだ、お前がもし来ることになっても良いように、俺が地獄を支配してやろう。地獄にも武士は居るだろうし、その武士どもを束ねて挙兵し、極卒並びに閻魔大王を斬り伏せ、お前を迎える準備を整えるとしよう。せめて、それぐらいはさせてくれ。

 

 海未、海未。愛しているよ、海未。では、そろそろ行って来る。

 

「ご武運を」

 

 ああ、海未――。

 

「資孝。私はそんなに気の長い女ではない事を貴方は知っているでしょ。何十年も貴方と会えないなどと、冗談ではありませんよ。資孝、資孝、死出の旅路、お供いたします。私は何時でも貴方の隣にいますよ」

 

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