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第一話 纏弌華着任する
1939年ドイツがボーランドに侵攻したことによって第二次世界大戦が始まった。その半年程前日本軍ではある特殊部隊が本格的な活動を始めようとしていた。
皇紀2595年2月3日
群馬県にある浅間隠山の山中にとある研究施設が有った。帝国工業の薬学部に所属している研究所の一つである。カツン、コツンと男が鉄階段を下りる音が狭いコンクリート造りの階段室に響き渡る。何回か踊り場を通った後、男の前に鍵のかかった鉄扉が現れた。男はそれを鍵を使って開ける。するとさらに奥にもう一つ鍵穴の違う扉が有った。男はまた別の鍵を白衣のポケットから取り出して解錠する。そのさらに奥にまた別の鍵を使う扉が有った。どうやらとても重要な物が保管されている場所らしい。
全部で四つの扉を開けた男は薬品特有の匂いとどこからか聞こえる水の音と機械的な音が感覚器官を介して知覚した。男は迷い無い足取りで棚の隙間を通って奥の部屋へ行く。
水の音と機械的な音の発生原はそこに有った。人が入れそうな大きさに薄黄色の液体が入ったガラス管が四つ立っていた。その液体は何本ものパイプを通して供給されていた。ポコポコッと中で発生している気泡の隙間から何かが液体の中で浮いているのが見えた。その光景に満足したのか男は笑みを浮かべて四つのガラス管の中身を確認した後、通ってきた道を戻っていった。
皇紀2599年3月9日横須賀
「長官、たった今彼が到着しました」
「そうか、ここに来るよう伝えてくれ」
「はっ」
報告に来た兵が退出してから暫くして軍靴が廊下を蹴る音が聞こえ、扉が叩かれた。
「どうぞ」
「失礼します」
開かれた扉から入ってきた青年は自らを纏弌華と名乗った。整った顔立ちをしており、長めの髪で後ろ髪をバンドで束ねた姿は服を変えるだけで女性と間違われるだろう。しかし、彼の死んだ魚のような目と感情の機微が読み取れない表情で固定された顔は他人に機械的な印象を与え、近づきがたい印象を持たせてしまう。
「君の着任を心から歓迎しよう。早速で悪いがもうすぐで迎えが来る。この書類を持って駐車場へ向かってくれ」
長官と呼ばれた男は弌華に書類を手渡した。
「君の行くところは癖の強い奴が多いが頑張ってくれ」
「了解しました」
弌華は敬礼をして踵を返した。
駐車場に行くと既に一台の黒い車が停まっていた。軍用の塗装を施された車が多い中でその車体色は非常に目立った。外に出て待機していた運転手が弌華が向かってくることに気付いたのか弌華の方へ向かった。
「貴方が纏弌華少尉で間違いありませんか?」
「はい」
「お乗りください。本部までお連れします」
「ありがとうございます」
後部座席のドアが運転手の手によって開かれた。弌華は体を傾げて車に乗り込んだ。
本部に着くまで一時間半くらい車に乗っていた。港に着くと今度は小型のモーターボートに乗って玄界島まで向かった。島に着くとそこからまた車で島の中心部に建つ建物へ向かった。
「少尉、着きましたよ。執務室は2階の右側にあります」
「ありがとうございます」
弌華は車から降りて正門へと向かった。正門に立つ衛兵に許可を貰って中に入る。一本道の奥、正面扉に人影が見えた。弌華はその人影に向かって歩いていった。
「ようこそ帝機軍へ。私は帝機軍副司令、河上嘉章という者だ。以後よろしく頼む」
扉の前に立つ目の前の男はいかにも帝国軍人といった感じだった。
「本日付で着任しました纏弌華です。司令にお目通りしたいのですが司令は執務室でしょうか?」
「いや、司令は席を外している。司令から基地施設を案内するよう仰せつかっている。私に付いてきてくれ」
弌華は嘉章の後ろに付いて基地内を見て回った。基地外苑を見た後、庁舎内部へと入った。島の半分ほどが軍事施設らしく実験場や大規模な滑走路まで有った。
「ここが食堂だ。基本的に皆ここで食事を摂る。自分で作る奴もいるがな。おすすめは金曜に出るカレーだな」
嘉章は二つ扉に力を入れた。きぎっ、ぎぎっと床と擦れる音を出しながら開かれた。
「「ようこそ、我らが帝機軍へ!」」
扉が90度動いたとき軽快な破裂音の嵐が弌華を迎えた。目に入ってきたのは豪勢な食事が沢山並べられた長机の数々。恐らくは帝機軍全員が集まっているのだろう、広い食堂が埋め尽くされている。
「ってことで今夜の主役のご登場だ。さぁ少尉、君から一言」
弌華の後ろに立っていた嘉章に押されて弌華が一歩前に出る。
「初めまして皆さん。私は纏弌華、階級は少尉です。今夜は私のためにこのような会を開いてくださりありがとうございます。これから宜しくお願いします」
弌華がお辞儀をしたと同時にまたも拍手が巻き起こった。
「新入りの紹介も終わったことだし宴を始めようか。さぁ皆今日は沢山飲んで食べて大いに楽しんでくれ」
嘉章の音頭で歓迎会は始まった。偶にしかないこの機会を皆楽しんでいるようだった。
歓迎会が始まってから少し経った時、弌華はある違和感を感じて嘉章のところへ向かった。
「副司令、姉上が見えないのですがどこに居るかご存じでしょうか?」
「そうだった、彼女を出すの忘れていたよ。付いてきてくれ、君の姉の所まで案内しよう」
二人は庁舎を出て、基地施設の奥に佇む山へと向かった。鬱蒼と繁る雑草や風に揺られて二人の行く手を邪魔する枝葉を避けながら進んでいく。
「君の姉について何か聞かされているかな?」
「いえ、何も聞かせれてません」
「そうか、なら教えておくか」
嘉章は歩きながら話し始めた。
「まずお前らが造られた目的は米ソから見て圧倒的に戦力で劣る我々が彼らと戦争になった場合迫り来る彼らの軍団を単騎で殲滅することだ。しかし、そのような人間を造るのはもの凄く困難な道のりでな、計画が始まってから実用化にこぎ着けれる所まで来るのに十年も掛かったんだ。そして初の成功体となったのが君なんだ」
その発言に弌華は首をかしげた。
「私の前に三人送られていると聞いていますが?」
嘉章は頷いてまた話し始めた。
「その通りだ。しかし、その三人のうち二人は兵士としてまたは兵器として致命的な欠陥を抱えていてな、とてもじゃないが実践に出させられるような代物では無かったんだ」
弌華は嘉章の発言に納得した素振りを見せた。
「それでこれから会いに行く君の姉だが君以上の圧倒的な戦闘力をもってはいるが精神が破綻していて我々の制御が利かないんだ。でも何故か司令にだけは懐いているんだ。だから司令がいないときはこのように山奥に幽閉させてもらっている」
話している間に山頂に到着した。木々に囲まれたある部分にコンクリートで造られた小部屋が有った。二人はそこに向かった。
「私としても外見だけは年頃の少女を地下深くに幽閉するなんて本当はしたくない。遺伝子上弟に当たる君ならばさすがの彼女もおとなしく言うことを聞いてくれるだろう。そうすれば彼女を常時外に出すことも可能だと思う」
そう言いながら嘉章はズボンのポケットから鍵を取り出して分厚い鉄扉を解放した。
「君の姉はこの地下にいる。私はここで待っているから行ってくるといい」
弌華は嘉章から渡された鍵束をポケットに入れて階段を下り始めた。鉄扉が解放されたことにより空気が入ってきているのか不気味な音が聞こえ始めたが弌華はそんな事気にも留めず鉄階段を下り続けた。三十分ほど下った頃鉄扉が現れ、扉には解放厳禁開けたらすぐ閉める!!と書かれた紙が貼ってあった。
全部で五つある内の一つの鍵を使って扉を開けた。そして入って鍵を閉める。同じ行程をあと三回繰り返した。
最後の扉は他の鉄扉よりも厚かった。その扉を開けると鎖でがんじがらめにされた少女がいた。抜け出そうと暴れたのか何本か千切れて床に落ちていた。弌華は眠っているのか俯く少女に近づいてその体を揺すった。何回か揺すったあと少女の体が反応した。
「こんばんは。始めましてですが私が誰だか分かりますか?」
少女からの返答は無かった。俯きながら口をぱくぱくさせてはいるものの日本語として紡がれてはいなかった。
抵抗する素振りはない……。これなら鎖を解いても大丈夫そうですね。
弌華は鎖を解こうとしたものの鍵を持っていなかったので仕方なく引きちぎった。鎖が床とぶつかり合う鈍い金属音が何回も鳴った。全ての鎖を破壊すると自由になった少女は弌華に倒れ掛かった。
大分衰弱している。よほど暴れたのでしょうね。
弌華は自身の姉を背負って来た道を戻った。
弌華が外に出ると開かれた鉄扉の横に嘉章が座っていた。弌華が出てきたことを認識した嘉章は座ったまま顔を弌華の方に向けた。
「む、戻ったか。どうやら無事に済んだようだな」
「はい。この匂い、煙草でもお吸いになられてたのですか?」
「分かるのか?」
「はい。私たちは聴覚、嗅覚などの感覚が常人より優れているので。因みにこの香りはチェリーって銘柄ですね」
弌華を見上げる嘉章の表情が感嘆を含むものに変わった。
「流石だな。だが生憎さっきので切れてしまってな、悪いが君にはあげられない」
弌華は首を横に振った。
「私の年齢は書類上18歳なのでまだ吸えませんよ。それより姉上の容体が気がかりです。急ぎ帰らせてもらってもよろしいでしょうか?」
「いいよ。私はもう少し月を眺めたら降りることにする」
「では、失礼します」
弌華は姉を抱え直して暗闇に消えていった。
次の日、弌華は執務室の前に立っていた。ここの部隊の司令官が帰ってきたため改めて着任の報告をするためだった。
「失礼します」
弌華は目の前の扉を二回ノックする。するとすぐに「どうぞ」と返答が帰ってきた。弌華はそれに促されて中に入る。
「昨日着任しました、纏弌華です」
「ようこそ帝機軍へ。我々は君を歓迎する」
弌華の目の前には彼よりさらに2つか3つ年下にみえる見える少女がいた。軍服を着ていて階級章が大佐を示していることから軍人、それもかなり上の階級であることは一目瞭然なのだが余りにもその容姿が場違いであった。
「……やっぱり堅苦しいのは私には似合わないや」
少女の表情は真顔から恐らくいつも通りの微笑を含んだものに変化した。少女はそのまま次の言葉を紡いだ。
私の名前は沖田楓伽、一応この部隊の指揮官をやってるよ。よろしくね弌華くん」
微笑みながら差し出された手を弌華は握り返した。