アサルトリリィPARABELLUM 作:苗陽さんガチ恋勢
「ん〜、んん〜、ふんふ〜んふ〜ん」
鼻歌を歌いながら、一つの影が宙を駆けていた。
黒いパーカーのフードを目深に被っているためか、その容姿は窺い知れないが、少なくとも、その声は愛らしい少女を思わせる、可憐な響きを持っていた。
もっとも、駆けているのは山深い森の空なので、聞く者は誰も居ないのだけれど。
「ふ〜ん、ふふん、ふ〜……お、標的はっけ〜ん」
肩に乗せた大仰な武器──CHARMを手繰りつつ、一際高い広葉樹の太い枝で、少女が足を止める。
目元にマギ光のレティクルが現れ、増幅された視覚が遥か彼方を捉えた。
もはや獣道と言ってもいい程の荒れた道を通る、大型の輸送車両。
そして、それを待ち受けるように散開して姿を隠す、複数の人影。手にはそれぞれCHARMを持っていた。リリィだ。
「うっしっし。いやぁ、間に合って良かったわぁ〜。“これ”に参加できなかったら、わざわざ虫に刺されながら急いだ甲斐が無いし。
……ほんと、なんでこんなに蚊が多いんだよ……。前はこんなに刺されなかったんだけどなぁ……。蚊も美少女の血がお好みですってかぁ? う〜かゆ〜」
遠目にリリィ達を補足しつつ、少女は胸元や太ももをボリボリと搔きむしる。
男性であれば目のやり場に困るような、羞恥心の欠片もない仕草だった。それを見咎める存在も、やはり居ないのだが。
そうこうしている間にも、リリィ達は輸送車両が近づくに連れ、戦闘態勢を整えていた。
少女もそれに呼応するが如く、大振りな両手剣に見えたCHARMを変形させ、大鎌のような形態へ。
そして、両脚に大量のマギを集中させ──
「さてさて。それじゃあ……いっちょ御指南頂きましょうか、先輩方ぁ!」
──跳ぶ。
横向きに踏みしめた、木の幹を粉砕する程の推進力は、瞬く間に鉄火場への距離を縮める。
フードから覗く口元から、無邪気であると同時に、軽薄な笑みが浮かんでいた。
数日間続いた曇天を、すっかり忘れ去ってしまったような青空。
雲一つないそれに眩んだ目を下ろすと、どこかガランとした印象を与える駐車場が視界に入る。
加えて、そんな場所には似つかわしくない一輪の花……。いや、少女の姿も。
「おじ──兄さん! 早く早く!」
カーディガン姿の彼女──石上さんは、振り向きながら、満面の笑みで手を振ってくれる。
気恥ずかしさを感じつつも、手を振り返し、その隣へと歩を進めた。
「はしゃぎ過ぎて転ぶなよ、石──み、碧乙」
マズい、また呼び間違えそうだった。
なんとか取り繕って笑顔を浮かべる俺だが、石上さん……もとい、仮の義妹はスススとこちらへ小走りに、声を潜めてムスッとした表情。
うん。可愛い。
(おじ様っ、呼び方がぎこちないですよ?)
(石上さんこそ、おじ様って呼びそうだったじゃないか?)
(それは…………まだ慣れなくて)
(だよねぇ)
こそこそと、内緒話を続ける俺と妹(仮)。
任務中に生えてしまった髭も剃ったし、着崩したスーツbyオットーさんコーディネートのおかげもあって、どうにか……かろうじて……もしかしたら、年の離れた兄妹に見えなくもないだろう。
なんでこんな事をしているかと言えば、やっぱり石上さん一人に買い出しは任せられないと判断したオットーさんから、二人での調達任務を請けたためである。
ヒュージ災害によって故郷と家族を喪ったと思っていた男性。
しかし最近になって父が同じく生き延び、けれども数ヶ月前、一人娘(男性にとっては年の離れた異母妹)を遺して急逝してしまう。
偶然の積み重ねによってその存在を知った男性は、紆余曲折の末に後見人となり、共に生活し始める事となる。
互いが唯一の肉親であるためか、ぎこちないながらも距離を縮めようと奮闘中……。
という無駄に凝った設定も、オットーさんの発案だ。
まぁ、何も考えないで行くよりは良いんだろうけど、やたら楽しそうだったのがちょっと気になるおじさんです。
禁断の恋には発展しませんよね? その妄想。
(とにかく、もっと自然に呼び合いましょう! 普通の家族みたいに!)
(……頑張ってみるよ)
小さくガッツポーズする妹(仮)に頷き、誰もが一度は見たことがあるだろう、よくあるスーパーマーケットへ向かう。
が、あくまで地方都市の量販店。人影はまばらで、繁盛しているとは言い難い。
入ってみると、棚にも少しばかり空きが目立つ有り様だ。
「それで、今日は何を買うの?」
「う~ん……。見てから決めないとだなぁ。安い物をまとめ買いして、そこから献立とかを決めよう」
「なるほどぉ……。あ、あの、お菓子とかは……」
「……少しだけだよ」
「やった」
この時代、首都圏や大都市圏から離れると、途端に人口密度は下がる。
エリアディフェンス──ケイブの発生を広範囲に抑制する装置は、置ける場所が限られるからだ。
東京や鎌倉府には当然のように置かれているけれど、少し離れただけで効果範囲からは外れてしまい、かつ、外部から侵入しようとするヒュージには全く効果が無い。
それでも、いつ発生するか分からないケイブに怯えて暮らすよりは、安心だった。
だが、そこで発生するのが、土地面積……。人の住める数の問題である。
誰もがより安全な生活を求め、しかし受け入れられる数には限度があって、無闇にエリアディフェンスを増設も出来ない。
増設すれば、それだけ守護領域が増える事になり、防衛に必要なリリィの数も増え、結果的に守りが手薄になってしまうからだ。
だから、多くの人は別の疎開先に仕方なく移り住み、不安を抱えながら生きている。
そして多くの場合、人の流れは物流の流れでもあり、多くの生活必需品や嗜好品も、首都圏以外での流通量は少ない。
少ないという事は価値が高くなる、という事で、要するに何が言いたいかと言えば………………値段が高ぇ。
「やっぱり、少し高いね……」
「仕方ないさ。この前のヒュージ災害で、近くの農園とかが被害を受けてるんだし。こうして店に並んでるだけでも、ありがたいと思わなきゃ」
「……本音は?」
「三割引きくらいして欲しい」
「あはは」
陳列されている野菜を眺めつつ、二人でボヤく。
予想はしていたが、やっぱり手書きポップに示されている値段はお高めで、ちょっとげんなりしてしまう。
石上さんがコンビニ飯をお安く済ませようとしたのも、この値段を見ると、仕方なかったと思える。
後でそれとなく謝ろう。いや、謝るより褒めてあげた方がいいのか? どうなんだろ。
「とにかく、まとまった量を買い込んで、保存のきく物とかを作って凌ごう。お菓子も生系はダメだぞ?」
「はーい」
気を取り直し、手に籠を持って店内をうろつく俺達。
任務自体はあと数日で一段落という頃合いなので、買い込む量はめちゃくちゃ多い訳ではない。
が、同じく買い物に来ている他の客達は、大概がこちらを二度見していた。
より正確に表現すると、男性客は妹(仮)にだらしない視線を向け、俺に対しては殺意と呪いを込めた視線が向けられている。
女性客の多くも、やはり若々しく可愛らしい少女を、複雑な感情で見ていた。俺に対して? 丸っきり不審者へのそれですよ。不公平だ。
(見られてます、ね)
(……まぁ、見るからに他所者だからねぇ。我慢してくれ、妹さん)
(分かってますよ、兄さん。ちょっと楽しくなってきましたし)
俺が居心地の悪さに苦しむ一方で、石上さんは全く気にしていないようである。
別に、彼女の面の皮が厚いのではなく、純粋に気付いてないのだろう。
思わずこちらも笑ってしまうほど、本当に楽しげな様子だ。
うっかり忘れそうになるが、彼女は強化リリィ。
どんな経緯で施術されたのかは知らないが、オットーさん曰く、挫折の多い人生を送ってきたとか。
プライベートな事を深く聞くつもりも無いけれど、辛い経験をしてきたのだけは確かだろうし、例え任務中でも、楽しそうにしてくれるなら喜ばしい事だ。
これもオットーさんの談だが、ちょっと調子に乗ってるくらいがフルポテンシャルを発揮できるらしい。きっと褒められて伸びるタイプなのだろう。
(そういえば、江戸川はスパムソーセージを任務中によく囓ってたっけか。……少し買っといてやろう)
ふと、旧友の顔が頭に浮かぶ。
防衛軍時代、任務中に配給される野戦糧食があったのだが、栄養効率と生産性を最重視した結果、栄養価は高くても量が極めて少なく、味も最低最悪だった。
上もそれを承知だったからか、士気を保つために個人で糧食を準備するのを推奨しており、そのせいで軍内部で横流しや密輸入も横行したのだけれど……まぁ、現場から言わせて貰えば、必要悪だったと思う。誰だって美味しいもん食べたいのだ。
江戸川の置かれている状況からして、好物を用意してもらうなんて無理な話。
ならばせめて、助け出されたら好きな物を食わせてやりたい。
そう思い、おつまみコーナーによくある、ピリ辛系のスパムソーセージを籠に入れるのだが、ほぼ同時に、石上さんがチョコレート菓子の箱を入れた。しかも両手に二つ持って。
「こらこら、お菓子は一個まで」
「うっ。で、でもほら、姉さんの分も買っていかないと!」
彼女の言う姉さんとは、オットーさんの事だろう。
確かに、こうしている間も休みなく、例の施設を監視しているはずなのだから、労う意味でもお菓子くらい買ってあげたい。
んが、下手に気を遣うと逆に「余計な出費は避けて下さい」とか怒られそうでもある。
ここは心を鬼にして釘を刺す。
「二人で一箱を分ければ良いだろ? 量的にも丁度いいし」
「え? それじゃあ兄さんが」
「俺は別にいいよ。スルメでも嚙ってるから」
「ちょっとおじさん臭いよ……。それに、仲間外れしてるみたいでなんかヤダ……」
うるうる。
上目遣いに、無言でおねだり攻撃を仕掛けてくる妹(仮)。
こ、こいつめ……。自分の顔面偏差値の高さを分かって…………やってるんだろうか?
考えるまでもなく、自然にやってそうな感じも否定できないのが怖い。これだから美少女は!
「はいはい分かった分かった、二つだけだからな、ホントにもう」
「やった。さっすが兄さん、太っ腹ぁ〜」
「こら、腹をつつくな」
満面の笑みを浮かべ、上機嫌にツンツンしてくるのを、身をよじって回避する。
と同時に、周囲から「チィッ」という隠す気のなさそうな舌打ちが連打された。間違いなく男性客からだろう。そして恐らく、わずかに女性客も混じってる。
なんというか……申し訳ない。目の前でおっさんと美少女がイチャイチャしてたら、そりゃあ舌打ちだってしたくもなる。俺なら絶対するし、なんなら呪うように睨む。
というか、妙に石上さんからの好感度が高い気がするのは何故なんだろう?
特に何かした覚えは無いんだよな……。もしかして年上好きとか。もしくはファザコン。
……なんにせよ、下手に触れたら地雷踏みそうだし、ここは気に留めておくだけにしよう。
「さて。じゃあ帰るか」
「うん」
買い物客達からの視線も鋭くなった所で、通報される前にササっと買い物を済ませ、スーパーを出る。
停めてあった古い型のライトバンに荷物を積めば、それだけで出発の準備は完了。
助手席に石上さんが乗るのを待ち、俺は車のエンジンをかけた。
「今頃、本隊のお姉様方は、作戦の真っ最中でしょうか」
「そうだね……。分かっちゃいるけど、もどかしいよ」
「はい。私も同じ気持ちです……」
街中を離れ、荒れ始めた道路を進みながら話すのは、時を同じくして作戦行動を取っている、ロスヴァイセ本隊の事だった。
少し前に、彼女達はとあるG.E.H.E.N.A.の研究施設を襲撃。囚われていた強化リリィを救出したのだが、そこで“漏れ”が生じた。
既に別の施設へ搬送されてしまったらしい一人のリリィ──
(結局、百合ヶ丘は俺を信用しているのか、いないのか……。まだ判断している途中なんだろうな)
一応、搬送先と思われる施設の近辺に展開している俺達にも、救出対象の情報は来ているが、参加は許されなかった。
救出作戦中に、こちら側の研究施設が動いたら面倒だから……という理由だ。
その奪還作戦が成功すれば、輸送車にロスヴァイセのメンバーが乗り込み、研究施設へのカチ込みも可能になるという話なので、是非とも成功させて欲しい。
……と、そういえば。
「碧乙……じゃない、石上さん」
「え? なんで苗字呼びに戻っちゃうんですか?」
「は? いやだって、もう人の目は無いし……」
「……あ、そっか。そうですよね。別に、本当の家族になった訳じゃないですもんね……」
ふと気になる事を思い出したのだが、呼びかけた石上さんは、何故か苗字呼びに落ち込んでいる。
……いやいや。本当に勘違いしそうになるから、そういう反応やめて欲しいんですが。
この距離感の近さはなんなのよ? マジで気をつけなければ……。後で彼女の趣味嗜好について、探りを入れるべきか……?
「と、とにかくだ。定時連絡はどうなってる?」
「そういえば……来てないですね。先輩、いつもなら時間ぴったりに──わっ」
絶妙なタイミングで、石上さんの取り出した携帯端末が震える。
こういった作戦中には、互いの無事や行動の可否などを伝え合うため、定時連絡が付き物である。
オットーさんが連絡係の場合、いつもは時間ぴったり、ズレも十秒以内という正確さで行われるのだが、今日に限って数分も遅れていた。気になるズレだ。
「も、もしもし。こちら調達班です! ……はい……え? わ、分かりました」
元気良く応答した石上さんだったが、すぐに怪訝な顔となり、早々と通話を終えてしまった。
「すぐに戻って来て欲しいそうです。詳しい説明は直接、と……」
「……分かった。少し飛ばすよ」
「は、はいっ」
言うが早いか、俺はペダルを大きく踏み込む。
端末越しでは伝えられない、もしくは、直接伝えないと誤解が生じるような、予想外の事態が起きている。そう感じた。
車そのものが少なく、街中以外では速度違反で捕まる事も滅多にないので、可能な限りの高速で道路を進み、やがて山間部の舗装されていない道へ。
少し進んだら車を隠し、荷物を担いでマギを使った跳躍移動に切り替える。ちなみに、いざとなったらライトバンは捨てるんだとか。勿体無い。
程なく、活動拠点であるいつもの廃墟が見えた。
指定の位置でペンライトの合図をすれば、すぐさま同じペンライトの応答があり、足早に拠点へと入る。
荷物を置く時間も惜しく、持ったままで中を進むと、オットーさんが出迎えに来ていた。
「戻ったよ。一体、何があったんだ?」
「………………」
単刀直入に問うが、沈痛な面持ちで黙り込むオットーさん。
これはいよいよ……と、覚悟を決め、返事を待つ。
石上さんも気が気でない様子だが、いたずらに口を挟む事はしない。
「……失敗、です」
「何?」
「襲撃作戦は、失敗しました。正体不明のリリィに……たった一人に妨害され、ロスヴァイセ本隊は壊滅状態です」
ややあって告げられたのは、信じがたい出来事だった。
ロスヴァイセ本隊が、壊滅?
百合ヶ丘でも指折りの実力者揃いが、たった一人に?
「ぐ、具体的な被害は」
「既に全員が回収され、死者こそありませんが、重傷者多数。今後の作戦展開は難しい状況です」
「……そん、な……そんなっ……」
顔面蒼白となった石上さんが、手に提げた荷物を取り落とす。
カラカラ……と缶詰が転がり、片付けられていない廃材に当たって、止まる。
二の句が継げなかった。
ここまで順調に事が運んでいたのに、まさかの緊急事態。
襲撃が防がれたという事は、襲撃した事を知られた……知られていたという事にも繋がる。
百合ヶ丘に内通者が居る? それとも、相手側に俺みたいなイレギュラーが? G.E.H.E.N.A.が相手なら、その両方だってあり得る。
最悪だ……!
「百合ヶ丘からは撤退が指示されています。急いで準備をお願いします」
くるりと踵を返し、自身も撤退の準備を始めるオットーさん。
この状況でも冷静さを失わず、落ち着いて行動できるのは、流石としか言いようがない。
……が、そんな後ろ姿に、妙な違和感を覚えた。
「おじ様……? あの、準備しないと……」
「ごめん、石上さん。少し時間をくれ。頼む」
落ち着いている。冷静であろうとしている。
それ自体は良い事だし、石上さんに余計な不安を与えないよう、努めてそう振舞っているのだろうと予想できる。
しかし。しかしながら。
冷静であろうと“し過ぎている”のが、気になった。
俺の考え過ぎなら良いのだが……尋ねずにはいられない。
「……何を隠してる?」
「どういう意味でしょうか」
「さっきの言い方からして、その謎のリリィは手加減していたんだろう。
ロスヴァイセのメンバーが殺害されず、囚われもしなかったのが証拠だ。
わざわざそんな事をする理由は、なんらかの意思を、情報を伝えるため。違うか」
よくある手口だ。
敵性勢力をあえて全滅させず、生き残りに情報を持ち帰らせて、更には負傷者の救護などに手間を掛けさせる。
死者は雄弁。しかし生者の扇動には劣るのだから。
しばしの間、俺とオットーさんは無言で見つめ合う。
やがて彼女は、根負けしたように溜め息を。
「明後日、指定の座標にて、ヌァザを待つ。ヴァハの身を憂いるならば、必ず来られたし……。そう、言い残したそうです」
「……そうか」
「ヌァザ……? なんの事ですか?」
「アガートラームの持ち主……。ケルト神話の神、ヌァザの異名がアガートラームなのよ。ヴァハはその妃ね。覚えておきなさい」
「なるほどぉ。おじ様の事なんですね………………えっ!? そ、それじゃあ、おじ様って結婚なされてたんですか!?」
「いや、そこじゃなくてだね……」
違う意味で驚く石上さんのせいか、重苦しい空気が少しだけ緩んでしまった。
言うまでもない事だろうが、ここで言うヴァハとは間違いなく、北河原 伊紀の事だ。
要するに、俺が行かなければ彼女は死ぬ。そう言いたいのだろう。
「百合ヶ丘は、これを踏まえた上で撤退という判断を下しました。これほど明らさまな罠に飛び込み、むざむざ身柄を渡す必要は……」
「……ないよな、普通は。上からの命令は絶対だ。例え、それで助けるはずだった
悪し様に俺が言うと、オットーさんはまた押し黙る。
口惜しさ。不甲斐なさ。悔しさ。
わずかに歪められた口端が、言葉よりも明白に物語った。
当たり前、か。
誰だって、助けようとして差し伸べた手を引っ込めるのは、嫌だ。
「おっほん。あー、唐突だけども、おじさんはトイレに行こうと思います」
「……はい?」
「何を……」
「まぁ、トイレに行くにしては色々と物を持ってくだろうけど、本当にトイレに行くだけだから。君達は気にせず、出発の準備をするといいよ。うん」
「お、おじ様? さっきから何を言って……」
緊張感をぶち壊すように、敢えてふざけた感じで二人に背を向け、そそくさと荷物をまとめ始める。
もちろん、明後日の「突撃! 隣の違法研究所!」に備えてだ。
アガートラームは当然として、替えの弾倉を可能な限りと、食料と水を二日分くらいに、途中で江戸川と合流できた時のためにスパムも持って行って、後は…………と、そんな時、苛立ちを感じる靴音が近づいてきた。
オットーさんだろう。
「そのような事、許されると御思いですか。私だって……私だって……!」
もはや隠すつもりもないのか、震える声が激情を伝える。
出会ってからまだ二週間ほどしか経っていないが、こんな風に感情を露わにするのは、初めてだ。
「許しを乞うつもりなんてない。ああ、許されなくたって構わない。俺は行く」
「その結果、百合ヶ丘を追われる事になっても、ですか」
続く問い掛けにも、頷いて答える。
言葉を継いだのは石上さんだった。
「どうして、そこまで……」
「う~ん……。このまま逃げ帰ったら、死ぬほど後悔しそうだから、かなぁ。白井さんや川添に会わす顔も無くなる。そんなのはゴメンだ」
「そんな理由で命を投げ出すんですか……っ?」
「……そんな理由で、十分だと思うよ。少なくとも、俺は」
別に、捨て鉢になっている訳でも、考え無しに突っ込もうとしている訳でもない。
俺は俺なりの理由があって、それを全うするために行動したい、というだけだ。
結果として命を賭ける事になろうとも。
カチリ。
聞き慣れた金属音が背後で鳴る。
撃鉄を起こす音だ。
振り返ると、オットーさんが大ぶりの自動拳銃を構えていた。
CHARMでも、AHWでもなく、対人殺傷兵器を。
「せ、先輩!?」
「動かないで下さい。いざという時には力尽くで止めて良い、と言われています。この距離では、避ける事は出来ませんよ」
狼狽える石上さんにも構わず、銃口は俺に向けられている。
装填されている弾薬は、流石に実弾ではないはすだ。恐らく暴徒鎮圧用のスタン弾──大の男でも昏倒必至の代物だろう。
だからという訳ではないが、武器を向けられていても、全く恐怖心は湧かない。
オットーさんには絶対に撃てないという、確信があったから。
「君には撃てないよ」
「侮らないで貰えますか? これでもロスヴァイセで特務を預かる身。人と戦う覚悟は持ち合わせています」
「なら、俺が帰って来る時に姿を隠し、物陰から問答無用で撃つべきだった。
短い間とは言え、寝食を共にしたんだ。俺がどんな反応をし、どんな行動をするか、少しは予想できたはず」
「……っ」
彼女が歯嚙みするのは、痛いところを突かれたからに違いない。
こういう言い方はあまりしたくないのだが、どんなにリリィとして優秀でも、オットーさんには……いや、石上さんも含めて、心構えが出来ていないように思えた。
自分と同じ生き物に、永続的な被害を与える……。端的に言うなら、必要があれば、命令さえあれば、誰でも殺すという心構え。
これは、人類を守るために戦うリリィではなく、軍人の領分だ。出来る方がおかしい。俺自身、確実に出来るという保証は無い。
今思うと、この二人が俺の監視兼護衛に選ばれたのは、守るためだったのかも知れない。
ただ己の命を賭ければいいヒュージとの戦いと、人間同士で命を奪い合う戦いとでは、戦い方も、勝ち方も、負けてしまう条件すら変わってくる。
誰かの“尊厳”を踏みにじる事も出来ないようでは、仲間を危険に晒すだけなのだから。
……だから。
それが出来ない石上さんは、俺を庇うようにして、オットーさんの前に立ちはだかってしまうのだ。
「やめて下さい、お二人共っ!」
張り上げられる声は、今にも泣き出しそうに聞こえた。実際、泣いているのかも知れない。
それを見るオットーさんの瞳が、明らかに揺らいでいた。
「今、大変な状況なんですよね? 一刻を争う事態になってるんですよねっ? 仲間同士で争ってる場合じゃないはずですよねっ! こんなの変です、おかしいです……!」
「どきなさい、碧乙さん。貴方の出る幕ではないわ」
「嫌です! 撃って欲しくありません、撃たれて欲しくもありませんっ」
両腕を広げ、必死に訴えかける石上さんは、一体どれほど恐れ、葛藤しているのだろう。
声はおろか、膝までをも震わせ、敬愛しているはずの先輩に歯向かっている。俺のせいで、歯向かわせている。
……このままじゃ、いけない。このまま行っては、この二人の間に、いらぬ軋轢を生む。
俺は石上さんに向けてゆっくりと歩み寄り、その肩に手を置く。
人差し指を伸ばすのを忘れずに。
「石上さん」
「おじさ……みゃ?」
振り向く石上さんのほっぺたに指が刺さり、猫っぽい鳴き声が。
ううむ。柔らかい。そして可愛い。
当然の如く、緊迫感も一気に霧散してしまう。オットーさんも思わずジト目だ。しかし残念。美少女のジト目は一般的にご褒美なのだ。
さてさて、おふざけもこの位に……。
「君はオットーさんと一緒に、百合ヶ丘へ帰りなさい。いいね」
「で、でもそれじゃあ、おじ様がっ」
「うん。マズい事になるだろうね。今回ばかりは……いや、今回も、か。どうなるか分からない。俺一人で行けば、確実に罠に嵌って捕まるだろう」
「だったら!」
「だからこそ、行く意味がある」
「え?」
言葉を被せるように、俺は断言する。
確実に防備を固め、待ち構えている敵陣に突っ込むのだから、よほどの英傑でなければ切り抜けられるはずもない。誰もがそう思う。
そこに、付け入る隙がある。
「俺が奴等の掌で踊っている間、奴等は間違いなく俺に意識を集中させる。少なくとも、注意は散漫になるはずなんだ」
猟師が罠を仕掛け、そこに獲物が掛かったとする。
暴れる獲物に猟師は注目し、トドメを刺そうとするだろう。
だが、その獲物を狙って、他の猛獣が現れたら。もしくは、獲物を助けようと仲間が猟師に襲いかかったら。
猟師が無事に狩りを終えられる可能性は、確実に低くなる。
慌てている猟師の隙を突き、獲物が逃げおおせる可能性だって出てくる。
説明するまでもなく理解したらしいオットーさんが、わずかに腕を下げた。
「そこを狙え、と……?」
「大暴れすれば、捕まるまで時間も稼げる。百合ヶ丘が戦力を出してくれれば、逆転は出来るんじゃないかと思う」
「希望的観測です。百合ヶ丘が貴方を見捨てたら。見捨てずとも間に合わなかったら。失敗する可能性の方が高過ぎます!」
「……かもな。でも、何もせずにいたら、ただ喪うだけだ」
「喪うだけで済むんです、今なら。貴方は被害を大きくしようとしている。看過、できません」
かぶりを振り、また自動拳銃が構えられる。
けれど、先程までの気勢は既にない。彼女自身、迷っているのだろう。
悪いが、ここは我を通させてもらおう。
「百合ヶ丘は──君達は、俺を守ろうとしてくれてるんだよな。分かってるよ。
俺なんかのために、救えるかもしれない人達を見捨ててまで。
でも……俺にだって、守りたいものはあるんだよ。……友達とか、さ」
友達。
いい年こいて、こんな言い方しか出来ないのは、格好悪いのかも知れないが、本心だ。
助けられる可能性が増えるなら、命くらい賭けてやる。
まぁ、賭けにしたって大穴。土壇場で謎の力に目覚めて無双する位にあり得ない。それこそ万馬券に期待するにも等しい。
負けるのは嫌なので、イカサマさせてもらうけど。
「だから俺のこと、助けに来てくれ。俺が負けても、君達で皆まとめて助けてくれれば、大団円なんだ」
「そんな、勝手な言い分が通るわけ……」
「百も承知さ。だから自分の命で押し通すしかない」
「おじ様……。そんな言い方、ズルいですよ……」
「そうとも。大人はズルいんだ。こんな大人になっちゃいけないぞ、妹(仮)よ」
不可能だと、オットーさんが俯く。
ズルい人と、石上さんが苦笑いする。
要は彼女達を──百合ヶ丘を保険にしようという話だ。
百合ヶ丘が俺に価値を見出してくれているなら、それを利用する──助けに来させる事で、ついでに江戸川と北川原さんを助けさせるのである。
あの二人と俺。まとめて失うのを惜しんでくれるならば、きっと戦力は出してくれる。……と、思いたい。
これ以上、話せる事はない。
もう一度、石上さんの肩を軽く叩き、俺は二人に背を向けた。
そして、必要な物資を詰めたリュックを背負い、歩き出す。
「お、お菓子! 一緒に食べる約束、忘れないで下さいねっ! 約束ですからっ!」
投げ掛けられる言葉に、片手を上げて答える。
俗に言う死亡フラグだけれど、美少女に立ててもらったフラグだ。
せいぜい、格好悪く足掻かせてもらおう。
“彼”の背中が見えなくなるまで見送ると、ロザリンデはへたり込むようにして脱力した。
唐突な変化に、碧乙が慌てて駆け寄る。
「せ、先輩? 大丈夫ですか?」
心配そうな後輩の表情に、しかしロザリンデは応えられない。
そんな余裕を失うほど、自分への失望に苛まれていた。
(撃てなかった……。私は、ロスヴァイセなのに……!)
自動拳銃に込められていたのは、非殺傷の弾頭だ。
当たった所で、単に「痛い」で済むのだから、“彼”に向けて引き金を弾いても、問題なんて無かった。
だというのに、ロザリンデは躊躇してしまった。
そのための訓練だって受けていたはずなのに。
人に向けて銃口を向けるという行為に、忌避感があったから?
後で恨み言を言われるのが嫌だったから?
違う。
期待してしまったから。
“彼”の語る一発逆転の可能性。
誰の事も諦めず、皆を助けて迎える、ハッピーエンド。
もしそれを実現できたなら、と。淡い期待に縋ってしまった。
それではダメなのに。
ロスヴァイセは、命の危機にある強化リリィを救うためのレギオン。
不確定要素に頼る作戦なんかでは、仲間の命すら預かれない。命なんて、とても賭けられない。
それなのに……。
「……早く報告しなければ。百合ヶ丘に帰還します。行くわよ、碧乙さん」
「は、はいっ」
堂々巡りしそうな思考を無理やり中断し、ロザリンデは立ち上がる。
今すべきは後悔ではなく、動き出してしまった状況に対応すること。
賽は投げられてしまったのだから。
その出目が導き出す未来に、誰もが望みを託している。
望む未来が、どのように彩られるかも分からずに。
そこは、まるで無菌室のようだった。
漂白されたのかと思わせる白い部屋に、着信を告げる電子音が響く。
その部屋──研究室の主人である白衣姿の女性は、耳に掛かった長い茶髪をかき上げ、無骨な通信機を手に取った。
「……そう。把握した。以降は計画通りに」
手短に応答を済ませ、席を立つ。
幾多の実験器具の隙間を縫って進み、向かうのは、透明な隔離壁が設けられた一画。
「ようやく、ここまで」
熱の籠った吐息が、隔離壁を曇らせる。
向こう側には、拘束器具にその身を固定された、一人の美しい少女──北川原 伊紀が居る。
色素の抜けたような白い肌と、同じく色の薄い髪。体を隠すのは、粗末な布地の貫頭衣のみ。
「ナラナリは……“オリジン”を打ち倒してこそ、この研究は完成する」
しかし、女性の暗い瞳は、彼女を映していない。
“餌”を見つめつつ、それに誘われて現れるであろう存在を見ていた。
その様はさながら、夢見る乙女であり、情欲に身を焦がす悪女であり、仇敵を睨む寡婦であった。
「待っていろ……。必ず貴様等を……!」
微笑み。
バランスが崩れ、左右非対称に歪んでいる。
剥き出しになった歯が食いしばられる。
狂気が解き放たれる時は、近い。
だいぶ遅くなりましたが、ラスバレ第一章、完結おめでとうございます。
やっとこラプラスの新情報も出てきて、まぁたプロット修正ですぞ。被害は少なかったし、嬉しいけど辛い。辛いけど嬉しい。
ふるーつも面白くて、一日一回は見てしまう不思議。円盤出たら買います。
公式もゲームも色々と展開してくれてるので、追いかけるのが非常に楽しみですわ。
だがしかし。夏イベ分割詐欺については一生忘れんからな……。せめて特効を共有してれば許せたものを……っ。
ま、愚痴はさておき。いよいよ物語も佳境に入ります。
果たして、無事に火中の栗を拾う事は出来るのか。はたまた、飛んで火に入る夏の虫となってしまうのか。
ご期待頂ければ幸いです。