アサルトリリィPARABELLUM 作:苗陽さんガチ恋勢
「以上が、先日までの実験結果の報告になります」
タブレット端末を手に、真島百由は得意げな表情を浮かべる。
場所は理事長室。
データ投影のために暗くなっていた室内が明るくなり、眩んだ目を理事長代行──高松咬月が揉み解す。
内心、歳はとりたくないものだ、と独りごちた。
「経過は順調らしいの」
「はい。本人がとてもやる気なので、助かってますよ。今も、高機能型の義足で走りこんでるはずですし」
「監視について、彼はなんと言っておった?」
「特に何も。むしろ申し訳なさそうにしてました。ただのランニングなのに、時間を使わせて……って」
百由が報告したのは、義理の親子関係となって、早くも二ヶ月が経過した義息の事である。
健康状態、スキラー数値、マギ波形データ、作成した義肢の詳細や、その運用データなど、内容は多岐に渡った。
「波形データに変化が見られるようだが、本人に自覚は?」
「まだそんな余裕はないんじゃないでしょうか。
義肢を使う事で、常にマギを消費しているような状態ですから。
そのせいか、動かしてる時間に比例して、だんだん保有量も増えてますね」
百由が作成した義肢は、マギを保有している人間専用。
マギを使えるならば、超高性能の機械式義肢以上の動きをしてくれる代物だ。
しかし、ただ着けているだけでも微量のマギを使用するため、常にCHARMを使っているような状態となる。
いわば、日常生活がマギ操作訓練となっているのだ。否が応でも保有量は上昇する。ひいては、マギウスとしての地力も。
「防衛軍のCHARMについては、どうなっておる?」
「う~ん……。実は、そっちの方が問題で……」
「というと?」
「OSにバグが発生してるとは聞いてましたけど、そのせいで大部分がブラックボックス化しちゃってるんです。解析は進めてますが、かなり時間が掛かりますよ、これは」
口調は困り果てているが、非常に楽しそうな顔で百由が語る。
防衛軍が独自開発したというCHARM、アガートラーム。
全てのCHARMにはマギクリスタルコアと呼ばれるパーツが存在し、これによりマギのコンピュータ制御が可能となる。リリィ/マギウスは、このコアを介して、CHARMとマギを操るのである。
が、アガートラームのコアにインストールされたOSは、スキルプロトコルという重大かつ貴重なバグを抱えていた。
多少の身体能力強化程度ならば、支援プログラムとして組み込まれる事もあるのだが、スキルに相当する効果を発揮するまでには至らない……というのが常識だ。
アガートラームのバグは、この常識を覆す可能性を秘めているものの、下手をすれば有用なバグ自体が消えてしまう事もあり得る。
慎重に慎重を重ねて、ゆっくり解析を続けるしかないのだ。年単位の仕事になるかも知れないが、それでも百由は、諦めるつもりなど微塵もなかった。
しかし、それ故に気になる事もあった。
「一つ、いいですか?」
「構わんよ」
「ワタシが聞いていい事なのかは、分かりませんけど……。本当に防衛軍は、なんとも言ってこないんですか?」
「…………」
義肢などを作成する都合上、百由は“彼”の素性を教えられている。
甲州撤退戦。防衛軍。G.E.H.E.N.A.。川添美鈴、白井夢結との出会い。そして、ギガント級との死闘も。
ここで問題なのは、防衛軍に横槍を入れられてしまう事である。
表向きはどうあれ、元が防衛軍の人材、そして防衛軍の所有兵器なのだ。自分達の側で出せなかった成果を、たまたま所有権を譲る事になった相手の側で出してしまったら……。
大きな組織であればこそ、その大きさを維持するために、“力”を必要とする。
防衛軍が“彼”とアガートラームを取り戻そうとした場合、百合ヶ丘女学院は正面切って拒否できるだろうか。
表立って対立しているG.E.H.E.N.A.の方が、まだ跳ね除けやすいはずだ。
「問題はない、と言い切れれば良かったのだが。今の所、表立った動きはない、としか言えぬ」
「……そうですか」
理事長代行の含みのある返事を受け、肩をすくめる百由。
全く答えになっていないのが答え。出方を待つしかないのだろう。
情報を秘匿し、相手に手を出させないのが一番だが、それもいつまで保つか……。
部屋には重苦しい沈黙が広がるも、そんな時、代行の執務机に置かれた通信機が、着信音を発した。
「儂だ。…………む…………了解した。そのまま警護を続けておくれ」
「何かありましたか?」
「大した事ではないよ。……やはり、引き合うものなのかも知れんのう」
何がしかの報告を受け、代行は一瞬、驚いたような表情を浮かべるけれど、新たな指示を出して通話を終えた。
小首を傾げる百由に苦笑いで答え、部屋の外を見やる。
床から天井までを繋ぐ、一面の強化ガラスの向こうに、広大な森と、人が住まなくなって久しい廃墟群があった。
かつてを偲ばせる風景は、その胸に少なくない寂寥感をもたらすのだった。
木漏れ日と、風に揺れる葉の音。
一足早い夏の気配が、肩で切る風に混じっている。
ジワリと額に湧く汗が蒸発し、新緑の香りが肺を満たしていく。
変わらない速度で移り変わっていく木々の中を、俺は無心で走り続けていた。
「はっ、はっ、ふっ、ふっ、はっ、はっ……」
リズムを刻むように息を吐き、同じように吸う、を繰り返して、ただひたすらに走る。
これ以上ないと思える清々しいランニングコースは、しかしヒュージのせいで作りだされたもの。なんとも皮肉だ。
ペースを落とさず、更に走り続けて、約十分ほど。
森が途切れ、廃墟と化した街が見下ろせる、小高い丘に辿り着いた所で、少し休憩を入れる事にした。
(もう痛みはない。動きも生身だったころと変わらない。痛覚をオフにできるから、むしろ前より無茶だって出来る)
草むらに腰を下ろし、新しくなった自分の義肢を確認する。
少し前のバージョンと違い、生身に近い質感のシリコンを纏ったそれは、もはや作り物とは思えないほど、体に馴染んでいた。
最初の頃は、数時間も着けていると、マギを使い果たして動けなくなってしまう位に燃費が悪かったが、真島さんと共に改良を重ねた結果、今では丸一日着けていても問題なく動け、激しい運動だって可能なまでになった。
本当に、天才アーセナル様々である。
(ま、一番嬉しいのは、自活できるようになった事だけど)
一人で立ち上がり、歩き、ご飯を作り、風呂に入り、トイレにも行ける。
これがどんなに素晴らしい事なのかは、それが出来なくなった人にしか分かるまい。
介護福祉士さんとかに手伝ってもらうのも、やっぱり気が咎めるというか、申し訳なさが付きまとうのだ。
ちなみに、この義肢は機械部品を使ってはいるが、電気式の回路などは使っていないため、水に浸かっても全く問題ない。
サビに強い合金とセラミックで構成されているし、天敵なのはチリやホコリくらいである。
真島さん曰く、次はより強い負荷に耐えられる、戦闘用義肢の作成に取り掛かるらしい。
その義肢に換装して、動かすのに慣れたら、いよいよマギウスとしてのリハビリ開始だ。
早くCHARMを握りたい。そして、実戦の勘を取り戻したい。
そうすれば、今のタダ飯食らいに近い状況から抜け出せ──────にゃあ〜ん。
「ん……? 猫の鳴き声……?」
思考に割り込む、甲高い鳴き声。
風に乗って、ほんのかすかに届く程度だが、間違いなく聞こえる。
しかも、庇護欲を誘う可愛らしい感じではなく、周囲に危機を知らせるような、切羽詰まった感じの、子猫の声だ。
……どうしよう。気になる。
「どこで鳴いてんだろ……。た、確かめるだけなら……」
学院敷地外での運動時は、指定されたコースから外れないようにと、義父上から言い付けられている。
だが、あの鳴き声を無視して走り去るなんて、ちょっと無理だ。
見えない所から護衛してくれているはずのリリィ達に、心の中で「ごめん」と謝りながら、俺は鳴き声のする方へと向かう。
丘を下り、廃墟群へと近づくにつれ、子猫の声は大きくなる。
倒壊したビルの合間を抜け、陥没した道路の池を横目に進むと、斜めになった電柱の上で動く、黒い影を見つけた。
だが、違う。猫じゃない。
(百合ヶ丘の制服……。リリィ?)
見覚えのある黒い制服のスカートを揺らす、ポニーテールの女の子。
その視線の先にこそ、子猫は居た。
助けようとしているのだろう女の子は、制服が汚れるのも構わず、苔むした電柱の上で四つん這いになり、優しく声を掛けながら、ゆっくりと子猫に近づいていく。
「大丈夫。怖がらないで。今、そっちに行くからね」
しかし、人間の言葉が通じる訳もなく、子猫は女の子を怖がって身をよじり、ついには電柱から落ち掛け──手を伸ばした女の子ごと、落ちてしまう。
「危ないっ!」
女の子は、落ちながらも子猫を腕に抱え、きつく目を閉じる。
落下する先に、コンクリートの裂け目。怪我では済まない。
知らず、俺は女の子へと駆け寄っていた。
どう考えても間に合わない距離。それでも、体が勝手に動いて。
──と、そこで気づいた。
踏み出した一歩が、大き過ぎる。
(なんだ、これ)
一歩進んだはずが、十歩先に居た。
驚く間に二十歩進み、女の子はもう目の前。
ぶつかるようにして抱きとめ、三十歩の距離を進んだが、まだ──止まらない!?
「うぉおぉおぉおっ!?」
反射的に義足の痛覚を切り、真正面に来たビルの壁面を蹴る。
恐ろしいほどの加速が背を押し、蹴ったはずの壁を駆け上って、倒壊したそれの今の屋上……過去の壁面へと着地した。
「…………っはあぁぁ…………あ、ぁ、危なかった…………」
肺が空っぽになるような溜め息をつき、ついでに尻餅もつく。
気が抜けたからか、それとも極度の緊張の反動からか、自分の体が震えているのが分かる。
なんだ。なんだったんだ、今の。
まるで、アガートラームのスキルプロトコルを使った時みたいな、人間離れした機動を……。
「……あの」
「へ。……あ、だ、大丈夫だった?」
腕の中で何かがモゾモゾと動き、そこでやっと、女の子を抱き続けている事を思い出す。
子猫を抱っこしたまま、ジト目で見上げてくる彼女を離すと、警戒するように距離を取られた。
なんというか、さっきまでの子猫みたいな反応だ。
「貴方は、なんですか」
「あ〜……えっと……」
強い不信感を匂わせる問いかけに、どう答えたものか、迷ってしまう。
正直に素性を──と言っても偽造した戸籍の方だが──を話しても、信じて貰えるだろうか。
百合ヶ丘女学院の周囲の土地は、海から来るヒュージを積極的に誘引し、居住区への被害を軽減するための、いわば戦場である。
そんな所をほっつき歩き、しかも人間離れした動きで女の子を抱きとめたとあっては、通報待った無しが当然の判断か? 目つきもやたら険しいし。
というか、彼女の方こそ何者なんだろう。
百合ヶ丘の生徒にしても、今の時間帯はちょうど講義中のはずなのだが……。むしろ、この女の子こそ、不審者ならぬ不良少女では?
そんな疑念を込めて彼女を見返すと、険しかったはずの目つきが、今度は何故か、戸惑った顔つきに。
「……足。何か刺さって、ますけど」
「え? ……うわっ、やっちまった!」
言われて視線を落としてみれば、左義足の膝上の部分に、コンクリートらしき尖った破片がめり込んでいた。
おそらく、壁を駆け上った時にでも刺さったのだろう。
痛みはないが、完全にシリコンの皮膚層を貫通している。まずい。
「しまった……。こりゃあ、さっそく皮膚を全張り替えかな……怒られるかも……」
「痛くない、んですか」
「ああ、平気平気。作り物だから、この足。まぁ、左腕以外は全部そうなんだけどさ」
「作り物……」
プラプラと手を振って大丈夫である事を示し、おまけに右手の義手を外して、嘘は言っていないという証明もする。
女の子は唖然とそれを見つめ、いつの間にやら懐いたらしい子猫が、呑気に「にゃーん」と鳴いていた。
数時間後。
ランニングコースから外れた事を、義父上にしっとりと──本当にこんな感じだったのだ──注意され、強制的にフルチェックを受けさせられて、別の意味でクタクタになった俺は、学院内に置かれた自室……。
理事長代行のために用意されたが、あまり使われていなかった私室にて、体を休めていた。
「インビジブルワン。レアスキル、縮地のサブディビジョンスキルであり、物理抵抗を変化させる事で高速移動が可能になるスキルですね」
ソファでぐったりしていると、芳しい紅茶の香りと共に、心を落ち着かせてくれる静かな声が。
姿勢を正せば、放課後の余暇に遊びに来てくれた白井さんが、ティーセットをテーブルに配していた。
対面には川添も居て、相変わらず自信たっぷりな顔で足を組み、しなやかな太ももを見せつけている。
……こんな風に感じるなんて、色々と溜まっているんだろうか。危ない危ない、気をつけねば。
俺は気を取り直し、「頂きます」と紅茶のカップを手に取った。
今の義肢は、指先や足の裏などが耐熱ゴムで覆われた、メカメカしいタイプだ。
物を持ったり、滑らないように歩いたりするには、摩擦抵抗を高めないといけないのである。人間の体は便利にできていたんだと、つくづく実感する。
「アガートラームで使い慣れてなかったら、今頃、大怪我していた所だよ」
「子猫を助けようとしてたっていう中等部の子は、無事だったのかい?」
「ああ。子猫も無事に保護されたらしい」
「それは良かったです。おじ様のおかげですよ」
話の内容はもちろん、昼間の出来事についてだ。
怪我をしそうな女の子を助けようとして、サブスキルに目覚める……。
まるで少年漫画のお約束。ご都合主義的な感じもするけれど、実際に起きてしまったのだから受け入れるしかない。
あの後すぐに、影ながら護衛してくれていたリリィ達が現れ、助けた女の子の名前も知らないまま、俺はその場から離れざるを得なかった。
まぁ、リリィ達も子猫の鳴き声が気になっていたらしく、「ちょっと格好良かったですよ」とお褒めの言葉を頂いた。鼻高々だ。
「スキルっていうのは、みんな、こんな風に使えるようになるもの……なのかな?」
「ん……。一概には言えないね。それこそ千差万別だから」
「訓練で、ある程度の傾向付け可能な場合もあれば、逆に実戦の中で得られる場合もあります。ガーデンの中には、特定のレアスキル教育に特化している所もあるんですよ」
「へぇ……」
当然の話だが、レアスキルにも様々な種類が存在し、戦闘で役立つもの、支援に適したもの、汎用性の高いものなど、それなりに系統立てられている。
白井さんのルナティックトランサーは、いわゆるバーサーク状態での戦闘を可能とし、一時的にマギを増大させるフェイズトランセンデンスと並んで、戦闘用レアスキルの花形とも言えるレアスキルだ。
対して、俺のインビジブルワンの上位版であるレアスキル、縮地は、単純に高速移動を可能にするだけだが、それ故にどんな場面でも腐らないスキルである。
しかし、活かせるかどうかは使い手に寄るところも大きい、というのが難点でもある。事実、俺はスキルプロトコルのインビジブルワンですら、使いこなせていた自信が無い。
ちなみに、レアスキルとサブスキルの違いは、その効果。
レアスキルの効果が100%なら、サブスキルは70%程度の効果が限界とされる。
そもそも発現率の低いスキルの場合、サブスキルの存在が見られない事だってある。
“川添のレアスキルは…………なんだっただろう。前に聞いた覚えがあるが、思い出せない。”
同じ事を二度も聞くと小馬鹿にされそうだし、後で白井さんにでも確かめておこう。
と、何気なく彼女の方を見やれば、心配そうな眼差しがこちらへ向けられていた。
「おじ様は、また戦場へ出たいのですか……?」
「それは……そうだね。悠々自適の隠遁生活っていうのも、あんまり続くと心に来るから」
「そんな理由で、安全な生活を手放すとはね。その義肢の試験運用が、今の仕事みたいなものじゃないか」
川添は、白井さんが用意してくれた紅茶と、上品な甘さのクッキーを楽しみながら、やはり皮肉屋な態度を崩さない。
……正直に言うと、怖いのだ。
この、安全が保証された生活を続けて、慣れてしまうのが。
誰かの善意を当たり前と思い、それに胡坐をかいたら、きっと俺は酷く醜い人間になると、自分で分かる。
人並みに出来る事なんて、それこそ戦いしかない。
存在証明を、戦いに求めるしかないだけ。ろくでもない人間。まるでヤクザ者だ。
でも、こんな風に考えていると二人が……特に白井さんが知ったら、きっと要らぬ心配をさせてしまう。
本心を悟られないため、俺は努めて明るく振る舞う。
「ま、実際に戦えるかどうかは分からないけどね。君達と比べたら、はるかに弱っちい訳だし。まずはスキルを扱えるようにならないと」
「うん。自分の力を正確に把握するのは良い事だね。問題は、多くの人がそこで諦め、立ち止まってしまう事だけれど」
「でしたら、おじ様がCHARMを持てるようになったら、私が訓練にお付き合いします。きっとおじ様は、まだまだ強くなれるはずです!」
胸の前で両手を握り、満面の笑みで言う白井さん。
ん〜……? 思っていたよりアグレッシブな反応……。もしや意外と熱血主義だったりするのか?
それはそれでアリなんだけど、ほら、なんか川添の目付きが怪しく……。
「そういう事なら、僕の方が適任じゃないかな、夢結。シュッツエンゲルとして、君を導いた経験もある」
「いえ。お姉様のお手を煩わせる必要は。それに、私もいずれはシルトを迎えるでしょうし、その予行演習も兼ねて……」
「随分と気が早いね。まだ二年も先の事じゃないか。それとも、僕のシルトで居るのに飽きたのかな?」
「そ、そんな事は!」
あれ。なんだろうこの空気。ギスってるのを感じる。
まさかまさか、二人して俺を取り合いか!? ついにモテ期到来かぁ!?
んなわきゃない。
純粋に互いの負担を減らそうとする気遣いが、微妙にすれ違っちゃってるだけだろう。
シュッツエンゲル──守護天使の誓いを立てた百合ヶ丘のリリィは、擬似的な姉妹関係を築くというが、本当に仲が良過ぎだ。
俺自身、微妙に脳破壊要員化している自覚はある。
ここは間を取り持たなければ。
「き、気持ちは嬉しいけど、そもそもCHARMを返して貰えるかどうかも分からないしさ。その時になったら改めて相談するよ」
「そうですか……」
「妥当だね」
白井さんは少し残念そうで、対する川添は然も当然といった顔。
表情の読みやすい白井さんはともかく、川添の感情は、なんとも掴み難い。
彼女の胸の内にあるのは、俺への同情、贖罪、気配り、敵愾心…………やっぱり、よく分からなかった。
「では、今日はこれで失礼します」
「また暇な時に来てあげよう」
「うん、また」
そうこうしている内に時間は過ぎ去り、日が沈む頃合いには、二人も部屋を後にする。
一人残された俺は、取り敢えず夕食をどうにかしようと、冷蔵庫から買っておいた購買弁当を出してレンジへ投入。
温めている間に書棚から筆記用具などを用意し、義手での書き取り訓練の準備をしておく。
それが終わる頃にレンジからチンと音が鳴り……という具合いに、孤独な時間も忙しなく過ぎていった。
一夜明け、翌日。
もはや常連と化した、工廠科は真島さんのラボにて。
「いやー、昨日は貴重なデータが取れましたよー。なので、それを踏まえてガッチガチに計測機器を着けて欲しいんですけど……」
「……計測機器って、それ?」
「はい!」
興奮冷めやらぬ、といった様子の真島さんの言葉を受け、俺は作業台に目を向ける。
そこには、およそ人間が身につける物ではないと思える、見るからに重い機械がゴチャゴチャと置かれていた。
仮に全部着けたとしたら、小さめなLAC──リリィ・アーマード・キャバリアと呼ばれるパワードスーツくらいになりそうだ。
「無理だよ。まともに走れんわ」
「ですよねぇー。ま、とりあえず義肢が壊れなければいいんで、ちょっと飛んだり跳ねたり多めでお願いしまーす! 行ってらっしゃーい!」
「簡単に言ってくれるよ……」
どうやら真島さんなりの冗談だったらしく、昨日と同じ高機能型の義肢にささっと換装、送り出してくれる。
最近、彼女の人となりが、少しだけ分かってきた気がする。同じ工廠科のアーセナルからも変わり者扱いされてるらしいが、然もありなん、といったところか。
まぁ、本当の俺を知る数少ない相手だし、可愛い女の子に「行ってらっしゃい」を言って貰えるだけでも、十分なのだが。男って単純である。
「いつもと同じコース……を、ショートカット多めで行くか」
エレベーターで移動し、校舎の外へ向かう。
歩哨の軍人に身分証明書を提示して、裏門的なゲートをくぐるのにも慣れたものだ。
最初は身バレしないかビクビクしてたけども。
軽く柔軟運動をしてから、俺は義肢の調子を確かめるように、ゆっくりと走り出す。
1000mも行けば野山も同然で、大きく張り出した木の根やら、戦闘の流れ弾で折れた木の枝などを避けるため、飛んだり跳ねたりが必要になってくる。
コースには小川もあったりするから、あらかじめ助走をつけ──跳躍。
「ぃよっと」
簡単な走り幅跳びだが、これを神経の通っていない、作り物の脚で行えるのだから、マギとは本当に万能だ。
マギ。
リリィ/マギウスとヒュージが、互いに影響を及ぼすエネルギー。
力それ自体に善悪はなく、扱う者がそれを決める。昔から変わる事のない、世の道理である。
(インビジブルワンも使ってみるか。一応、護衛の子にメールしといて、と……)
義肢、体、共に調子も良い。なら次に試すべきは、目覚めたばかりのサブスキル。
おそらく移動速度が大幅に変化するので、事前に護衛のリリィ達へとその旨を連絡しておく。
もちろん、個人的に交換したメアドじゃない。前回の事を踏まえて交換した、業務連絡用のアドレスである。
……別に、悲しくはない。
白井さんと川添と真島さんのアドレスは知ってるし、本当に悲しくない。
彼女達とも訪問の事前連絡位しかしないけど、全く悲しくない。
防衛軍時代の、野郎の連絡先しかない、汗臭くてむさ苦しいアドレス帳に比べたら、フローラルな香りすら漂ってきそうだ。
それはさて置き、サブスキルである。
基本的に、リリィ/マギウスはCHARMを介してマギを使用するが、CHARMがなければマギを使えない訳ではない。
ちょっとした身体強化なら無意識に行えてしまうし、幼い頃からレアスキルの暴走に悩まされたリリィも居るらしい。
数ヶ月前の俺はマギ保有量も少なく、そもそもスキルに目覚めてもいなかったので無理だったが、今の俺ならば、問題なくマギを消費して発動できるだろう。
更に言うなら、現在装着中の義肢には、マギクリスタルコアと類似した制御装置があるため、発動は容易いと思われた。
数回、深呼吸。
昨日の感覚を思い出しながら、義肢と体にマギを循環させ、開けた道を一歩踏み出す。
「──っとぉ!?」
想定以上に景色が変化し、慌ててマギを不活性化、急制動をかける。
昨日は一歩で十歩だったのに、今回は一歩で二十歩は移動していた。
意識して使ったから効果が上がった? それとも、マギを使い過ぎたか……。
なんにせよ、注意しないと。
「動きすぎないように、もっと細かく動作を切って……」
細心の注意を払い、再びマギを活性化する。
スキルプロトコルの時は、移動するというより、体を滑らせるような感覚で使っていた。
あれと同じような感じで、でもマギは控えめに……。
「よし……行くぞ!」
覚悟を決め、今度は走り出す。
徐々にマギを高めていき、スキルの発動点を探りつつ、ここだと思った瞬間、垂直に──跳ぶ。
空が一気に近づいて、ランニングコース全体を眼下に収められた。
それだけでなく、はるか沿岸の海も。天へと聳える、忌まわしきヒュージネストまでもが見える。
控えめに使ったはずなのに、軽く10mほどは跳んだだろうか。
壮観だ。
(……って、着地忘れるとこだった!?)
感動も束の間、徐々に重力を感じ始め、背筋が凍る。
景色に見惚れて墜落死とか、笑い話にもならない。
慌てず焦らず、マギを使った大跳躍と同じ要領で衝撃を殺せば、トスン──という軽い音だけで、俺は地に降り立っていた。
「……っふう、油断してたな……。気持ちを切り替えて、行くぞっ」
冷や汗を拭い、今度こそ、インビジブルワンを使っての移動を開始する。
森を一気に抜け、廃墟群へ。
コンクリートを蹴り、倒壊したビルの壁を走り、また別のビルへ跳ぶ。
一切地面に降りずとも、縦横無尽に空中を動き回れる。
(凄い。これがスキル。サブスキルでこれなのか)
アメコミのヒーローとか、少年バトル漫画の主人公もかくや……といった動きを、自前で再現できる日が来ようとは。
しかも、これだけスキルを使っても、まだまだ余裕がある。
……楽しい。
子供染みた全能感が、今は純粋に楽しかった。
自由に空を駆けるって、なんて楽しいんだ!
「ん? あれは……」
とあるビルの屋上へと降り立ったところで、少し開けた場所──かつての公園だろうか──に、人影を見つけた。
辛うじて形を残したベンチ。黒い制服にポニーテール。膝の上の子猫。間違いない、昨日の女の子だ。
キョロキョロして、誰かを待っているような様子だ……。まさか、俺を?
勘違いかも知れないが、そうだとしても、挨拶くらいはした方が良い気がする。
驚かさないよう、彼女から見えない位置でビルから飛び降りて、普通に歩み寄る。
と、その時である。
「んも〜、甘えん坊さんだにゃ〜。そんなにわたしの指を噛み噛みしてぇ、もしかして美味しいのかにゃ〜?」
「……………………え゛?」
「あ゛」
妙に甘ったるい猫撫で声が、女の子から発せられた。
表情もビックリするくらい蕩け切っていたのだが、俺の愕然とした声に、女の子の顔は凍りつく。
……沈黙。
ものすんごく居心地の悪い、沈黙。
「あ〜……。こ、こんにちは……?」
「……どうも……」
ぎこちなく手を挙げると、女の子もまた、ぎこちなく頭を下げた。
膝の上の子猫だけが、にゃっ、と元気に鳴いている。
挨拶したはいいけれど、どうしたものか。彼女、顔真っ赤やし。
「ゔっゔん……。これ、昨日のお礼です。一応、助けてもらったから」
「あ、わざわざ、ご丁寧に」
大きく咳払いをした女の子は、缶コーヒーをベンチの上に置き、そう言った。
うん、なかった事にする感じなんですね。了解です。
俺は缶コーヒーを手に取り、少し離れてベンチに腰を下ろした。
「自己紹介とかした方がいいかな。一応、学院の関係者なんだけど」
「……必要ない、です。有名人だし」
「え? 有名人?」
首を振る女の子に驚いて、オウム返ししてしまう。
確かに工廠科へ出入りしているし、顔見知りのリリィも何人か増えたが、それで有名になるだろうか?
何も、学院に出入りしている男が俺一人という訳ではないのだ。
防衛軍の兵士や、資材などの搬入を行う業者だっているのに。
「二十年以上前、G.E.H.E.N.A.の前身である軍産複合体に攫われ、長らく実験台にされていた、高松理事長代行の義理の息子……さん、ですよね。川添美鈴様、白井夢結様のシュッツエンゲルと親交があるとか」
「……合ってる、けど。そんなに有名なの?」
「はい。良くも悪くも」
女の子が語ったのは、俺の素性を隠すためのカバーストーリー。
それだけなら、知られていても別におかしくないけれど、川添達との関係まで?
……いや。普通に考えて、知られない方が変か。
特に隠す訳でもなく見舞いに来てくれていたし、退院して以降もちょくちょく会っているんだから。
もしかして周囲には、正真正銘の脳破壊要員として見られているのだろうか。
そしていつか、「百合ップルの間に男が入るな!」と叫ぶリリィ達に……。
いかん、不安になって来た……。
「じゃあ、コーヒー、頂きます……」
「……どうぞ」
嫌な考えを振り払うため、貰った缶コーヒーに口をつける。
隣を見れば、女の子も同じように缶を傾けていた。自分の分も買ってあったようだ。
「……聞かないんですか」
「何を?」
「……私の、こと」
ややあって、女の子が重く呟く。
一応、名前だけは義父上に教えられた。
安藤
曰く、それ以外は彼女自身に聞くが良かろう──とのこと。
余人の口から語られるべきでない、何らかの事情があるのだろう。
女の子──安藤さんの暗い表情からも、それは伝わって来た。
「その様子だと、あまり聞かれたくない事っぽいね」
「…………」
「なら聞かないよ。誰にでも、触れられたくない部分はある。おじさんにも、ね」
だから、どっちつかずな返事で、その場を誤魔化す。
誰にだって、触れられたくない傷はある。
俺が、甲州撤退戦でのギガント級との戦いを、ほとんど思い出せないように。
思い出そうとすると、体の震えが止まらなくなるように。
ほんのかすかな手掛かりは、感情だけ。
押し潰されそうな恐怖と、激しい痛みと、呪いのような後悔の念と。
それらをまとめてひっくり返す──怒り?
しかし、どんなに近づこうとしても、全ては霞のように、現実感を伴わず消えてしまうのだ。
こんな有り様なのに、本当にまた、戦えるのか。
ヒュージを前にして、CHARMを振るえるのか。
不安要素なんて、数え出したらキリがない。
だが、それでも前へ進まなければ。
一度立ち止まったら、きっと、再び歩き出すのにも苦労するだろうから。
「ご馳走様。おじさんはそろそろ行くよ。新しい力のテストも続けなきゃいけないし」
「テスト……?」
「ああ。それが今の仕事みたいなものだから」
「……そうですか」
飲み終えたコーヒーの缶を、近くにあるゴミ箱へ投げ入れ、ベンチから立ち上がる。
安藤さんは、意図的に無表情を作っているように見えた。
子猫と戯れている時は、年相応に可愛らしかったのに。もったいない。
「それじゃ、また機会があれば。さよなら。その子猫のこと、よろしく頼むよ」
「……さよなら……」
肩越しに別れを告げ、俺はまた走り出す。
また会う機会なんて、来るだろうか。
無ければ少し寂しいだけ。
あったなら、猫の話でもしてみようと、そんな事を考えながら。
走り去る背中を、少女は──安藤鶴紗は、複雑な感情を込めて見つめていた。
「変な人、だったね」
にゃあ。
指にじゃれつく、柔らかい毛並みを撫でながら、一人呟く。
鶴紗は、学院内で流れる“彼”の情報を、鵜呑みにはしていない。
確かに百合ヶ丘はG.E.H.E.N.A.と対立しているし、被害を受けたリリィの保護も積極的に行っている。
が、G.E.H.E.N.A.という組織は、よほど貴重なサンプルでもない限り、二十年も“一つの個体”を維持したりしない。その前に使い潰してしまう。
男性のマギ保有者は珍しいが、大都市を探せば必ず数人は居る。使い潰しても換えは効く。
なら、どうやってG.E.H.E.N.A.の中で長く生き延びたのか。
可能性としては、実験される側から実験する側に移った、というのが一番濃厚な線。
しかし、鶴紗には分かる。
研究者特有の空気感も、実験台にされたが故の狂気も、“彼”からは感じられない。
であるならば、開示されている情報そのものがブラフという可能性も出てくる。
詰まるところ、謎だらけで怪しい事この上ないのだ。
確実なのは、“彼”の手脚が三本も失われていること。
百合ヶ丘の中で、マギ保有者向けの義肢をテスト運用していること。
そして、その事を当たり前のように受け入れ、けれど、どこか表情に影があること。
(……考えても仕方ない、か。どうせ、わたしには関係ない。何もできない)
かぶりを振り、溜め息をつく鶴紗。
こうしてわざわざ出向いたのは、一応は助けてもらったから、というだけのこと。
あの時、“彼”が助けてくれなくても、問題なかった。
間違いなく大怪我を負っていただろうけれど、死にはしない。
そういう“力”を持っている。いや、持たされたのだ。
だから、恩義を感じる必要なんて。
(……でも)
助けられた結果、怪我を負う事はなく、痛みに打ち震える事も、制服をダメにする事もなかった。
この事実にだけは、感謝していいのかも、しれない。
いっそ、新しく制服を買える金額と同じだけ、コーヒーでも奢ろうか。
そうすれば、要らぬ負い目を感じる必要も、なくなるだろうか。
そんな事を思い、鶴紗は誰に見せるでもなく、苦笑いを浮かべた。
「行こうか」
にゃ。
分かっているのか、いないのか。返事をする子猫を抱きかかえ、鶴紗もベンチから腰を上げる。
特別寮への道のりを、子猫の名前はどうしようか、ああだこうだと悩み歩く。
その姿は、ごく普通の、年頃の少女にしか見えなかった。
一応調べたんですが、鶴紗ちゃんの保護された具体的な時期が出てこず、しかし、中学時代に友人が居た、という記述はありました。
なので、この作品では二年前(甲州撤退戦)の前後で保護されていた、という事にしております。ご了承下さい。
ちなみに鶴紗ちゃん、講義は普通にサボってます。
まだやさぐれてる時期なので、きっと「勉強なんかしてなんの意味があるの?」とか、正面から言えちゃう。