朽派廻 (くちは・まわる) は激怒した。否、ドン引きした。必ず、この目の前で行われている殺し合いに関わってはならぬと決意した。廻は都内在住の高校生である。そこそこのルックスを自負し、周囲を見下しながら暮らしてきた。けれども保身に関しては、人一倍に敏感であった。今日廻は学校から帰宅し、風呂上がりにコーラでも飲むかとリビングへ続く扉を開けるとド田舎っぽいところに出た。気づいたら自分の背後にあるはずの風呂場も消えていて、現代文明からはおよそ程遠い未開の空間に一人取り残されてしまった。とはいえ正面に薄ぼんやりと民家の明かりが見えたため、とりあえず助けを求めようとそちらへ近づいたのだ。廻には天賦の才があった。保身能力である。命の危機に関しては、第六感が発動するのだ。民家へ近づくにつれ、廻は周囲の様子をあやしく思った。現代にあってはどんなド田舎にもあるであろうはずの伝統や電柱が見当たらない。おまけに道も全く舗装されていない。ド田舎はド田舎だから仕方ないのかもしれないが、もう少し文明があってもよいものではないか、と廻は訝しんだ。さらに民家に近づいていくと、キィン、キィィン、と金属を打ち合わせるような音も聞こえてくる。さては大量生産が主流の現代社会にあって、匠の技(笑)を継承するような気難しい人間が住んでいるのかと思い、廻は早くもげんなりし始めたが、スマホもない現状ではどんな人間であっても頼らざるを得ないだろうと諦めて、民家への足を進めた。
そこで廻が目の当たりにしたのは、金属加工なのではなく、本物の殺し合いだった。刀を構えた和装の少女に対して、薄ら笑いを張り付けたような表情の青年が恐ろしい速さで鉄扇を振っている。漫画やアニメでしか見たことがないようなアクションシーンが、今まさに廻の目の前で繰り広げられていた。少女が傷だらけなところからも、どうもテレビドラマの撮影ではなく、本物の殺し合いであることが廻にもすぐにわかった。
(いやいやいやいや、ジャッキー・〇ェンとか〇ガールとかを呼んで来いよ。俺じゃなくて)
ドン引きしつつも、どこか余裕のあることを考える余裕が廻にはあった。自分が見つかっていないと甘っちょろい想定をしていたからである。
しかし、そんな期待は一瞬で裏切られる。ちょうど青年を挟んで廻と相対する位置に来た少女が、廻を見つけて驚きの表情を見せる。そして一瞬の間をおいて叫んだ。
「――――逃げて!」
その声につられるように青年もこちらを向く。全身から血を流し、肩で息をしている少女は、その明らかな隙に対しても攻勢に出られないでいた。
「へぇ、気配探知はしていたつもりだったんだけど、君、急に現れたねぇ。びっくりしちゃったよ。男だし美味しくないだろうから、俺がこの子を丸呑みにするまで動かないでくれないかな、邪魔だから」
「この子を丸呑みにする」というフレーズに対して、廻の保身センサーが大音量で危機を告げる。この男は、この少女を物理的に食うつもりなのだ。別に他人がどうなろうが知ったことではないが、この少女を食べた後で、男が廻のことを放っておいてくれる可能性は限りなく低いだろう。男から声をかけられてから数瞬のあいだに、廻の脳は自分が生き残るために急速に回転する。
「――――すみません。食事の邪魔をするつもりはなかったんです。ただ、美味しさを気にする割に食べ方に工夫はされないんですね」
廻のチキンハートはもう限界を迎えている。なので当然目の前の男の形をした脅威に対しては敬語を使う。
「工夫がない……ってどういうこと? まさか、人間が鬼に人間の食べ方を教えてくれるとか?」
廻にとって幸いなことに、目の前の存在は廻の動揺を覚ることもなく、廻の言葉に興味を示した。内心ビビり倒しながらも、廻は言葉を続ける。
「俺も人間を食べたことはありませんが、少なくとも人間が肉を食う時は美味しく食べられるようにそれなりに工夫をします。例えば血抜き処理であったり、調理の際も焼いたり揚げたり蒸したりと、部位によって違った工夫を凝らします。特に、素材が上質であればあるほど、食べる側もより美味しくしようと努力するものです。」
「素材が上等であればあるほど、か。教えてくれてありがとう。参考になるよ。ちなみに君が最上級の肉を一から調理するとすれば、どういうところに気を付けるのかな?」
「そうですね……まず弱らせることは絶対にしません。栄養管理にも気を付けて、なるべく緊張させないようにします。緊張するとどうしても肉が強張りますからね。万全の体調にある個体を瞬時に殺して、血抜きをします。調理法としては、やはり焼きますかね。素材がいい肉は下手に味をつけないほうが美味しいので」
「なるほどねぇ。今まで食べた中でも、確かに悩みのない子を丸呑みにした時が一番美味しかった気がするよ。ありがとう! 俺はせっかくの貴重な食材を無駄にするところだった!!」
廻の説明に満足したのか、青年は少女の方に向き直ってこう続けた。
「――――だってさ。ごめんねぇ。せっかくなら美味しく食べられた方が君も嬉しいよね。だとしたら、今日このまま君を殺して食べるのはもったいない。そろそろ夜明けも近いし、今日のところは諦めて、適当に村娘でも食べて我慢するよ」
「待ち、なさい……そんなことは、させない……」
「あははっ、そんな状態でも俺を止めようとするの? 面白いなぁ。俺は今日君を食べるのはやめにするよ。君は絶対に美味しいから、食べるのにはもっとふさわしい機会を用意するよ」
青年はご機嫌な様子でそう言うと、廻の方へ近づいてきた。そうして廻に手が届く距離まで近づくと、まさか俺が代わりに食われるの!? とストレスが掛かりすぎて逆に無表情になった廻に対して笑顔で言った。
「ありがとう。君のおかげで食材を無駄にせずに済んだよ。どうせ名前は覚えられないから聞かないけど、俺は童磨っていうんだ。悩みがあったらいつでも相談しに来てねぇ」
と、一方的な自己紹介をした直後に明後日の方角へと駆けていった。なんとか生き延びたことに安堵した廻は、そのまま眠るように気絶して地面に倒れ伏した。また倒すべき敵の手前維持で立っていた少女――――胡蝶カナエも、安堵からその場へ崩れ落ちた。
これが、のちに廻が人生最悪の晩、カナエが人生最高の晩と評した夜に起こった全てである。本来いるはずのない、ちょっとルックス高めで自分を大事にする少年の存在は、果たして運命をどのように変えていくのであろうか……?