ぼくは親から虐待を受け捨てられた。
あの子に出会ったのは半年前、捨てられてすぐの頃。
あの日は梅雨の時期で、雨が酷かった。
雨が身体にあたり、体温が下がるのがよく分かる。
あぁ、ここでぼくは死ぬんだと思った、けどそれをあの子が拾ってくれた。
「あら、こんな所に猫ちゃんが、可哀想に…」
「…」
「マスター、この猫ちゃん…」
「…」コクリ
その時の記憶はそこで途切れていた、ぼくは死ぬ寸前で救われたのだ。
住んでるであろう建物に運ばれたぼくは下半身から温かいものを感じた、それはお湯だった。
突然の事でぼくは驚いた拍子に勢い余って何かにぶつかった、それはぼくを拾ってくれた…あの子だった。
「大丈夫ですよ、ここはマスターの御屋敷のお風呂場です。寒かったでしょう?」
あの子の声はとても優しく、ぼくは警戒心をすぐ解いた。
ちょろいかもだが、その声はとても落ち着いて心が安らいだのだ。
お湯をかけてる時もシャワーじゃなく、直接手で少しずつ汲んでかけてくれた。
身体が綺麗になった後は、タオルで優しく吹いてくれた。
ふわふわのタオルで、ずっと包まれていたいと思えるくらいには心地良かった。
「ふふっ、綺麗になりましたね、可愛い子猫ちゃん」
ぼくは内心ムッとした、子猫ならまだ良いが、ぼくはオスだ。
子猫”ちゃん”は聞き捨てならない、ついあの子の手を噛んでしまった。
「痛っ…子猫ちゃんは嫌でしたか、じゃあ…子猫さんでどうですか?」
何とも短絡的な呼び方だが、ちゃん付けよりかはマシと判断した。
ぼくは噛んでしまった手を舐めた、幸いにも血は出ていなかった。
「ふふふ、子猫さん、大丈夫ですよ」
声に怒気は含まれておらず、優しくぼくの頭を撫でてくれた。
そのままぼくは眠りについた…
目が覚めるとぼくの身体はタオルで巻かれていた、あのふわふわのタオルだ。
そして近くには水の入ったお皿と、何かの液体のようなものがあった。
「あ、目を覚ましたんですね。喉乾いてませんか?お腹は?」
差し出された水の皿と液体の皿、ぼくは水の皿を選び飲み始める。
ずっと何も飲んでいなかった、お腹も空いてるが、水が先だ。
「沢山飲んでくださいね、こっちのお皿は小さい子猫用の”ちゅーる”が入ってるので」
ちゅーる…?ぼくはその単語を初めて聞いた。
皿に入っているものに鼻をやると、美味しそうな匂いがしてきた。
ぼくは意を決してそれを舐めた、その瞬間衝撃が走った。
安っぽいミルクやキャットフードしか口に入れてなかったぼくにとっては初めての味、美味しいの一言で片付けられないが、ぼくは鳴く事しか出来ない。
精一杯、喜びと幸せの気持ちを込めて鳴いた。
「にゃーん」
理解してくれたのかは分からない、でもあの子は笑顔でぼくの頭を撫でてくれた。
手厚く介抱してくれた結果、ぼくはすぐに元気になった。
”マスター”と呼ばれる人(?)の計らいでぼくはそのまま屋敷で飼われる事になった。
あの子は、ロロちゃんはこの屋敷でお給仕をしてるらしい。
マスターは普段絵を描いているが、ぼくはその部屋に入った事がない。
ロロちゃん曰く、マスターの集中力を切らさないようにしてあげて欲しいそうだ。
ぼくも邪魔はしたくないから、近付かないでおく。
ロロちゃんはお給仕の合間にぼくの相手もしてくれている。
ねこじゃらし、ボール、etc…
遊んだ後はちゅーるも貰える、ぼくはロロちゃんに拾われて幸せだ。
そんなある日、ぼくはふとロロちゃんに何かしてあげたいと思った。
猫の身だから何が出来るかと言われたら何も出来ないかもだが、それでも少しでも何かしてあげたいと思った。
そんな時、ロロちゃんがボソッと言ったのを聞き逃さなかった。
”お花を飾りたい”
ぼくは走った、役に立ちたい、お礼をしたい、今その2つを満たすのはお花をあげる事。
走った末、屋敷から随分遠くまで来たが遂に目的の物がある場所に着いた、梅の木である。
蕾が多かったが、花が咲いてる枝を見付けそこまで木を登る。
だけどぼくはそこからどうやって枝を持ち帰るか考えてなかった。
あろう事かぼくは、枝の上で飛び跳ねた。
枝を折って、咥えて帰ろうとしたのだ。
しかし枝が折れた後、どうなるかぼくは知らなかった。
答えは簡単だ、枝が折れて足場を失えば、落下する。
ぼくの身体と枝はそのまま落下した。
背中から落下してしまうが、土がクッションになってくれた。
クッションになったといっても、ダメージが無い訳では無い。
よろけながらも梅の枝を咥え、屋敷に向かう。
歩みは行きと比べると確実に遅くなっていた。
辺りは暗くなり、雨も降ってきた。
どれだけ歩いたかも分からない、行きの時は無我夢中で走っていた。
でも、この場所だけは覚えている。
ぼくが捨てられた場所だ。
疲労が溜まり、遂に歩く脚を止めてしまった。
梅の枝を届けたい、それなのにもう身体は動かない。
雨に打たれ、あの時のように身体は凍えていく。
拾われたあの日みたいな事はそう起こるものではない、起こるものではないはずだった。
「子猫さーん、何処ですかー?」
ロロちゃんが探しに来ていた。
だけどもう身体は動かせない、だから…ぼくは精一杯鳴いた。
「にゃーん!にゃーん!」
雨の音でかき消されるであろう、それでも精一杯鳴いた。
数回鳴いた後、足音が近付いてきた。
そう、ロロちゃんだ。
「子猫さん!」
目視出来る距離までロロちゃんが近付き、ぼくを見付けると叫びながら走ってきた。
「子猫さん、大丈夫ですか!?どうして…これは」
ロロちゃんに抱きかかえられた際に落ちたのは、梅の枝だった。
「にゃー…ん…」
鳴き声を最後にぼくの意識は無くなった。
目を覚ますと、屋敷の中に居た。
身体には柔らかい感触があり、またふわふわのタオルかと思った。
だがタオルではなかった、あの子の、ロロちゃんの胸の中だった。
「にゃー…?」
「ん…あ、子猫さん!大丈夫ですか?寒くないですか?」
ロロちゃんは気が付くとぼくの心配をしてくれた、目には涙を浮かばせていた。
喜ばせたくてとった行動は、返ってロロちゃんを悲しませてしまう事になってしまった。
「心配したんですからね、おやつの時間になっても来ないし、夕飯の時間になっても…だから探しに行ったら、ずぶ濡れになっていて、背中も怪我してるしで、本当…心配…したんですからね…」
目から落ちた”それ”は、ぼくの顔に染みていく。
ごめん、ごめんね、ロロちゃん。
ぼくは捨て猫、拾われた身、それなのにこんなに心配してくれてる、こんなに大事にしてくれてる、このタイミングで思うのはあまりにも不謹慎だけど、とても幸せ者、いや…幸せ猫なんだなって思った。
「子猫さん、この梅の枝はどうしたんですか?」
「…にゃー」
「…もしかして、ロロに?」
「…」
確かにロロちゃんに喜んで欲しくて梅の枝を取ってきた、けども悟られるのは少し恥ずかしい。
ぼくはその場から逃げるように走ろうとした。
だが…
「子猫さん、逃げないでくださいよー」
「にゃ、にゃー!」
抱きかかえられ逃げられなくなってしまった。
白状しようにもぼくは猫、喋れないのだ。
でもそれが、ぼくなりのお礼と、気持ちだよ、ロロちゃん。
「子猫さん」
ロロちゃんの声に顔をロロちゃんに頑張って向ける。
「子猫さん、ありがとうございます」
ロロちゃんからのお礼の言葉を受け取り、鳴こうとしたが次の言葉で鳴けなかった。
「でも、もう1匹でどこかに行かないでください。凄く心配しましたし、何より…寂しかったです。」
心配は分かってた、ぼくの為に泣いてくれる程なのだから、でも寂しいとは…
「ロロは、この屋敷でお給仕をずっとしてます。別に辛くはないです、大変ではありますけども。
でも、息抜きでお菓子を食べたりしてましたが、限度があります。
そんな時、子猫さんに出逢いました、子猫さんと遊んでるととても楽しくて、元気が出ます。
1人でお菓子を食べるよりも、子猫さんと一緒に食べてる方がずっと美味しい、子猫さんと出逢ってからのこの半年、とっても楽しくて、仕方なかったんです。だから…」
この後の言葉を、ぼくは忘れない。
「だから、ずっと傍に居てください、子猫さん。
ロロと一緒に、居てください」
ぼくはこの日を忘れない。
ぼく自身、ロロちゃんとずっと一緒に居たいと思ってる。
それでも、猫の寿命はそんなに長くない、だから何時か別れは来てしまうけども…それでも、少しでも長く、ロロちゃんの傍に居られたら良いなって思う。
これからもよろしくねロロちゃん、大好きだよ。
ずっと思ってたけど、ロロちゃんにお風呂入れてもらってる時、ロロちゃんはちゃんと服着てるのに、何で穿いてないんだろう…?