「結果は良好、問題は見られません。ですが、記憶の欠損は疑いようもないでしょう」
いつもの応接室で、ローズ委員長は相変わらず淡々と言う。
「そうですか」
「悩むことでもないでしょう。いずれなかったことになるのですから」
「本当にこころ、ないんですね」
「人には見えないだけですよ?」
……
「……言い過ぎました」
「悪態を何処かに落としましたか?困りましたね、次は台詞も私が考えることになりますよ。拾ってきて貰えますか?」
「っ…やっぱり脳みそ鋼タイプじゃないですか、私の謝罪を返してくださいよ」
「それで結構」
「……言われなくても」
「ユウリさん、面会の予約が詰まっていますが、如何なさいますか?」
オリーヴさんがリストを差し出す。
まだチャレンジャーなのに、もうスカウトと会社の役員やら知らない名前がズラリと並び、迷惑にも程がある。
この時代の通信機器なんて使うつもりも無いし、私と連絡取ろうとしたら、そうなるのは分かるけど、気が早すぎる。
「次の試合の為に、ワイルドエリアで調整しているから会えないって言っておいて下さい」
「ホップ博士もですか?」
「誰でも」
誰かと話せる状態じゃ無い。
この間みたいにまた、傷つけてしまうかも知れない。……もう、傷つけてるかも知れない。
「……承りました。キャンセルを伝えておきます」
「試合中のキャラクターのお陰ですね。ユウリさん。傍若無人に振る舞ってもそれが話題になりますし、予定をキャンセルしても何も問題がない。マーケティングも正しい。やはり間違っていなかった」
「そうですねー、はいはい、あってますよお爺さん」
「……ユウリさん。今楽しいですか?」
「ついに人の感情を学び始めたんですか?」
「重要な話です」
「楽しいわけないでしょ」
「なるほど、分かりました」
「それだけですか?」
「ええ、確認です」
偶に、この老人は自己完結して一切理解できないことを話す。
「何の?」
「間違えていても、正解が見えているのだなと思いまして。彼には……まあ、いつものことですが。私が気が付かないことによく気がつく、だからといって、私が正しいことには変わりありませんがね」
「ユウリさん、この人、年甲斐もなく弟と喧嘩したんです。だから言われたことを気にしてるんですよ」
オリーヴさんが解説してくれる。
「……一応、あったんですね」
人には見えないだけ、か。
「ええ、この人にも一応あるんですよ?」
彼女は苦笑いした。皺が増えたのはこの表情の所為でもあるかも知れない。多分こういうことばっかりなんだろう、側にいる人は大変だと思う。でもなんでちょっと嬉しそうなんだろう。
「何がおかしいのですか?私も人間です、こうして普通に……ああ、いえ、そうですね。少々考慮する案件が出来たので今日はここまでにしましょう」
「今日は短いですね」
「毎日動き続ける為には適切な休息が必要です。食事と睡眠はキチンと取らねばなりません。それさえ守れば何時間でも働けます」
「それはアンタだけだぞ」
「いえ、毎日24時間戦い続けている大人というのは、案外居るものです」
「さすがだなぁ、ちゃんと働けるなんてすごいぞ」
「自らの仕事に責任を負うのが大人ですから」
やっぱり大人にはなりたく無いと思った。
◆◆◆◆◆◆◆◆
今日は何もかも休みにした。
何かする気も起きなかった。
もし誰かに会って、忘れていることを責められたら、耐えられる自信はない。
ホテルの高層階から見下ろす街にはポケモンに人、車やら得体の知れない機械やらが行き交っていたけれど、ここまで離れてみると、オモチャが動いてるようにしか見えなかった。
カーテンを閉め切る。部屋は暗くなる。
久々にベッドで横になった。
暗い天井。
あの病室以来だ。
いつもキャンプで寝袋だったから尚更柔らかく感じた。
私には柔らか過ぎるような気もする。
起き上がる気力が湧いて来ない。
記憶。私の思った20年と、みんなの考えている20年は少し意味が違った。
ただでさえ訳分からないのに、数年の、それも誤差とは呼べない隔たりがある。
シャクヤさんと、あのポケモン達も、私の知らない私を知っている。
ヨロイ島で一度、その経験をしていたのに、考えてなかった。考えることも避けてたのかも知れない。
私と、彼らの知ってる私は多分、全然違う。
でも知ろうとすれば、話さないと行けない。
傷付けずに、そんなことが出来るんだろうか。……無理だ。私が忘れた時間、眠っていた時間、いつの話でも。
知らない私が、どんな嫌なことを言ってしまうか分からない。
あの時、逃げないで謝れば良かったのだろうか。たとえ、思い出せなくても。
でも、相手が何で悲しいのか、怒っているのか、全く理解できてすらいないのに、相手の為だけに謝られて、許せるだろうか。
多分、私は許せない。形だけの謝罪なんて何の意味もない。ただ楽になりたいだけにしか思えない。
だったら、どうしたら許せるんだろう。
どうしたら許してもらえるんだろう。
私がしたこと、されたこと。置いてかれたこと。置いていったこと。
でも、誰が悪いの?私は誰に怒ればいい?何を悲しめばいい?
私は当たり散らして、勝手に泣いて、人を傷つけて。
……本当に子供だ。どうしようもない。
ホップが止めたのだって、間違いじゃなかった。私はずっと寝てたんだ。心配だってする。
お母さんのことだって、言い難い話だっただろうに。
私は冷たくあしらった、向き合って欲しいと願った私が。
戦ってもくれなかったんじゃない、私が話そうとすらしなかっただけだ。
私は……何もわからないただの子供だ、分かったような気になってるだけの。
わかったような気になれば、分からなくて怖いことが無くなる、だから、なんでもかんでも知ったような顔でいたんだ。
自分の愚かさを守るために、強がる為に剣を構えようとしていた。
そんな子供が、英雄に認められる訳がない。
あれは、当たり前だった。当たり前だって自分で言ったことが、漸く受け入れられた。
私はあの部屋で、外を恐れていた日から、結局何も変わっていない。
何もかもが嫌だ。言っていいなら、どうして私がって言いたい。
でも、覚えてなくても、実験に手を貸したのは結局私で、それは自分で選んだことで。
それは、私の所為だ。私は悪くないと思いたい自分すら嫌になる。
その所為で、20年間も、そして今も誰かを苦しませている。
ずっと眠ったままだったら、誰も、私も、傷付かず、思い出の中で終われたのに。
「……私は起きなければ良かったのかな……ねぇ、お母さん……」
◆◆◆◆◆◆◆◆
眠ることも出来なかった。どれくらいの時間が経ったのかもわからない。
ふと、ベッドの近くに転がっていた携帯が目に入る。
もうずっと昔の機械。警戒してたけど、これで私の位置情報なんて、もう把握出来ないと思う。
ネットには繋がってないし、電話も出来ない。殆ど使い物にはならないけど、私の旅の為には不可欠なものだった。
今も、変わらない。
あの頃は、暇さえ有れば触っていたと思う。
ホップと列車に乗っていた時も、目の前にいるのに、ずっと。
あんな近くだったから、気恥ずかしくて、隣には座れなかった、ずっと目を合わせるのも出来なかった。
誤魔化すために、写真や動画を見たり、見せたりして、私を見ていないホップの顔を盗み見ていた。
写真……まだあるのかな。
今まで、ホップとの思い出を見ようとは思わなかった。ただ、嫌になるだけだと思ってた。
でも、もう私の昨日はそこにしか無い。
何も知らない未来なんて見たくない、昨日だけ見ていたい。
それが見れるなら。
「……ロトム、起きて」
ロトムもずっと寝てたんだから、私の仲間の筈だ。ベベノムとロトム、まだ昨日が残ってる。
《どうしたロト?……元気ないロト?》
「写真、見せて」
《いいロト?ずっと見てなかったロト?》
「いいから」
《了解ロトー》
そして。表示される沢山の画像。
「……え、な、何で」
少し考えればわかったのに。
最新の日付は20年前で止まっている。
そこにあるのは、私とポケモン、そして色々な人々との写真。
──数年分積み重ねられた、私の知らない未来だった。
知らない場所、知らない人、知らないポケモン。
ホップとやたらと近い写真、あの頃の私には到底撮れそうもない写真。
髪を伸ばしている私の写真。
その知らない誰かは、私と顔は大して変わらないのに、全く別人のように見える、幸せに満ち足りたような顔をしている。
何で、そんな顔で笑えるのか、分からなかった。
表示されていく画像や動画、知らない思い出の山。存在しない記憶。
震えながら、その理由を探し続ける。
私とホップが二人で出かけているような写真がかなりあった。
はにかんだ笑顔、照れ臭そうな顔。
……まるで、恋人みたいな距離感で。
「……嘘、でしょ?」
お前は誰だ、一体何者なんだ、私の記憶にない景色の中にいるお前は一体。
何もかも上手くいってるような顔をしているお前は一体誰だ、誰なんだよ……
もしも。もしも、これが本当だったのなら、私は……私が眠らなければ、願いは叶ったんじゃ……?
眺めれば眺めるほど、私にはとても出来そうに無い光景が映されていて、その度、私には出来ないのだと教え込まれているような気分になった。
──羨ましいだろう、失ったお前にはもう二度と手に入らない。
──哀れなものだ、こうして私の隣にいる者はお前の側にはいない。
何て、聞こえるはずの無い言葉が聞こえた。
私は、見たかった写真に辿り着く前に、諦めてしまった。
「写真はもう、良い」
《そうロト?まだいっぱいあるロト!良い写真がいっぱいあるロトよ?》
「……そうだろうね、でも──」
《じゃあ、いっぱい見せるロト!元気出すロト!》
暗い部屋の壁、天井、カーテンに、ロトムが写真の群れを投射する。
他人のような輝かしい思い出達。
「……っ」
やめろ、やめろ、やめてくれ、見たくない、見たくないんだ、私にそんなものを見せないで、やだ、嫌だ。
《ほら、よく見るロト、ユウリは一人じゃないロト、みんないるロト、悲しくないロト》
私は目を瞑ることも出来なかった。
そうだろう、そうだろうな、それは大層良い思い出で、そこに写ってる知らない奴にとっては、そして一緒に写ってる人達にとっては素晴らしいものだろう。
だけど、それは私じゃあ……無いんだ。
ホップの隣に写ってるのは、私じゃない。
お前は何でこんなことをしてしまった。
お前の過ちのせいで、私はこうなった。
「分かった、分かったから、ロトム、もう良いから。ね?」
《元気だすロトー、そうロト!読んでないメッセージがいっぱいあるロト》
「まだ……あるの?」
《ユウリが寝てる間も、ずっと届いてたみたいロト、表示するロト!》
通知の数字が数え切れないほどの量のメッセージの山。
返事する訳もないのに、私に向けて応援するような言葉が延々と。
でも、それがだんだん少なくなって、ある時を境に無くなっていた。
私が忘れられていく経過を教えているようだった。
中身を見る気にはならなかった。余計辛くなるだけだと思った。
《読まないロト?》
「いい、大丈夫、分かった」
《最重要フォルダに、まだ開けてないメッセージがあるロト、これはホップからロト。絶対大事ロトよ?一つも読まないと可哀想ロトー》
ホップの……か。
「……それだけ見る」
《了解ロト!》
それほど長い内容じゃ無かった。
それは事故前のものだった。
『差出人:ホップ』
『件名:実験が成功したら』
『ユウリ、実験が成功したら話したいことがある。多分言わなくてもお互い、分かると思う。でも、形にしたいと思う。俺、やっとチャンピオンと並んで立てそうな気がするんだ。だから、実験が成功したら、まどろみの森でもう一度会わないか?あの、俺達の旅が始まった場所で、決着をつけようと思う。今度は……俺が勝つからな』
そんな未来は、絶対に来ない、来ないんだよホップ。
実験は失敗するし、私は眠り続ける。
ホップが結ばれるのは、私なんかじゃない。
ごめん、ごめんね、実験に私が協力しなければ、ホップの願いも、私の知らない私の願いも、きっと叶っただろうに。
こんなの、こんなのって。
私さえいなければ、こんなことにならなかったのに。