「マリィ、だっこして」
「あぁー、しょんなか子ばい、愛らしかぁ」
久しぶりに戻った自宅兼病室で、私はマリィに抱きついたり、甘え倒したりしていた。
体調は良好。
せいぜい、悪夢を見るようになったくらい。
死ぬことに比べれば大したことない。
説明したから、ザシアンは剣を取られるだけで済んだ。ボールから出れるんだったらそうするしかない。
信じられないくらい落ち込んで、今ではただの犬のようになってしまった。
戦うのがもう嫌なんだとか。そりゃそうだ。
数日は様子を見るとして、私は実家に滞在することになった。まあ、ホップが過保護なのは仕方ない。
実際、目の前で死んでたんだから、むしろ気が狂わなくて良かったと思う。
もし私が反対の立場なら……考えたくない。
逃したはずのポケモン達は、私を各地で探し回っていたらしい。
私が好きにしろと言ったから、好きにしたとか。
置いてきた携帯から出たロトムが、他の通信機器に入って連絡してまわり、私の失踪をジムリーダー達に伝えて回っていたとか。
なんでそういう時だけしっかり働くんだろうか、あのポンコツは。
そして偶然脱走してきたヨクバリスと合流して鳥共に乗り、ベベノムはまどろみの森まで来たのだ。
そのまま連れてくれば傷つくこともなかっただろうに、捜索のために余所へやって死にかけてりゃ、ざまないよ。
ホップは連絡を受けて、すべての仕事を放り出して心当たりを探し回っていたとか。
私のこと好き過ぎかな?いや、罪悪感だろうけど。
ポケモン達に、それもベベノム……今はアーゴヨンか、彼らに止められたとあってはおちおち死んでもいられない。
少なくとも私はあの子達のおやなんだから。
死ぬわけにいかなくなってしまった。
どれほど嫌なものを見ようと、恥をかこうと、生き続けなきゃならない。
……多分、私が死ぬのを止める存在が全て、この世から消えて無くなるまで。
もはや、私は死ぬことすら許されない。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「みてて」
リハビリのためにボールを投げる。飛距離はしょぼい。私の野球生命は終わった。始まってもいない。
「ワンッ!」
完全にただの犬と化したザシアンが、尻尾を振りながら、ボテボテと転がるボールを追いかけて拾い、私の元へ持ってくる。
一応撫でてやると、腹を見せて転がった。もはや尊厳やプライドのかけらも捨て去ったようですらある。
これが剣の王の姿か……?
「ワフッ!」
これで良いらしい。
「ユウリはボール投げるの上手やねぇ、もう一回見せて?」
「うん」
力のない放物線を追いかけて、歴戦の勇者が尻尾を振って走る。
「上手やねぇ、前よりも良くなったと?」
「うん」
マリィは、こんな大したことないことで褒めてくれる。
あれだけ死のうとしていたのに、今やこんなザマ。思い出すだけで恥ずかしくて死にたくなる。
今も生き恥を晒している。
本当に死ぬつもりだった、なのに生きてる。
「マリィ、なでて」
「ユウリは良い子やね〜」
私もザシアンのことを言えるようなものでもなかった。
……一度、完全に死んだと思う。意識は途切れて、暗闇の中に消えた。
思い出すと、全ての感覚がまた、いつ闇に消えてもおかしくない気がする。
なのに生きてる。訳がわからない。
「おんぶして」
「しょんなかねぇー、ほら」
目を閉じると、いつでもあの闇がそこにあるような。
「おなかすいた」
「はいはい、すぐに作るからね」
しかし、生きて何をすれば良いというのだろう。
そもそも私はなんだ。生きて良いとしても、何をすれば良い?
本物をある意味、上書きして殺した、偽物と言っても過言でない存在が。
「はい、ユウリ、あーん」
「あーん」
考えていると、いつのまにかご飯を食べていた。いや、食べさせて貰っていた。
……マリィがいればそれだけで生活できるのでは?
このまま口を開けて待っていれば、一生幸福に生きていけるんじゃ……?
そんな気がした。……気がしただけ。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「どう?美味しい?」
「うん」
私の口の中には、懐かしい味のカレーが入っていた。甘口で、ずっと昔に食べていたような。
「ねえ、ユウリ、隠し味はなんだと思う?」
「……お母さん」
ずっと、昔に。
「お、お母さん?」
「……うん、お母さん」
マリィに抱きつく。
「もう……私はお母さんじゃ、なかよ?」
わかってる。
バレないように、ふと伺うマリィの顔は、いつだって、困ったような微笑みなのだ。
「ほらぁ、また無表情になっとるよぉ?笑顔笑顔ぉー」
自分の口元に指を当てて微笑むマリィ。
私が見ていることに気が付いている時は完璧な笑顔なんだ。
昔見た、笑顔の練習を思い出す。
あんな練習をしていた人が、今はこんなに笑うのが上手になっている。その意味がわからないほど、私は自分のことばかり考えていられない。
知らない方が良かったことばかりだ。
「この方が愛らしかぁ、きーぷすまいりんぐ!笑顔を盛るぺこぉー!」
「むぅ」
「ほら、可愛い」
指で私の口角を上げる彼女は、心の底から楽しそうに見えた。
私は限りなく、彼女に甘えている。それは、別の意味でも、そうなのだろう。
ホップが過保護になったように、マリィがここまで献身的になるのにも、理由があるのだろう。
それを語らず、悲しみなど欠けらも見せずに、彼女は私を甘えさせてくれている。
いつか、話を聞こうと思う。マリィがそれを話す気になったら。
「私、お母さんに会わなきゃ」
「……そうだね、でも。今日も一緒におねんねしようか?」
「……電気消さないでね」
「そうだね」
マリィはすごく強い、たぶん、私よりも。
チャンピオンで忙しいはずなのに、付きっきりで面倒を見てくれる。
寝るときに、私が暗闇に怯えれば、優しく背中をさすってくれる。
寝てる間に泣き出せば、泣き止むまで抱きしめてくれる。
悪夢を見れば、夢が醒めたと教え、撫でてくれる。
すごく心地よくて、暖かくて、だけど。
すごく、申し訳なかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「ユウリ、ついたよ」
「うん」
母の墓は、それほど家から離れていなかった。
「……お母さん」
誰かが普段から掃除しているらしく、花が添えられ、墓石は綺麗に拭かれていた。
涙は出なかった。死は隔絶して遠い場所にあるような感覚ではなく、すぐ隣で無言で黙っているだけに思えてならないからだ。
明確な死の証として墓石がそこにあっても、私はそれを体感できなかった。私が死から戻ってきたように、当たり前のように帰ってくるような気がしてならないのだ。
まだ、何処かにいるんじゃないかとすら思ってしまう。
既に事故から20年が経過している、そんなことは絶対にあり得ない。
私が泣かないのなら、今は誰が彼女のために涙を流すのだろう。きっと、もう誰もいない。
最初はみな、それぞれ悲しみに暮れて、私と同じような感覚に落ち入り、涙を流して。
やがて、忘れていくのだろう。
彼らにとって、私はとっくに死んでいた。
そこにある、ただの石ころだったのだ。
晴れ渡った空の下、遠くには牧場の風景が広がっている。
そこに、母はいない。
あの事故で跡形もなく消えた、足元に埋まってすらいない。
もう取り返しがつかない。
空洞に痛みだけが残って、ただそれだけ。
私は私の命を終わらせることで、皆の苦しみ、自分の苦しみを手早く終わらせようとした。
だけど、それで終わりじゃあ、なかった。
この石が未だに世話されているのを見る限り、私が生きていようが、死んでいようが、どちらにせよ同じなのだ。
全員が石のこと、それにまつわる因果から抜け出さない限り、この空洞は埋まらない。
或いは完全に忘れない限り。
……恐らく、忘れられたときこそ、存在はこの世から本当に消えることができるのだろう。
"悩むことでもないでしょう。いずれなかったことになるのですから"
ああ、そうだ、あの独りよがりな老人の吐いた戯言は正しかった。
過去を変えれば、全てを助けられる。
私が傷つけたものも、失ったものも、何もかも全部元通りに出来る。
みんなを助けてあげなきゃ。
私は……みんなの英雄なのだから。