「お母さん、なんで……他の人は当たり前なのに、私はそうじゃないの?」
「っ……」
母は言葉に詰まったまま、困ったように笑う。
「ごめんね、ユウリ、ごめんね」
私を抱きしめ、ただ、彼女は謝るだけだった。
私は謝って欲しいわけじゃなかった。
謝られたら、間違っているみたいじゃないか。
私には、母がまるで、誰かにそうして貰いたいことを、私にしているようにしか思えなかった。
私は誰かの代わりなのか。
私がいつ謝ってくれと言った。
何故、謝るんだ。
それじゃあ、私や、母が、間違っているみたいじゃないか。
これでいいんだって、言ってくれれば。
間違ってないって言ってくれれば、それだけで良かった。
私はただ、なんでそうじゃないのか、知りたかっただけだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
どこだか覚えていない場所。
テレビには試合が映っていて、何人かの子供と私がそこにいた。
「次、ダンデさんがリザードンがソーラービーム撃つよ」
私の予想通りになった。
「わ!すごいねユウリちゃん!なんでダンデさんが何するか分かったの?」
「どうやって?そんなの簡単でしょ?集中すれば良いんだよ、ほら、まず、ダンデさんが見える、その目線が見える、指示を聞くポケモンが動き出そうとする前兆がある、バトルの展開から判断できる材料は沢山ある、覚えさせている技と、相手の相性から考えれば、別に集中しなくたって判断できる」
「え……何言ってるの……?」
得体の知れないものを見る目。
「普通、だと思うけど」
「……ぜんぜん、ふつうじゃないよ」
同年代の子供たちが私を見る目には、尊敬や好意が宿ることはなかった。
「……へんなの」
気持ち悪いものを見る目だった。
私の話を聞くと、試合がつまらなくなるからと言って、一緒に見ることはなくなった。
私がいると、"せいかい"を勝手に答えられるから、一緒に居たくないと言われた。
私は一人でいるようになった。
私はあまり喋らなくなった。
あんな目で見られ、一人になるくらいなら、何も言わないで黙っている方が遥かにマシだった。
一人でいる者に近づく者はいなかった。
喋らない者は余計に気味悪く思われた。
私は一人だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
田舎に引っ越した。
家は田舎の端の端にあって、周囲は見渡す限り牧場、封鎖された柵の奥には深い森。
都会とは違う、開放的な空間。
古びた家には、いばらの蔦が絡まっていた。
母は、この地を気に入っていたが、私は、どこにいようと同じだと思っていた。
自分の好きなものを並べた部屋でずっと寝ているのが好きだった。
誰かと関わっても、私には良いことなんて何もないと思っていた。
あの日は、窓の外に雪が積もっていた。
でも、外の景色は、私とは何も関係がない。
一人でいれば、何も嫌なことは起きない。
私が誰かに触れることはない、だから誰も私には触れることは出来ない。
痛みもない、痛みを感じさせることもない。
ずっと、何も感じない石のように。
ただ、一人でいるつもりだった。
……はずだったのに。
窓が、開かれた。開かれてしまった。
吹き込む冷たくて新鮮な風に目を細め、私は見た。
「ユウリって言うんだろ!俺はホップ!よろしくな!」
彼は、外から私に手を差し出した。
眩しかったのは、雪が光を反射しているからだけじゃなかった。
私には眩し過ぎたのだ。
私はたぶん、その光に焼かれて、焦がれてしまったんだろう。
それから、連れ出された私は、普通の子供のように遊ぶようになった。
奇異の目で見てくる者は何処にもいなかった。
私が恐れていたようなモノは何もなかった。
初めてだった。私には友達なんてものはいなかった。
なんの利害もなく、負い目でも代用品でもなく、対等に振る舞ってくれる存在なんて、いままで、どこにもいなかった。
だからだろう。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「アニキの試合、すぐ始まるから見るぞ!」
「……う、うん」
私はもう二度と人と見ることがないと思っていたから、それが当たり前のように出来ることが信じられなかった。
だから、気を抜いてしまったのだ。
「次……リザードンに……交代する」
つい、口から出てしまった。考えていることが勝手に漏れ出してしまった。
そして、私の予想通りに交代が行われる。
「ユウリ……どうして分かったんだ?」
気がついた時には遅かった。
ホップは驚いて私を見た。
「え……ぁ……ぅ……その……次の技を読んで……ダンデさんなら……交代出来る……」
「すごいぞ!ユウリ!よく分かったな!」
「へ……?」
彼は、私のことを褒めた。その目は光っていて、私の知らない感情がこもっていた。
何故、褒められるのか分からなかった。
でも。
「どうしたんだ?」
私はそれが嬉しくて仕方がなかったのだ。
私にとって当たり前のことを褒めてもらうだけで、たったそれだけのことが。
「……うん、なんでもない」
「やっと笑ったな!その方が可愛いぞ!」
「ぇ……?」
それだけで、彼は私の英雄になったのだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆
起きると視界は暗い。
締め切った部屋の中で、ムシャーナが黒い煙を吐いている。
悪夢を食べ過ぎたらしい。
本当は電気をつけておきたいのだけれど、ムシャーナが嫌がるから仕方なく消している。
……悪夢だけじゃなくて、他の夢も全部食べて欲しいんだけど、そう上手くはいかないらしい。
ボールに戻して、別のムシャーナを出す。
今日もまた、あの日の夢だった。
まるで理由を忘れないように、何度も何度も教え込まれているようだ。
あの日、雪の上に残った足跡を未だに私は覚えている。忘れてなんかいない。
そんなことをしなくても、その記憶を忘れるわけ、ないのに。
……それでもまだ過去を改変しようと言うのか?と言われているようだ。
人の人生を否定してまで、彼の子の命を否定してまで、自分の願いを叶えるだけの理由はあるのかと。
いや、あの理由があるからこそ、私は過去を目指す、失われたものは何も命だけじゃない。
もう、あの日の彼はいないのだ。
私が見たかった顔も、私を笑わせた声も。
もう、何処にもない。今、残っているのは脱殻、それで良いじゃないか。
あの子の目を思い出すたびに、私は自問自答してしまう。
毎日のようにそんな夢を見る。
今日は悪夢を見ずに済んだことをムシャーナに感謝すべきだろうか。
これだけ悪夢を食べ続けていたら、私より先に精神的に参ってしまいそうだけど。
一体、どうしたら正解なんだろうか。
私はどうしたら、正解が選べるのだろうか。
いくら考えても、私は答えが出せずにいる。
また、目を閉じてれば悪夢を見るような気がしてならない。
◆◆◆◆◆◆◆◆
夢の中にいることに気がつく。
「待って!」
追いかける、私は彼を追いかけている。
どこまで追っても距離は近付かない。
何故かうまく走れない、空回りしているように足が重い。
夢の中でさえ、私は彼と共にいることができない。
──忘れていないのでなくて、囚われているのではないのか?
そうかも知れない。20年前の幻影をいつまでも追っている私は……
私は諦めて、立ち止まった。
どうせ夢の中で追い続けたところで意味はない、ただ、虚しいだけだ。
夢が早く醒めることを祈りながら、私は一人。
早く夢を食べてくれることを祈って待つ。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「どうしたんだ?ユウリ?」
「……何でもないの」
ベッドの横で寝ていたホップが聞いてくる。
何故か私の指には、彼と同じ指輪が嵌っていて、彼の家にいるのだ。
当然のように、彼は立派な博士で、私はチャンピオンや他の仕事もしていて。
何もかも充実していて、子供すらいて。
それが夢だと気が付いた時には、何もかもが虚しくなる。
夢だと気が付かずに、長い時間が過ぎる時がある。
そう言う時は大概、ムシャーナが黒い煙を吐き出して倒れている時だ。
こういう夢を見させられると、耐え難い吐き気に襲われる。
こんな幻想を今の私に見せて、何の意味がある。
叶わない夢を、何もかも成功した世界を私に見させて、どうしろという。
私には手に入らないと言いたいのだろうか。
どうしてこんな夢を。
「ユウリ!?どうしたんだ?」
「……どうせ全部夢なのに、心配したような顔しないでよ。早く夢から醒ましてよ……」
「なにかあったのか!?」
「……今、見ているものが、都合の良い夢だったらどうする?」
「大丈夫だ、そんなことないさ。俺だって何もかも安心してるわけじゃない。一緒にどうにかしていこう」
「……じゃあ、もし、私か子供の命、どっちかを選べって言われたら、どっちを選ぶの?」
「俺は……」
こんなことを聞いて、何になる。
「子供っぽいかも知れないけど、どっちも、守りたいな」
「……は、はは……」
乾いた笑いしか出なかった。
そんなのは無理だ。どちらかなんだよ。
夢の中でもホップらしくて、笑うしかなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
やっと、夢から醒めて解放された。
ちゃんと電気は点いている。
ムンナが倒れている。
「あれ……?」
時計の針は5分も進んでいなかった。
まだ、朝が来るまでは時間がかかりそうだった。
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