彼女に与えられたホテルの部屋に入ると、中は閉め切られて暗く、電気も付いていなかった。
黒い煙を吐いているムシャーナが何匹も転がっている。
「あの……ユウリさん」
「へぅ、なんでございますか、ニオさん」
ユウリは目の焦点が合っていない、それどころか、鼻血の跡がある。
「集中するなと……言われましたよね?」
「して、な……ません……」
ふらふらとしながらそんなことを言う。
「別に…敬語じゃなくてもいいですよ」
「わかりま……わかり……わかった」
以前の様子とはまるで違うが、気付かれたと言うわけではなさそうだ。
そんなものだろう。
俺の素顔は20年前のリーグカードぐらいにしか写されていない。
あれを誰が撮ったのかは未だに分からないが。
彼女は集中すると、一瞬で最適解を選べるほどの思考が出来るらしいが、負荷がかかって血が出る。
にも関わらずそれを繰り返している。
俺はそれを、自傷なのではないかと疑っている。
自殺を止められた以上、身体に傷を負わさずに自傷するには他に方法がない、ということなのではないだろうか。
「今日は……午後に診察があります、それまでは……何もありませんが、何処かへ行きますか?」
「…わ、分かん……あ、写真、見なきゃ……」
随分と古い携帯を取り出して画面を見始める。
「ロトム……映して」
《い、いいロト?やめた方がいいロト、無理しない方が》
「……うるさい、やれ」
《わ、分かったロト、泣いても知らないロト》
ロトムが暗い部屋の壁や天井一面に、写真や動画を表示する。
「ぁ……ぅっ……」
「な、何をしているんですか!?」
鼻から血を垂らして倒れ込む。
受け止めたユウリは、カタカタと震えていた。
「……なに、なにって、見れば……わかる……今が、現実か……そうじゃ……ないか」
「ロトム!今すぐやめるんだ!」
《で、でもユウリが》
「やめるんだ」
《分かったロト》
「ユウリさん、答えてください、いつもこんなことをしてるんですか?」
「こんなこと……?だって、わたしは……覚えてないと……全部……」
虚ろな目でぶつぶつと繰り返すユウリ。
……こんな状態でジムチャレンジに復帰?
いや……事故や彼女の過去に関わっている人間には止められないのか……少なくともこんな様子は外には出していない……
だから委員長はわざわざ俺をこの子に……
これは随分と難しい依頼だな、全く。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「落ち着いてきましたか?」
「……はい」
温めたココアを飲ませ、休ませて暫く、辛うじて会話が成立するようになった。
委員長に向かって毒を吐いていた少女と同一人物には思えない。
「ユウリさん、何があったんですか?」
「……ムンナ……はいないか、そっか。そう言うことか。ニオさん……何か私の知らない話をして」
「……それはどうして?」
「現実か確かめる。また夢だったら、話しても意味ない」
……言う通りにする他ないか。
「では……そうですね……恐竜が実在したというのは……実は嘘です」
「……はい?」
「……化石、というのは……見つけた人間が……その大きさの動物、或いはポケモンがいたのだと考えているだけで……実際は違います」
「でも、現にポケモンはいるんじゃ?」
「……人間が復元して作った人工ポケモンと、人間が発見し……化石の元になったと思われる生物や概念が……いつの間か成り代わってポケモンになっているだけです。なので……本当の姿は誰も知りません」
「じゃあ、化石は何?」
「ただの骨です。生物の骨が成長して、大きくなるのです」
「……なんで?」
「……竜になるためです。骨は時間をかけて周囲から力を吸収し、一つの大きな竜になろうとするのです。……本来はそれを恐ろしい竜、恐竜と呼ぶのです。困ったことに……昔から埋まっていることは……変わらないので……調べるとその時代のものだと分かります……まるで、昔はそう言う生物がいたように見えます……大きくなるのは……時間がかかるので……最近見つかるものが大きいのはそう言う理由です」
「……なるほど?」
「……というのは嘘です」
「えぇ……?」
「全てでは……ありませんが」
「……く、くく、なにそれ……へんなの」
……そんなに面白かったか?
「空想は得意なので……知らない話をして……と言ったのはユウリさんですよ……私の考えた作り話なら……ユウリさんが知っているはずは……ありません」
「ありがとう。これで確かめられた」
「……何故確かめる必要が?」
「寝てる間、勝手に集中してるみたい。だから悪夢が凄く長くなる。夢を見続けてると、現実と夢の区別が段々つかなくなる。定期的に見たくない写真を見て、記憶の確認をしてるの。そうしないと頭がおかしくなりそうだから……さっきのはちょっと限界だっただけ」
ちょっと……?そんな生易しい状態には見えなかったが……
「ムシャーナ達を側に置いておくようになってマシになった方、今は一人だし。あの子達には悪いけど」
「……ではマクロコスモスに用意させます」
「え?」
「……ポケジョブとして集めましょう、そうすれば対価も支払える。無理をさせることもない。まずは30匹ほど用意させましょう」
「そんなこと……できるの?」
「ユウリさん……貴女が齎している利益はそれを遥かに超えているんです」
「利益……?」
「……貴女の参戦以降……願い星は以前の数倍もの数が回収されていると聞いています。それに観戦者も増え……グッズすら売られている」
「……グッズ……?なにそれ」
「……まあ、色々ですね」
……犯人はまた委員長か。
以前、急に金が振り込まれた時は何事かと思ったが、勝手に販売されていた仮面のレプリカの利益だった。
出来が悪いのに腹が立ち、自作品を作って売ろうとした結果、ポケジョブの依頼から制作販売まで俺がやる羽目になった。
委員長の最善に喧嘩を売るとそうなる。
じゃあ、お前がやれとなるのだ。
「……ユウリさん、自分から苦しむことはないんです」
「そんなこと、してない」
また目を合わせなくなった。
「……自分を傷つけなくても、誰も怒ったりしませんよ、ユウリさん」
「私は……」
言葉に詰まり、瞳が揺れる。
動揺が激しいか……まだ聞き出すには早いな。
これは医者の仕事のような気がするが……
「……取り敢えずの対処はこれくらいにします……できれば診察の時は……まあ、自分の好きなように答えて良いですが……みんな貴女を苦しめたいわけではない……と言うことを覚えておいてください」
「……」
俯く彼女が何を思っているのか、俺には知る術がなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「問題なし……か」
"元"の診断書には全くの正常という結果しか記されていない。
……予想はしていたが、そうなるように答えたのだろう。彼女なら造作もないことだ。
だが、後から俺が説明した結果、複数の薬剤が処方されている。
副作用の都合や、自分自身を病人だと思い込ませないよう、慎重に処方する必要があるという。
しかし、彼女にはどうしてもジムチャレンジを続ける理由があるらしい。
それが現実逃避にせよ、妄信にせよ、
今の彼女の支柱はそれしかないように見える。
……止められないわけだ。
だから監視ではなく、"護衛"か。守るのは体だけではなく心とでも言いたいのか、委員長は。
「ニオさん」
「何でしょう」
ベッドに横になったユウリ。
浮かんだムシャーナが天井にすし詰めになっている部屋には、彼らの吐く煙が充満している。
流石に30匹は多過ぎたか……
……いや、大は小を兼ねる。どれくらいが適正なのかも分からない。
「これから、私を起こしたら、私の知らない話をして欲しいの」
薬を飲んだ彼女は幾分か落ち着いたような表情だった。
「……寝る前じゃなくて、起きた後に話すんですね」
「そう、私が知らない話を、毎日して。そうすればちゃんと起きられたって、分かるから」
「……承知しました」
「おやすみ、なさい」
俺のホラ話で自傷を止められるなら、それに越したことはない。
誰も気がつけなかったのだろう。
……いや、気付かせなかったのだろう。
俺にできることはそう多くはないが、他に出来る人間がいないのなら、やるしかない。
生きている人間に、墓守と似た願いをするのは滑稽だが、
──せめて、彼女の安らかな眠りを祈ろう。