ムゲンの果てで、愛を唄う少女ユウリ   作:銀杏鹿

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待たせましたが、過去編です。いつもはジム戦の後に解説として入れているので、今回は先に挿入しました。


42 pinkie

 孤児院の部屋には耳障りな泣き声が響いていた。

 

「…泣くなら最初からするなよ」

 

 泣いている年上の子供の背に、一人座る。

 

 他の子供は怯えて部屋の隅で泣く。

 

 調子に乗って喧嘩を売るから買っただけだった。

 

 歳が上でも動きを見て予想すれば、倒すのはそれほど難しくはない。

 

「……ビート君、またですか?降りなさい」

 

「うるさい」

 

 職員の手を僕は払い除けた。

 

 すぐに平手が振り下ろされた。

 

 その後の小言は耳に入らなかった。

 

 船の帆と渦巻く水の街……とは名ばかりでホテル業とスタジアムで栄える鉱山王のお膝下。

 

 物心ついた頃にはそこの孤児院にいた。

 

 微かに覚えているのは、碌でもない酒浸りの父親と、僕を置いて何処かへ消えた売女の母親。

 

 二人のおかげで、"立派な"孤児院が僕の家だった。

 

 父親は僕に何一つとして与えず、親権すらあっさり放棄して僕を見捨てたが、微かな記憶の中でも唯一、人生について明確なものを示した。

 

 "弱ければ殴られる"

 

 実にシンプルだった。

 

 強さ、それが僕にとっての全てだと、言葉ではなく拳で教えたのだ。

 

 退屈な日々の楽しみ、それは喧嘩に勝つこと、それか夜のスタジアムへ忍びこみ、暗闇から各地のトレーナーの試合を、一人で観戦すること。

 

 眩しいライトに照らされる彼らを見て、いつかトレーナーにみたいに、強くなりたいと願った。

 

「またお前か!出て行け!」

 

 そんな夢を見ては、しょっちゅう警備に追い回されていた。

 

 喧嘩と同じだった、よく見て、手を避けて、予想すれば逃げられる。

 

 いつもと同じようにスタジアムから脱出した時、それは目の前に現れた。

 

「──!!」

 

 重々しい鳴き声。

 

 行く手を阻んだのは大きな象のポケモン。

 

 それも他所の地方の。

 

 見た目通りに鈍重な動きで僕を捕まえようとするその長い鼻を、フェイントを入れ、躱して逃げる。

 

 なんてことないと、そう思ったのに。

 

「ほう?これはなかなか」

 

 通り抜けたはずが、スーツ姿の男に捕まっていた。

 

「君、トレーナーになる気はありませんか?」

 

 突然、名刺を渡してきた。

 

 それがローズ委員長との出会いだった。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 男は僕に、金の腕時計とミブリムを与えた。

 

 見上げるだけ、いつも橋の向こうに消えていくだけだった船に乗り、僕は渦巻く水の中から抜けだした。

 

 辿り着いたのは、あの街と似ているようで違うガラル地方。

 

 委員長のおかげで僕は初めて自分の部屋を手に入れ、トレーナースクールにまで通えるようになった。

 

 今まで僕を一人にしか、しなかった"強さ"は、初めて僕の生活をいい方向に変えた。

 

 最優秀生徒はローズ委員長の推薦状を貰える、この地方のジムチャレンジに参加できるという。

 

 それは、まさに僕の願いそのもの。

 

 スクールでも僕は負けず、ポケモンバトルにのめり込んだ。

 

 勉強も、バトルも僕にとっては難しいものではなく、何もかもが順調。

 

 おかげで、僕は願い星を与えられ、そして推薦状を得た。

 

 右腕には彼との繋がりである金の腕時計が変わらず光っていた。

 

 ガラルへ渡航して以降、一度も会うことはなかったが、認められたのには間違いなかった。

 

 後はチャレンジを勝ち抜き、チャンピオンになればいい。

 

 彼の秘書から、僕だけに特別な使命も与えられた。

 

 誰よりも強く、強くあれば。

 

 強くさえあれば、奪われずに済む、言いたいことが言える、やりたいことができる、追い出されることもなく、閉じ込められることもない、一人にならずに済む。

 

 弱ければ、何も得られない。

 

 だから、気に食わなかった。

 

 弱いクセに誰もが期待し、何もかも持っているような奴が。

 

 僕になかったものを、当たり前のように持っているエリートが気に食わなかった。

 

 そいつはどんな努力をしても絶対に覆せないものを持っていた。

 

 チャンピオンとの血縁、家族というもの。

 

 あの無敗の彼が、今まで書かなかった推薦状を持っていた。

 

 委員長の推薦よりも、もっと希少な存在。

 

 それらは、僕には覆しようのない優位性。

 

 しかも、チャンピオンの推薦状を持つ者はもう一人いた。

 

 鉱山で勝負を仕掛けたその少女は、何処かで見たような目をしていた。

 

 何か理由が明確なわけでもなく、誘われてやっているような、そんなぼやけたような顔をしていた。

 

 他のトレーナーのような、必死さがまるでなかった。

 

 だから、トレーナーと同じように、願い星を奪い、チャンピオンの推薦が間違いだと証明しようとした。

 

「願い星を持つトレーナーは、僕が痛めつけるからね!」

 

「……なんで?」

 

 キョトンとした顔で聞いてくる。

 

「僕は願い星を集めて──」

 

「わかった。私の願い星は──絶対に渡さないから」

 

 相手の目の色が変わった。

 

 そこからは何が起きているのか、何も理解できなかった。

 

 全ての手が読まれていた。

 

 あっという間に手持ちが倒された。

 

 なす術も何もなかった。

 

「……驚いた、少しはやるようですね」

 

 ポケモン達のせいにしないように、自分に言い聞かせるのが精々だった。

 

 僕は、負けてしまった。

 

 委員長からの推薦は、誰よりも認められている証明ではなくなった。

 

 まぐれだと思っていた。

 

 ジムチャレンジの試合にも負けなかった、他のトレーナーにも。だから、そうとしか思えなかった。

 

 二つ目のジムがあるバウタウンに到着した時、委員長が来ていることを知った。

 

 僕は確かめたかった、選ばれた人間なんだと、それだけの価値がある、強い存在なのだと。

 

 僕を推薦してくれた彼なら、それを肯定してくれるはずだと思って、走った。

 

「えーっと、君は確か……」

 

 期待は裏切られた。

 

「ビートです」

 

 彼は、僕のことを覚えてすらいなかった。

 

「そう、ビート君だ!昔ポケモンをあげた時からすると、随分と立派になりましたね。ジムチャレンジに勝ち残るのは君か……チャンピオンが推薦したトレーナーだろうね」

 

 見ているのは、あのトレーナー。

 

 ユウリだった。

 

 彼は誰にでもリーグカードを渡すように、僕へ与えただけに過ぎなかった。

 

 海の匂いは、あの街と同じだった。

 

 渦巻く水の中から、僕は一歩も出ていなかった。

 

 ミブリムは僕が孤独だから、金の時計は貧民だから与えられたに過ぎなかったのだろう。

 

 弱い奴を叩きのめしても、無意味だった。

 

 ナックルシティで会ったときも、委員長は聞き流すような反応しかしなかった。

 

 ユウリには全く敵わなかった。

 

 戦いを挑んでも、あっさりといなされて負ける。初めて感じる屈辱だった。

 

 僕に残された特別なものは、使命だけ。

 

 それを果たせなければ、ただの無力な子供でしかない。

 

 だから、何としてでも願い星を集める必要があった。

 

 でも、それすら失敗に終わった。

 

 "今からでも願い星を集め、委員長に気に入られたい"

 

 あれは、自分自身の願いを口にしていただけだった。

 

「君のような選手は、ジムチャレンジに相応しくない!」

 

 委員長の言葉で、僕のジムチャレンジは終わった。

 

 また、僕は見捨てられた。

 

 ユウリに負けなければ、こんなことにはならなかった。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ダイマックスバンドも、集めた願い星も剥奪され、チャレンジャーでもなくなった。

 

 それでも、諦めきれなかった。

 

 全く僕のことを見ていないと分かっても、僕はまだ、委員長を尊敬していた。

 

「もう一度、ジムチャレンジできるように頼みますから!」

 

 ユウリに、僕を何度も打ち負かした相手にそう、宣言したとき。

 

 "それ"がやってきた。

 

「そうでなければ人間の幅は出てこないよ!よし!ジムミッションだよ!」

 

 突然、バァさんが目の前に迫ってきた。

 

 ホラー映画のワンシーンに見えた。

 

「ピンク!」

 

「ピンク!!」

 

「ピンク!!!」

 

「おめでとう!」

 

 ジムリーダーのポプラさんだった。

 

「いきなり、何を、なさるんです?」

 

「見捨てられて、困ってるんだろ」

 

 彼女は、僕の状況を知っているようだった。

 

「私についてきな、なんとかしてやらんこともないよ、勿論、あんたの頑張り次第だけどね」

 

 試すような物言いに、僕は乗った。

 

 その日から、真の意味で僕の戦いが始まった。

 

 何もかも初めてだった。彼女は、あらゆる規範を僕に見せた。

 

 朝起きて、彼女と自分の食事を作ることから始まり、生活の規律を叩き込まれた。

 

「……不味い。オムレツぐらい作れるようになりな」

 

 初日から呆れられた。

 

 僕の作った得体の知れないモノを口にした彼女は、すぐに席を立ってどこかへ行った。

 

 こんなことで敗北感を味わうとは思わなかった。

 

 料理なんてしたことなかった。ボロボロのオムレツの皮が包んでいたのは具材ではなく、無力な僕だった。

 

 出来損ないの卵料理は、誰にも認められない僕そのものに見えた。

 

「ほら、こういうのをオムレツって言うのさ」

 

 座ったまま、呆然としていた僕の前に、チーズの溶けた美味しそうなオムレツが現れた。

 

 すごく美味しかった。

 

 誰かの作った料理をこんなに美味しく思うなんて、初めてだった。

 

「泣くほど美味かったかい?私も随分と料理が上手くなったものだね」

 

 彼女が座長を務める劇団の練習に参加させられ、姿勢から指先の動き一つに至るまで指導された。

 

「違う、そうじゃない、頭のてっぺんから、足の先までピンクを意識しな、あんたは物事を雑に扱い過ぎる」

 

 演技指導はあらゆる面に及んだ。

 

 所作だけでなく、心の持ち用すら。

 

「私達はいつでも、人生の舞台に立っている。胸を張りな、視線を意識して。自分をどう見せるか、常に考え、表現する。私達は役者で、ピンクなのさ」

 

 そう言って手本を見せるその動きは、とても老人とは思えなかった。

 

 何故か、とても若々しく、美しく輝いているように思えた。

 

 それに倣った僕は、おかげで無意識に役者のような動きをするようになってしまった。

 

 慣れないフェアリータイプのポケモンの勉強や、世話、そして課題をこなし、トレーニングに明け暮れた。

 

「能力の操作はそう難しいことじゃない。フェアリータイプを、ピンクを心から理解すれば、自由自在になる」

 

 クイズの馬鹿げた問答は、相手の本質を見るためのテクニックだった。

 

 能力の操作とドーピングの違いは正直よく分からなかったが、相手を見る観察眼は鍛えられた。

 

「あんたは自分を強く思うために、相手を下げたがる。でも、相手を見下していては、本質は見えない。それじゃあ、ピンクじゃない」

 

 これまで強さ、弱さでしか判断していなかった僕に足りない目線だった。

 

 食事を共にし、誰かからものを教わり、仕事をする。

 

 何もかもが初めてだった、変な話だ、生まれて初めて、生きた心地がしていたなんて。

 

 ある日、鏡を見た時。自分の顔がまるで違って見えた。

 

 それが何だかおかしくなって、思わず笑ってしまった。

 

 その時、やっと気がついた。

 

 いつか、ユウリの目を見た時に、見覚えがあったのは、昔の自分と同じ目をしていたからだった。

 

 彼女は、多分、孤独なのだ。

 

 なおさら、負けるわけにはいかなくなった。

 

 昔の自分に勝ち、自分の価値を認めさせるためには、ユウリに勝たないとならない。

 

 バトルで勝つだけじゃなく、心でも。

 

──このアラベスクジムで教えを受けた者として。

 

 そう心に誓った時、願い星は落ちてきた。

 

 与えられたものでも、奪い取ったものでもない、僕自身の願い星が。

 

「どうやら、合格らしいね。これなら、明日のファイナルトーナメントには間に合うだろう」

 

「明日!?ジムを巡る時間なんて──」

 

「そんなの、あんたに関係あるのかい?あんたはもう、ジムチャレンジャーじゃない。アラベスクジムのジムリーダーだろう?」

 

 彼女はそう言って微笑み、自分のポケモンの入ったボールを差し出した。

 

「──っ」

 

 僕は言葉が出なかった。

 

 受け取ったボールと、願い星がなによりも輝いて見えた。

 

 そして翌日。

 

「待ちなよ!」

 

 満員のスタジアムに僕は乱入した。

 

 何もかもがめちゃくちゃだ、そんなのは分かりきってる。ジムリーダーだって、正式に認められたわけじゃない。

 

「選手生命をかけて、勝負をさせてください!負けたらトレーナー引退です!」

 

 ユウリは、変わらずあの日と同じ目をしていた、むしろ悪化したような顔だった。

 

「……何しに来たの」

 

「言わないわけには……動かないわけにはいかないんだ!貴女のせいでメチャクチャなんだ!オリーヴさんに頼まれて、ローズ委員長のために願い星を集めていたのに、委員長には見捨てられるし、訳の分からないバアさんにフェアリータイプについて朝晩叩き込まれるし!」

 

「え……うん」

「わかりますか?ピンク色に囲まれて、フェアリータイプのポケモンで、クイズと勝負の毎日!あぁ!!こんなに暑苦しく思いを語るなんて僕のキャラじゃあ、ないのに!」

 

「はは、そうかもね」

 

「……その目、僕には全く興味のない目。その考えが間違いだったと、思い知らせてあげます!」

 

 そして、チャンピオンに乱入は認められ、僕はユウリへ挑戦することになった。

 

 教わったもの、そして自分の力を全て出し切った。

 勝負の最中は、余計な声や音は何も聞こえなかった。

 

 まるで、無音の世界だった。

 

 進化したブリムオンは、フェアリータイプを併せ持ち、そしてキョダイマックスできる特別なポケモンだった。

 

 あのユウリ相手に、善戦した。

 

 全く手も足も出なかったユウリに一矢報いた。

 

 結果から言えば、敗北。

 悔しかった。だけど僕は満足していた。

 

 言いたいことも、やりたいことも出来た。

 あの日憧れた、光の中に立つことができた。

 

 これで、全てに決着をつけることができた。

 

 与えられた時計じゃなく、自分のダイマックスバンドが輝いていた。

 

 僕は強くなれたのだ。

 

 後は、ポプラさんに謝って、ジムを去るだけだった。

 

 だったのに。

 

「おい!ビート選手!悪くない試合だったぞ!引退したら、もう一度デビューしろ!」

 

 そんな観客の声が聞こえた。

 

 一人だけじゃない、何十、何百、何千人もの観客が僕の健闘を称えて、歓声を上げていた。

 

 僕はその中に立っていた。

 

 他者を黙らせるブリムオンは、多分、僕を否定するあらゆる声を黙らせたのだ。

 

 やっと、僕は誰かに認められ、そして自分を認めることができた。

 

「やっぱり貴女は迷惑だ!皆に認められたら、フェアリータイプのジムリーダーを続けないといけない!」

 

「……なんで…負けたのに、笑ってるの?」

 

 ユウリはひたすら困惑していた。

 

 いつも何も気にしていないような顔をしている彼女に、そんな表情をさせただけで、勝ったようなものだ。

 

「貴女には分からないでしょうね!まあ、僕の才能でしたら、ポプラさんなんか、あっ!という間に超えますから!」

 

 僕は彼女の友達でも、幼馴染でも、お隣さんでもない。

 

 だけど、彼女は僕にとって間違いなく特別な相手になった。

 

 ユウリに負けなければ、こんなことにはならなかったのだから。

 

 だから今度は、彼女の目を変えてやろうと思った。

 

 その感情を何と呼ぶのか、僕はまだ知らなかった。

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