ブラッシータウンに着くと、もう夜だった。
田舎らしく人気もなく、辺りは閑散として、研究所の前は静かなものだった。
「アーゴヨンを返してくれるって本当?」
「……ユウリが進むことを決めたら返そうと決めていたんだ」
ホップはボールを構え、そう言った。
委員長の報告のせいで、私はもう殆ど会えないものと思っていた。
私にとっては生きる理由で、置いていかないと決めた相手で、私を待っていた存在。
これで、ちゃんと一緒にいられる。
「…俺が良いって言うまで、動くんじゃないぞ」
でも、彼の顔は私たちの再会を喜ばしく思っていないように見えた。
「──」
外へ出されたアーゴヨンは何も言わず、私を見る。
「久しぶり、元気だった?」
思わず、手を近づけて、
「ユウリ、ダメだ!動くんじゃッ──」
「──!」
頬を、鋭い何かが掠めた。
「……え」
たらりと生暖かいものが切り傷から流れて、拭き取ると、それは赤い液体で。
アーゴヨンの針の先が赤く染まって。
「なん……で」
痛みはすぐに引いて、再生した。
「ゆ、ユウリ!?いや、戻れアー」
「……いやだ」
私はボールをひったくり、片手を広げて近付く。
「離れるんだユウリ!」
「大丈夫だから、おいで──」
一瞬だった。
アーゴヨンの針が私のお腹に刺さっていた。
杖が転がって、カランと鳴った。
足元に赤い水溜り、私の体に流れ込む毒液。
「ユウリ!」
「っふ……寂し……かったかな……?」
口の中から血が漏れ出る。
立っていられず倒れ込むと、針が肉を裂いた。多分、貫通した。
「あっ……うっ…」
私は構わずアーゴヨンの胴体を抱きしめて撫でた。
「──!?」
アーゴヨンは困惑していた。酷く怖がっているようだった。
「アーゴヨンは……ユウリへエネルギーを移したせいで……代償に記憶を……早く戻すんだ……」
「……忘れられたのか……私のこと守ったのに、誰かも分かんなくなっちゃったんだね」
それじゃあ、もう私は本当に一人か。
私の生きる意味だったのに、私を待ってくれてもいなかったのか。
ビートとのバトルで会ったポケモン達からは、まるで実感が湧かなかった。
自分が忘れられてるって言われても、何とも思わなかった。
やっと分かった。期待したものが裏切られると、こんな気分なんだと。
相手をどれだけ思っていても、それが全く通じない時、関係が全て消えて無くなったような、自分だけの錯覚だったような。
こうして刺されて、幻想を断ち切られるまで、私は忘れられた者の気持ちを理解できてなかった。
シャクヤも、クララさんも、多分、笑っていたヨロイ島の人達も。
「ごめんね……一人にして」
「──」
胴体を撫で続けるとアーゴヨンは落ち着いて、針を引き抜き、跪くように地に降りて頭を垂れた。
その頭を撫でる。
「大丈夫、大丈夫だから」
アーゴヨンはただ、静かにされるままにしているだけだった。
ボールに戻すと、お腹に空いた空洞に夜風が通り抜ける。
すごく寒い気がするのは、血が一気に無くなったからだろうか。
「ねぇ見て、ホップ。これでも私、生きてなきゃ……行けないんだね」
肉同士が繋がって、再生し始める。
「そんな顔して、どうしたの?」
「は、はやく治療を……」
ホップの顔は血の気が引いていた。
「もう治るから」
空洞が埋められて再生し、臍から毒液が絞り出されるように垂れ流された。
「垂れてきちゃった、服も濡れちゃったし、着替えないと……先にお風呂かな」
ホップの袖を掴む。
「…これを」
肩にかけられた白衣は洗剤なのか、香水なのか、ソニアさんと同じ香り。
「そう、じゃないんだけどな」
傷が塞がっても、私の体には夜風が通り抜けていた。
どこにも繋がってない。
空洞だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
明滅する光、液体が流れる音。
少女が眠る部屋の外、ガラスの向こうで男達が口論していた。
「博士、延命を中断するというのは。本当ですか?」
「ああ……俺たちは……あの子を生かし続けるべきじゃない……ちゃんと諦めるべきなんだ、俺は……間違っていた」
「我々にはまだ時間があるはずです!」
「仮に、彼女が目覚めたとして、どうするんだ……あの子の時間は戻らない、母親もいない。あの子は全てから切り離されるんだぞ……なら、静かに終わらせてやる方が……」
「ですが!」
「あいつは研究のためのモルモットじゃないんだ」
「分かっているんですか博士!今まで何のために研究を続けてきたと……これが世に出れば……貴方は誰よりも……なのに!」
「世に出す?巫山戯るな!何のためにこうしていると思ってるんだ!本当にこの子がモルモットになってしまう!」
「博士、貴方こそ彼女を特別視し過ぎています!彼女は生理機能があるだけで、もう生きてはいないのです!現実を見てください!」
「死んだようなものだから、道具のように扱えというのか?あの子の尊厳を」
「親がいないのを良い事に、今まで生かし続けたのは貴方だ!博士!」
「そうだ、だからこそ終止符を打つ!彼女にしてやれることで、これは俺にしか出来ない唯一のことだ!」
白衣を着た……博士と呼ばれた男が入り、機械を操作した。
明滅する光が消え、生命維持装置が止まった。
「……俺は、きちんと諦めるべきだった。もう、いいんだ……」
男は泣いていた。
少女の体は動かなかった。
「おやすみ、ユウリ──」
天井が吹き飛ばされた。
「なっ──」
白だった部屋の天井が、黒い空と星に変わった。
その中心にいたのは、紫色の異形の竜。
「ムゲンダイナ!?何故その姿──」
男は弾き飛ばされた。
◆◆◆◆◆◆◆◆
喧嘩をしたような気がする、理由は覚えていない。ただ、何故か母親と会うことはないだろうと考えていた。
寝室には鍵がかかっていて、夕食はたべれなかった。何か、大事な用事があったような気がしたけれど、思い出せなかった。
ベッドから起きようと思っても動けなかった。
誰かの声がした。私におやすみと言っていた。
だから眠ることにした。
けれど、私の部屋の壁が倒れて砂浜が見え、空を飛ぶ大きな竜骨の船が、私をベッドごと空に引き摺っていった。
幾つもの大きな光を飲み込んだ船は、街や山を砕きながら、どんどん進んでいった。
ベッドに乗った私は、とても長い間後悔していた、ずっと長い間後悔すると、大きなポケモン達がいるところについた。
ポケモン達は船と一緒に行進を始めた。
行く先のものを手当たり次第に踏み潰して、何もかも壊して、次々に行列は長く、波のように広がっていった。
狭い島から出て、海を渡って、大きな陸に着いて、どんどん先へ行進していった。
誰かの声が聞こえた。
「おねがい、いかないで。ひとりにしないで、おねがいだから、たすけて」
誰かはずっと泣いていた。私には何も出来なかった。
「もう、いい、やめて」
やっと声が出た頃には、何もかもなくなっていた。
巨大なポケモン達は疲れ果てて、煙になって消えてしまった。
残ったのは、空っぽになった土地だけだった。
他の誰かを探して、船は空を見上げた。
私たちを見ていたのは星だけだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
目を開けると、天井にはムシャーナ。
まだ、夜は明けていないらしい。
「何……今の」
頭痛と鼻血。いつも通りの目覚め。
近くに脱ぎ捨てられた服は大きな穴が空いている。
「……そこまで夢だったら良かったのに」
三日月の羽を持って眠る気にはなれなかった。
効果がなかったらと思うと、怖くて使えなかった。
お陰でムゲンダイナがダイマックスしたポケモンを率いて、全てを破壊する夢なんかを見たわけだけれど、あれが私の願望なんだろうか。
そんなわけないとも言い切れないのが恐ろしい。……やろうと思えば不可能でもないのが、本当に。
それとも、ホップが私のことを諦めてしまったら、ああなっていたという予測を私自身が突きつけているんだろうか。
「ひとりにしないで、ね。誰の声なんだか。私にしては随分素直なこと言うもんだね……全く」
泣き喚いたところで、もうとっくに一人だって言うのに、何を今更。
「うっ……くっ……う」
お腹の空洞が痛むだけ、寂しいわけじゃない。
涙なんて、流れていない。