地が揺れ、鳴る。
巨大な竜の歩み一つだけで地表はめくれ、反動で石礫が浮き上がる。
その巨影を閉じ込める壁や囲いは、何一つとしてない。
私を掴んだオノノクスが、私の中にある何かを吸収しているような感覚がある。
「エネルギーを求めて……ね。私がいる限りこいつらはどこにでも湧いてくるわけだ、笑える冗談だね」
「──!!」
私から得た力で身に纏う赤い光を増したオノノクスが咆哮する。
ポケモンの巣穴でもないのに、嵐のようなものが吹き荒れ、赤黒く空が曇る。
掴まれてかなり高い位置にいるせいか、吹く風がとても強い。
とても気分の良い天気ではないし、身動きも取れない。
なのに。
私は自由を感じていた。
スタジアムじゃあ、絶対に見れない。
アーマーガアに乗って飛ぶのとは違う。
風に全く揺らぎもしない。
私が巨大になったような錯覚があった。
大人になれない私が、大きくなりたいなんて、馬鹿で間抜けな話だけれど。
「でもこれじゃあ、ただの大きな子供か」
「キョダイマックスです、カイリキー!」
視界は遮られた。
大きな人の形をしたそれが、街と私達の間に壁のように立ち塞がった。
巨大な四本腕。一対の腕は腰に当てられ、残りの腕は前で威圧するように組まれていた。
その組んだ腕の上に。
「筋肉を教えてあげしょう!」
馬鹿げた大人が腕を組んで仁王立ちしていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆
本当は分かってる、どう足掻いたって、私の願いは叶いっこない。
過去に戻ろうとしても。
全部壊そうとしても。
私の望みは一つも叶わない。
「……なんでそこにいるんだよ」
「ここに筋肉があるからです」
ムゲンダイナも私を忘れた、ポケモンのダイマックスは暴走してる。
誰も彼も私を置いて先に進んだ。
続けたくない。先になんて進みたくもない。
現実を突きつけられて、諦めさせられて生きるくらいなら──
「カイリキー!キョダイシンゲキです!」
容赦なく技を指示するサイトウ。
赤黒い光を纏った拳がオノノクスに放たれ、凄まじい衝撃が襲う。
「っ──あのぉ!私が!捕まってるんですけど!」
「ポケモンの攻撃くらい生身で耐えられないと、筋肉の加護は得られま──」
オノノクスが私を掴んだまま、ドラゴンクローでカイリキーに反撃する。
「何が筋肉だ!面白いと思ってんのか!パンクだのピンクだのメタルだの!アイデンティティってそんな馬鹿みたいなもんじゃないでしょ!誰だよお前ら!そんなんじゃなかっただろ!」
カイリキーの四本の腕が暴れるオノノクスを抑えつける。
「物事を難しくしているのは貴女自身です」
腕から肩に移動したサイトウは腕を組んで言う。
「なんなんだよ筋肉って……」
「考えず、感じるのです」
「説教臭いんだよ……どいつもこいつも!」
「大人しかできませんからね」
「勝手に大人になった癖に!」
「……勝手に死んでたのそっちです」
「よくもそんな言葉が!」
「私は……どれだけ努力しても勝てなくなりました。あの道場に行っても、どれだけ鍛錬しても」
「だからジムリーダーじゃないって?」
「絶対に勝てないのです、分かりますか?何をしても……勝ちたかった、勝てなくなった」
「でも私にはそんな話、関係ない!」
「貴女の話です……貴女の」
「何が!」
「貴女に勝ちたかった。ですが貴女はとっくに死んでしまっていた……戦っても、鍛錬しても、何をしたとしても……私は見失いました、私だけではありません、それ以降のリーグは、ユウリさんが出ていれば、なんて言葉ばかりでした」
「好きで寝てたわけじゃない!」
「目標だったダンデさんはリーグから去り、彼を倒したユウリさんすら、いなくなった。私は空洞になってしまいました。戦っても、戦っても、頭から離れないのです。選出、戦術、読み、育成、何をとっても貴女は天才的だった、あの日の貴女が。でも、いなかった。もうどこにも。話したかったことも、一緒にやりたかったことも、何もかも残ったまま。……ですが、そんな迷える私に道を与えたのです」
「……誰が」
「筋肉が」
マスタードさんとかじゃないのかよ。
「筋肉は応えてくれます。裏切りません。勝手に死んだりしません。ずっと一緒に戦ってくれます。信じれば救われるのです。筋肉を信じて、鍛え続ければ報われる、こうして、ユウリさんも生き返った。この世の全ては筋肉が解決してくれるのです」
ずっと、違和感があった。
冗談で言っているのかと思っていた。
クララさんのメタルとか、ビートのピンクとか、あれは理想の形だ。
だけど、サイトウさんが筋肉について語っている時は、違う。
「……筋肉は神さまなんかじゃ、ありませんよ、サイトウさん」
「当たり前でしょう?神が我々に与えた筋肉は実在します。だからこそ万能なのです。確かな信仰です。貴女も筋肉を感じましょう、世界と繋がるのです、筋肉、筋肉こそ救いなのです。あらゆる苦難に、筋肉によって立ち向かうのです」
その目には一点の曇りもない、なさ過ぎた。
一度壊れてしまったものを元に戻すのは困難、そう言った老人の顔が思い浮かぶ。
破壊と再生、たしかに筋肉はそれで成長するかも知れない。
けれど、骨はそう言うわけにもいかない。
折れて曲がったまま再生すれば、二度と元には戻れない。
サイトウさんは筋肉じゃない。
私が折ったんだ、彼女を。
私が壊してしまった人が、破壊を恐れるな、なんて、とんでもない皮肉じゃないか。
ニオさんが庇ったのは、なにもビートみたいなことになるからじゃない。
「本当に"脳みそが筋肉に"なってしまったんですね」
「なったとか、なるとかじゃあ、ありません。なってるものです、さあ筋肉で解決しましょう」
「……何も解決しないよ、私は」
もう、以前のようには戻らない、私の知っているサイトウさんは、私が殺してしまったのだ。
「筋肉が付けば体型が変わり、体型が変われば意識も変わり、意識が変われば世界が変わるのです、バットを振る前から、変わらないと言わないで下さい、先ずはやりましょう」
「……自己啓発でどうにかなるなら最初から解決してるよ」
「捻くれていても、筋肉は助けてくれません。素直に鍛え始めればいいのです」
「……私に勝ったことなんて一度もないでしょ、もういいよ、どいてよ、じゃないと全部巻き込んで壊すよ」
「やる人は宣言しません。筋トレする、じゃあありませんよ、筋トレした、です。実行すると心の中で決めたのなら、もうすでに行動は終わっていなければならない」
「やめて、もう聞きたくない、見たくない、私のせいでおかしくなった今なんて、もう嫌、オノノクス!」
「トレーニングの続きと行きましょうか!カイリキー!」
「──"りゅうせいぐん"」
「──キョダイシンゲキ!」
私達の頭上に光るのは隕石。
カイリキーの赤い拳などオノノクスはものともしない。
「もういい!消えて、全部消えて!」
「筋肉はこれを鍛え、律するために与えられた」
サイトウはカイリキーの肩から飛び出し──
「これによって正義を推し進め、人の子らに与えたもうた地を従えた」
腕の上を走り──
「そして今ッ!」
オノノクスの体の上にまで来るサイトウ。
「筋肉はユウリさんを助けたッ!」
彼女は跳躍して頭上にあったカイリキーの腕を足場に弾丸じみた急降下──
「これが筋肉だぁぁぁ!!」
そして、私を掴んでいるオノノクスの前足を蹴飛ばした。
「っ!?」
オノノクスの力が緩み、解放された私の体は落下し始める。
「さあ、貴女も筋肉になりま──ぶべっ」
手を伸ばしたサイトウ、しかしオノノクスに弾かれる。
「そのバットを振るんです!振ってみれば分かります!筋肉さえ信じれば──」
飛ばされていく彼女は、まだそんなことを言い続けていた。
「サイトウさん!オノノクス、止まれ──」
オノノクスは言うことを聞かない。当たり前だ、私のポケモンじゃない。
都合良く止まってくれるわけがない。
命令を聞いたように見えたのは、オノノクスがそうしたかっただけだ。
「……そりゃ、そうだよね」
……エンジンシティのジムリーダーだっている、最初から何もかも壊すなんて出来やしない。
私は駄々をこねて地団駄を踏んでいるだけ。
何人も巻き込んで、犠牲を強いて、挙句ダイマックスを暴走させて。
こうして隕石を降らせている。
偉そうなことを言っておいて、私は許容出来ないんだ。
このまま落ちて粉々になれば、私は自由になれるかもしれない。
再生できないほどバラバラになって、踏み潰されれば。
心中するのが嫌ならポケモンもボールから勝手に出て行くはず。
目を閉じて、落ちる感覚に身を委ねる。
悪いけど理由、見つけられなかった。
全部壊せないなら、私が消えれば同じだ。
悪夢はそれで覚めるだろう、きっと。
憂鬱なこの世界ごと、私を踏み潰してくれれば。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「──ユウリ!」
風が吹いた。
何かが私を抱き抱えているらしい。
目を開けると私達を乗せていたのは、ドラパルトだった。
「間に合ったか」
ニオさんがいた、私を抱えていた。
「……何故バットを?」
「……サイトウさんが振ってみれば分かるってさ。立ってられないのに、振れるわけ、ないよ」
「……相変わらず分からない人ですね」
「こっちの方が分からないよ……私のことなんて放って置いてよ……」
「……仕事、ですから。身を守るのが」
「要らない時は間に合うんだ……そんな仕事辞めれば良いのに」
「次も必ず、間に合います──ドラパルト!ドラゴンアロー!」
カイリキーとオノノクスは双方ともに爆散した。
それなりに消耗していたらしい。
さらに強い風が吹き付けたけれど、私はしっかりと抱えられていた。
「なんで、カイリキーまで?」
「苦手なんですよ、ああいうのは」
爆風で舞い上がったドラパルトは、まだ上空に光っている隕石の群れを睨む。
「ドラパルト!流星群で撃ち落とせ!」
オノノクスの隕石よりも速いそれが、私の"りゅうせいぐん"を砕いていく。
その砕かれた残骸すら、ドラメシヤ達が破壊していった。
「……私には本当に何もできないんだ」
「出来るようになりますよ、いずれ」
「いずれって、いつ?私は歩けもしない。バットだって振れない、守られてるだけの子供でしかないのに、壊してばかり……」
「…子供が子供で何が悪い…んですか」
「私は……私は本当は大人になってる筈なんだよ…そうじゃないと、早く大人にならないと」
「…なろうと思って、なれるものでも……ありません」
「知らないから、そんなこと言えるんだよ」
「私は……俺は知らないから、知らないからこう言える。子供は…子供らしくいても良いんだ。今できないことも、いつか出来るようになる、それでいいんだ」
「……こんなに嫌なことばかりでも?」
「嫌なことは記憶に残りやすい。楽しいことや嬉しいことは一瞬で過ぎてしまうだけだ」
「なれるの、本当に?」
「……少なくとも俺はなれたと思っている……まだ子供かも知れないが」
「なにそれ、全然アテにならない」
「大人の言ったことが分かるのは、大人になってからだ、多分な」
そう言っている間に、薄暗かった空は晴れていった。
「……晴れなくて、良かったのに」