観客のいないスタジアムには声援はない。
照明だけが冷ややかに私を見ている。
「どうしてここに?」
男の声。
「さぁ、迷ったのかもしれません」
振り返らず、呟くように答える。
「奇遇だ、俺もそうなんだ」
声の主は笑う。
「……思えば、貴方と私は似ているかも知れませんね、ダンデさん」
かつての10年無敗の王者と、未だ負けたことのない私。
「そうかも知れないな」
私の目には遠い照明しか見えなかった。
どうしてか、振り向く気が起きなかった。
向かい合えば、焼かれてしまいそうだった。
「……あの」
何となく、思うことがある。
いくら強かったとしても、10年間全く負けずにいられるのだろうかと。
それこそ、私と同じように"相手のすることがわかる"のではないかと。
「ダンデさん、話、聞いてくれませんか?」
「バトルの話か!」
「え、あ、まあ」
「バトルの話じゃないのか!?」
「……バトルの話でもいいですけど……その、ダンデさんは、バトルして楽しいですか?」
「ああ、今も昔も!」
「本当に…変わりませんね」
「君もそうじゃないのか?参加するために会長まで引っ張り出したんだろう?」
「会長が私を利用しているとは思わないんですね」
「本当に嫌なら、戦ったりしないだろ」
「じゃあ、ダンデさんは嫌になったこと、ないんですか?なんで続けられるんですか?」
「……そういう意味じゃ、俺は君に感謝しなきゃいけないかもな」
「感謝?」
「負けて悔しい気持ち、久しぶりだった。それに色んな意味で楽にもなった。お陰で今もこうして続けている」
「負けて楽になることなんてあるんですか?」
「無敗のチャンピオンは大変だぜ?」
「貴方にもそういう感じの、あったんですね」
「俺をなんだと思ってたんだ?」
「……世界の主人公?」
「誰だって自分の物語じゃ、主人公だろ」
「なんか薄っぺらく聞こえてしまいます」
「はは、そういうお年頃かな?」
「そういう貴方は歳をとりましたね」
「そうさ、俺はいくつになっても続けていく、俺は俺より強いやつと戦っていく」
「まずはマリィに勝ってからですね」
「耳が痛いな」
「貴方ほどのトレーナーに勝つなんてマリィも強くなったんですね」
「今の俺はもう、ガラル最強の男じゃないからな」
そう笑う彼の声。無敗のチャンピオンではなくなった彼も、彼であることは変わらないらしい。
負けても折れず、何度でも立って戦い続けること。
それは勝ち続けて痛みを知らないより、遥かに眩しく思える。
やっぱり彼らは兄弟なんだと実感する。
「負けたら、本当に楽になるんですか?」
「かもしれないな、でも勝負から逃げたり、わざと負けたりしたら楽しくないだろ?」
「でも、私は……いま、ちっとも楽しくない……です。戦えば……より状況は悪くなるのに……辞めたら……」
「楽しくないなら、辞めてもいいんだぜ?チャンピオンと違って仕事じゃないしな」
「でも、やめたら、戻れないんです。身勝手でも、嫌なことでも、続ければ楽しかった頃に戻れる筈なんです」
「嫌なことを続けても、楽しくはならないぜ」
「なんで、分かるんですか?そんなこと言うんですか?」
「俺だって、前は委員長の計画に協力してたんだ。だから、何も知らされてなくたって、何となくどう言うことなのかは分かる」
「……」
「前に委員長を連れてきた君は、嫌そうじゃなかった。むしろあの人を使ってるようだった。だから心配はしてなかった。でも、今は違うんだろ?」
「私は……」
返す言葉がない。
脇目も振らず走るにはもう、私は多くのことを知り過ぎているように思える。
「……どうしたら迷子にならないと思いますか?」
「どんなに迷っても、最後には必ず行きたい場所に辿り着けるさ」
「迷わないのは無理ってことですか?」
「知らない道があったら行ってみたくなるし、まっすぐ歩いているつもりでも、実は回り道だったりする。リザードンに案内されても、地図を見ても迷子になってたからな」
「……頼りになりませんね」
「舗装された道をずっと歩くだけじゃないんだ。迷いもするさ。色んな道を歩いて、行き止まりにぶつかって、また引き返して、迷って、そういうものだろ?」
「……」
「答えになってないか」
「……ジムチャレンジの時は……あの頃は迷う道なんて一つもなかった。道は舗装されてたし、どこに行くべきなのかも分かってた。どうしたらいいか分からないことなんて、何もなかったのに」
「歳をとれば"分からないこと"が分かるようになるし、見えてくる。だから簡単に決められなくなるだろう。だから、ユウリは今がそういう時なんだろう」
「……私が歳をとった?」
「大人になったか、その途中ってとこだな」
「私、もう背も伸びないんですよ?」
「俺も身長はもう伸びなくなったな」
「え、はい?」
「見た目が変わらなくても、中身は変わる、中身が変わらなくても見た目は変わる。おかしなことじゃあ、ないだろ?」
「……そう、ですか?」
「進化しても、同じポケモンだ!そして進化しなくても強くなる!見た目が変わらなくても!」
「それはポケモンの話…」
「人だって似たようなものさ」
「そう、ですか」
「そうだ」
本当に、そうなんだろうか。
「……まあ、本音を言うなら──」
遠くを見ていた視界に。
「とにかく俺はバトルがしたい!ユウリが辞めるにしろ、辞めないにしろ!とにかくバトルがしたい!」
真っ直ぐな瞳が割り込んできた。
彼と同じ黄昏の瞳が。
「えっ、その」
いつの間にか近づいてきていた彼は、私の目の前に回り込んでいた。
「いいじゃないか!辞めるつもりなら最後に一戦くらい!」
「……大人の言うこととは思えない、ですね……」
目を逸らそうとしても、彼は私を真っ直ぐに見ていた。
「いいさ!それが叶うなら子供でも!」
言い切る大人。
「……それじゃあ、理由になんて……」
「忘れたのか?今、俺と目が合ったじゃないか!」
「それは……」
トレーナーは目と目が合えば戦わなければならない。
そんな当たり前の事を、私はすっかり忘れていた。
「それじゃ……仕方……ない、ですね」
都合の良い、言い訳が出来てしまった。
どちらでも構わないから、バトルをしてくれと、言われてしまった。
後ろめたい理由じゃなく、ただ勝負を挑まれているから、ただバトルをするだけ。
トレーナーとしてそれは当たり前のことで……仕方のない……こと。
私の我儘じゃなくても、続きを選んでも良い理由が。
「……どうして?私の為ですか?」
「ん?なんのことだ?」
首を傾げるダンデ。
その表情には、子供のような明るさしかなかった。
「話は決まりだな!じゃあな!次は試合で会おう!」
それだけ言うと、颯爽とリザードンに乗って飛んでいってしまう。
……一体どこへ向かったのかは分からないけれど。
「……やっぱり、貴方は主人公ですよ」
頼まれたのなら、仕方ない……そう言うことで良いのなら……私は。
もう少しだけ、続けても良いかも知れない。
彼と戦う時まで、それまでは。
それで、私の我儘を終わりにしよう。