「……行き止まり?」
路地を抜けた先には植物が絡まったアーチがあって、まるで何かの入り口があるような作りだった。
けれど、潜り抜けて見えたのは高い壁。
追っていた女の人の姿は何処にもない。
シーグラスの道標も壁の真下で途切れている。
「ロトム、ここに入ってから、一本道だったよね」
《そうロト》
「……じゃあ、あの人はどこ?」
《よく分からないロト、引き返すべきロト》
「本当のことを言わないと──」
《……わ、分からないロト!ま、真っ直ぐいけば良いロト?》
「あのさ、いくら旧式のポンコツでもカメラくらいついてるんだから分かるよね?」
《何ロト?》
「どうやって、そこを真っ直ぐ進めるわけ?」
《……何で真っ直ぐ進めないロト?》
「見えないの?そこ通れる?」
《通ればいいだけロト》
「あーゴーストタイプは壁すり抜けるもんね。じゃあ、あの人は幽霊だったわけだ。ありがとう、参考になったよ」
《じゃ、じゃあ、探検は終わりロト、引き返すロト》
「そうはいかないの。……というか、なんか帰らせようとしてない?」
《し、してないロト!》
「じゃあ、どういうことか説明して」
《誰でも通れるロト?》
「そうだね。量子的な可能性で言えば物体が壁をすり抜けてもおかしくないよね。地面をすり抜けていなくなった人が誰もいないってことを除けば」
《壁なんてそこにないロト?》
「あるじゃん、だってここに!」
ロトムに見せながら壁を叩こうとした。
その手が壁の中に入った。
「……え」
《だから言ったロト》
「私、ゴーストタイプだったの?」
《量子的な可能性ではそうかも知れないロト》
「ごめん」
◆◆◆◆◆◆◆◆
そこは庭園。
小さな噴水が反射した日の光を、背の低い木々や足元の草花が浴びていた。
海風の匂いはしなかった。柔らかい空気の香りがしていて、息をすると不思議と心が落ち着くような気がした。
なにか、神聖さすら感じさせ──
「誰かいるのか」
「ひっ」
急に声が聞こえるものだから、思わず木の陰に隠れてしまった。
「早く出てくるんだ」
「……」
人の家の庭に勝手に入ったらそりゃ怒られるか。
《出番ロト?気絶させるロト?》
「ここはガラルじゃないんだよ……」
《今ここは入っちゃ不味い場所ロト、捕まったらタダじゃ済まないロト》
「……分かった」
《よし、やるロト!一撃で》
「──ごめんなさい」
私は両手を上げて下を向き、木の陰から出る。
《な、なんでやらないロト!油断している今なら確実に!》
握ったスマホが騒いでいる。
確実にどうするつもりなんだこいつは。
「悪気はなかったんです、ただ」
「……ユウリ?」
「え?」
私を見ていたのはニオさんだった。
「……ニオさんなの、全部?」
「何のことだ?」
「ロトム?」
《し、知らないロト、ボク嘘吐かないロト》
「……そういうこと」
前に委員長に悪戯を仕掛けた時と同じか。
あの時も、私のスマホ……というかポケモンなのに当たり前のように指示してたし。
ロトムに偽装させるなら、いくらでもメールは作れる、ネットに接続していなかったとしても、受信したことにも出来るだろう。
「…ここに連れてきたかった?」
「……まあ、そうだな」
「でも、来るのが早すぎて、準備出来てない」
「……その通りだ」
「だから、ロトムは私をここに来させたくなかったわけだ」
《ぼ、ボクはなにも知らないロト》
「もう分かったから。それで、私をここに連れて来てどうするつもりだったの?」
「……こっちに」
促すニオさんに従って小さな噴水の前に立つ。
「あの宝玉が見えるか?」
指差す先、湧き出る水の中に、青白い淡い光を纏う透き通った丸い石が一つ。
「これは、こころの雫と言う」
見たことがある……いや、私は──
「……同じもの?」
鞄に入れっぱなしだった、宝玉を見せる。
「何故これを?」
「ファンからの贈り物だって」
「…そうか。まあいい、その水の中のものに触れてみてくれ」
「……なんで?」
「触ればわかる」
「触らなかったら?」
「分からない」
なにそれ。
《これは罠ロト!触らない方が良いロト!》
「……なるほど、ありがとうロトム」
私は宝玉に手を触れた。
《え》
瞬間、青い光の膜のようなものが宝玉を中心に広がり、私達を通り抜け──あたりの景色は海の上に塗り替えられた。
「これは?」
「"夢写し"だ、どこかで誰かが見た視界を映し出している」
海上を行く視界は、ゆっくりと飛ぶキャモメ達を追い越すように進んで行く。
「記憶?」
「そうとも言える」
視界が海の中へ潜るとそこには数え切れないほどのポケモンが回遊していた。
「あれが生きているサニーゴだ」
指差す先にはピンク色の岩礁みたいなもの。
「……あれ全部?」
良く見ると何十匹ものサニーゴが寄り集まっていて、小型の水棲ポケモン達はその周りで泳いでいる。
「そうだ、本来はああして群れで暮らし、他のポケモン達の棲家になる」
「生命力吸ってくるイヤな奴とは大違い」
「……そうだな」
彼らが彩る鮮やかな海から離れ、さらに深く進み続けると、大きな青い影が目の前に現れた。
「ホエルオー?」
「……違うらしいが……」
それは、掌のような胸びれを揺らめかせ、深海から海面へと向かって行った。
見えたのは赤い紋様のような何か。
「知ってる?」
「いいや」
「何でも知ってるんじゃないんだ」
「持ってる図鑑が世界の全てじゃない」
「……そう」
辺りが暗くなり始めると、今度は上昇し始め、一気に日の光が揺れる海面へ飛び出した。
さらに海から上空へ向かい、雲の上へ抜ける。
そこは私の知る空よりも遥か高く、ただひたすらに青いだけの世界、生身では辿り着けない場所。
「雨も雲もないな」
「晴れてても寒いんでしょ」
「そうかもな」
その果てに、蛇行しながら飛ぶ緑色の何かの姿がほんの一瞬だけ見えて。
それを追うように視界は上昇し──徐々に暗くなっていく空の境目から飛び出して──
何となく、私は思い出していた。
初めてスタジアムに立った瞬間、あの時も似たように、暗い中から光を見たんじゃないかって。
◆◆◆◆◆◆◆◆
見渡す限り果てのない暗黒に、スタジアムの照明とは比べ物にならないほどの星の数々。
月は遠い太陽の光を浴びて白く。
重力から切り離されたように、あらゆる物が浮かんで漂う。
足元には青く輝くような星。
「これが、星の外だ」
「なんで……これを見せたの?」
「俺が何も知らなかったのなら……重いものから離れることで、自由になれたり……時間が早く進めば、大人になるための時間稼ぎができるかもしれない……と言うつもりだった……」
「今は違う?」
「そうだ、ただの健気な子供じゃないと言うのなら、言うべき言葉はそうじゃない」
「……そう」
「時間は……平等じゃないことを知っているか?」
「だから私は置き去り?」
「違う、場所によって時の流れる速さは違うという話だ」
「また嘘?」
「重いものに近ければ近いほど時間の流れは遅くなる」
「それで?」
「だから山頂と麓では、山頂の方が早く時間が経つ」
「……なんで?」
「この星で一番重いものはなんだ?」
「土?」
「この星そのものだ」
「なにそれ」
「この星が最も重い。近ければ近いほど時間の流れは遅くなる」
「立ってるだけで遅くなってるってこと?」
「そうだ、地表から離れれば時間は早く進む。重いもの、重力から逃れれば逃れるほどに」
「地球の重力から逃れても太陽の周りを回ってるのに?」
「そうだ。地上から比べれば時間は早く過ぎる。その時間は取り返しのつかない差になっていく」
「……結局、私のことでしょ……?もう取り返しのつかない差がついたって、置き去りになったって」
「違う。これからお前が置き去りにするかもしれないと言っているんだ」
視界は上昇し始めて、地球から離れていく。
ただの暗闇へ向かっていく。
「私が?何で?」
「お前が望んでいた過去は、離れれば離れるほど時間に流され、薄れ、消えていく。もう、後戻り出来なくなっていくんだ」
青い星の姿がずっと遠くに消えていく。
「……そんなの分かって……」
「実際に目にするまで犠牲のことが分からなかった奴に、それが分かるか?」
「……」
何も言い返せなかった。
「今や人は……やろうと思えば離れることが出来てしまう。重力から完全に抜け出してしまえる。だが、その先に流れる時間はまるで違うんだ。その時間は何もかも癒すかも知れないが、同じように何もかも流してしまうし、待ってもくれない」
「時間が癒す?どうやって?」
「人は忘れていくんだ」
「……忘れて、どうして癒されるの」
「苦しいことも、悲しいことも薄らいで、そしてなかったことにしてしまう、自分の中では」
「……じゃあ、楽しいことも、嬉しいこともなくなる?」
「時間が残酷なのは……お前が一番よく分かってるんじゃないのか?」
「じゃあ、私にどうしろって言うの?離れても望んだものは何もない、残っても苦しいだけ、向き合えって言わないのに、そんなの──」
「それを自分で考えるのが大人だ……過去を割り切るのも、諦めないで足掻くのも、代わりの物を探すのも」
青い光が見えなくなった時、投影されていた景色は消えて元の庭園に戻った。
「……今見たように遠く離れてしまえば、取り返しはつかない……忘れるな。時間はいくらでもあるが、待ってはくれない」
あの暗い宙の視界の後は、一体どうなった?
その記憶の持ち主は……帰ってこれたんだろうか?
「……」
私は何も言えなかった。
誰もいないこの世の果てで、自分が一人浮かぶ姿が浮かんだ。
あの視界から先に行ったきり、二度と帰ってこなかったんじゃないか、そんな気がして。