ムゲンダイナの消失。それが私達が得た実験の結果だった。
確かにガラルの各地から湧き出るエネルギーは励起した。でも、それだけだった。
前提にあった鍵の消失により、元の計画は一時中断。
当面はエネルギー励起より、かつて委員長が行ったブラックナイトとムゲンダイナの再現を目指すのだと言うが、まるで目処が立っていない状況。
あの子はもう二度と帰ってこない。
訳が分からなかった。
未来の私達が、実験を失敗させるはずがない。
これでは干渉どころか、10年後のタイムマシンすら作られる可能性がほぼ無くなるのだから。
失敗するにしてもこんなことになるとは全く思わなかった。
タイムマシンが早期に完成する可能性が低くなるのなら、必ず介入があるはずだからだ。
私の想定は間違っていないはずだった。
私は完全に失ってから、まだ少しタイムマシンを宛にしていたことを理解して自分で自分に呆れた。最後の逃げ道が心の片隅にあったことを。
もう、逃げ道はなくなった。
私を守ったあの子もいなくなった。
何もかもなくなった、それでも私は生きていかなければならない。
そうじゃなければ、なんだったんだ。今日までの日々は。
◆◆◆◆◆◆◆◆
ハロンタウンの実家に一度戻った。
マリィが今そこにいるというから。
「お帰り、ユウリ」
「ただいま」
まるで母親のように私を出迎えたマリィは、何も言わずに私を抱きしめた。
「ちょっと休んで行けばいいよ」
その言葉に私は甘えた。
相手は私が倒すはずのチャンピオンで、こんなことをするべきじゃないのに。
ソファで私はマリィに膝枕をされながら、今までのことを少しずつ話した。
「はい、あーん」
寝転がってても勝手にお菓子が口の中に入ってくるし。
「そうなんやね、凄いね」
大した話じゃないのに褒めてくれる。
「ユウリは良い子やね」
優しく撫でてくれる。
もう動きたくなくなるくらいだった。
全てがどうでもよくなる気がした。
マリィの膝の上に住みたい人生だった。
現実から逃げられそうだったけれど、話し出すと私は止まらなかった。
色んなことがあって、戦うと決めたのにその理由すらなくなってしまって。
急に敵がいなくなってしまった。
そうなることを望んでいたはずなのに、私は胸に穴が空いたみたいだった。
シャクヤも、ムゲンダイナもいなくなって、走り始めたはずなのに、どうしたらいいか分からなくなってしまった。
私は何かを倒したり、戦うということでしか生きられないのかも知れない。
なんてことを、つらつらと喋り続けていた。
「ユウリ。ユウリはもう、戦わなくてよか」
「……そう、なのかな」
「もう、ずっとここで、ゆっくりすればよか。私がずっと、一緒にいてあげるから」
「……分かった……もう、休む」
敵はもういない。思ったようには進まなかったけれど、きっと私なんて関係なく世の中は回っていく。
過去を諦めて、現実に立った今、私がするべきことなんてもう何もない。
それから私は、何を話していいのかわからなくなって、この家を飛び出してからの話や、そして自殺して戻ってから、またチャレンジを続けてからの話を延々と続けた。
前にしたのと同じ話もあったかもしれない。
だけど、私は整理できなかった。
旅に出た子供が、久しぶり会った母親に旅の思い出を話すように、ただ話続けた。
取り止めのない話でも、私が歩いた日々に何か意義があるのなら。
せめてお見上げのように聴かせるくらいの価値はあると思いたかった。
アルトマーレの話をして、未来からのメールのことを話すとマリィは笑っていた。
何も知らなければ、確かに笑い話にしかならない。
「そうだ、こころの雫っていうのがあって、実は凄い宝石なんだけど、その一つを私が持ってるの」
「へぇ、見せて」
「鞄の中に入ってる」
「もう、自分でとらんとあかんよ?」
マリィは膝から優しく私の頭を下ろす。
彼女のお腹の方を向いていたから、私の視界にはソファの合皮しか映らなかった。
「どれ?」
頭の後ろから、マリィの声。
「丸くて、青い宝石が──」
振り返ることもなく、私が言うと。
「ああ、これね」
マリィはそれを発見し
「ん?なんか色変わったね。黒っぽくなったよ」
え?
「これ、どう言うもの?」
「それは……」
嫌な予感がした。それを言ってはいけないと、直感が教えていた。
そして、見てはいけないと教えていた。
今、起き上がって振り返れば。
「教えてよ、ユウリ」
「そ……れは」
「ほら、私に教えて?」
「それ、は……"持つ者のこころを映し出す、悪しき者が持てば──"」
それが、濁ったと言うことは。
「……ユウリ。これはしまっておいた方がいいかな?」
その言葉の意味は。
「……そんなの、あり得ない。マリィが」
「ねえ、ユウリ。振り返っちゃ、ダメだよ」
「マリィ……」
「振り返らなければ、こんまま何も知らんで幸せに生きていけるよ?」
「幸せ……?何もかも無くして友達もいなくなって、何も知らずに生きていくことが?そんなの、嘘だよ……」
これはきっと、嘘で、マリィの悪戯で、振り返っても、こころの雫は濁ってなくて。
全部、冗談なんだ。そう、すべて、悪い冗談。
振り返れば、悪戯だって言ってくれるんだ。
だから、私は起き上がって、振り返った。
「……ユウリならそう言うよね。やっぱり」
微笑むマリィの手の中で、こころの雫は真っ黒に染まっていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆
私は、マリィの心の内を一度だって聞いたことがなかった。
当たり前のように優しくしてくれる彼女が、自分の味方だって、無条件に思い込んでいたんだ。
「…マリィは、何をしたの?」
「何って?」
「誤魔化さないでマリィ!」
「……よかよ。教えちゃる。全部私がやったんだよ」
「全部……?全部って何……?」
「実験が失敗するように細工して、ムゲンダイナを消した」
「……は?」
マリィが……?
「ユウリのロトムを返したのは私やろ」
「それは、そう、だけど」
この家を飛び出す前に受け取ったのは彼女からだ。
「それ、ユウリのロトムじゃないよ。私のロトムが入ってる。ユウリ達が"何しようとしてるのか分かった"のも、ロトムから全部聞いてただけやね」
「未来からメールを送ってたのも」
「本当に未来から届いてると思った?」
彼女がさっき笑っていたのは、話が馬鹿馬鹿しいからじゃなかった。
……私が本気で未来からメールが届いていると思い込んでいたのが可笑しかったんだ。
「……一体…どうやって」
「ロトムなんだから、メールくらい幾らでも偽装できるよ」
「……これまでずっとロトムはマリィの指示に従ってたって……こと?」
「そう。えーっと、ああ、こう言うんだっけ?」
マリィは怖気のするような満面の笑みを浮かべた。
「──悪戯、だぞ?」
慈母のような顔が、悪意に満ちていた。
『悪戯成功ロト!』
私の携帯からロトムが勝手に飛び出して、マリィの元に行った。
「ロトム、あなたは」
『まさか全く気がつかないとは思わなかったロト!傑作ロト!』
「人が、人が死んでるんだよ?」
『誰だっていつかは死ぬロト』
そう言って、ロトムは家の電化製品の中へ消えて行った。
考えたくもないのに、私の頭がこれまでを振り返って、ロトムの行動の不自然さを教えてくれる。
"私を追い詰める情報の出所の多くは、ロトムから齎されたものが多い"
"母親が死んでいたことだって、昔からいたロトムなら知ってるはずなのに、何も知らないように記事を開示したり"
"私が自殺しようとしたきっかけだって、20年前の写真やホップとの最後のメールだった。本人が嫌がっているのに、部屋中に写真を表示する理由なんてあるだろうか"
"アルトマーレで未来から受け取っていたメールはニオさんが私と行動するのを妨害するためと思えば理解できるし、ロトムの言動はどちらかと言うと、あの庭園に向かわないようにしていたともとれる"
"そして、ロトムから全ての情報がマリィに流れているとすれば、これまでのことに説明がついてしまう"
信じたくなくても、説明が出来てしまう。
未来からの干渉よりも、よほど現実的だった。
「あたしもロトムから聞いてたはずなのにすっかり忘れてた。こんなのがあるなんてね」
マリィは微笑みながら、こころの雫をテーブルに置いた。
彼女の手を離れると、雫のドス黒い濁りは嘘みたいに消え失せた。
それを私は見てしまった。
「……それ、じゃあ……ダイマックスを暴走させたのも……」
「それはユウリが自分でやったことだよ」
「……どういう」
「私はユウリの夢を具現化させただけだよ。まあ、ダークライに頼んで悪夢を見せたのは私だけど」
「ダークライ……?」
あの悪夢も?
「私のポケモンやね。でも何も考えないでムシャーナに悪夢を食べさせて、"それが出来る環境"を作ったのはユウリ達」
私の見た夢、ダイマックスしたポケモンを引き連れてガラルを巡る夢。
その中でただ一人私と戦っていないトレーナーがいた。
それがマリィだった。マリィは私を後ろから抱きしめて振り返らせないようにしていた。
あれは……私のイメージじゃなかったんだ。
「シャクヤは……!」
悪意があると考えれば、最初のエキシビジョンの時、私にシャクヤのことを紹介しなかったのも、その後に会わせなかったのだって……わざとやった可能性が高い……それだけじゃない。
……殺したのだって。
「私がやったと言えばそうやね。エキシビジョンでボコして遠回しに近付くなって言ったのに、ユウリに近付くから……」
「……なんで……?どうして?」
「全部、ユウリを成長させるためだよ」
「……成長?私が?」
「旅をして、傷ついて、戦って、失って、私の敷いた道を歩いて、ユウリは成長したんだよ」
ゆっくりと、私に近づいてくる。
「そんなこと……頼んでないよ」
「母親が娘の成長を祈るのは、当たり前のことやろ?」
マリィの手が、私の頬に触れる。
「マリィは……私のお母さんじゃないよ……」
「私はユウリに成長して欲しかった、でもそれと同じくらい、めちゃくちゃにしなきゃいけなかった」
私の唇を指でなぞる。
「ほら、笑って、きーぷすまいりんぐ!いつも笑顔を忘れないで」
指で無理やり私の口角を上げようとする。
「……マリィ……ねぇ、嘘だよね?」
「本当。あたしだよ」
「嘘だよ……マリィは私に優しくて、それで……そんなことしない……嘘だって言ってよ!」
「するよ。ユウリを止めるにはこうするしかないし」
「止めるって……何を……」
「タイムマシンを作るのを」
「どうして……?なんでマリィが?」
「だって、私が、あたしがずっとユウリを見てた、ユウリだけを、ずっと、ずっと、ずっと、ジムチャレンジの時からずっと」
「何言って」
「ホップから離れたと思ったのに、結局上手くいって、あたしは……ただ、昔のユウリのままでいて欲しかった……やけん、あの実験の日にそれを願ったら、それが叶った」
「……分かんない、分かんないよ」
「あの日から、ずっと、あたしが、あたしだけがユウリから離れなかった。誰もユウリの見舞いに来なくなっても、話をしなくなっても。あたしだけが。でも、気が付いた。ユウリに執着してるだけやって。昔の幻を見てるだけやって。でも皆が諦めたように。諦めたくなかった。でも、ユウリは起きなかった。もう、ユウリは帰ってこん。それが分かって、私も諦めた。でもユウリが起きた、また願いは叶った」
「私が起きたから……?起きたから悪いの?」
「ユウリは起きると、いつも過去に戻ろうとする。だからその度にあたしが止めて、何度も、何度も、何度も」
「何度も……?何言ってるの……?」
「ユウリ、時間順序保護説って知ってる?」
「……知らない」
「タイムスリップしても、最初から時間の流れは厳密に決まっているから結果を変えることは出来んって話」
「……それが?」
「じゃあ、その法則があるとして、実際にタイムスリップして、仮に結果が変わるようなことが起きたらどげんなると思う?」
「……何かが多少変わっても、どうにかして決まってる結果へ進むように物事を収束させて整合性をとる?」
タイムトラベルを含む物語ではよくある話だ。
「惜しい、はずれ。正解は、"時間が自分自身を巻き戻して、正しい結果になるまでやり直させる"でした」
「……時間が自分で巻き戻る?……繰り返しって、じゃあ、マリィが」
「そう。タイムパラドックスも、パラレルワールドもない。あたしだけが記憶を持ったまま過去に戻ってる」
「でもどうやって!タイムマシンなんて何処にも」
「そんなの、あたしだって知らない。そうなるってだけなんだから。確かなのは、いつだって巻き戻るのはユウリがタイムマシンを完全に諦めたり、絶対に作れなくなってから。つまりユウリを止めると時間の流れは"正しい結果"に向かえなくなって、巻き戻る。バッドエンドになったゲームみたいに。巻き戻った世界はおかしくなったユウリがガラル中のエネルギーを使って、タイムマシンを完成させる"正しい未来"へ向かう、向かい続ける」
「なに……それ……私が正気じゃない方が正しいみたいな」
「そうやね。今見たいなユウリは珍しか。初めはあたしだって、ただユウリを説得して止めた。でもそうすると時間は巻き戻って、20年前の動かないユウリの目の前だった。最初はあたしも夢だと思った。でも何度も、何度も繰り返せば分かる。全部無駄だった。ユウリが目を覚まして、まともになって次に進める明日は絶対にやってこない。何をどう足掻いても。やけん、あたしはこの日々を永遠にすることにした。止め続ければ、ユウリは誰のものにもならない。あたしのだけでいてくれる。なのに、なのに、繰り返す度にユウリは諦め難くなって、意固地になって、だから、だからあたしは、こうでもしないと永遠に出来なくて、大好きなのに、めちゃくちゃにしないと止まってくれなくて。だからもう、ユウリを壊して、あたししか見れないようにしようとしたのに…誰も彼も邪魔するから」
その目には狂気が一切なかった。マリィは正気でそれを口にしているように見えた。正気で支離滅裂な事を言っていた。
「だから、ユウリの余計な希望は全部壊すことにした」
いつもと変わらない笑顔だった。私の知っていたマリィとは違う、練習した上手な笑顔だ。
「私が……タイムマシンを諦めたら、ただ戻る……だけ……それじゃあ、これまでは、私の日々は」
「ユウリが家出できたのだって、あたしがそうなるように試合を見せて、ロトム渡して、ホップ達の監視が緩むようにしただけ」
タイムマシンを作らないと先に進めないのなら、そのために悩んだり話したり、死んでいった人は……
「ユウリ、もう、タイムマシンは作れない。やけん、少しすればまた巻き戻る。ずっと一緒。何度でも、どんな方法でも、ユウリを諦めさせてあげるから。過去は目指させない。ユウリは未来でも過去でもなく、今を私と永遠に生き続けるの。私達は何処にも行けない。過去にも、未来も進めない。同じ時間を永遠と繰り返して、繰り返して、繰り返し続けるの。ユウリは私の大事な娘なんだから……振り返ったりさせない」
「それが、それが本当だって証拠は、何処にもない……!未来からのメールで私を騙したみたいに……!その話だって」
「ロトムからユウリ達の動向を聞いてただけで、ここまで上手う出来るて思う?今回の実験やって、ホップだけじゃなく世界中の科学者が集まっとったとに、簡単に失敗させられると思う?都合ようムゲンダイナだけ消せるように?それに、ダイマックスの暴走を意図的に起こすのに、専門的な知識が必要って委員長は言ってたよね?フーリガン達を扇動したり、スタジアムに潜入させたのは?」
「そんなの、証拠に」
「証拠なんてなくても、繰り返した経験はあたしの中で生きてる。ユウリが忘れても、誰が忘れても、あたしだけが記憶してる、ユウリ達がやるようなことは、全部わかる。何しても、無駄。絶対にあたしがユウリを止めて見せるから。……だから、ユウリはもう、戦わなくて良いんだよ」
「──」
言葉が出なかった。
私がマリィに語った自分が起きてからの全ては、何の意味もなかった。
何の意味もないのに、まるで大した経験のように語っていた。
本当に私は環状線のレールの上を走り続けているだけだった。
勝っても前に進んでなんていなかったのは、心がどうとか、そう言う意味じゃなく、本当に前に進んでなかったんだ。
よくある物語なら黒幕が明かされて、どうしようもなくても、何か猶予があって、何か解決できる展開か、逆転の手段が待ってるはずなのに。
でも、もうとっくに世界が巻き戻る条件は満たされていて、ゲームは終わっていた。
私が過去を諦めれば世界は巻き戻り、諦めなければ今をなかったことにする道へ進むしかない。
最初から、物語は袋小路の中にあった。
私はただ、その中の一回。
負け続けた試合の終了を告げられただけなんだ。
「"タイム・イズ・オーバー"だよユウリ。今回もあたしの勝ち。次も、その次も、あたしは負けない。勝ち続けて、あたしは夢を叶え続ける。あたしは永遠を諦めない。傷付いたユウリを明るく照らし続けるんだ。あたしはユウリのお母さんで、太陽なんだから」
私の目の前にあったのは、濁ったこころの雫が映したように、真っ黒な笑顔だった。
「もう、これもいらないよね」
マリィは私が腕につけていたダイマックスバンドを優しく外すと、床に落として静かに踏み潰した。
願いの片割れは粉々に砕け散った。
「さ、あたしといっしょにおねんねしよう」
私の目の前は真っ暗になった。