夕空ア・ラ・カント~中山律の普通な日常~   作:小林司

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 お風呂待ちの雑談と突然の訪問者

 

お風呂の湯張りが終わったので、誰から順番に入浴するか、という話になる。

 

本来なら客人である(りつ)が優先されるところだが、久美子(くみこ)があんな格好だったので、久美子が先に入ることになった。

 

残されたのは、律と秀一(しゅういち)

 

両者間には気まずい空気が漂う。

 

「えっと……」

 

先に口を開いたのは秀一。

 

「さっきは恥ずかしいところをお見せしてしまい、すいませんでした……」

 

恥ずかしいのか語尾が小さくなった。顔も赤らめている。

 

「お気になさらず。折角の場に余所者(よそもの)が混じったようなものなので……」

 

嫌味のつもりはない。

 

「全国を飛び回っている塚本さんと、不規則勤務の黄前さんとじゃあ……。入れ違いも多いですよね」

 

「そうっすね……。今日も長野から戻ってきたばかりです。一週間振り」

 

「黄前さんと会ったのは?」

 

「半月振りですかね。確か前回は泊まり勤務(仕事中)で会えなかった気がしますから」

 

話を聞きながら、律はすっかり冷め切ったお茶を(すす)る。

 

「あ、お茶冷めちゃいましたよね。新しいの淹れますね」

 

秀一が立ち上がる。

 

律があることに気づく。

 

「溜まってますよね……」

 

「えっ!」

 

普段の律なら絶対に言わない。しかし、ちょっとからかいたくなった。

 

「そ、そりゃあこのところご無沙汰だったし……」

 

「私もね。離婚してからすっかり縁がなくて……。寂しく一人慰める日々でね……」

 

秀一の顔が見る見る赤くなってゆく。

 

「それって……」

 

茹で蛸の如く真っ赤になった秀一。

 

「誘ってるんですか……?」

 

秀一の問いかけに、満更でもなさそうな律。

 

しかし、そこまでだった。

 

「空いたよ~。中山(なかやま)さん入りますか?」

 

先にお風呂へ入っていた久美子が戻ってきたのだ。

 

 

「あれ? 秀一何で真っ赤になってるの……?」

 

久美子が秀一の顔に気づいた模様。

 

「えっ! いや。ちょっと熱っぽいというか、場の空気にやられたというか……」

 

秀一は慌てている。

 

「場の空気って。中山さんと変な話でもしてたの?」

 

「……そ、それより。な、中山さんにタオルとか着替え用意しないといけないんじゃ? お風呂入ってもらうんだろ?」

 

話を逸らすのに必死だ。

 

「そうだ。着替え用意して、服洗わないと……。制服も洗いましょう」

 

久美子が律をお風呂へと連れて行く。

 

一人、秀一だけ残された。

 

「やれやれ……。危ないところだった……」

 

安堵の溜め息を漏らす。

 

そして、秀一はお茶を淹れ直すため、キッチンへと向かった。

 

 

律の後は秀一が入る。

 

そして、三人ともお風呂に入り終わった。

 

再び三人テーブルに座って、お茶を飲む。

 

そろそろ寝た方が良いだろう。そんな話をしている時だった。

 

 

『ピンポーン』

 

インターホンが鳴った。

 

こんな時間に来客か?

 

もう宅配便が来る時間は過ぎている。

 

「はい。えっ!」

 

応答した久美子が驚いた様子で飛び出していった。

 

「誰なんでしょう?」

 

「俺にも分かりません……」

 

2人は顔を見合わせるしかない。

 

 

 

ドタドタ音を立てて出て行ったが、再び音を立てて戻ってきた。

 

物凄く嬉しそうな顔だ。

 

夏紀(なつき)先輩が来てくれたの!」

 

久美子(くみこ)の後追いでスーツ姿の女性が入ってきた。夏紀先輩という人だろうか?

 

「あ。お久しぶりです、中川(なかがわ)先輩……」

 

それに気付いた秀一(しゅういち)も立ち上がって挨拶した。

 

「お久しぶり塚本(つかもと)くん。でも、もう私は中川先輩じゃないよ」

 

そう言いながら、彼女は律の隣の椅子に座る。

 

座るとき、律に「失礼」と声を掛けてから。

 

「ということは、吉川(よしかわ)先輩?」

 

久美子も椅子に座る。

 

秀一は、座ることなくキッチンへ向かった。

 

黄前(おうまえ)ちゃん。それ本気で言ってる……?」

 

「いえ。半分冗談です」

 

「半分なの……。まあ、確かに半分だけどね」

 

半分、とは? 律もそれが気になる。

 

「えっ?」

 

「字が違うの。芳川」

 

左の手のひらに、右手の人差し指で、字をなぞって見せた。

 

「ということは結婚してるんですか!」

 

「うん。去年ね」

 

そう言って左手を上げる。薬指の指輪が光った。

 

「どうして教えてくれなかったんですか!」

 

拗ねているのか、唇を尖らせる久美子。

 

髪型と相まって、蛸のように見える。

 

「何処に住んでるのか知らなかったし」

 

「あ~。でも、教えようにも夏紀先輩が住んでる場所知らなかったし……」

 

「確かに、私も教えてないね。これじゃあお互い様ってことだね……」

 

「でも、それならどうやってここを?」

 

「たまたまあの子、えっと川島(かわしま)ちゃん。川島ちゃんに会って、黄前ちゃんの住んでるところ知らないかって聞いたら、職業とここの住所を超絶ハイテンションで教えてくれた」

 

川島? さっきの会話に出てきた、京阪特急の運転士か。

 

「川島ちゃんとは今も交流あるの?」

 

「は、はい。同じ会社ですし」

 

「えっ? じゃあ、黄前ちゃん京阪で働いてるんだ。格好いいね」

 

鉄道会社で働いていることだけで格好良いと言うのなら、仕事内容を知ったらどう思うか。

 

「ええまあ」

 

「何してるの?」

 

来た。

 

「運転士です」

 

「へぇー。運転士か。凄いねぇ……」

 

感動してる。秀一がキッチンから戻ってきた。

 

「どうぞ」

 

夏紀の前にお茶を差し出す。

 

「ありがとう、塚本くん。あ、このお菓子、後藤から届いた奴だよね?」

 

夏紀はそう言ってテーブルの上にあるお菓を手に取った。

 

「はい。ということは中川先輩のところにも届いたんですか?」

 

「ううん。でも、後藤といえば必ずこのお菓子だからさ……。お中元もお歳暮も。ワンパターンだよね……」

 

夏紀の一言に、久美子 秀一は笑う。

 

「ところで。夏紀先輩はどこで緑暉(サファイア)ちゃんと会ったんですか?」

 

さ、さふぁいあ……?

 

伏見稲荷(ふしみいなり)の出店」

 

京阪特急の運転士と、伏見稲荷の出店で出会っていたのか。

 

というか、サファイアってなんかすごい名前だな……。

 

「りんご飴買ってるところに通りかかってね。塚本くんと黄前ちゃんが同棲してるって話を超絶ハイテンションで……」

 

「あっ、はい。だいたい予想できます」

 

同じ話の繰り返しになると分かっているのか、話を遮った。

 

 

 

「ところで、失礼ながらあなたは?」

 

話が落ち着いたあたりで、夏紀が律に話し掛けた。

 

「えっと。中山 律(なかやまりつ)といいます……」

 

名乗ったところで止まる。

 

自分のことを何て説明すれば良いのか……。

 

あまり無闇に正体を明かしたくない。バレたなら別だが。

 

「お昼ご飯を買いに行ったスーパーで出会ったんです。岐阜県から来ているらしいです」

 

続きを久美子が話してくれた。

 

「そうなんですね。遠路遥々(えんろはるばる)お疲れさまです」

 

不審には思わなかったようだ。

 

「申し遅れました。私、黄前ちゃんと塚本くんの高校時代に吹奏楽部で一緒だった芳川 夏紀(よしかわなつき)といいます」

 

話の流れから何となく想像できたが、三人とも吹奏楽部だったのか。

 

彼女の方が先輩らしい。

 

……ということは、この中じゃあ律が一番年上だろう。

 

「吹部ですか。楽器は何でした?」

 

「私と黄前ちゃんは、ユーフォでした」

 

ユーフォ。つまり、ユーフォニアム。

 

マイノリティな(知る人ぞ知る)楽器だ。少し前までは……。

 

「ユーフォニアムですか。言われてみれば、黄前さんってユーフォっぽい感じがしますね」

 

「中山さんもそう思いますか!」

 

久美子はなんだか嬉しそうだ。

 

「塚本さんは当時もトロンボーンを?」

 

「はい。中学の頃はホルンでしたけど……」

 

「もしかして、さっきの会話に出てきた、川島さんも吹部ですか?」

 

「流石中山さん。彼女はコンバスでした」

 

コントラバス。

 

例えるのなら、バイオリンのお化け。

 

「そういえば、夏紀先輩は大学ではギターもやってましたよね」

 

「えっ? あ、ああ。やってたよ……」

 

夏紀だけ会話についていけていない。

 

急に話を振られてしどろもどろになっている。

 

「えっと、中山さんは音楽に詳しいんですか?」

 

しまった。盛り上がって失念していた。

 

律の正体を知らない人物が増えているのだ……。

 

バレたのならまだしも、自分から言うことはしない。

 

上手く誤魔化せるだろうか……?

 

「軽音楽でドラムやってましたから……。多少は吹奏楽も知ってますよ」

 

仕事でやっていた、とまでは言わない。

 

「道理で詳しいんですね。ユーフォ知ってたから驚いちゃいました」

 

誤魔化せた。

 

まあ、トレードマークであったカチューシャは結婚するときに外してしまったし、髪の長さや色も違う。

 

よほど勘の鋭い人でなければ気づくまい……。

 

久美子は例外として(?)。

 

「塚本さんはプロの奏者ですからね。前から名前は存じてました。でも、お会いするのは初めてです」

 

そう。泊めてもらえると喜んでついて行ったら、有名人に出会えたのだ。

 

本当なら、サインを書いてもらいたい。

 

しかし、書いてもらったら自分も書くことになりそうな予感がするので、夏紀がいることもあり、言い出せない。

 

「私も驚いていますよ。吹部の後輩が有名人になるなんてね……」

 

「今日は会えて良かったよ。久し振りに顔を見れたし」

 

久し振り……?

 

律はもう一つ失念していたことがあるのに気づいた。

 

 

 

「ところで。芳川(よしかわ)さんはこんな時間にどうされたんですか?」

 

三人は感動の再会で気付いていない感じだし、(りつ)もつい先ほどまで失念していたのだが、普通に考えれば、地元民でもない限り、こんな時間の来客は不自然だ。

 

「仕事です。京都出張で来ました」

 

なるほど。仕事なのか。

 

「本来なら今日中に静岡まで戻らなきゃならないんだけど。この間の台風被害で新幹線が間引かれてるから大混雑で、最終の新幹線(のぞみ64号)に乗れなくてね」

 

ああ。

 

この間の台風で新幹線は本数が大幅に減らされているんだ。

 

「高速バスもまともに走ってないから乗れそうになくて……」

 

京都方面と東京方面を結ぶ高速バスの多くは、昔からある名神高速を通る路線が多い。

 

しかし、名神も災害で通行止めになっている場所がある。

 

現に、律も今日来るときに一部区間で高速を降りている。

 

その影響で国道も交通量が多かった。

 

なので便数も限られるのだろう。

 

「とりあえず、今日は帰らなくても良くなったんだけど、泊まろうにも新幹線の影響もあるのかな、ホテルも一杯で。途方に暮れてたら、川島(かわしま)ちゃんに教えてもらったここの住所を思い出して……」

 

なるほど。

 

彼女がここに来た理由が何となく分かった。

 

「実は、中山さんも泊まっていくことになってるんです。だから、夏紀先輩も今日はここに泊まっていきませんか?」

 

「本当に!」

 

 

律同様、願ってもない提案のようだ。

 

「そうさせてもらえると助かるよ」

 

久美子の提案で、夏紀もここに泊まることになった。

 

 

ふと、律は思う。

 

「芳川さん、結局は静岡へ帰るんですよね?」

 

「はい。明日中には……」

 

「静岡市ですか?」

 

静岡、と一括りで言ってもかなり広い。

 

浜名湖も熱海も下田も静岡県なのだ。

 

「いえ、川根本町(かわねほんちょう)です」

 

カワネホンチョウ……?

 

律はすぐにどの辺りかの見当がつかない。

 

大井川鐵道(大鐵)沿線なんですね」

 

久美子の助け船が出た。

 

京阪(けいはん)大井川鐵道(おおいがわてつどう)には繋がりがあるので、京阪社員の久美子には容易いのだろう。

 

しかし、その助け船も律には決定打とはならなかった。

 

「静岡市よりは西側の山の中です」

 

ようやく分かったらしい。

 

「でしたら都合の良いところまで送りましょうか? 私も明日中に坂元(さかもと)まで帰りますから」

 

律の提案。

 

「新名神から伊勢湾岸を回れば、大して渋滞もしないでしょうし、名古屋まで出れば、新幹線も通常の本数出てるはずですから」

 

新幹線の減便は、名古屋以西だけ。

 

名古屋まで出れば、自由席でも座れるだろう。

 

まあ、名古屋まで出れればわざわざ新幹線に乗る必要も無いが……。

 

「えっ、いいんですか? 助かります!」

 

律が夏紀を途中まで送ることに決まった。

 

 

そうと決まれば後は寝るだけ。

 

もう既に23時を回っている。

 

夏紀もお風呂に入り、眠りについた。

 

 

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