夕空ア・ラ・カント~中山律の普通な日常~   作:小林司

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 夏紀と久美子の仕事

 

積もる話もあっただろう。

 

しかし、久美子(くみこ)は朝早いうちに出勤していった。

 

朝食は秀一(しゅういち)が用意してくれていた。

 

夏紀(なつき)先輩は、今は静岡なんですか?」

 

「一応ね。最近は忙しくて仕事ぐらいじゃないとこっちに来ることないね」

 

かなり忙しいのだろう……。

 

「昨日はこっちで商談が四件あってね。途中で乗った特急が川島(かわしま)ちゃんの運転だったの」

 

「川島も頑張ってるんですね」

 

「それを言うなら塚本くんもだよ。プロの奏者になったんだね」

 

「まだまだですよ。あ、せっかくなんで今度演奏聞きに来てください。忙しいでしょうし、いつでも構いませんから」

 

プロの演奏……。

 

かつて、そちら側にいた律には懐かしい世界。

 

それと同時に、顔が知れた少し危ない世界でもある。

 

「当分忙しいからね……。機会あったら連絡するよ」

 

仕事漬けの生活だろう。

 

大変だ……。

 

そう思いつつも、律は夏紀の服からある匂いがすることが気になっていた。

 

「一晩お世話になりました。ありがとうございました」

 

「こちらこそ。おもしろい話が聞けました。中山さん、お気をつけて。夏紀先輩も、久し振りに会えて良かったです。またいらしてください」

 

「塚本くんありがとうね。頑張って!」

 

 

礼を言って家をあとにする。

 

「助手席に乗って下さい。荷物は後席に」

 

普段は一人なので、助手席に財布やスマホを置いているため荷物があるが、昨晩久美子を乗せているので、助手席には何も置かれていない。

 

「では、お願いします」

 

鞄を後部座席に置いた夏紀が乗り込む。

 

「うわ。凄いですね」

 

車に乗った途端、夏紀は感嘆の声を上げた。

 

「今どきマニュアル車運転する女性見たこと無いですよ。車好きなんですね」

 

そう。律の車はMT(マニュアル)車なのだ。

 

「まあ、多少は。そう言う芳川さんは?」

 

「好きです。私も自分の車はMT車ですし、オイル交換程度なら自分でやってます」

 

律よりも詳しそうだ。

 

「でも、今MT車入手困難ですよね。よく見つけられましたね」

 

確かに。

 

(さとし)の伝手で状態の良い中古車を格安で入手したのが、MTだったのだ。

 

しかし、MT車であることは買ってしまってから気付いた。

 

免許証は問題なかったので、最初は仕方なく乗っていたのだが、次第に運転が楽しくなってきている。

 

……余談だが、これが理由で仕事が増えている。

 

 

ナビを、新名神・伊勢湾岸経由で設定。

 

「行きましょうか」

 

そう言い律は車を発進させる。

 

発進させてすぐ、夏紀の携帯が鳴った。

 

「あ。ちょっと失礼」

 

夏紀は携帯を取り出し、確認。

 

白色の二つ折りのガラケー。

 

仕事用だろうか?

 

「はい。芳川です……」

 

電話に出た模様。

 

「明日の会議には間に合います。はい、そう伝えましたよ」

 

話口調からして仕事の電話らしい。

 

「専務は心配性ですよ。係長には伝えましたから……」

 

どんな会話だ?

 

「商談は全て上手くいきましたから。期待してて良いですよ」

 

そういえば、朝昨日は四件の商談があったと言っていた。

 

「はい。失礼します」

 

電話を切った。

 

そして大きな溜息。

 

律は会話の内容が気になってしまう。

 

聞く気はなくても狭い車内では聞こえてしまう。

 

しかし、そこは大人だ。

 

こちらから聞くような真似はしない。

 

 

中山(なかやま)さん。お仕事は何を?」

 

不意に夏紀(なつき)が言った。

 

「スーパーのレジで働いています。恥ずかしながらこの歳でフリーターです」

 

苦笑い。

 

「フリーター良いと思いますよ。って、私がこんなことを言うと嫌みに聞こえますよね……」

 

嫌み とは?

 

芳川(よしかわ)さんのお仕事は?」

 

「製茶会社です。恥ずかしながら、営業課の課長です」

 

課長。なるほど。

 

確かに会社の課長が『フリーター、恥ずかしくない』と言ったら、嫌みに聞こえる人もいるだろう。

 

しかし、律はそんなことなど気にならなかった。

 

「ああ。だからですね。芳川さんからお茶の匂いがしてるんだ」

 

律は夏紀から匂っていたものの正体が分かり、ある種のもやもやが解決したことの方が勝っていた。

 

「私匂いますか?」

 

「いや、別に悪い意味じゃないですよ」

 

気になるのか、夏紀は服の袖を鼻に近づける。

 

「匂うのかなぁ……」

 

恐らく、鼻が慣れているのだろう。

 

「嫌な匂いじゃないよ。商店街のお茶屋さんの前を通ると匂ってくる。みたいな……?」

 

そうこう話していると、信号で止まった。

 

『びわ湖浜大津(こはまおおつ)駅前』の交差点だ。

 

今止まっているところの真正面が駅になっていて、ナビはここを右折するように指示している。

 

交差方向の信号が変わると、右側から電車がやって来る。もちろん道路上から。

 

昨日の朝も通ったが、やはり路面電車というのは慣れないと恐い。

 

しかも、路面電車というと1両か2両が普通だが、ここの京津線(けいしんせん)は特例の基、4両編成の列車が行き来するので、尚更だ。

 

右側からの電車が駅に入ると信号が変わったのか、今度は前方から電車がやって来る。

 

律は何かに気付いた。

 

「あ、黄前(おうまえ)さんだ」

 

前からやって来る電車は久美子が運転している。

 

「え、マジ?」

 

律の声を聞いた夏紀が顔をフロントガラスに近づけ、電車の方を見る。

 

「あ、黄前ちゃんだ」

 

夏紀も気づいた。

 

夏紀は手を振る。

 

律は軽く会釈。

 

久美子も気づいているようで、軽く会釈していった。

 

 

電車が通り過ぎると信号が変わる。

 

交差点を右折すると、反対側(車両後方)に琵琶湖(びわこ)が見えている。

 

ナビの指示に従いながら、次は左折する。

 

かつて、知名度の低さから滋賀県から『琵琶湖県』に改称したらどうか。という声もあった滋賀県。

 

この辺りには、県警本部や県庁がある。

 

県内随一の町である。

 

 

因みに、『琵琶湖以外何もない』と言われることもあったが、近江八幡・彦根城・近江神宮などの観光地はあるし、なにより比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)は滋賀県にある。

 

 

県庁を過ぎ、指示通りに走らせると、高速道路の入口が見えてくる。

 

 

 

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