摂氏96℃ 作:冷やしあんころ餅
連投ですが、これから少しの間更新開けます。ご了承を。
モカと別れてから、バイト先へと向かった。
休日の朝から駆り出されるのは何とも業腹ではあるものの、金を稼ぐ為ならば仕方がないと言い聞かせ自転車を漕ぐ脚に力を込めた。
生きていくのには金が必要だ。不思議なことに生きていくだけでも減っていくもので、たかだか高校生の出来る範囲の小銭稼ぎなんかでは到底足りないらしい。
俺の家のような家庭では、特に。
そんな状況でもやまぶきベーカリーに行ってパンを買ってしまうのは、あそこのパンが美味しいからだけという訳でもなく。
それでも決して安くない昼食代は、毎回顔を合わす度俺を避けるつぐみと同じように、素っ気なく消えていくのだった。
なんてことを仕事中に考えていても仕方がない。
「三枝くん! ポテトの補充──」
「──あと10秒で揚がります! 丸山先輩はドリンクの方を!」
「うんっ!」
休日の昼、ハンバーガーショップはまるで戦場だ。
途切れることのない客の対応に調理、食材やその他備品の補充なんかを針の穴程度の間隙にこなさなければならない。
加えてオーナーと店長、バイト二人なんて狂ったシフトの時なんかはこと更に。
応援の社員が来るなんて話はどこへやら、飛び込んでくるのは客からのオーダーと無限に鳴り響くフライヤーのタイマー音だけ。
思考に割くリソースは存在せず、どこをどう動かせば効率的に捌けるかのみに脳みそを回転させる。
そんな苦行を一時間、二時間と続けていると漸く客足が落ち着いてくる。応援も到着してひと段落つき、やっと息を落ち着かせることができた。
「ふぅ〜! すっごく大変だったね!」
「っすね。マジでこのイカれたシフトどうにかならないかな……」
「あはは……。まぁまぁ、皆入れないっていうのには驚いたけど、こういう時もあるよ」
気丈に笑顔を見せるのは、ここの先輩の丸山彩さん。
アイドル業も並行して行なっているみたいで忙しい分シフトはそこまで入っていないが、たまに被ると色々面倒を見ようとしてくれる良い人だ。
「そう言えるのは素直に凄いです」
「えへへ〜、でしょ?」
「オーダー取る時噛んでたけど」
「そ、それは忘れてよ! 焦っちゃうとつい──」
顔を赤くしながら言い訳を始めようとする先輩の言葉は、彼女のお腹から鳴った音に遮られた。
ばっとお腹を抑えて俯く彼女の顔は耳まで真っ赤になっていて、何とも憎めない人だなと笑ってしまう。
「うぅ、笑わないでよぉ……」
「いや、すみません。あんだけ動けばそりゃお腹も減りますよね。飯食いますか」
「それが、お昼ご飯忘れちゃって……。急いで出てきたからお財布も……」
「あぁー……」
こんな感じで大分抜けていたりもするから、あまり先輩という感じもしなかったりするが。
しゅんと落ち込んで、心無しか結んだ髪まで垂れ下がっているように見える。
「じゃあはい、これ」
「……?」
「パン一個あげるんで、残りも頑張ってください」
「! いいの!?」
そんな姿が不憫に見えて、買ってきていた塩パンの方を差し出す。その瞬間に顔が一気に華やいで、ころころ変わる表情が面白い。
多分こういうところとか、抜けているところも含めて丸山先輩の魅力なのかもしれない。
「しかもやまぶきベーカリーのだ! そう言えば三枝くん、いつもやまぶきベーカリーのパン買ってるよね」
「あ、はい。よく見てましたね」
「私もここのパン好きだから。たまにだけど買いに行くんだ」
そうだったのか。意外な繋がりもあったものだ。
「美味しいよねー。前取材に行った時沢山チョココロネ貰って、それからハマったの。他のパン屋とは全然違うんだよね!」
「へぇ、そんな違うんだ。俺、そもそもパン屋ってあそこ以外寄らないんで」
「そうだったんだ。じゃあなんでやまぶきベーカリーなの?」
意外そうに目を瞬かせて、首を傾げる。
なんてことのない雑談の中で放たれた質問が、ささくれ立つような痛みを感じさせた。
「あー……」
俺がどうしようもない意気地無しで、直接彼女に会いに行けないからだなどとは、到底言える筈もない。
口ごもる俺を、丸山先輩は不思議そうに見つめる。
「……そうですね。実は、目当てのパンがあって」
「うんうん」
「でもそのパンは、今の俺じゃ買えないんです。と言うか、今後買えるかも分からない。だけどつい行ってしまうみたいな……そんな感じです」
「? 買えなくて、今後買えるかも分からない……」
結局、回りくどくお茶を濁すような話をする。
きっと、俺もそういうところなんだろう。
重くなった気を紛らわすようにカスクートを一口頬張る。美味い。やまぶきベーカリーのパンが美味しいというのは、間違いないだろう。
「あ! 分かった!」
パンに手をつけずうんうんと唸っていた丸山先輩が顔を上げた。何をどう解釈したのか知らないが、追及されるよりはマシだ。
「なら良かったです」
「でも、そっかそっか〜」
少しニヤニヤとした笑みで俺を見ると、「三枝くんも隅に置けないなぁ」なんて言い始める。どんな咀嚼が先輩の中で行われたのか謎であるけど、自ら地雷を踏みに行くことはない。適当に返事をして流す。
「それに沙綾ちゃんも罪な女ってやつだ……! 凄いこと聞いちゃったなぁ……」
「山吹さんがなんて?」
「え!? ううん、なんでもない! あ、パンありがとうね。いただきます!」
「大丈夫です。午後からぶっ倒れられたら、俺も困るんで」
取り敢えず話題は去ってくれたので、一安心して昼食にありつく。
──ただ、問題というものは立て続けに起こるもので。
「……えと、私、今日もう上がりなんだ」
「え」
「事務所から連絡入ってて……」
「……」
申し訳なさそうに言う丸山先輩。もぐもぐと忙しくパンを食べる音だけがクルールームに響く。
「パン返して?」
「もう
大きくため息を吐いた。パンが逃げていくと言うのも、あながち間違いではなかったらしい。
▽
今度絶対にお礼をするからと丸山先輩が去っていってから数時間、漸く開放された頃にはもう日が傾き始めていた。
自転車のカゴには今日の売れ残り──もとい、オーナーからのご厚意で貰えたハンバーガーやポテトが袋に詰まって乗っている。迷惑だなんてことはないが、流石にこれだけ押し付けられても困るというのが正直な所だった。
どうしたものかと信号待ちで思案していると、後方から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「いやーありがとねつぐちゃん。生徒総会の資料の提出、まさか明日とは思わなくってさー」
「もう、次からはちゃんと確認してくださいね? 私も今日は暇だったから良かったですけど……」
「ごめんごめん」
そっと目をやると、やっぱりつぐみだ。今日会うのは二回目で、果たして運が良いのか悪いのか。少なくとも、つぐみにとっては厄日だろうが。
「あれ、叶多くんだ! 今バイトの帰り?」
そしてもう一人は、バイト先の常連客である氷川日菜さん。目を合わせないまま帰ろうかなんて思っていた矢先、ばっちりとこちらを見て話し掛けてくる。
つぐみも俺の存在に気が付いて、気まずそうに目線を少しずらした。何度もされている対応ではあるけど、やっぱり慣れはしない。
「はい。ちょうどさっき終わったとこです」
「そうなんだ〜。彩ちゃんが事務所に集まった時『私がいなくて大丈夫かなぁ』ってすっごく心配してたよ」
「大変ではあったけど、なんかその心配のされ方は癪だな……」
「あははっ。彩ちゃんがいた方が大変だったかもね。焦って間違えたりして!」
流石丸山先輩と同じグループに所属しているだけあって理解が早い。
からからと笑う日菜さんと話していると、つぐみが遠慮がちにこちらを窺うような視線を送った。目が合うと、やはり逸らされる。
「ねぇねぇ、折角だし一緒に帰ろうよ!」
「え」
ただ日菜さんが俺たちの関係を知る由もある訳なく、明るい声でそう提案した。
断るというのも難しいし、俺は良いにしてもつぐみが嫌なのではないだろうか。
「ね、つぐちゃんもいいでしょ?」
「えっと、はい。大丈夫ですよ」
けれど予想に反し、つぐみも了承した。まぁ日菜さんの手前断りづらかったというだけだろうけど。
「そう言えば二人とも初めましてだっけ?」
「や、知り合いではありますよ」
「そうだったんだ。つぐちゃんっていい子だよねー。今日も生徒会のお仕事手伝ってくれたし!」
言いながらつぐみに抱き着く日菜さん。つぐみの方は驚いているものの、「擽ったいですよ」とは言いつつどことなく嬉しそうだ。
「それから、コーヒーのいい香りもするし、るんってするし! あとあと──」
何より、つぐみが笑っている。暫くぶりに見た笑顔は昔と同じもので、別につぐみが全く変わってしまったとかではないことには安堵する。
……だからと言って、ならそれでいいやなんて思える程俺は出来た人間ではない。できることなら昔と同じように話したいし、ちゃんと俺の前でも笑って欲しいとは思ってしまう。
だから、これは日菜さんへの嫉妬だったのかもしれない。
「──それぐらいは、俺だって知ってます」
「……っ」
つぐみが驚いたように目を見開く。
(しまった……!)
変な対抗意識で口を衝いて出た言葉。自省や自制なんてものが一挙に押し寄せても後の祭りで、つぐみと似た風に目をぱちくりさせる日菜さんが何を言い出すかとその反応を恐る恐る窺うしかない。
結果として、それは杞憂に終わった。
「だよね!」
にぱっと無邪気に笑った日菜さんが上機嫌に言って、内心で胸を撫で下ろす。だけど本当に問題なのはつぐみ本人の反応で、俺は出来の悪いテストの答案を返却される時のような心持ちで彼女の顔を盗み見た。
結論から言うと、嫌そうな顔はしていなかった。
照れるように少しだけ俯き、口をきゅっと固く結んでいる。
寧ろ、少し喜んでいるような雰囲気さえ感じ取れた。自惚れてはいけないことは分かっている。勝手にそう思い込み続けた結果が現状なのであって、そこは決して勘違いしてはいけないとも。
多分日菜さんに褒められたのが嬉しいのだろう。俺の発言なんて二の次に違いない。
だけど予想よりも柔らかい反応を見て、何よりも安堵が大きかった。少なくとも、今は嫌悪感を抱かれていないのだと。
俺が理解を示したこともあってか、日菜さんのつぐちゃんトークは止まる気配を見せなかった。
ほぼほぼ一方的な話に俺が相槌を打って、たまにつぐみが訂正を入れる。この流れを繰り返している内に、いつの間にか別れる場所まで来ていたらしかった。
「じゃあ、ここで解散ってことで。つぐちゃん、今日はホントありがと!」
「ふふっ、どういたしまして」
「叶多くんも付き合ってくれてありがとね!」
「や、俺は何もしてないですよ。こっちこそ楽しかったです。あ、それと……」
にこやかにお礼を言う日菜さんに、自転車のカゴに入れていた袋を1つ差し出す。
「これ、ウチのハンバーガーとポテトです。余ったのめっちゃ貰ったんで、お姉さんとどうぞ」
「えっ! ホント!?」
目を輝かせて「お姉ちゃんも絶対喜ぶよ!」なんて自分が一番喜びながら言っているのを見て、仲が良いんだなと少し羨ましくなった。
「ありがとー! ばいばーい!」
手をブンブン振りながら去っていく日菜さん。
夕陽が伸ばす影が、角に消えていくまでずっと振られていたのが面白かった。
「ほら、つぐみも」
「私も、いいの?」
「この量だと家にあっても食いきれないし。良かったら貰って」
おずおずと伸ばされる手に袋の持ち手を掴ませる。
このままだらだらと喋るのもつぐみに申し訳ない。渡すものを渡して、自転車に乗りその場を去ろうとする──
「じゃ、また」
「あ、あのっ!」
──その寸前。
つぐみに呼び止められる。振り返ると、今や全く合わせることのなくなった丸い円な瞳が真っ直ぐに俺を見ていた。
「あ、ありがとう……叶多くん」
そして蚊の鳴くような声で、そう呟いた。
「つぐ──」
「──そ、それじゃっ!」
言うや否や駆けていくつぐみ。朝と似たような構図ではあったけど、その時感じていた
▽
俺にはつぐみが分からない。
ある時いきなり態度が一変してから今まで、何もできなかったから。或いはそれまで、何もして来なかったからだ。
でも今日見ることのできた表情。あんな顔を見られたのは本当に久しぶりで、二度と俺が見ることのないものだと勝手に諦めていたものがすぐそこにあった。
なら、するべきことは。
スマホに指を滑らせる。見慣れたトークルームを開き、通話のボタンを押した。数コールして、液晶越しに気だるげな声がくぐもって聞こえてきた。
『もしもーし。どうしたのー、こんな夜遅くに』
「あぁ、ごめんモカ。ちょっと話したいことがあってさ」
『? ホントどうしちゃったのさ、改まっちゃって』
ベランダに出て夜空を見上げる。幾つかの星が黒の上に散りばめられている。そう言えば、一番星を見つけるのが得意だったっけ。
前は一緒に探して、競走なんかしてはしょっちゅう負けていた。
あの頃のように、とはいかないでも。
このままではいけない。……いや、いけないのではない。単に俺がこのままで居たくないだけだ。
だから──
「俺、つぐみと仲直りしたい」
──俺はもう一度、歩み寄りたい。
これからもよろしくお願い致します。それでは。